虹色浪漫譚

オウマ

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「おや、雪村さん。いらっしゃい」
 俺の顔を見て結城様が目を丸くした。まさか突然家に訪ねてくるとは思ってもみなかったんだろなー。迷惑だろうか、歓迎されるだろうか……、考え巡って手が震える。
「こんにちは! 物語が佳境まで書けてしまったので、どうしても早く見ていただきたくて家まで来てしまいました。あの、御迷惑だったでしょうか……?」
「いえ、狭苦しいところですが上がって下さい」
「いいんですか!? ありがとう御座います!!」
 やったー!!
 良かった、彼に迷惑している風な素振りはない、かな? 多分!
 招かれるまま家に上がる。少し年期の入った家屋だ。真っ直ぐに通された部屋には文豪の名に相応しく大きな書棚、畳の上には書物や原稿用紙が散らばっている。確かに御世辞にも広くはない部屋だ。あ、丸座卓の上にある原稿用紙は執筆途中の物語? 少し見てみたい気もするけど、それはいけない。完成して書店に並ぶまで待つべし!
 嗚呼、兎にも角にも此処が夢にまでみた結城様の家! 心なしか何だか香りも大変宜しゅう御座います!
 結城様は少し物ぐさなところもあるのかなー。吸殻が山盛りな灰皿なんかも見つけた。ちょっと印象と違うぞ。こんな一面も持ってたんだ……。そもそも煙草吸ってたんだ。俺の前では一度も吹かしたことないから吸わない人だとばっかり。新発見いっぱい、嬉しいな。
「好きなところにお座り下さい。珈琲と紅茶、どちらがよろしいかな?」
「あ、では珈琲を頂いてもいいですか?」
 あれ? 待てよ、結城様は確か珈琲はあまり飲まないと……。まさか俺の為にわざわざ買って用意しといてくれた!? って、いやいや頂き物で持ってただけだよ、嫌だわもう俺ったら!
「分かりました。あの店から買っておいて良かった。なんてね」
 ――え? じゃあ、思い違いではなく本当に俺の為に……?
 お湯を沸かす音。適当に腰を下ろしたところから土間が覗ける。結城様が珈琲を作っているのが見えた。俺の為にそんな珈琲一式を揃えて下さったの?
「結城様……。ありがとう御座います!」
 来て良かった。手紙の宛先を頼りに馬車に乗ったんだ。そんなに俺ん家から遠くない場所で助かったんだけど意外と苦労したよ。大通りで馬車を降りて、その後は結城様に変な噂を立てちゃ駄目だと思って人に道を聞くこともなく手探りで家を探して……。表札の名前を見つけた時は本当に嬉しかった。
 灰は今頃上手くやってるかな。俺は今、凄く幸せな気分だよ。お前も今頃は同じ気分でいる事を願う。
「珈琲が出来るまで時間がかかる。先に作品を拝見しても?」
 土間から上がって、結城様が俺の隣に腰を下ろした。
 やっぱり結城様も男なんだな。胡坐かいて座ってるー! 初めて見たぞー! 外で会ったことしかなかったからなあ。なんでただ畳の上に胡坐かいて座ってるだけなのに結城様はこんなにも格好良いんだろ!!
 て、ゆーか、待て。浮かれてる場合じゃないぞ。ああー、きっ、きっ、緊張してきた……。
 作品を見せるのは二度目だ。それでも緊張する……。
「あ、あ、あの、はい! あの、締めがどうにも決まらず、まだ完成には至ってないのですが。宜しくお願い致します」
「分かりました。では読ませていただきます」
 風呂敷包みから出して渡した原稿用紙に結城様が目を通し始めた。
「それは、花火から連想して書いた話です」
 この前の作品よりちょっと長い話になった。原稿用紙三〇枚。それでも未完成なんだけど。
 書いた物語を要約すると、こうだ。生きる事に価値を見い出せない男女が偶然出会って凄まじく惹かれ合い恋に落ち、嗚呼このまま幸せを噛み締め続けたい、ずっと幸せでいたい。だからいっそ、この先に待っているであろう未だ無数の悲しみを知る前に今ここで共に死のうかと考え始めてしまう。だって人生は辛くて悲しいことばかりだから。
 物語は、二人が生きようか死のうか決断に揺れてるところで途切れている。
 その物語の主人公が誰か分かってくれるかな。俺の言いたいこと、伝わるかな。ざわつく胸を必死に沈めながら結城様が読み終わるのを待った。
 ……ふと、原稿用紙を捲っていた音が止んだ。読み終わったのかと顔を上げると丁度に結城様と目が合った。
「雪村さん、僕と貴女は思想と感性が似ているかもしれない」
 結城様がニコリと微笑み、トントンと原稿用紙を膝に叩いて整える。
「そう、ですか?」
 笑ってもらえたのが嬉しくて、言ってもらえた言葉も嬉しくて、なんだか照れ臭い。
「けれど締めが決まらないのです。結城様でしたらその物語の締めは如何致しますか? その二人はそのまま綺麗に死ぬべきか、この錬獄のような世を彷徨い生きるか……」
「破滅の美学です。二人で死を迎えた瞬間に彼は彼女の全てを手に入れられる。…………珈琲が出来たようだ」
 言うと結城様は立ち上がり、土間へと歩いていった。
 気のせい、かな。一瞬、あの人、凄く鋭利な目をした。
「結城様は死の方に頷く気がしていました。やはりそちらの方が美しいですよね。意味もなくただ長々とこの世を彷徨うよりも……。読んで下さってありがとう御座いました。納得のいく続きが書けそうです」
 流石に未完成の物語を手渡すわけにはいかないのでまた風呂敷の中に仕舞い込んだ。結末をどうする聞けて満足だ。やっぱり結城様の退廃的な考え方は素敵。完結したらまた改めて読んでもらおう。
「あ、いい匂い」
 薄っすら鼻に届いた珈琲の香り。
「あの店の味だと思わずにどうぞ。なにせ素人なので」
 結城様が珈琲を入れたカップと、あとコレは何だろう? 生クリームを添えた何やら黄色い洋菓子を持って戻ってきた。洋物かな、カップもお菓子を乗せた皿もとても洒落てる。
「美味しそう!! ありがとう御座います、頂きます!!」
 結城様がいれてくれた珈琲と結城様が用意して下さった洋菓子!! こんなに贅沢な食べ物がこの世にありますかー!?
 珈琲をまず一口。そして洋菓子……は、手で掴んで食べちゃっていいのかな? フォーク無いし。って、ことでちょっと女としては問題あるかもしらんが手で持って噛り付きだ!
「っみゃぅわああああああああ~!!」
 そしてやっぱりやっぱり俺は身震いをしてしまうのでした……。ええい、もういい! もういいさ! この習性は隠せない!  
「そう? 良かった」
 見ろ、結城様のこの優しげな笑顔! これはきっと俺の大袈裟な反応に喜んで下さってるに違いない! もういいさ、もういい俺は隠さないぞ!
「おいっひいれす、結城様ぁああああ!! 本当に美味しい!! ところで、この黄色のフワフワしたものは何ですか?」
「これですか? カステラという洋菓子です。知人から頂きまして」
「まあ。洋菓子というのは誠、変わった形状……。どのように作っているのかしら。とても美味しいっ」
 ペロリと平らげてしまった。しかしこのカステラという洋菓子は美味しいけど少々指が汚れるなあ。ペトペトする。ちょっと品がないけど今更だろうと五本の指を適当に口に含みペトペトを舐め取っていたら不意に結城様に手首を掴まれた。んで何するのかと思ったら俺の指をペロリと舐めた。今しがた俺が舐めまくっていた指を、そのまま舐めた。
「あ……? あの……っ」
「甘そうに見えたもので」
 なんてことはないって顔で、結城様がまた俺の指をペロリと舐める。
 顔が一気に火照った。
 どうしよう、どうしたらいいんだろう……。
「あ、あの、……指以外も、甘いやもしれませんよ? ……なーんて……」
 咄嗟に出た言葉に自分自身を疑った。慌てて誤魔化そうとしたけど、多分、誤魔化せてない。俺、何を言ってるんだ? これじゃ、まるで……。まるで…………。
「水姫」
 呟いて結城様が俺を押し倒す。初めて、名前を呼び捨てされた。
「あ……。あの……結城、様……! 花火は、長らく燻り続けると朽ちてしまいます……。人も同じ。私は、朽ちるのは嫌です。美しく弾け散る花火になりたい……」
 これも咄嗟に出た言葉だった。結城様がゆっくりと微笑む。でもそれはいつもの優しげなものではなくて、どこか勝ち誇ったような……。その表情で察した。俺は今、求められているんだって。
 嗚呼、これは夢か幻か。こんな事があっていいのか。
 髪飾りを外され、髪を解かれる。バサリと落ちた俺の髪に結城様が口づけをした。
 まるで抵抗する気になれないあたり俺はこうなる事を強く望んでたんだと思う。だから咄嗟にあんな言葉が出たんだ。先々の不安なんて後回しにして今こうして目の前にある幸せを優先したい――それが包み隠せぬ俺の本音。罪悪感だとかを遥かに上回る程に俺はこうなる事を望んでた。
 だって、貴方を愛してしまっているんだもの。
 罪悪感だとか夫を裏切ってるとか、そんなのは今更だ。裏切りたくなかったらそもそも結城様とは会っていない。でもまさか、結城様が俺を求めてくれるなんて……。
「髪、下ろすと結構長いでしょう? 腰元まであるんですよ」
 なんでこんな時にこんなどうでもいい話をしているのか……。でも結城様は「見事な髪だ」と笑顔で返してくれた。本当に優しい人。
 帯が緩められ、いよいよ着物に手が掛けられた。最早声一つ出せずにただただ結城様の手を見つめる。そうしているうちに胸元をこじ開けられ、露になった両の乳房に結城様の手が触れた。
「んっ……。んう……。ん……」
 温かく優しい手つき。恥ずかしさもあって目を固く閉じる。
 未だ夢見心地。でも、この手の温もりは、夢じゃない。嗚呼、夢じゃない。夢じゃないんだ。こんなに幸せな事があっていいのか。
「あ……っ!」
 乳の先に生暖かく湿った感触。結城様が乳を舐めているのだと察した。舌が先っぽを転がしてる。なんということを! 嗚呼、そんなに舐めても俺なんにも出ません……。
 もちろん処女ではないのだけれど殿方にこんなことされたのは初めてで……。どうしていいか分からなくてただただ身を捩った。声を出すのが恥ずかしくて一生懸命に口元を手で押さえた。そうしてる間にも足袋は脱がされ、着物はどんどん剥かれていって、結城様に袖から腕を引っ張り出されて…………。やがて「甘い」と言って結城様が乳房から口を離した。
 恐る恐るに目を開けると、自分が何もかも全てを晒している事に気付いた。
 知らぬ間に足を半開きにして受け入れ体勢を整えてしまってる自分に驚く。望み過ぎだろう俺……!
 緊張してるんだか武者震いだか知らないが、身体が震えて止まらない。鼓動が爆発して死んでしまいそう……。新婚初夜の時だってこんなに動揺したりはしなかった。いや、あの時は自分が何をされるのか、それがどういうものなのか分からなかったから、かな。
 それにしても自分から誘うような事を言っておいてこの動揺っぷりはないよなー。久々、だからかな。俺、夫には長らく手を付けられていない……。
 感触を確かめるように結城様の両手の平が俺の身体の首から足先までをそっと這う。
「あ……ぅ……ぁ……ぁ……」
 よく分からない呻き声だかなんだかが俺の口から勝手に漏れた。
 不意に結城様の指が俺の唇を撫でた。視線を彼に向けると、そこにはいつもの優しげな顔。緊張すんなとか、恐がるなとか俺に言ってくれてるような目の色。
「御免なさい……。緊張しちゃって……」
 アハハと苦笑いを添えて明るく装った。でも彼には見破られていたんだと思う。
「言葉にしないと不安ですか?」
 着物を脱ぎながら結城様が言った。
「え? あ、いや、あの……っ……」
 なんと答えたらいいのか……。
 俺が言葉を濁している間に解いた帯を放って結城様が自身の着物を脱ぎ落とした。
 思わず、見惚れた。
 こんなに綺麗な男の人の身体、今までに見たことが無い。細く引き締まってて、そこはかとなく妖艶なのにしっかりと男らしい。
「不安ですか?」
 全て脱ぎ払った結城様が俺の上にのしかかる。俺の肩を握る彼の手がとても熱い。嗚呼、俺の真上から結城様が俺を見つめている。深く憂いのある目が俺を真っ直ぐに見てる。もう、どうにでもなってしまいたくなった。
「いいえ。何もありません」
 そうさ、今更俺に何を言う資格があるだろう。俺って人妻だけどーとか、遊びは嫌だーとか、そんな余計な事を言う資格は一切無い。俺は抱かれたい。結城様は俺を抱きたい……と、思ってくれてるなら、お互いの考えは合致してる、それでいい。
「そうですか? ……水姫、何を心苦しく思う必要もないよ。全て承知で貴女が欲しい」
「結城様……!」
 結城様の言葉を聞いて、俺の身体をがんじがらめにしていた躊躇の糸が全て切れた気がした。嗚呼、はっきり、欲しいと言われた。言ってくださった。
「結城様、私…………っあ!」
 小さく水音を立てて身体の中に何かが潜り込んだ。見てはいないけれど、恐らくこれは彼の指。
「もう辛抱敵いません。よろしいか?」
 耳元に囁かれる。俺は「はい」と、頷くしかなかった。
 もう、俺は貴方しか見ない。俺の持ってるなにもかもをこの人に捧げたい。
 指が引き抜かれ、代わりにとても熱いものが入り口にあてがわれた。そして結城様の両の手が俺の腰を掴む。
「夢のようです……。お慕い申しております、結城様……。……あっ、ああ……! あああああ……!」
 下から突き進んでくる熱い感触。結城様が小さく息を吐いて俺の身体を一気に引き寄せる。
 ズブリと灼熱に身体の中心を貫かれて結城様と一つになれた俺はそれだけで頭がおかしくなってしまったのか悲鳴だか喘ぎだがよく分かんない声を上げて彼の身体に縋りつこうとしたんだけど、どこに縋っていいのか分からなくて普段なら照れて決して触れられないような髪とか頬とかガシガシ撫で回してしまって、あれ俺なんてことしちゃってるんだろうみたいな……。
 男の人の身体、こんなに触ったのいつ振りだろう。ひょっとしたら初めてかもしれない……。どうしよう、男の人だ……。俺、男の人を触ってる……。
 感動してるのがバレたのか「遠慮せずに」と言って結城様が笑った。荒い息を吐き俺を下敷いていても尚、この人の目は優しい……。
「あ……、愛しています……! 愛して……! ああっ!」
 嗚呼、幸せで幸せで堪らない。こんなにも高揚し、幸せを感じる心がまだ俺にも残っていたんだ。もう頭がどうにかなりそうだ。
 揺さ振られる身体。もう何も考えずこの人に身を委ねよう。この人になら安心してこの身を委ねられる。どれだけ俺が乱れてみせても、我を失っても、この人は受け止めてくれるに違いない。
 ごめんなさい、俺、今、貴方にうんと甘えたいです……。どうか受け止めてやってください。どうか…………。
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