バージン・クイーン -強面のイケメンのところに、性欲解消目的で呼ばれるデリヘル嬢の話-

福守りん

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1.バージン・クイーン1

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 十月の二週目の土曜日。
 今日は、五回目のデートの日だ。

 駐車場に現れた祐奈は、黒いジーンズを履いていた。
 上は、白い体に黒い耳がついた、有名な犬のキャラクターが描かれたトレーナーだった。
 黒髪は、高い位置のポニーテールで一つにまとめられていた。
 運転席から、助手席に座る祐奈を眺めた。白いうなじを見た時に、今日の行き先が決まった。
「こんにちは……。西東さん」
「こんにちは。また感じが変わったな」
「へんですか? こういうのも、着ます」
「変じゃない。かわいい」
「よかった」
 目を細めて笑う。かわいかった。
 どこからどう見ても、かわいいとしか思えなかった。祐奈の姿を見て、否応なしに、体の奥に熱を抱えてしまう自分を、もう一人の俺が哀れんでいた。
 限界だ。
 たった一ヶ月で、俺は音を上げたことになる。
 祐奈と専属契約をして、祐奈以外の全てのデリヘル嬢と離れてから、四回デートをした。
 その間に、何度も自慰をした。特定の誰かを思い浮かべながら自慰をするのは、ずいぶんと久しぶりのことのような気がした。
 虚しくはなかった。だが、強い罪悪感を感じてはいた。
 俺は、祐奈を汚したいと思っていたわけではなかった。それでも、祐奈本人からしたら、気味の悪い行為でしかないだろう。

「今日のプランは?」
「……うん」
「なにか、あるんだったら……。言ってください」
「ある。俺の部屋に、来てもらっていい?」
「うん。……はい」
「『うん』だけでいいよ。そこは」
 祐奈の顔がこわばって、緊張していくのを見てしまった。
 後悔した。早すぎたかもしれない。
「やめてもいい。他の場所でもいいよ」
「どうして、そんな、すぐに、やめようなんて、言うんですか」
「いや。それは」
「西東さんのところに、行きます。だって、行かないと……」
「行かないと、なに?」
「わ、わかんない……。車を出してください。わたしを、つれていって」
「分かった」


 俺の部屋に祐奈がいる。
 玄関で赤いスニーカーを脱いで、俺についてくる。
 浴室には誘わなかった。あの日の再現のようには、したくなかった。
 財布とスマートフォンを、リビングのテーブルに置いた。
「寝室に行ってもいい?」
「あ、はい」

 先にベッドに上がって、祐奈を呼んだ。
「おいで」
 返事はなかった。その場で立ちつくしている。
「白井さん?」
「服、いいんですか。このままで……」
「いいよ」

 祐奈が俺の前まで来てくれた。
「後ろから、だっこしていい?」
「はい。……どうして、後ろから?」
「その方が、安心するかと思って」
「はあ……」
「納得いかない?」
「ううん。そうなんだって、思っただけ……。
 あと、だっことか、言うんですね」
「うん」
 開いた足の間に、祐奈が体を入れる。祐奈の体を包むように、両腕で抱いた。
 温かかった。俺の腕に、祐奈の指が触れてくるのを感じた。
「あったかい……」
「同じことを考えてた」
「ほんとですか」
「うん」
 祐奈の息づかいが聞こえる。うなじにキスをしようとして、やめた。
 どこまで許されているのか、俺には分からなかったからだ。
「さわっていい?」
「はい」

 力をこめないように心がけながら、体を撫でていった。
 祐奈の存在を確かめるような気持ちで、全身に触れていく。
「あ、ぁっ……」
 手で体を探る。肩の形。細い腰のくびれ。ジーンズの膝。短い靴下を履いた足の、かかと。
 胸に触れた瞬間に、祐奈が息を止めたのが分かった。
「いや?」
「ううん……。どきっとした、だけ」
 ささやく声の中に、戸惑いを感じた。それから……。痛みのようなものがある気がした。
「こういうの、好きじゃない?」
「こういうの……?」
「セックス」
 祐奈の肩が揺れる。俺を見ようとするそぶりをした。だが、祐奈が振り返ることはなかった。
「う、ううん。そんなこと、ないです」
「そうかな。いやだったら、無理しなくていいから」
 胸を掴むように手で覆った。
「ん、……ぁん」
 揉んで、感触を味わう。柔らかかった。それに、熱い。
 この奥で、祐奈の心臓が脈を打っている。

 手を下げていった。
「あっ、まって……」
 下腹部に触れようとすると、いやがるような抵抗があった。
「いや?」
「あっ、あの。……まだ、するんですか?」
「うん。そのつもりだけど」
「わたし、西東さんのを……するんだと、思ってて」
「俺は、白井さんに触れたい。だめ?」
 返事はなかった。
 体をずらして、顔を覗きこんだ。白い頬が赤くなっていくのを、暗い気分で見ていた。
 俺の欲望とは関係のないところに、この子を逃がしてやりたかった。
 財布の中にあるはずの二万円のために、祐奈はここにいるのだろうかと思うと、耐え難かった。
 二万円の愛か。安すぎるなと思った。
 問題は金額の大小ではなかった。俺は、祐奈を買わなければ、ここに繋ぎとめておくことさえできない。
 間違えた。やり方も、順序も、何もかも。
 ただ、好きだと言うべきだった。愛しかけていると、正直に話せばよかった。

 少しずつ体を離した。俺は迷っていた。
 祐奈の後ろから、前に回りこむ。祐奈が、子供のような顔で俺を見た。
 無垢に見えた。
 手を伸ばして、二の腕を掴んだ。細かった。祐奈がわずかに身動みじろぎをする。
 灰色のトレーナーの上から、腕を撫でた。
「西東さん? どうしたの……?」
「まだ、返事を聞いてない」
「あ、だって……。いいです。だいじょうぶ……」
「ありがとう」
「どうして、お礼なんか」
 訝しげな声に聞こえた。

「下だけ、脱いでもらっていい?」
「下だけ……? 上は? いいんですか?」
「いいよ。ああでも、トレーナーは脱いだ方がいいかもしれない」
「わかりました」
「キスがしたい。いい?」
「はい」

 祐奈がトレーナーを脱ぐのを待って、キスをした。
 初めは触れるだけだった。何度かした後で、舌を使う、深いキスになっていった。
 鼻にかかったような声が、かすかに聞こえてくる。
 飽きずにキスをした。心のブレーキが利かない。
 顔を離して、祐奈を見た。とろんとした顔つきになっていた。

「両膝を、ここについて。できる?」
「はい」
「お尻は上げて」
「は、はい」
 膝立ちの格好になってもらった。
 上の下着と靴下だけを身につけた祐奈は、きれいだった。それに、かわいかった。
 不安そうになってしまった顔も、自分の胸を押さえて震えている手も、かわいかった。かわいさが渋滞してるな。どうしようもない感想が頭に浮かんだ。
「足。開いてもらっていい?」
「……あ、ごめんなさい」
「さわるよ」
 ローションをつけた手で、陰部にふれた。

 時間をかけて、外から触れていった。中には触れなかった。
 祐奈の息が荒くなっていく。感じているようだった。
 親指で、敏感そうな部分に触れていく。祐奈が、「あん」と声をもらした。
「や、やだ。声が、でちゃう……」
「いいから。もっと聞かせて」
「あ、だめ……」
 固くなったところを、指でつまんだ。左手で皮を押し上げる。中にある、小さな突起に、右手の親指で触れた。こねるように、指の腹で刺激した。
「やっ、いや……!」
「知ってる? これは、男性器と同じなんだよ」
「そう……なの? し、しらない……」
「男と違って、中に尿道はないけど。興奮すると充血して、大きくなる。……気持ちいい?」
「いい、です……」
「痛かったら、言って」
「ん、うん……。あ、あっ、あん」
「入れていい?」
「うん……。あっ、あ……ん」
 指を入れた。熱かった。濡れているのが分かった。

「白井さんは、どこがいい?」
「いい、って……?」
「感じるところ」
「あ。あぁ……」
 頬が赤い。泣きそうな顔に見えた。
「……あの」
「うん?」
「指を入れて、すぐの……下の、ほう」
「ここ?」
「やっ……ん」
「猫の舌みたいに、ざらざらしてる。ここかな」
「そう、です。あぁ、だめ……」
「ここが好き?」
「は、い」
「自分でする時は、ここをさわるの?」
「うん……。でも、ね。うまく、さわれないの」
「下側だからな。気持ちいい?」
「いっ、いい」
 ちゅく、と音がした。
「い、いやっ。はずかしい……」
「大丈夫だから」
「あっ、あん……いや」
「いや?」
「ううん。ちがうの。声が……でちゃうのが、はずかしいだけ」
「かわいい」

 指を二本に増やした。
「痛くない?」
「うん……。あっ、ん、ん……」
 上気した顔がかわいかった。
「きついな。三本は、無理か」
「だ、だいじょうぶ……。いれて、ください」
「いいよ。動かしていい?」
「うん、……あ、あっ。
 さいとうさん。あの、あのっ……」
「なに?」
「だきついて、いいですか」
「いいよ」
 俺の首に、ゆっくり腕が回されて、抱きつかれた。遠慮がちな仕草だった。
「もっと、よりかかっていいから」
「はい……あっ、あぁん」
「強くするよ。いやだったら、言って」
「いいです。きもち、いい……。あ、あんっ……。
 あ、だめっ……。いっ、いく。いっちゃう……」
「いいよ」

 いってしまったらしい。指を強く締めつけられた。
 中が、痙攣するように動く。
 脳が痺れた。俺自身がいったような錯覚を覚えていた。

「抜くから。じっとしてて」
「あ、まって……」
「まだ、してほしい?」
「ちがうの。あの、ぎゅーっと、なってて……。力が抜けるまで、もうすこし、このまま……」
「分かった」
「ごめんなさい」
 左手で顔を引きよせて、キスをした。
 右手の指は、まだ祐奈の中にあった。
「んっ、あん……」
「かわいかった」
「ばか……」
 小さな声で罵られた。たまらなかった。
「もう、いい?」
「うん……。いいです」

 指を抜く時に、祐奈の眉が寄った。それもかわいかった。
「あの、わたしも……。あなたの」
「それはいいよ」
「どうして?」
 涙声だった。どきっとした。
 このまま、流されるようにセックスをしてしまおうかと思った。だが、二人で話し合うべきだとも思った。
 俺が迷っていることを、祐奈は知らない。祐奈自身が迷っている可能性もあった。
 デリヘル嬢と客のままで、していいとは思えなかった。金を払うと言ったのは俺だったが、今は、そう言ったことを後悔していた。
「あぁー……」
「……西東さん?」
「すごく、バカみたいな……正直なことを、言っていい?」
「いいですけど……。どんなこと、ですか」
「入れたい。白井さんの中に入りたい」
「えぇっ……」
「したい」
「だめ……だめ、です」
「どうして? 俺とセックスするのは、いや?」
「ちがいます。そうじゃないの……」
「だったら、なに?」
 祐奈が口を噤む。
 長い沈黙があった。

「わたし、ないの」
「ないって……」
「したこと、ない。ほんとは。誰とも……」
「……えっ」
 全身から血の気が引いた。体ごと、心が萎えた。
 ため息が出た。
 間に合った。まだ、早かった。早すぎた。

「最初に言ってほしかった。そういう、大事なことは」
「……ごめんなさい。はずかしくて、言えなかったの」
「それにしたって……。口でさせたりしたの、いやじゃなかった?」
「あんまり……。よく、わからなくて。こういう仕事だから、とうぜん、しなくちゃいけないって、思ってたから」
「俺が最後までしたいって言ってたら、どうした? させた?」
「かも……」
 怒りかけてから、思い直した。俺が怒る理由はなかった。そもそも、祐奈が身を任せようとしたのは、過去の俺自身だった。
「この仕事で、バージンを捨てようと思ってたの?」
「ち、ちがう……。最後まではしなくていいって、言われました」
「だからって……。好きでやるような仕事じゃない。しかも、セックスをしたこともないのに。
 親御さんが泣くだろう」
「……泣かないです」
「どうして?」
「泣けないんです。もう、いないから」
「いない?」
「五才の時に、両親を事故で亡くしてます。だから……」
 頭を殴られたような気がした。座りこんだ格好のままで、ふらつきそうになった。
「西東さん?」
「君は、孤児だったのか」
「そうです」
「大学は? 行けたの?」
「はい。施設を出てから、奨学金で大学に入りました」
「奨学金の返済は?」
「……してます。あと、もう少しです」
「滞ったりしてない?」
「それは、まだ……。だけど、たぶん、半年くらいで……」
「払えなくなる?」
「う、うん。そうです」
「会社。我慢できなかったの?」
「そう、思いますよね……。できませんでした」
「そうか。それじゃ、しょうがないよな」
「ごめんなさい……。だらしないですよね。わたし」
「いや。そんなふうには、思ってないよ。
 ここに来る?」
「え?」
「いいよ。来ても」
「わ、わかんない。来るって?」
「ここに住めばいい」
「えっ……。えーっ?」
「浮いた家賃を返済に回せばいい」
「えぇ……? おかしいです。そんなの」
「何もおかしくない。白井さんは、おかしいと思う?」
「おかしい。へんです。だって、わたしたちは……。だって」
「だって、なに?」
「あの……わたし、わたしたちって、その……」
「つき合ってるのかってこと?」
「うぅ……はい」
「俺は、そう思ってるよ。君は?」
「な、なに、それ……」
 言葉の途中から、わっと泣きだした。驚いた。
「どうして、泣くの」
「わ、わかんない……っ」
「分からないことはないだろう。君が泣いてるんだから。
 言葉にして、ちゃんと話して」
「いじわる……」
「はいはい。でも、大事なことだよ。話してくれる?」
「……つき合ってるって、思ってたの?」
「うん。勝手に思ってた。我ながらストーカーじみてて、こわいな」
「だっ……だったら、どうして……お金を」
 大きな目が、俺をまっすぐに見つめる。苦しそうな顔をしていた。
「君は金が欲しくて、あの仕事を始めたんだろうと思ったから」
 ぼろぼろっと涙が落ちた。小さな口から、泣き声がもれる。
 号泣だった。
「そう、です。たった五千円のために……!」
 これが、祐奈の本音だったわけだ。すとんと胸に落ちた。
 よかった。金なら、それなりに貯めこんではいる。奨学金の返済を手伝うこともできるだろう……。
 あの日。俺が渡した金の一部と引きかえに、祐奈は自分自身を俺に売った。
 俺は、それを買った客だった。だが、今は違う。まるで違う。

「好きだよ」
「なっ、なんですか……。急に……」
「急じゃない。ずっと言いたかった」
「でも。言わないで、しようと……した」
「ごめん。君が俺をどう思ってるのか、自信がなかった」
「嫌いな人がいるベッドに、上がったりしません……」
「そうだろうけど。俺と君は、お互いの名前も知らない時に、オーラルセックスを――」
「そういう単語を、ぽんぽん言わないでくださいっ」
 遮られた。いらっとした。
「他に、どう言えば? 『口腔で行う性交』って、言えばよかった?」
「それも、いやですー……」
 また泣きだしてしまった。
「……ごめん。恥ずかしいの?」
「あたりまえです」
「泣き顔もかわいいんだな。ぞくっとする」
「なに、言ってるの……?」
「ごめん。心の声がもれてた」
「さいとうさんって……」
 こわい。ごく小さな声で言われた。否定はできなかった。

「俺のものになって。大事にするから」
「……」
 逡巡するような間があった。無理もなかった。
「返事は?」
「あっ、ええと。はい……」
「よかった。
 リビングに行こう。服を着て」
 祐奈が、「えっ?」と声を上げた。
「あのっ……。もう、しないの……?」
「ごめん。そういう気分じゃなくなった」
「わっ、わたしの、せいですか」
「違う。もっと大事にしたくなった。それだけだよ」
「でも、わたし……」
「したかった?」
「う、ん。したかった、です」
「できない。俺は、君がご両親を亡くしていたことも知らなかった。
 君を抱く資格はない」
「そんなの……そんなの、へんです。なにもしらない時に、名前もしらない時に、わたしと……わたしのことを、愛してくれたのに」
「あれは、愛じゃなかった。ただの……」
「それでも、わたしは、う、うれしかった……!」
 また泣きだしてしまった。困った。
「ごめん。……セックスなんて、誰とでも、いつでもできる。
 俺が、本当に君を愛してると思える時まで、待ってもらっていい?」
「かってです。さいとうさんは、すっごく……」
「分かってる。ごめん」
「ぎゅって、してください。おねがい……」
「うん」
 強く引きよせて、抱きしめた。
「わたし……わたし、ちゃんと、する、つもりで」
「分かってる。ごめん」
「はっ、はずかしかっ、た」
「ごめん……」
 俺の腕の中で、祐奈が震えている。すり寄せた頬に、涙が触れた。
 祐奈の息は、小さな子供のように浅い。ずっと泣いている。
 切なくなった。
 声を殺そうとして、殺しきれなくて、泣く声を聞いていた。
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