虹色浪漫譚

オウマ

文字の大きさ
上 下
54 / 54

54

しおりを挟む
 あれから三年。蓄えはすぐに底を尽き、今や昔に過ごした家と同じ六畳一間で質素な生活。贅を尽くしたあの日々が嘘のよう。
「モモと二人でこんな家でこうしてると、なーんかガキの頃に戻ったみたいだな」
 わらじを編んでいた私を見つめ、しみじみといった感じで兄さんが言う。
「なんや急に。何か思うところでもありまして?」
 言う私も未だにあの頃の生活が眩しすぎて、ふとした時によく思い出す。
「でも、まさかまたこんな暮らしを兄さんとするとはね。だけど楽しいわ。ずっと一緒」
 わらじ作りを終え、兄さんの隣に寄り添う。
 本当に、今のほうが私には幸せ。ずっと兄さんと一緒、私はそれだけでいい。
 兄さんがこっちを振り向く。私を守ってくれた証……。兄さんの右目の傷は大きくそのまま残ってしまった。けれど目を失うことにならなかったのがせめてもの幸い。日雇いの力仕事ばかりしているせいで、ただでさえ大きかった身体はより一層大きくなり、私はそんな兄さんがますます好きになっていく。
「あ、あんまり引っ付くな馬鹿」
 ちょっと上擦った声を出して兄さんが私の手を撫でる。
「やんやんっ。何よ、素直やないわね! アタシがおらな泣いてしまうくせに!」
 抱きつき、頬に口づける。すると兄さんは素っ頓狂な声を上げて顔を赤くした。
 もう二度と離れるなと言ってくれた兄さん。私だって、もう二度と離れない。



 ************************



 今日は夫と街へお出掛け。途中、欧米人と道をすれ違って、ふと思い出した。
「そうだ。海を渡って成功した日本人の俳優が二人もいるって今朝の新聞で読んだの。素晴らしいことよね」
「なんの話だい、急に」
 夫が眼鏡の奥で目を大きく瞬きさせる。
「ひょっとするとそれは俺にも海外進出を狙えという話かな? どうだろう、欧州の方ではそこそこに売れ始めてるとの話は聞いてるけど、俺はその手の欲が無いからなあ~」
「トラオさん、私いつかフランスに行ってみたいわ」
「成る程、やっと話が見えた。灰さんは欧州の文化に感心があるもんね」
 その格好からして、と私の洋装とパーマをかけた髪を指差し夫が笑う。
 貴方と結婚してからの三年、私は毎日が楽しくて楽しくて仕方がない。
「だって私、もっと色んな世界が見てみたいの。……あれ?」
 なんか今、見覚えのある顔が横を通り過ぎていったような……。ああああああ!! お前は瑛葉銀次!!
「瑛葉さん」
 声を掛けると、瑛葉銀次――ではなく、その隣の小さい娘が先にこちらを振り向いた。
「はい、何か?」
 小さい娘が小首を傾げる。そして遅れて気付いたのか銀次もこちらを向いた。
「あっ!! 誰かと思えば灰さん!! いやはやお懐かしい。お元気でした? あ、紹介します。こちら私の妻の茶都です。そちらの眼鏡様は?」
「元気ですよ。そちらも元気そうで。まあ、小動物のような愛らしい奥様ですね。こちらは主人のトラオさん。……トラオさん、こちらの栗のような頭をした方が前にお話しした顔面に口紅べったりの方です。それではお元気で」
「しょ、小動物!?」
「どんだけ根に持つんだよ、アンタ!!」
 口々に言ってポカンと佇む夫婦をよそにちゃっちゃと一礼をして去る。後から慌てて追い掛けてきてくれたトラオさんが「成る程」と一人、頷いた。
「悔しいかな、口紅をいっぱいつけるのも分かるなあ。あんな色男じゃ」
「とんでもない! 私、遊んでいるような方が本当に苦手で……。誠実な方が好きなんです!」
 言ってトラオさんの手を握る。すぐに緊張して汗ばんでしまうのがたまに傷だけど、それでもトラオさんと手を繋いで歩くのは幸せ。
「い、いや、俺は全く女性には好かれなかっただけで……!」
 照れて慌てふためく夫。嗚呼、やっぱり今日もすぐに夫の手は汗ばんでしまった。でも、そんな一面も好きです、トラオさん。



 ************************



「は、破談した見合いの相手なんだ。お互い他に意中の人がいりゃそら上手くいかないよな!」
 畜生、あのネズミ女!! せっかく茶都と楽しくお出掛けしてたのに余計なこと言いやがってー!!
「………………」
 黙って頬を膨らまし、不機嫌の意を表に出す我が妻。そんなところがまた可愛い!!
「俺が茶都に惚れたせいで破談になったんだよ。俺が茶都しか見てなかったから」
 言って膨らんだ頬を指で突っつくと、圧力に耐え切れなかったのか茶都の口からプヒュッと空気が出た。
「ぶぅ……。授業料は高くついたわね!」
「またそんな懐かしい人の真似を~」
 たまに茶都はこうして物真似を披露する。あれから三年。香ちゃんは達者でやっているだろうか。
「エヘヘッ。あ、旦那様! 餡蜜でも食べませんか?」
 茶都がふと見つけた甘味処を指差す。なかなかの賑わい。美味しい店かも分からん。
 ふむ、結構歩き回ったからな。ここらで休憩するのもいいだろう。
「いいね、食べようか」
 早速店に向かいのれんをくぐると、丸太ん棒のような店員がゆっくりとこちらに振り向いた。
「もし、餡蜜を二つ………………すっげーブスッ!!」
 思わず大声を張り上げてしまった。だってだってなんでどうしてこんなトコにジンがいるんだよ!?
「まあ銀次サマ!! こんなところで会えるなんて、やっぱり私と銀次サマは運命の糸で結ばれているんでおじゃりますなあああ!!」
「うるせえブス!! こっち来んなブス!! さ、茶都、店を変えよう……っうわあああああああ引っ付くなブスー!!」
 必死こいて見るも悍ましいブスを引き剥がす。
「だ、旦那様……」
 茶都が肩を落としたのが、見えた。畜生ー!!



 ************************



 すっかり茶店巡りが日課となってしまった俺たちだけれど、今日は少し趣を変え夫のたっての希望で久しぶりに二人が初めて出会った茶店に足を運ぶことにした。店は何も変わらない。ただ、メニューが増えた。
 色々なことを思い出すから暫くは此処を避けていた。だけど、いつの間にかこうして自然に来られるようになったってことは、やっとそういうの全部ひっくるめて幸せだって思えるようになったってことかなあ。
 相変わらず夫は紅茶とアップルパイ、俺はコーヒーと目新しいお菓子を注文する。こういうところは何も変わらない。
「えっと、シュークリームとはまた奇っ怪な形の食べ物ですね」
 頼んだはいいが、なんじゃこりゃ。どうやって食べたらいいの、これ!?
「僕はアップルパイの方が好きだ」
「んっもう哉代さんはそればっかり。色んなものを食べた方が絶対に楽しいですよ」
 そんなこんなでシュークリームを豪快に一口パクリ。
「ふにょぁあああああああああぁぁぁああああああっ」
 これは凄い!! サクッとした歯応えの後に広がる滑らかな甘さの塩梅が最早芸術の域であります!! 嗚呼しかし甘味を食うと震える俺の癖どうにか治らないかなあ、ホント!!
 案の定、隣で夫が笑って吹き出した。嗚呼……。でも、夫が笑ってくれると嬉しい。
 あの日を境に夫は変わった。嫌な匂いのした火鉢とキセルを捨て、よく笑うようになり、より一層優しくなった。作風もすっかり変わったね。貴方の描く主人公、どんなにどんなに後ろ向きなことを考えていても最後にはしゃんと生きる糧を見つけて前を向いて幸せを掴むの。まるで、諦めてはいけないって読む人を励ますような……。
「水姫」
 何かを思い出したように夫がこちらを振り向く。
「前に君が書いた未完の話、その結末を僕に聞いたことがあったよね」
「ああ、ありましたね。どうしたんです、突然に」
「今の僕ならこう書くよ。二人は愛のために死ぬんじゃなく、愛のために生きた……って」
 俺を抱き寄せ、目を閉じる夫。
「あれは……、遠回しの私の恋文だったのです。あの主人公二人は私たち……。貴方の望む結末を知りたくて、未完のまま渡しました」
 あの物語、今やっと完結をしたんだね。そして同時に、新しい章が始まったんだ。



 ************************



「ジージ! 抱っこ~!」
「おおっ! はいはい、仕方がないな。ほら、おいで」
 いやはや遠慮無く飛びついてくる。この子はきっと俺を親戚のおじさんか何かだと思っているんだろうな。
「あらあら、すいません雪村さん」
 もう一人の子供を胸に抱いて椿谷の奥様が小走りに駆け寄ってきた。
 暴れん坊でアカギ似のこっちが大和(ヤマト)、大人しく奥様に抱かれている奥様似の子が尊(タケル)。奥様の出産に駆けつけ、双子の誕生に驚いたのがつい先日のことのように思い出される。しかし子の成長とは早いものだ。泣くのが仕事だった赤子がいつの間にかこんなにも元気に走り回るようになった。
「構いませんよ。こうして幼子と遊んでいると孤独も紛れる……」
「そ、そんな寂しいこと言わないでくださいな」
「嗚呼、申し訳ない。ついつい……」
 水姫、お前は今頃あの男と幸せでいるだろうか……。
「ジージ! お子様ランチプリーズ!」
「うん?」
 突然に大和が声を上げた。お、お子様、ランチ、プリーズとは?
「ああ、こないだレストランに食事に行ったもので。それっきり口癖になってしまったんですよ。大和は変な英語が好きなところもあの人そっくりみたいで」
「ほお~。それはそれは。……尊もジージが抱っこしてやろうか?」
 じっと大人しく俺を見ている尊。しかし遠慮をしたのかニッコリ笑って首を横に振る。こっちはこっちで俺に言わせれば本当に奥様そっくりだ。
 ふと、突然に部屋のドアが開いた。
「じゃあ俺はスパゲティープリーズだ雪村!」
「スパゲティ?」
 はて、誰かと目をやると――――――。
「椿谷!?」
 これは、目の錯覚か? いや、違う。椿谷だ。痩せているが、確かに正真正銘、椿谷だ……! 経過良好との知らせは受けていた。しかしまさかこんな突然に……。
「お前、退院するならすると何故事前に知らせないか!!」
「ああ、いきなり現れた方が洒落てるかと思ってな。どうでもいいが、お前スパゲティも知らないのか!」
「し、知らん!! 食ったことのないものは知らん!!」
 あ、こんな言い合いをしている場合ではない。
「アカギさん!!」
 奥様が尊を抱えたまま涙ながらに椿谷へ駆け寄った。
「だあれ……?」
 何がなんだか分からないのだろう。俺の腕の中で大和が首を傾げる。
「あれは、お前たちの父親だ」
「ちちおや? ……おとーさん……?」
 戸惑うのも無理はないか。
「退院おめでとう椿谷。……ほら、大和」
 大和を父親に近付ける。すると……、やはり親子とは不思議なものだ。今まで一度も顔合わせ叶わなかったが、やはり分かるんだな。恐る恐る椿谷に触れた途端、大和は「おとーさん、おとーさん」と何度も繰り返しながら泣き出してしまった。
「ただいま」
「貴方……! お帰りなさい! お帰りなさい!」
 顔を崩して泣く奥様。嬉しくて堪らないのだろう。
「さて、色々すまなかったな雪村。お前今寂しい生活なんだろ? 今後もコイツらのジージやってくれ」
 肩をポンポンと叩かれた。
「つ、椿谷……!」
 お、お前は、お前は、なんて嬉しいことを……!
「咲、大和、尊……」
 目を閉じ、やっと再会叶った愛する家族を抱き締める椿谷。
「っうおおおおおおおおおおお!! 椿谷ぁああああああああああ!!」
 俺も、感情高ぶったせいで気付けば椿谷にしがみつき、輪に混ざっていた。
「ぎゃああああああ!! なんでお前まで引っ付いてくるんだよ!!」
 椿谷に頭を引っぱたかれたが気にしない! 俺は断じて気にしない!
 長きにわたる鎖国が終わりを告げ文明開化を経て月日は流れ、新しい文化が次々に流れ込み、日本が自由と喜びと戸惑いに湧くこの時代。
 時代と国の在り方が変ったのだ、人も変わらねばならない。しかし、決して変わってはならぬものもある――。


《終》
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

【R18】禁断の家庭教師

幻田恋人
恋愛
私ことセイジは某有名私立大学在学の2年生だ。 私は裕福な家庭の一人娘で、女子高2年生であるサヤカの家庭教師を引き受けることになった。 サヤカの母親のレイコは美しい女性だった。 私は人妻レイコにいつしか恋心を抱くようになっていた。 ある日、私の行動によって私のレイコへの慕情が彼女の知るところとなる。 やがて二人の間は、娘サヤカの知らないところで禁断の関係へと発展してしまう。 童貞である私は憧れの人妻レイコによって…

人妻の日常

Rollman
恋愛
人妻の日常は危険がいっぱい

【R18】カッコウは夜、羽ばたく 〜従姉と従弟の托卵秘事〜

船橋ひろみ
恋愛
【エロシーンには※印がついています】 お急ぎの方や濃厚なエロシーンが見たい方はタイトルに「※」がついている話をどうぞ。読者の皆様のお気に入りのお楽しみシーンを見つけてくださいね。 表紙、挿絵はAIイラストをベースに私が加工しています。著作権は私に帰属します。 【ストーリー】 見覚えのあるレインコート。鎌ヶ谷翔太の胸が高鳴る。 会社を半休で抜け出した平日午後。雨がそぼ降る駅で待ち合わせたのは、従姉の人妻、藤沢あかねだった。 手をつないで歩きだす二人には、翔太は恋人と、あかねは夫との、それぞれ愛の暮らしと違う『もう一つの愛の暮らし』がある。 親族同士の結ばれないが離れがたい、二人だけのひそやかな関係。そして、会うたびにさらけだす『むき出しの欲望』は、お互いをますます離れがたくする。 いつまで二人だけの関係を続けられるか、という不安と、従姉への抑えきれない愛情を抱えながら、翔太はあかねを抱き寄せる…… 托卵人妻と従弟の青年の、抜け出すことができない愛の関係を描いた物語。 ◆登場人物 ・ 鎌ヶ谷翔太(26) パルサーソリューションズ勤務の営業マン ・ 藤沢あかね(29) 三和ケミカル勤務の経営企画員 ・ 八幡栞  (28) パルサーソリューションズ勤務の業務管理部員。翔太の彼女 ・ 藤沢茂  (34) シャインメディカル医療機器勤務の経理マン。あかねの夫。

【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)

幻田恋人
恋愛
 夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。  でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。  親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。  童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。  許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…  僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生

花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。 女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感! イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

処理中です...