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契約しなきゃ、ダメですか?

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「肝心なのはここからですね、エルメス、シルメリア」
 と声とともに、青年が二人部屋の中に入ってきて__凍り付いた。こげ茶の髪の人のよさそうなおじさんと、三十路ほどの赤髪の青年。
「貴方は逃げる際にステイションの線路に飛び降り、そこから地下を抜けました。どうやら彗星の森まで行ったそうですね? そのため、各線路を走っていた魔車を緊急停止させるを得ず、ダイヤを大幅に乱れさせました、具体的には1時間ほど。これは威力業務妨害にあたります。つきましては」
 青年のうち、焦げ茶色の髪の方が、一枚のA4サイズのプリントを差し出した。
 細かい文字の列。乾ききっていないインクの香り。
 わあ、数字がたくさん。茜は軽く現実逃避しながら、ガブリールに聞いた。
「あの、この数字」
「わが社が被った被害総額です。少なく見積もって××××万ドル」
「ドルっ……!?」
 ×の音を理解したくないといわんばかりに、茜の脳は一部の機能を停止させた。家が数件立ちそうな悪心的なお値段(しかも少なく見積もって)に硬直した。
 ガブリールは、茜の手からプリントをむしりとると、かわりに白い紙と万年筆を取り出した。あとインク。なんかいいにおいがする。高いんだろうな。
「しかし貴方は見たところまだ学生、返済プランなど到底考えられないでしょう。ですからわたくしがわざわざ考えてやりました。これから口頭でいいますので、一言一句違えず貴方の手で書くように」
 マジで? とも口にする気力すらなかった。そのかわりガブリールの目をみた。大変あくどい笑みをうかべてらっしゃる、この鬼畜大魔王様。
 かりかり、部屋にこもる甘いテノールとペンの音。震える手であっても、お高そうな万年筆の書き心地がとてもいい事だけは確認できた。しかし緊張のあまり字がにじんだり、手汗がぽたんと落ちたりした。かりかり、かりかり。おとなしく言う通りに書いていく。かりかり、かりかり……ぴたっ。不意に茜の手が止まった。なんだか茜の訃音が聞こえた気がする。インクが切れたわけれはない、むしろ滴っている。しかし、止まらざるを得なかった。そして茜は、ずっと我慢していた言葉をそっとつぶやいた。

「あの、この文面……マジですか」

「マジです」

 茜は、目の前の魔王様がなぜ自分の名前を知っていたのかなどに気付く間もなく、ついさっきまで自分が書いていた文面を見直した。

『わたくし東条茜は、×月○日マジレセオにただいなるご迷わくをかけ、損害をだしてしまいました。今、この瞬間マジレセオの青ボス・ガブリールの保護下に入り、にちやおつかえする事、それによってえた報しゅうはすべて借金返済にあてることを、ここにちかいます。また、青ボス・ガブリールをあるじとこころえて、いかなる命令にもそむかず、つねにりょうしんてきな行動を心がけることをここにちかいます。これらのけいやくじこうをやぶったばあい、どのような処ぐうでも、あまんじて受けます。
    ___×月●日 東条茜』

 文面から伝わる、危険な香り。
 あと自分の字の汚さ。
 あまりの事実に愕然とし、同時に消しゴムとかでけせないという事に気付いた瞬間、茜の めのまえが まっくらに なった!

「さて、捺印ですが、血判ではさすがに問題がありますので、指紋で勘弁してあげます」

 ぐいぐいと朱肉に親指を押し付けられている中、茜は思った。譲歩前が現代日本のそれじゃない。いやここは日本じゃないけど。それでも現代で通じるものじゃない。江戸とか明治とかでしか通用しないやつだ。もしくは頭文字が「ヤ」や「マ」の自由業の、黒塗りの高級車に乗って黒いサングラスとスーツを着ている人にしか通じないやつだ。ものはためしと、高級車の中で黒いスーツに身を包み、足を組んでいる我が主君__順応が早いのは人間のいい所だ__を想像してみた茜。

 ………そのあまりの違和感のなさと、むしろ本職よりこっちのが適職なのでは? という疑惑にそっと涙をこぼしかけた。

 瞼の裏で「アアン?」とすごむプラチナの髪の青年の影を消そうと目頭をこする。消えない。執拗にこすっても消えない。なんせこれほどマッチする姿なんて他にない。茜の中で「マフィア系男子」という危ういジャンルが開拓された瞬間であった。そう認識するやいなや返済プランが奴隷誓約書にしか見えなくなってきた。ちょうど同じ五文字である。今こそはっきりわかる。これはただの奴隷契約だ。しかしそんな茜を気にする素振りは、その時のガブリールは、べたべたと必死に茜の親指を返済プランの紙どれいせいやくしょに押し付けるのに必死であった。
 現実逃避のために改めてガブリールを見る。どちらかというとふわりと大きく内巻きの肩につく程度のレモンキャンディーの色の髪に、どちらかというと童顔に近い、大きめのアイスブルーの瞳。ただしつんと吊り上がっている。__いや、そんな童顔だからこそ、凶悪な形相がより恐ろしくみえるのだが。背は当然ながら茜より大きいのだが、成人男性にしては小さいであろう。でも態度も相まって威圧感を与える。見れば見るほど、初見であればどう考えてもおとぎ話の王子様にか見えないだろう。なんとも見目麗しい美青年である。……一瞬茜の頭に浮かんだ、「こいつがんばれば合法ショタになるんじゃないか?」は浮かんだ瞬間消した。


「ではアカネ」
 強制的に握らされる手のひら。
 その握力、推定30kg。この細腕のどこにそんな力があるのか__少なくとも素手で林檎ジュースが作れそうである。
「今後ともよろしく」
 にっこりと微笑む自らの主君に、逆らえる勇気など茜にはなかったのだった。
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