虹色浪漫譚

オウマ

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 不意に僕の名を呼ぶ声がした。そして戸を叩く音。まだ午前中だというのに家に誰か訪ねてきたらしい。
「なんだ。誰が来たかと思えば、お前さんか」
 玄関先に立っていた男の顔を見て肩の力が抜ける。なに、彼に罪は無い。押し売り、又は原稿の催促か何かだろうと勝手に身構えていた僕が悪いのだ。
「そんな言い方ないだろう? 久しぶりだね哉代! ほら、差し入れ!」
 こちらの気分お構いなしに相手は眼鏡の奥に温和な笑みを浮かべる。その両手が差し出すは何やら包装のされた長方形の箱。
「なんだいコレは」
「カステラって洋菓子。なかなかの美味だよ。輸入品を求めて街を巡っていたら見つけてさ。お前さん甘いもの好きだろ?」
「うん、好き。では、ありがたく頂戴するよ」
「良かった。ヤッちゃんは定期的に甘いものを餌付けしてやらないといつ死んじゃうか分からないからね」
「ああ、まあ、うん」
 お前は僕をなんだと思っている。
「全く、こっちから出向いてあげなきゃ本当に全然顔見せないんだもんなー。たまにはそっちからウチに来るとかないのー?」
「嫌だよ、面倒臭い」
「そう言うと思いました! ところで最近調子はどう?」
 言って、さり気なく家に上がるこの男。まあ、大目に見てやるか。凡そ三ヶ月振りに顔を合わせたわけだし。彼とは高等学校以来の腐れ縁。話も何もまるで合わないが互いに認める『他に類を見ない変わり者』というところだけ唯一馬が合った。
「相変わらずだよ。何も変わらない」
「じゃあ相変わらず家に篭もりきりかい?」
「いや、近頃はそれなりに出ているよ。御心配なく」
「そう? ……気のせいか今日は機嫌が良さそうだね? 何か良い事でもあったのかい?」
「さあ、どうだろうか。心当たりはあるような、ないような」
 居間にて座布団を枕に寝転がる。今日は良い御日和だ。ゴロゴロしていたくなる。
「お~い。寝転がってないでさ~。俺は一応客人なんだからお茶くらい煎れてくれたってバチは当たらないんじゃないかい?」
「僕は上がれとも何も言ってないよ」
 気にせず目を閉じる。頭の上から「意地悪だなあ~」という声が聞こえた。
 仕方ない、少し構ってやるか。
「ところで。そっちはそっちでどうなんだいトラオさん。いい加減に女は見つけた?」
「はあ!? うるさい!! 余計なお世話だよ!!」
 おやおや、実にふてくされた声が返ってきた。
「申し訳ない。お前さんがいつまで童貞を貫けるか興味深いもので」
「ほっとけ! 女をつまみ食いしてばかりいたヤッちゃんに何を言われたくないよーだ!」
「酷い言われようだな。あれは僕の優しさだよ。淫乱女がつまみ食いしてくれって顔してるから望み通り少し食って差し上げただけ、何が悪いか?」
「俺、お前ばっか女の子に言い寄られてた理由が本当に分からな~い……」
 そんなに嘆いてくれるな。結局は同じ身だ。
 上辺だけを求められた、だからこっちも上辺だけ求めてやった、それだけの事。何度か本気に成りかけた記憶もなくないが、そうなると相手は引き去って行く不思議。結果一度たりとも何が満たされる事なく終わった。仕舞いには誰も寄り付かなくなった。
 僕を必要だと真っ直ぐに目を見て言ってのけたのは後にも先にも雪村さん、貴女だけ……。
「あっ」
 トラオが突然に声を上げた。
「ヤッちゃん、いつの間に珈琲飲めるようになったの?」
 指差すは部屋の隅。どうやら僕が買い付けておいた珈琲豆を目敏く見つけたようだ。
「いや、飲めないが」
「じゃあなんで買ったの?」
「いつか来るであろう客人の為に。その人はとても珈琲が好きでね」
「へえ~。約束もしてないのに持て成す準備? そんな柄にもな~い」
 アハハと快活な笑い声。笑ってくれるな、柄にもない事は重々承知している。
「で、その人どんな人なの? ヤッちゃんが大事にするくらいだ。興味あるなあ」
「ああ、強いて言えば……、天女のような人かな」
 艶やかな水色の着物、後ろに結わえた長い髪、美しい容姿、白い肌、目を離したらふわりと浮いて何処かへ行ってしまうのではないかと思うほどに細く小さな身体――――掴むに掴み切れぬまるで雲の上にいるような美しい女性だ。天女と例えて障りないだろう。それに、ちょっと大袈裟な言い方をしてトラオさんの想像力を掻き立ててやるのは面白い。
「天女……。女かい! やっぱりね、やっぱりだよ、ヤッちゃんが大事にするって言ったらそっちだよなー、やっぱり」
 ……何故、笑う?
「で、ヤッちゃんが天女と褒めるくらいだ、相当な美人なのかな?」
「勿論。お前さんみたいな童貞には目に毒な程に可憐な女性だよ」
「そいつは是非一度お目にかかりたいもんだね!! …………そんなに可憐な人と出会ったからには、もうやめたかい?」
 冗談めかしていたトラオの声が唐突に真剣みを帯びた。なんの話だろうか。
「やめたって、何を?」
「俺がみなまで言わずとも分かっているだろう? 『阿片』だよ『阿片』。大事に出来る人を見つけたなら、もうそんなものに縋る必要ないだろ? しゃんとやめたかい?」
「ああ、それか……」
 さて、どう答えたものか。
 ……悩むまでもなかったな。どうやら即答出来なかった事でトラオは察してしまったらしい。「やめてないのか」と溜め息された。
「早くやめた方がいいよ。相手方の為にも。だって身体に悪い。奥さん亡くして寂しかったのは分かるけどさ、新しい人を見つけたなら、もういいじゃん?」
 奥さん……? ああ、そういえば、いたな。そんな人も昔には。
「トラオさんは勘違いしているよ。時折馬鹿にでもならないと『生きる』というのは僕にとってどうにも耐え難いものでね。そもそも僕は長生きなど望まない主義だ。放っておいてくれ」
「またそんな事を言う~!!」
 僕の頭の横にトラオが腰を降ろす気配を察す。話し込む構えとみた。
「俺は、お前さんには長生きして欲しいな」
「ほう。それはまた何故に?」
「そりゃ変わり者が俺一人になってしまったら寂しいからさ! お前さんが死んだらお前さんの作品を楽しみにしている人達も悲しむよ?」
「どうだろう? いるのかな、僕の作品を楽しみにしている人なんて」
 読者がどれだけいてくれるやら、面と向かった試しがないからまるで分からない。読者と聞いて目に浮かぶのは雪村水姫、彼女の顔だけ。
「いるから飯を食えてるんだろ?」
「あー、うるさい。トラオさんに何を言われても合点がいかないな。だってトラオさんは僕の本を読んでないだろう?」
「まあね!」
 ケラケラと軽快な笑い声が響き渡る。
「だって、お前さんの書く物語は陰鬱過ぎて読んでて気分が滅入るんだものっ」
「それは褒め言葉だ、トラオさん。ありがとう」
「そうなの!? ……ところで、ヤッちゃんこそいい加減に俺の絵を一枚くらいは買ってくれたっていんじゃな~い?」
「ご勘弁。トラオさんの絵は華々し過ぎて僕の質素な家には合わないよ」
 やれやれ、どうにもこうにも見事なまでに僕たちは相性が悪い。二人して暫く笑うしかなかった。
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