人形姫の住む館

万雪 マリア

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第一章

第三話【リュミエール】

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 試しにベルを手に取り鳴らしてみたが、音は聞こえなかった。
 不良品かな? と思ったが、そんな事はなかったようだ。
 それから10秒きっかり経った頃、こんこんこん、と三回続けてノックが響いた。
 襲撃イベントは、あっても夜のはずだ。そう思い、扉を開けてみたが……誰もいない。
 しかし、足元から声が聞こえた。
「ご用件はなんでしょう、おひめさま?」
 あわてて下を見ると、そこには長い茶髪に紫の目をした少女の姿の人形がいた。おそらく、15~20cmほどだろう。
 実用性重視の、全く花のないメイド服に身を包み、完璧に微笑みに保たれた顔で問いかけてくる。
「喉が、乾いたのだけど……」
「少々お待ちください」
 そういうと、瞬く間に人形の姿は消えてしまった。これも「人形姫」の能力だと思うと身震いする。あ、そういえば、ミアは人形姫の能力以外にも、風と水と錬金なら魔法が使えるんだった。
 もしかしたら、そういうのも使っているのかも……私は、授業そっちのけで好感度上げに尽力してたから、細かい事はわからないけど。
 でも、一歳後輩だからって、油断してたかもしれない。そういえば、ゲームでも、自分の手は汚さずに手下を使って……みたいな描写があった気がする。
 なんて考えていると、茶運び人形のごとく、エプロンをつけてお盆を持ち、人間サイズの紅茶のカップを持ったさっきの人形が戻ってきた。
「お茶を持ってきました。どうぞごくつろぎください」
 と言い、一礼して戻っていった。
 まるで本物の人間の動きみたいだ。
 それこそ、操っている方も本物の人形なのかもしれないけれど。
「……ちょっと気持ち悪いかも」
 なんて口に出しながら、紅茶を一口飲んだ。
 私の好みなのか何なのか、きちんと甘味があった。




「リュミエール」
 名前を呼ばれた。
 なに?
 聞こうとしたけど、声が出なかった。
「会いたかった」
 私は、アレンと知らない女の前に立っていた。
 アレンは、知らない女に抱き着くと、その女に向かって「リュミエール」と言った。
 違う。リュミエールは私よ。
 でも、それは本当に?
 は私なの?
 思い出して。なんで「リュミエール」が「光の女神」シナリオの鍵なんだっけ?
 知らない女は、アレンに向かって笑いかけた。
 その姿はどこか見た事があって、そういえば、「光の聖女の恋煩い」の、アレンルートのハッピーエンドのスチルでは、こんな感じのだったなぁ、と今更ながらに気付く。
 あのね? アレンの隣は、ヒロインのものなの。わかる?
 そう言おうと思ったが、やはり声が出ない。まるで、私のところだけが、見えない何かで囲まれているみたいに。
 やがて、知らない女は、こちらを見た。
 さらさらとした、緩い縦巻きの金髪。
 晴れた空を、そのまま切り取ったかのような、無機質な青い瞳。
 白い肌の上に、奇麗に並んだ顔のパーツ。
 そのすべてに、見覚えがあった。
 




 瞬間、体を襲ったのはひどい倦怠感だった。
 というか、吐いた。胃の中には何も入ってなかったからか、生暖かい胃液しか出なかったけれど。
 まるで、飲んだ紅茶のすべてが、いったん逆流して気道に流れ込んだみたいだ。
 目をきつく閉じて、ごほ、ごほ、とせき込む。
 その時、

 ………びちゃっ。

 赤いカーペットが敷かれた床に、染み込むようなあとができた。
 全身に冷や汗が浮かんだ。
 ボロボロと、まるで赤子のように涙が出る。
 それなのに、喉がつぶれたように声が出ない。普通、この状況なら悲鳴を上げるだろうに。
 しかし、の恐ろしさだとしたら、あるいはこれが正解なのかもしれない。
 ただただ震え、涙を流すことだけが。

 ………びち、びち。

 は時折痙攣を繰り返し、私をあざけるように一つ大きく跳ねた。
 そしてそのまま動かなくなり、吐き出した胃液の中で硬直した。

 正確には、のではない。

「ゆる……して」

 不意に、唇からそんな言葉が漏れた。

 力を失った両腕が、胴体を四つん這いにさせる事なく、胃液を吐き出したところにダイブさせる。
 なぜか、さほどショックではなかった。
 どちにかと言うと……に焦点があった事の方に戦慄した。



 だって、おかしいじゃないか。

 が、胃の中に入っていたなんて。




 きらきら、きらきら、万華鏡のように輝く部屋の中。
 部屋の主もまた、色とりどりの光に照らし出され、全身を違う色に染め上げていた。
 にやにやと、あざ笑うように少女を見ている。
 、少女を見ている。
 どうしようもなく曖昧で、すべてが矛盾して、同時にすべてがまかり通る。
 まるで「人間」という生物そのものを体現したような部屋の中で、部屋の主は、短い黒髪を照り輝かせながら、少女を見ている。
 片手にサイコロ。もう片手には、まだ淹れ立てらしい、湯気がほわほわ立ち上っているコーヒーを持って、少女を見ている。
 見られている少女は、そんな事も知らない。
 きっと説明されても、理解する事もできないだろう。
 当然だ。何も知らない猿に対して、フェルマーの最終定理を説いても、理解する事が出来ないのと同じ。
 理屈で考えてはいけない。
 理論をあてはめてはいけない。
 それが、彼らにとっての、一種の道理であるようなものなのだから。
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