月の女神の神隠し

瀧本しるば

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33 城への帰還

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 私が乗った船が岸辺に辿り着くと、カイン様は私が降りやすいように手を差し出したので、私がその手を掴み、船から降りた瞬間、カイン様に強く抱き寄せられた。


「無事でよかった……」

 抱きしめられているため顔は見えないが、私の頭の横で聞こえる声は心配でたまらなかったといった声色だ。

 私もカイン様の背中に手を回し、今までで一番強く抱きしめ返し、カイン様の胸元に顔をうずめると、嗅ぎ慣れた香水の匂いがする。

 それがすごく落ち着く香りで、強張っていた力が抜けていく気がした。

 私自身、強がっていたけれどやっぱり不安だったんだと今になって気がついた。

「カイン様もご無事で何よりです。ありがとうございます」

「私は――何もしてない。何も出来なかった……」

 不甲斐なさを恥じるような小さな小さな声だ。

「そんなことないです。カイン様がいたから私は一人で行くことができたんです」

 私はカイン様の頬を両手で包みこみ目を見つめた。

 深い青色は不安気に揺れているが、それさえも愛おしい。

「カイン様、城に帰りましょう」

「帰り方が分かったのか?」

「確信はないので、何とも言えません―――でも、なんとなく、こうしたら帰れるんじゃないかっていう案があるんですが、試しても良いですか?」

 私はそう言って、背伸びをするようにカイン様の口に自分の口を近づけた。

 目を閉じ、ゆっくりと触れ合うと、全ての熱が唇に集まってくるような気さえしてくる。

 カイン様は一瞬驚いたように固まったが、すぐにカイン様の大きな手が私の後ろ頭に添えられたので、私はカイン様の頬から手を離し、ゆっくりと胸元まで下ろした。

 すると、不意に瞼に光を感じる気がしたので目を開けると、私の手首に付いているブレスレットが淡く光っている。

 カイン様もその様子に気が付き、声を発さず私に目を合わせたので、私はニコリと笑って言った。

「カイン様、これからも側に居て下さい。私は何があっても味方ですからね」

 そう言い終わるか終わらないかのタイミングで私達は光に包まれた――――――



 ***カインside***


 セレーネのブレスレットの光に包まれ、気がついたらカインとセレーネは見慣れた部屋の一室に居た。

 見慣れたというのは〝カインにとっては〟というのが正しいだろう。

 そこはカインの寝室だった。

 今まで誰一人として立ち入れることを許さなかった場所だ。

 カーテンも閉め切っていたため部屋は真っ暗で、夜目が効くカインとは違ってセレーネにとっては部屋かどうかの判断もついていない状態だろう。

 不安げに辺りを見渡すセレーネの手を取り、「大丈夫、戻ってきたみたいだ」と告げるとセレーネはカインの声がした方に顔を向けた。

「ここは何処でしょうか。暗くて何も見えないです」

「ここは、私の部屋みたいだ。少し様子を見てくるから待ってて」

 そう言ってカインは立ち上がり、部屋の中を徘徊しつつも、ここへ戻る直前のセレーネの言葉が頭を過り、思い出すほどに赤面していく顔を片手で覆い隠した。

(まさかセレーネからキスしてくれるなんて―――いや、それはここへ戻るために必要な行為であったからそうしたわけであって……だとしても、あんなキスの仕方普通しないよな?あんなの無理だろ可愛すぎる、耐えた自分を褒めたい。いや、耐えられてはないかもしれない。こっちに戻ってきたから平静に戻れたけど、かなり危なかった。でも、結果としては耐えられたうちに入るのか?)

 静かになったカインを心配してか、「大丈夫ですか?」とセレーネの透き通った声が部屋に響いた。

「あ、あぁ。大丈夫だ」

 カインが座り込むセレーネの元へ戻ると、セレーネは手探りでカインの手を握り、少し安心したような顔をした。

(可愛い……)

 カインは今すぐにセレーネを抱きしめて先程の続きをしたいという欲望に駆られたが、慌てて顔を背け、現状の事だけを考えようと話題を投げかける。

「どのくらいの時間がたったか分からないが、ラホール卿は大丈夫だろうか」

「あれからあまり時間が経過していないといいのですが、心配ですし早く合流した方がいいですね」

 カインは、自分からラホールの話を振っておいて、セレーネが彼の心配をしている様子に心がもやっとするのを感じた。

(分かってる。セレーネにとってラホール卿は家族同然の護衛騎士だということも。それはラホール卿にとっては違うということも。だからといってラホール卿は公私混同しない優秀な騎士だということも―――全部分かっている)

「……あぁ、とりあえずさっき別れた部屋に戻ろう」

 カインがセレーネの手を離そうとするとセレーネはそれを拒否するようにカインの手を強く握り、不思議に思うカインに向かってポツリと言葉を漏らした。

「あの……私がさっき、ここに戻る前に言ったこと、どうお考えですか……?」

 暗くて色が分からなくてもセレーネが顔を真っ赤に染めていることがわかる。

 視線を落としたセレーネのまつ毛が流れ、柔らかそうな唇は緊張しているのか硬く閉じている。


 その様子を見たカインは何も考えられなかった。

 誰の邪魔が入ることもない真っ暗な寝室、目の前には求め続けた存在が恥ずかしそうに座り込んでいる。

 視界の端で、ドレスからはみ出た素足が寒そうに動いた時には、全ての理性が吹き飛び、目の前の愛おしい存在に、ただ愛おしいと示したくなった。

 カインはセレーネの身体を引き寄せて強く抱きしめ、「セレーネ……」と、苦しそうで消えそうな声で囁く。

「好きだ。十一年前のあの日からずっとセレーネが好きなんだ」

 そう言って静かに見つめ合うと、カインはゆっくりとセレーネの頬に、口に、と唇を落とす。

「誰にもあげたくない。ずっと隠していたい。でも、セレーネに嫌われたくない」

 おでこをくっつけて鼻が触れるくらいの距離で囁くカインに対して、セレーネは「じゃあ、これから先もずっと一緒に居てくれますか?」と問いかける。

 カインはセレーネの紅潮した頬に手を添えて潤んだ瞳を親指で優しく拭った。

「ずっと一緒にいるよ。ずっと一緒に居させて欲しい。セレーネ、言うのが遅くなったけど、私と結婚してくれますか?」

 カインがそう問いかけると、セレーネは一粒涙を溢し、「はい」と嬉しそうに笑った。

 その顔を見て、カインがセレーネの首筋に唇をあて、ゆっくりとセレーネを押し倒した時だった。


 〝コンコンコンコン〟


 入り口から乱暴にノックする音が聞こえた。

 二人は一瞬のうちに我に返り、警戒の姿勢に入るが、ドアの外から聞こえてきた声は緊張感の無い「入るぞー」という声だった。
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