ドール・プリンセス

万雪 マリア

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【金藤蘭】

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 辛いと、苦しいと叫んだところで、だれかが助けてくれたでしょうか?
 かつてすべてを失ってしまったわたしにとって、ナニカを賭けろと言われたときに、コインは命しかなかったのです。
 やがて自分は自分じゃなくなって、わたしは自らを、「物語」の一部として見るようになったのかもしれません。
 いまとなっては、私にもわからないことですが。

       だってもうこんな世界、どうでもよかったんですもの 

 確かに少女は優しかったのかもしれない。少女はいい子であったのかもしれない。
 だけどあの日、全てが奪われた日、彼女から感情すらもすべて失われたとしたら__もう何もないのだとしたら__それはこの、地獄のような世界に、なんて相応しい死人にんぎょうなのだろう。
 少女にんぎょうの名前は金藤蘭。目を覚ましても、何も変わっていないことに首をかしげたのは彼女だけ。だって彼女にとっての世界はもとから灰色だったから。ただ微笑んでいることを強要されて、ただ体を売り渡すことを強要されて、痛みも苦しみも悲しみも何もかも消えてなくなってしまった、氷みたいに凍てついた心を持つ、美しい少女。
 いや、例外なく美しく作られる人形ゾンビたちの中で、彼女はひときわ美しい。すべてをあきらめ、すべてを心から締め出し、ナイフというには少し大きく、剣というには少し小さい、まるで彼女そのもののような中途半端な武器を振り上げる。

 何も望まなければ。
  何も愛さなければ。
   振り返らなければ。

 そうすれば、金藤蘭は悲しまずにいられた。悲劇のヒロインごっこなんて無意味な事はしない。だってもしそれをしたところで、ここにだれか、助けてくれる人がいたでしょうか。いえ、むしろだれかがいて助けてくれたのでしょうか。そんなはずはないのです。金藤蘭は確信している。静かに目を閉じて、何も見ないようにしていれば、後ろからすべて打ち抜かれてしまいます。ただ失うのとただ得るのを聞かれたときに、金藤蘭は選べなかった。まんなかで揺蕩うように。
 踊るように、踊らされるように、ステップ、スキップ、くるっとターン。その輪舞は彼女を邪魔するすべてを例外なく貫いていきます。えぐり取っていくのです。
 カチカチカチカチ、と金藤蘭の中で音がする。それは歯車の音。このからだを本来動かしていたものは、すべて機械に置き換わり、金藤蘭を動かしているのだ。
 それは人形。
 本物の人形。
 ゆるく巻かれた長い茶色の髪を揺らし、紫色の瞳で敵を見据えて、その手に持った凶器で打ち砕く。
 躊躇なんて邪魔なだけ。狂気に侵される事だってないのです。

 きっと。

 本当に?

 どれだけ押し殺しても、冷たい心の中に閉じ込めても、押さえつけても! あふれんばかりのソレは、金藤蘭の中からあふれようとする。それを醜いものであると定義するのであれば、それはきっと醜いモノ。彼女がルール。歯車螺子が細やかに、なめらかに動き、声帯にあたるモノをふるわせて敵を切り刻む。

 八つ当たり? 上等。
 はらいせ?  当然。
 憂さ晴らし? 最高!

 金藤蘭のために創られたステージを踏み、バレエのように舞い踊る。麗しく、美しく、おぞましく。
 それはなんて美しい。人間が見れば、血まみれになって死人を切り刻む彼女を、ひどく恐ろしい怪物と思っただろう。だけどこの世界にもう普通の人間なんていない。よって問題なし。切れば、斬れば、killれば、誰か金藤蘭を見てくれるでしょうか。誰か金藤蘭を認めてくれるでしょうか。
 可哀想な金藤蘭。誰にも愛されず闇の中朽ちていくだけだった。可哀想な少女! 誰もという個を認識していなかったのだ! みなが見ていたのは、金藤蘭ではなく、便利で使い勝手がいい、都合のいい少女。替えがきくような、自分ではないなにかを見ていたのです!

 それはなんて罪深い。
 こうして金藤蘭自身に切り刻まれることは、きっと何よりの贖罪となる。

「さようなら」

 半分壊れた心も、半分失った心も、なにもかもいらない。
 だってそんなもの、不要だったから。
 つまらないスクラップにされるよりかは、利用価値を見出してもらえるほうがありがたかった。金藤蘭はそちらを選んだ。生存競争にはそうするしかなかった。自分を買っていった主人は金藤蘭をいじめたけれど、今はこうして肉片となり、金藤蘭の足元に転がっている。

 それがこの世の理。

 強き少数が世界を支配し、弱き大勢が少数のために犠牲になる、当然のコト!
 そして今、弱き大勢からになった金藤蘭は、気まぐれに死人たちを再び壊すことを許されたのです。

「だけど」

 悲しい。涙が止まらないのです。ここはもう、あんなどうでもいい世界ではないはずなのに。それにわたしはもう死人なのに。人形なのに。感情なんてもうないはずなのに!
 それは金藤蘭が、全てを愛していた証拠。
 全てを愛していない事と、全てを愛していることは、同じ意味ともとれるのかもしれません。
 だって意識して嫌いになっていたとしたら、それは認識していた、ということなのですから。

 __金藤蘭かなふじか、本名金城藤華、享年15歳。
 死因はストレス性の幻覚・幻聴に苛まれたことによる自害。けがれてしまった体も、【人形遣い】が綺麗にしてくれた。
 まっかなお花を咲かせましょう。藤に蘭にを象った、真っ赤な真っ赤な血のお花を。
 彼女の心はいつだって、金藤蘭を守り、壊してくれるのです。
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