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23 ラベンダーの花言葉
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結界が無くなったという事は、皇室の秘密話はここまでという事なのだろう。
頭を下げたままのカイン様を見つめながらどこか他人事のような気持ちになっていた。
カイン様が訪問していると周知されているからか、いつもなら聞こえてくる兵士達の訓練の声も聞こえない。
静寂の中、いつもと違う事が多すぎて、全てが夢の中のように感じてしまう。
目の前で言われた全てをすぐに納得して受け止める事は難しいだろう。
しかし、目の前のカイン様は確かにリヒトなのだ。それだけはどう考えても事実である。
あの後、森に一人残されたリヒトはどうやって首都まで戻り、どうやって皇太子にまで上り詰めたのか。
今に至るまでにどんな苦労があったのか、私には想像も出来ない。
ただ、私の知る真実があるとすれば、『必ず会いに行くから』という約束を守るために、此処まで来てくれた。
私が彼を信じる理由はそれだけで十分だった。
私は隣で髭を触ったまま考え込み動かないお父様に、気遣うように声をかけた。
「お父様……領主としてのお父様の返答には時間がかかるかと思います。少し、殿下と二人でお話しをしてきてもよろしいでしょうか?」
お父様はこちらを向き、少し心配そうな顔をしたが、私が安心させる様に
「大丈夫です」
と微笑むと、お父様は黙ったままゆっくりと頷いた。
「殿下、よろしければ少し歩きませんか?」
カイン様は意外だというように私を見上げたが、すぐに
「よろこんで」
と微笑み、立ち上がった。
口元に優しく弧を描いたままのカイン様にエスコートされつつ部屋から出ると、外で見張りをしていたラホール卿が驚いた様に目を見開いた。
その様子を見て、ラホール卿に城下で会った魔法使いの正体を教えていなかったと、今になって気がついたが、ラホール卿は察しの良い男だった。
見開いた目を直ぐに元に戻し、カイン様に向かって静かに頭を下げた。
「ラホール卿、皇太子殿下と庭園まで少し歩いてきますね」
私がそう告げると
「護衛は……必要なさそうですね」
とラホール卿は目を伏せたまま返事をした。
カイン様のエスコートを受けたまましばらく歩くと、カイン様が私の耳元に顔を近づけ、こっそりと耳打ちをする。
「護衛の彼は以前にも会ったね。確か……セレーネの大切な人?」
私が驚き見上げると、カイン様はいたずらっぽい顔で私の反応を伺っている。
「その話、覚えていたんですね。誤解だったところまでもちろん覚えていますよね?」
リヒトと重なる表情に一瞬気が緩んだが、ギリギリのところで声量を抑えることが出来た。
「ははっ!懐かしいな。あの頃は私も子供でセレーネに全然相手にされてなかったからなぁ。まぁ、今もかもしれないけど」
カイン様は少し残念そうに眉を垂らして笑った。
その表情を見て、カイン様の右腕に添えた私の左手が熱くなるのを感じる。
返す言葉が見つからず悩んでいると、気がついたら庭園へ続く扉の前にいた。
私はカイン様に添えていた手を慌てて離し、今の気持ちを誤魔化すように目の前の扉を押し開けようと両手を添えると、カイン様は私の手を止め、代わりに扉を開けてくれた。
いつものように強く吹き抜ける風。
目の前で揺れる黒い髪。
風に乗って、彼のラベンダーの香りが通り抜けた。
今の彼なら魔法など使わなくても私を持ち上げることができるだろう。
太く逞しくなった腕、出っ張った喉仏、顔を上げないと合わない目線。
数日前に、私が護りたいと思っていた小さな子供が、私を護りたいと言って、気が付けば私よりも大人になり目の前に現れた。
このドキドキとする感情は一体なんなんだろうと、気付かないフリをこのまま続けても良いのだろうか。
私たちは歩くスピードを落とし、いつ止まってもおかしく無いくらい、ゆっくりと歩みを進めた。
誘った私がいつまでも黙っているわけにはいかない。
そう思って口を開こうとしたら、私より先にカイン様の口が動いた。
「今日は驚かせてごめん。まだ混乱してるよね」
そう言ってカイン様は苦笑する。
「いえ、カイン様はあのリヒトだと頭では分かってはいるのです。分かってはいるのですが……背丈も、声も、話し方も、私の知っているリヒトではなくて……なんというか、その……」
リヒトだけどリヒトではない––––家族のように知ってるけど知らない人––––それも見た目が好みで自分より高貴な人となると 接し方が分からなくて再会に戸惑いがあるのは至極当然だと思う。
「そうだよね。今となれば、自分よりセレーネの方があの頃の私の事をよく知ってると思うよ。でも、一つ言うなら今の僕がこんなふうになったのはセレーネのせいでもあるからね?」
まさかの責任の押し付けに私は驚き
「な、私のせいとは?」
と、真剣に問えばカイン様は冗談っぽく笑って答える。
「セレーネが言った事覚えてないの?」
「私、何言いましたっけ」
「かっこいい人は品性があるみたいなことを言った」
「かっこいい? 品性?」
そんな話したことあったっけ? とキョトンとした顔を向けるとカイン様はもう一度笑い、優しく微笑んだまま顔を前に向けた。
「まぁ、この話はいいんだけど。それより……何か聞きたい事があったんじゃない?」
唐突に本題に入られて一瞬怯んだが、お父様の前で聞きにくかった彼の過去を聞くなら今しかないだろう。
彼も聞かれる事を分かってあえて聞いてくれたのだ。
私は小さく息を吸い込み、それを言葉と共にゆっくりと吐き出した。
「……カイン様はあの後……私が居なくなった後はどのようにして皇太子にまでなられたのですか?」
カイン様は視線を木々に向けたまま
「んー」
と何から話そうか悩んでいるかのように、言葉を探しながら答えた。
「一年から二年くらいはあの小屋で一人過ごしたよ。セレーネが生き方と戦い方を教えてくれたから、一人で考えながら訓練できた。そこから一年くらいかけて、旅をしてお金を稼いだり、新しい魔法を覚えたり、政権の情勢を確認しながら首都まで戻ったところで、第一皇子派と折り合いの悪かった貴族派に声をかけて……まぁ、本当に噂通り大人たちに祭り上げられてここまできたって感じだよ」
カイン様はなんともなかった様な声色で淡々と話すが、魔法を使えるとはいえ、十一歳だった子供が生きる為に死と隣り合わせの数年を過ごしてきた事がその内容から窺える。
私は思わず立ち止まり、震える両手でカイン様の手を包み込む様に触れた。
「側にいられなくて……申し訳ありません……」
涙が出てきそうなのを堪えてなんとか言葉を吐き出せば、カイン様は私の手に反対側の手を重ねた。
「セレーネ……私は本当に月の女神様に感謝しているんだ。セレーネが思ってる以上に君は本当に僕の光なんだよ……だからそんな風に謝らないで。あと、もし私の我儘を聞いてくれるなら、二人の時はそんなふうに畏まらないでいて欲しい。昔の様に接してくれると嬉しい」
「……努力します」
カイン様が手の力を抜いたので、私も両手を離すと、カイン様は優しい瞳のまま自由になった右手でゆっくりと私の頬を撫ぜた。
「もし、侯爵が協力しないと言ってきたら、君を攫いにきてもいい?」
「そんな事したら全勢力を持って首都に攻撃を仕掛けることになりますよ」
「やっぱりそうだよなぁ。地道に説得するしかないか」
カイン様が頭をかきながら笑ったので、私もつられて笑うと、カイン様は笑顔のまま、その様子をじっと見つめた。
急にどうしたのかと不思議に思っていると
「セレーネはやっぱりとても綺麗だ」
と、歯の浮く様なセリフを恥ずかしげもなく声に出した。
私は言われ慣れていないセリフに対して否定すれば良いのか、肯定すれば良いのかも分からず、ただ、顔を赤らめ視線を逸らす事しかできない。
しかし、カイン様はもう一度私の頬を撫ぜ、その手をゆっくりと耳元まで辿らせ、私の髪の毛を優しく耳にかけた。
彼の指の感覚が、匂いが、息遣いが、冷静でいたい私の心を簡単に惑わせる。
赤面した顔を隠したかったが、彼の指先がそれを阻止するように顔の横から離れない。
仕方なく、目の前の彼に視線を戻すと、とても余裕があるとは言えない、お父様やお母様から向けられるものとは少し違う––––愛おしい者を見る目をしていた。
「セレーネ……君が強い人が好きだと言っていたから、私は強くなったよ。強い人には品性があると言っていたから、私もそうありたいと思った……」
カイン様は私から手を離し、言葉を続ける。
「急にごめん。口説き落とす時間をくれと言った矢先に今回の事件があって、悠長な事を言ってる場合では無くなって焦ってるんだ……少し目を離したらまたすぐに目の前からいなくなってしまうんじゃないかって……」
身体だけが大きくなった子供の様にカイン様は不安な表情をした。
私の前で子犬の様なこの人が、どうやったら悪徳皇太子のような噂を流せるのだろうかと不思議に思うくらいだ。
「カイン様……お父様がどういう返事をされるかは分かりませんが、私は個人的には協力したいと思っています。以前約束しましたし、私の護りたい人の中にはカイン様も入っていますから……だからその……もう少しゆっくり口説いていただけると、嬉しいです……私こういうの慣れていなくて……」
そう伝えるのが今の私の限界だ。
緊張して震える手を腰の前で組んで隠すように押さえたが、熱を持った顔までは隠しきれない。
しかし、カイン様の動揺は私以上だった。
私の言葉を聞いて不意打ちを喰らった様に顔を真っ赤にし、右手で口元を覆い、半歩後ろに下がったかと思えばそのまま更にフラフラと数歩下がって私から距離をとる。
「セレーネ、そろそろ戻ろう……人がいるところに行こう」
先程までの私を惑わせる余裕のある態度とは打って変わって、リヒトの頃に戻った様なウブな反応に、私の中に隠れていた衝動が掻き立てられた。
「顔、赤いですよ?」
「気のせいです」
「熱があるのかも」
「……分かってるくせに」
カイン様は背中を向け、庭園の入口の方へ足を進めたので私もその後ろを付いて歩く。 しかし、一度温もりに慣れた手が妙に寂しくなり、思い切って目の前の広い背中に声をかけた。
「エスコートは終わりですか?」
カイン様はピタッと立ち止まり、視線だけを私に向け右手を差し出した。
黒い髪の隙間から見える耳は真っ赤に染まっている。
私は恐る恐るその手を掴み、顔を覗き込むと、隠すのを諦めたのか恥ずかしそうに笑って手を握り返してくれた。
「やっぱり、セレーネにはかなわないな」
「以前やられたお返しです」
「それは私のセリフなんだけどな」
その発言を聞いて、知らなかったとはいえ皇族に対していろいろやってしまった事を思い出し流石に反省する。
「あ、ちょっと待って」
カイン様は扉の前で急に立ち止まり、こちらへ身体を向けた。
「忘れるところだった」
そう言ってカイン様は私の両手肩に手を添え、ゆっくりと私の頭に唇を落とした。
頭を下げたままのカイン様を見つめながらどこか他人事のような気持ちになっていた。
カイン様が訪問していると周知されているからか、いつもなら聞こえてくる兵士達の訓練の声も聞こえない。
静寂の中、いつもと違う事が多すぎて、全てが夢の中のように感じてしまう。
目の前で言われた全てをすぐに納得して受け止める事は難しいだろう。
しかし、目の前のカイン様は確かにリヒトなのだ。それだけはどう考えても事実である。
あの後、森に一人残されたリヒトはどうやって首都まで戻り、どうやって皇太子にまで上り詰めたのか。
今に至るまでにどんな苦労があったのか、私には想像も出来ない。
ただ、私の知る真実があるとすれば、『必ず会いに行くから』という約束を守るために、此処まで来てくれた。
私が彼を信じる理由はそれだけで十分だった。
私は隣で髭を触ったまま考え込み動かないお父様に、気遣うように声をかけた。
「お父様……領主としてのお父様の返答には時間がかかるかと思います。少し、殿下と二人でお話しをしてきてもよろしいでしょうか?」
お父様はこちらを向き、少し心配そうな顔をしたが、私が安心させる様に
「大丈夫です」
と微笑むと、お父様は黙ったままゆっくりと頷いた。
「殿下、よろしければ少し歩きませんか?」
カイン様は意外だというように私を見上げたが、すぐに
「よろこんで」
と微笑み、立ち上がった。
口元に優しく弧を描いたままのカイン様にエスコートされつつ部屋から出ると、外で見張りをしていたラホール卿が驚いた様に目を見開いた。
その様子を見て、ラホール卿に城下で会った魔法使いの正体を教えていなかったと、今になって気がついたが、ラホール卿は察しの良い男だった。
見開いた目を直ぐに元に戻し、カイン様に向かって静かに頭を下げた。
「ラホール卿、皇太子殿下と庭園まで少し歩いてきますね」
私がそう告げると
「護衛は……必要なさそうですね」
とラホール卿は目を伏せたまま返事をした。
カイン様のエスコートを受けたまましばらく歩くと、カイン様が私の耳元に顔を近づけ、こっそりと耳打ちをする。
「護衛の彼は以前にも会ったね。確か……セレーネの大切な人?」
私が驚き見上げると、カイン様はいたずらっぽい顔で私の反応を伺っている。
「その話、覚えていたんですね。誤解だったところまでもちろん覚えていますよね?」
リヒトと重なる表情に一瞬気が緩んだが、ギリギリのところで声量を抑えることが出来た。
「ははっ!懐かしいな。あの頃は私も子供でセレーネに全然相手にされてなかったからなぁ。まぁ、今もかもしれないけど」
カイン様は少し残念そうに眉を垂らして笑った。
その表情を見て、カイン様の右腕に添えた私の左手が熱くなるのを感じる。
返す言葉が見つからず悩んでいると、気がついたら庭園へ続く扉の前にいた。
私はカイン様に添えていた手を慌てて離し、今の気持ちを誤魔化すように目の前の扉を押し開けようと両手を添えると、カイン様は私の手を止め、代わりに扉を開けてくれた。
いつものように強く吹き抜ける風。
目の前で揺れる黒い髪。
風に乗って、彼のラベンダーの香りが通り抜けた。
今の彼なら魔法など使わなくても私を持ち上げることができるだろう。
太く逞しくなった腕、出っ張った喉仏、顔を上げないと合わない目線。
数日前に、私が護りたいと思っていた小さな子供が、私を護りたいと言って、気が付けば私よりも大人になり目の前に現れた。
このドキドキとする感情は一体なんなんだろうと、気付かないフリをこのまま続けても良いのだろうか。
私たちは歩くスピードを落とし、いつ止まってもおかしく無いくらい、ゆっくりと歩みを進めた。
誘った私がいつまでも黙っているわけにはいかない。
そう思って口を開こうとしたら、私より先にカイン様の口が動いた。
「今日は驚かせてごめん。まだ混乱してるよね」
そう言ってカイン様は苦笑する。
「いえ、カイン様はあのリヒトだと頭では分かってはいるのです。分かってはいるのですが……背丈も、声も、話し方も、私の知っているリヒトではなくて……なんというか、その……」
リヒトだけどリヒトではない––––家族のように知ってるけど知らない人––––それも見た目が好みで自分より高貴な人となると 接し方が分からなくて再会に戸惑いがあるのは至極当然だと思う。
「そうだよね。今となれば、自分よりセレーネの方があの頃の私の事をよく知ってると思うよ。でも、一つ言うなら今の僕がこんなふうになったのはセレーネのせいでもあるからね?」
まさかの責任の押し付けに私は驚き
「な、私のせいとは?」
と、真剣に問えばカイン様は冗談っぽく笑って答える。
「セレーネが言った事覚えてないの?」
「私、何言いましたっけ」
「かっこいい人は品性があるみたいなことを言った」
「かっこいい? 品性?」
そんな話したことあったっけ? とキョトンとした顔を向けるとカイン様はもう一度笑い、優しく微笑んだまま顔を前に向けた。
「まぁ、この話はいいんだけど。それより……何か聞きたい事があったんじゃない?」
唐突に本題に入られて一瞬怯んだが、お父様の前で聞きにくかった彼の過去を聞くなら今しかないだろう。
彼も聞かれる事を分かってあえて聞いてくれたのだ。
私は小さく息を吸い込み、それを言葉と共にゆっくりと吐き出した。
「……カイン様はあの後……私が居なくなった後はどのようにして皇太子にまでなられたのですか?」
カイン様は視線を木々に向けたまま
「んー」
と何から話そうか悩んでいるかのように、言葉を探しながら答えた。
「一年から二年くらいはあの小屋で一人過ごしたよ。セレーネが生き方と戦い方を教えてくれたから、一人で考えながら訓練できた。そこから一年くらいかけて、旅をしてお金を稼いだり、新しい魔法を覚えたり、政権の情勢を確認しながら首都まで戻ったところで、第一皇子派と折り合いの悪かった貴族派に声をかけて……まぁ、本当に噂通り大人たちに祭り上げられてここまできたって感じだよ」
カイン様はなんともなかった様な声色で淡々と話すが、魔法を使えるとはいえ、十一歳だった子供が生きる為に死と隣り合わせの数年を過ごしてきた事がその内容から窺える。
私は思わず立ち止まり、震える両手でカイン様の手を包み込む様に触れた。
「側にいられなくて……申し訳ありません……」
涙が出てきそうなのを堪えてなんとか言葉を吐き出せば、カイン様は私の手に反対側の手を重ねた。
「セレーネ……私は本当に月の女神様に感謝しているんだ。セレーネが思ってる以上に君は本当に僕の光なんだよ……だからそんな風に謝らないで。あと、もし私の我儘を聞いてくれるなら、二人の時はそんなふうに畏まらないでいて欲しい。昔の様に接してくれると嬉しい」
「……努力します」
カイン様が手の力を抜いたので、私も両手を離すと、カイン様は優しい瞳のまま自由になった右手でゆっくりと私の頬を撫ぜた。
「もし、侯爵が協力しないと言ってきたら、君を攫いにきてもいい?」
「そんな事したら全勢力を持って首都に攻撃を仕掛けることになりますよ」
「やっぱりそうだよなぁ。地道に説得するしかないか」
カイン様が頭をかきながら笑ったので、私もつられて笑うと、カイン様は笑顔のまま、その様子をじっと見つめた。
急にどうしたのかと不思議に思っていると
「セレーネはやっぱりとても綺麗だ」
と、歯の浮く様なセリフを恥ずかしげもなく声に出した。
私は言われ慣れていないセリフに対して否定すれば良いのか、肯定すれば良いのかも分からず、ただ、顔を赤らめ視線を逸らす事しかできない。
しかし、カイン様はもう一度私の頬を撫ぜ、その手をゆっくりと耳元まで辿らせ、私の髪の毛を優しく耳にかけた。
彼の指の感覚が、匂いが、息遣いが、冷静でいたい私の心を簡単に惑わせる。
赤面した顔を隠したかったが、彼の指先がそれを阻止するように顔の横から離れない。
仕方なく、目の前の彼に視線を戻すと、とても余裕があるとは言えない、お父様やお母様から向けられるものとは少し違う––––愛おしい者を見る目をしていた。
「セレーネ……君が強い人が好きだと言っていたから、私は強くなったよ。強い人には品性があると言っていたから、私もそうありたいと思った……」
カイン様は私から手を離し、言葉を続ける。
「急にごめん。口説き落とす時間をくれと言った矢先に今回の事件があって、悠長な事を言ってる場合では無くなって焦ってるんだ……少し目を離したらまたすぐに目の前からいなくなってしまうんじゃないかって……」
身体だけが大きくなった子供の様にカイン様は不安な表情をした。
私の前で子犬の様なこの人が、どうやったら悪徳皇太子のような噂を流せるのだろうかと不思議に思うくらいだ。
「カイン様……お父様がどういう返事をされるかは分かりませんが、私は個人的には協力したいと思っています。以前約束しましたし、私の護りたい人の中にはカイン様も入っていますから……だからその……もう少しゆっくり口説いていただけると、嬉しいです……私こういうの慣れていなくて……」
そう伝えるのが今の私の限界だ。
緊張して震える手を腰の前で組んで隠すように押さえたが、熱を持った顔までは隠しきれない。
しかし、カイン様の動揺は私以上だった。
私の言葉を聞いて不意打ちを喰らった様に顔を真っ赤にし、右手で口元を覆い、半歩後ろに下がったかと思えばそのまま更にフラフラと数歩下がって私から距離をとる。
「セレーネ、そろそろ戻ろう……人がいるところに行こう」
先程までの私を惑わせる余裕のある態度とは打って変わって、リヒトの頃に戻った様なウブな反応に、私の中に隠れていた衝動が掻き立てられた。
「顔、赤いですよ?」
「気のせいです」
「熱があるのかも」
「……分かってるくせに」
カイン様は背中を向け、庭園の入口の方へ足を進めたので私もその後ろを付いて歩く。 しかし、一度温もりに慣れた手が妙に寂しくなり、思い切って目の前の広い背中に声をかけた。
「エスコートは終わりですか?」
カイン様はピタッと立ち止まり、視線だけを私に向け右手を差し出した。
黒い髪の隙間から見える耳は真っ赤に染まっている。
私は恐る恐るその手を掴み、顔を覗き込むと、隠すのを諦めたのか恥ずかしそうに笑って手を握り返してくれた。
「やっぱり、セレーネにはかなわないな」
「以前やられたお返しです」
「それは私のセリフなんだけどな」
その発言を聞いて、知らなかったとはいえ皇族に対していろいろやってしまった事を思い出し流石に反省する。
「あ、ちょっと待って」
カイン様は扉の前で急に立ち止まり、こちらへ身体を向けた。
「忘れるところだった」
そう言ってカイン様は私の両手肩に手を添え、ゆっくりと私の頭に唇を落とした。
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