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17 帰ろう
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あれからまた一週間経過した。
「おーい!セレーネ!これ見てみろ、さっき川に行ったらこんなにデカい樽が流れてきたんだ!中にお湯入れて風呂にしようぜ!」
ひと月近くも経てばリヒトも逞しくなり、魔法を隠さなくなったおかげで、時折大物を拾ってきたりする。
「結構重くて、中に何か入ってるみたいなんだよな」
もともと鬱蒼としていた紺色の髪の毛は更に伸び、リヒトは水に濡れてしな垂れた前髪を掻き上げながら言った。
「すごいわね、お酒でも入ってるのかしら?」
リヒトは「液体ではなさそうだけどなぁ」と言いながら、薪を割るときに使う斧で樽の上部を叩き割った。
樽の中をのぞき込むと、中に入っていたのは黒い粉のように見えるが、これが何なのか私が見間違えるはずがない。
これは火薬だ。
川の水が浸水したのか、湿気っているためすぐには使い物にならないだろう。
ただ、問題はその量だ。
「樽いっぱいの火薬だなんて……どう考えても兵器じゃない」
「川を流れてるあいだに樽が歪んで水が入ったみたいだな。結構な距離を流れてきたんじゃねぇか?」
「戦争のために準備しているのかしら」
「まぁ、普通に考えたらそうだろうな。戦いの前線って可能性もあるな。こんだけの火薬川に落とすなんて緊急時でもないとやらないだろ」
私は一瞬で全身の血の気が引いていくのを感じた。
ここ数年はお父様の活躍もあり、敵国が無暗に攻めてくる事も無く、冷戦状態でしばらく戦いの気配はなかったのに……
そうなると今が攻め時だと敵国が判断するような決定的な出来事があったと考えるしかない。
私たちが襲われたあの日から戦況が変わったというの?
敵国が攻めて来るようなきっかけがあるとすれば、それは内部の陥落、お父様の死しかない。
根拠の薄い仮定であると自らに言い聞かせようとしたが、四肢が震え始め、止めようと意識すればするほど止め方が分からなくなった。
「おい、セレーネ?大丈夫か?」
リヒトが心配そうに顔を覗き込んでくるが、私は唇も震えて言葉に詰まった。
強くありたいと今まで過ごしてきたが、おそらく私の精神状態はすでに限界だったのだろう。
「とりあえず中に入ろう。な?」
リヒトは私の手を引いて小屋の中へ入ろうとしたが、足が地面に吸い付いたように前に進む事ができなかった。
「悪い、触るぞ」
リヒトはそう言って私を抱え込むようにお姫様抱っこをして小屋の中へ入った。
ベッドに座らせ、水を持ってきてくれたが、震える手ではコップを持つことができなかった。
「セレーネ、どうした?何があったんだ?」
リヒトは私の目の前に膝を付けて座り、両手で私の震える手を包んでくれた。
私の中で肥大化する不安をどうにか言葉にしようとしてみたが、何から話せばいいのかもわからず、意識しなければ息をするのも忘れそうだった。
真っ青な顔色をした私を見てリヒトは「大丈夫、大丈夫だから、ゆっくり息を吸って、吐いて」と私より小さい身体で震える私を抱きしめ、幼子をあやすように背中をさすった。
リヒトの優しい声が耳元で聞こえると、ようやく胸に酸素が行き届き、私の顔が徐々に歪んできたかと思えば、堰を切ったように嗚咽があふれ出た。
だんだんとその嗚咽は言葉となって声帯を震わせた。
「お……お父様が…殺されでだら……っど、どうしよう」
「大丈夫だから……」
「わ、私っ……もう……無理がもじれない……」
「大丈夫、……大丈夫」
「お母っ……様も……エリッグも、エリヤも……皆……」
「大丈夫だから……」
耳元で聞こえたリヒトの声は涙声になっていた。
「お前には領地があるなら領民もいるし、家臣もいる。こんな時こそ、お前がしっかりしないとそいつらはどうなるんだよ」
リヒトは自分も泣いていることがばれないように無理に明るい口調で振舞った。
もともと濡れていたのか、私の涙でぬれたのか分からないリヒトの肩に顔をこすりつけた。
二人でどれだけ泣いたかわからないが、外はもう日が暮れそうだった。
お互いの涙が引いた頃に、リヒトはぽつりと「帰ろう」と呟いた。
「セレーネの家に帰ろう。俺も一緒に行く」
「でも、どうやって?」
「……俺、ここがどこか分からないなんて言ったけどさ……それ嘘なんだ」
リヒトは申し訳なさそうな声で、僅かに唇を震わせながら告げた。
「セレーネ、今まで黙っててごめん……セレーネの迎えが来なくて、言うべきかどうかずっと迷ってたんだけど、言ったらセレーネはすぐにでも出て行くと思って……明日言おう、明日言おうって思ってたらどんどん日は経って行って、どんどん言い難くなって……」
ベッドの下の床に座り込んだリヒトの顔は叱られた子犬のようでとても怒る気にはなれなかった。
「そうだったのね……私も迎えがもう来ないのはある程度分かっていたのに、ここの居心地が良くて、リヒトに甘えて話題に出すことすらしなかったから……リヒトは悪くないわよ」
私はリヒトの頭を撫でた後、隣に座るように右手でベッドをポンポンと叩くと、リヒトは眉を垂らしたまま申し訳なさそうに座った。
「それで……ここは何処なの?」
「ここはドレスト帝国の西部ノクタスの森。俺……首都のドゥンケルハイトに住んでたんだけど、暗殺者が来て、魔法陣が発動して飛ばされそうになった時、魔法陣の位置情報描き換えて自分で位置を指定したんだ。だから合ってると思う」
リヒトは反省した素振りをしながら、さも簡単そうにとんでもないことを言っている。
魔法の事は詳しくないが、それが皆使えたら転移させてからの殺害という主流の暗殺が成立しないだろう。
今は目の前の天才に深入りするのはやめて、現実的な事を考えるのに専念することにした。
ノクタスの森といえば首都と西部の砂漠都市ノクタスとの間にある森でその中でも西部寄りか北部寄りかで大きく変わるとは思うが、ルナーラまで馬で一週間くらいだろうか?
「ちなみに、リヒトの魔法で私の家に帰ることはできるの?」
「それはできない……魔法陣の術式全部覚えてるわけじゃないから……描きかえるのはできても最初からは描けない……ごめん……」
リヒトは申し訳なさそうに両手の拳を足の上に行儀よく乗せ、背中を小さく丸めて答えた。
「そっか……一緒に来てくれるって言ってくれてありがとう。でも、今は戦いの前線かもしれない場所に連れて行くわけにいかないわ。ノクタスの森って分かったし、私一人でもなんとかして帰れると思う。長旅の準備をしないとね……」
口ではそう言いつつ、なかなか立ち上がることが出来ない。
それはリヒトも同じだった。
此処へ来て一変したように思えた生活が、今では当たり前の生活になっている上に、来ると信じていた迎えが一か月近く待っても来ないという事は、来れる状況ではないという事で間違いないだろう。
帰ったところで此処へ来る前の当たり前の生活に戻れるとは限らないのだ。
私は無意識のうちに左腕のブレスレットを強く握りしめた。
その行為を見ていたリヒトは遠慮がちに「なぁ」と声を出した。
「そのブレスレット、位置探索系の魔石か?」
「えぇ、そうよ。私がまだ五歳くらいの時かな。行方不明になった事があって、それ以来ずっと付けてるんだけど、こういう肝心な時に来れないんじゃ意味ないわよね」
そう言って私は無理に笑顔を作って見せた。
「行方不明って、前回もこんな風に誰かに襲われたりしたのか?」
「んー、私の記憶だと本当に突然だったのよね。実は私養子でさ、私の実の父親は戦争で亡くなっちゃったんだけど、真っ黒に喪に服した街を見下ろしてたらもう会えないって実感しちゃって、窓辺に座って泣いてたら、もう突然景色は森の中よ」
「窓枠に転移術式でも描いてあったのか?」
「それが魔法陣の痕跡は全く無かったらしいわ。当主が死んだ直後だったし、領内も不安定な時期だったから、明言を避けて秘密裏に処理されたから、この事件を知っている人はあまりいないんだけどね」
この話を聞いたリヒトは、右手を顎の下に添え、難しい顔で押し黙った。
しばらく沈黙が続いた後、リヒトは私に顔を向け、真剣な表情をした。
「なぁ、死んだお前の親父さん、何か言ってなかったか?」
「えー?まぁ、遺言みたいなのはあったみたいだけど」
「何て言ってたんだ!?」
リヒトは突然目の色を変えて食い気味に聞いてきた。
「んー……これ言うと反逆罪になるかもしれないし……」
「反逆罪って、皇家がどうのとかって事か!?」
「そんな詳しくは分からないけど、気を付けろ的なことかな……」
リヒトは皇家の話題になると、切迫した様子で更に考え込み、激しい貧乏ゆすりを始めた。
ここまで何かに怯えた様子のリヒトを見たことが無く、このままにしておくのは良くないのではないかと思い、話題を変えようと窓の外を見た。
「わぁ、気がついたらもう夜だね。部屋も暗くなってたのに気が付かなかったよ」
私がわざと明るく声を出すと、リヒトはハッとしたように外を見て、突然小屋の外に飛び出して行った。
「おーい!セレーネ!これ見てみろ、さっき川に行ったらこんなにデカい樽が流れてきたんだ!中にお湯入れて風呂にしようぜ!」
ひと月近くも経てばリヒトも逞しくなり、魔法を隠さなくなったおかげで、時折大物を拾ってきたりする。
「結構重くて、中に何か入ってるみたいなんだよな」
もともと鬱蒼としていた紺色の髪の毛は更に伸び、リヒトは水に濡れてしな垂れた前髪を掻き上げながら言った。
「すごいわね、お酒でも入ってるのかしら?」
リヒトは「液体ではなさそうだけどなぁ」と言いながら、薪を割るときに使う斧で樽の上部を叩き割った。
樽の中をのぞき込むと、中に入っていたのは黒い粉のように見えるが、これが何なのか私が見間違えるはずがない。
これは火薬だ。
川の水が浸水したのか、湿気っているためすぐには使い物にならないだろう。
ただ、問題はその量だ。
「樽いっぱいの火薬だなんて……どう考えても兵器じゃない」
「川を流れてるあいだに樽が歪んで水が入ったみたいだな。結構な距離を流れてきたんじゃねぇか?」
「戦争のために準備しているのかしら」
「まぁ、普通に考えたらそうだろうな。戦いの前線って可能性もあるな。こんだけの火薬川に落とすなんて緊急時でもないとやらないだろ」
私は一瞬で全身の血の気が引いていくのを感じた。
ここ数年はお父様の活躍もあり、敵国が無暗に攻めてくる事も無く、冷戦状態でしばらく戦いの気配はなかったのに……
そうなると今が攻め時だと敵国が判断するような決定的な出来事があったと考えるしかない。
私たちが襲われたあの日から戦況が変わったというの?
敵国が攻めて来るようなきっかけがあるとすれば、それは内部の陥落、お父様の死しかない。
根拠の薄い仮定であると自らに言い聞かせようとしたが、四肢が震え始め、止めようと意識すればするほど止め方が分からなくなった。
「おい、セレーネ?大丈夫か?」
リヒトが心配そうに顔を覗き込んでくるが、私は唇も震えて言葉に詰まった。
強くありたいと今まで過ごしてきたが、おそらく私の精神状態はすでに限界だったのだろう。
「とりあえず中に入ろう。な?」
リヒトは私の手を引いて小屋の中へ入ろうとしたが、足が地面に吸い付いたように前に進む事ができなかった。
「悪い、触るぞ」
リヒトはそう言って私を抱え込むようにお姫様抱っこをして小屋の中へ入った。
ベッドに座らせ、水を持ってきてくれたが、震える手ではコップを持つことができなかった。
「セレーネ、どうした?何があったんだ?」
リヒトは私の目の前に膝を付けて座り、両手で私の震える手を包んでくれた。
私の中で肥大化する不安をどうにか言葉にしようとしてみたが、何から話せばいいのかもわからず、意識しなければ息をするのも忘れそうだった。
真っ青な顔色をした私を見てリヒトは「大丈夫、大丈夫だから、ゆっくり息を吸って、吐いて」と私より小さい身体で震える私を抱きしめ、幼子をあやすように背中をさすった。
リヒトの優しい声が耳元で聞こえると、ようやく胸に酸素が行き届き、私の顔が徐々に歪んできたかと思えば、堰を切ったように嗚咽があふれ出た。
だんだんとその嗚咽は言葉となって声帯を震わせた。
「お……お父様が…殺されでだら……っど、どうしよう」
「大丈夫だから……」
「わ、私っ……もう……無理がもじれない……」
「大丈夫、……大丈夫」
「お母っ……様も……エリッグも、エリヤも……皆……」
「大丈夫だから……」
耳元で聞こえたリヒトの声は涙声になっていた。
「お前には領地があるなら領民もいるし、家臣もいる。こんな時こそ、お前がしっかりしないとそいつらはどうなるんだよ」
リヒトは自分も泣いていることがばれないように無理に明るい口調で振舞った。
もともと濡れていたのか、私の涙でぬれたのか分からないリヒトの肩に顔をこすりつけた。
二人でどれだけ泣いたかわからないが、外はもう日が暮れそうだった。
お互いの涙が引いた頃に、リヒトはぽつりと「帰ろう」と呟いた。
「セレーネの家に帰ろう。俺も一緒に行く」
「でも、どうやって?」
「……俺、ここがどこか分からないなんて言ったけどさ……それ嘘なんだ」
リヒトは申し訳なさそうな声で、僅かに唇を震わせながら告げた。
「セレーネ、今まで黙っててごめん……セレーネの迎えが来なくて、言うべきかどうかずっと迷ってたんだけど、言ったらセレーネはすぐにでも出て行くと思って……明日言おう、明日言おうって思ってたらどんどん日は経って行って、どんどん言い難くなって……」
ベッドの下の床に座り込んだリヒトの顔は叱られた子犬のようでとても怒る気にはなれなかった。
「そうだったのね……私も迎えがもう来ないのはある程度分かっていたのに、ここの居心地が良くて、リヒトに甘えて話題に出すことすらしなかったから……リヒトは悪くないわよ」
私はリヒトの頭を撫でた後、隣に座るように右手でベッドをポンポンと叩くと、リヒトは眉を垂らしたまま申し訳なさそうに座った。
「それで……ここは何処なの?」
「ここはドレスト帝国の西部ノクタスの森。俺……首都のドゥンケルハイトに住んでたんだけど、暗殺者が来て、魔法陣が発動して飛ばされそうになった時、魔法陣の位置情報描き換えて自分で位置を指定したんだ。だから合ってると思う」
リヒトは反省した素振りをしながら、さも簡単そうにとんでもないことを言っている。
魔法の事は詳しくないが、それが皆使えたら転移させてからの殺害という主流の暗殺が成立しないだろう。
今は目の前の天才に深入りするのはやめて、現実的な事を考えるのに専念することにした。
ノクタスの森といえば首都と西部の砂漠都市ノクタスとの間にある森でその中でも西部寄りか北部寄りかで大きく変わるとは思うが、ルナーラまで馬で一週間くらいだろうか?
「ちなみに、リヒトの魔法で私の家に帰ることはできるの?」
「それはできない……魔法陣の術式全部覚えてるわけじゃないから……描きかえるのはできても最初からは描けない……ごめん……」
リヒトは申し訳なさそうに両手の拳を足の上に行儀よく乗せ、背中を小さく丸めて答えた。
「そっか……一緒に来てくれるって言ってくれてありがとう。でも、今は戦いの前線かもしれない場所に連れて行くわけにいかないわ。ノクタスの森って分かったし、私一人でもなんとかして帰れると思う。長旅の準備をしないとね……」
口ではそう言いつつ、なかなか立ち上がることが出来ない。
それはリヒトも同じだった。
此処へ来て一変したように思えた生活が、今では当たり前の生活になっている上に、来ると信じていた迎えが一か月近く待っても来ないという事は、来れる状況ではないという事で間違いないだろう。
帰ったところで此処へ来る前の当たり前の生活に戻れるとは限らないのだ。
私は無意識のうちに左腕のブレスレットを強く握りしめた。
その行為を見ていたリヒトは遠慮がちに「なぁ」と声を出した。
「そのブレスレット、位置探索系の魔石か?」
「えぇ、そうよ。私がまだ五歳くらいの時かな。行方不明になった事があって、それ以来ずっと付けてるんだけど、こういう肝心な時に来れないんじゃ意味ないわよね」
そう言って私は無理に笑顔を作って見せた。
「行方不明って、前回もこんな風に誰かに襲われたりしたのか?」
「んー、私の記憶だと本当に突然だったのよね。実は私養子でさ、私の実の父親は戦争で亡くなっちゃったんだけど、真っ黒に喪に服した街を見下ろしてたらもう会えないって実感しちゃって、窓辺に座って泣いてたら、もう突然景色は森の中よ」
「窓枠に転移術式でも描いてあったのか?」
「それが魔法陣の痕跡は全く無かったらしいわ。当主が死んだ直後だったし、領内も不安定な時期だったから、明言を避けて秘密裏に処理されたから、この事件を知っている人はあまりいないんだけどね」
この話を聞いたリヒトは、右手を顎の下に添え、難しい顔で押し黙った。
しばらく沈黙が続いた後、リヒトは私に顔を向け、真剣な表情をした。
「なぁ、死んだお前の親父さん、何か言ってなかったか?」
「えー?まぁ、遺言みたいなのはあったみたいだけど」
「何て言ってたんだ!?」
リヒトは突然目の色を変えて食い気味に聞いてきた。
「んー……これ言うと反逆罪になるかもしれないし……」
「反逆罪って、皇家がどうのとかって事か!?」
「そんな詳しくは分からないけど、気を付けろ的なことかな……」
リヒトは皇家の話題になると、切迫した様子で更に考え込み、激しい貧乏ゆすりを始めた。
ここまで何かに怯えた様子のリヒトを見たことが無く、このままにしておくのは良くないのではないかと思い、話題を変えようと窓の外を見た。
「わぁ、気がついたらもう夜だね。部屋も暗くなってたのに気が付かなかったよ」
私がわざと明るく声を出すと、リヒトはハッとしたように外を見て、突然小屋の外に飛び出して行った。
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