虹色浪漫譚

オウマ

文字の大きさ
上 下
19 / 54

19

しおりを挟む
 待ちに待った二度目の約束の日。結城様からの返事の手紙には「いいですよ、またお会いしましょう」とあった。こんなに嬉しい事はない。手紙を読んで即座に俺は筆を手に取って会いたい日にちと時間を書いた。
 今日も結城様が見つけ易いようにと水色の花の髪飾りに着物、しかし勿論あの日のものとは別にしている。お前はそれしか一張羅がないのかと思われたら嫌だものね。今日は不思議と化粧の乗りも良かった。空は晴天。とてもとても気分が良い。
 こないだと同じく待ち合わせの場所にした茶店を覗くと、奥の方に洋装の男女が一組、そこから三つ離れたテーブルでティーカップを口につけている結城様を見つけた。
 嗚呼、今日も麗しい! 結城様の顔を見て自然と心が躍る。
 でも、いけない、はしゃぎ過ぎては。
 ふう、と一呼吸。気持ちを落ち着けて店内へと足を踏み入れる。
「結城様、こんにちは。今日も私なんぞのお呼び出しに快く応じて下さってありがとう御座います」
「いえいえ、どうぞお座りに」
 頭を下げる俺に、向かいの椅子を手で指す。ああー、どうしよう、結城様だ! また会えたんだ! 顔がニヤケてしまいそうになるのを必死に隠して席に座る。ああ、結城様だ、本物だ!
「あの、先日、結城様の新作を読みました! あれは今までの結城様の作品とはまた一味違った物語でしたね。絶望的な中に凄く前向きな気持ちがあって、読んでいて私も背を押していただいたような気持ちになりました。素晴らしい作品でした! 次が次がと気になって、結局寝る間も惜しんで一気に読んでしまいました!」
 あれは、一体どのような心の変化があったのだろうというくらいに前を向いた話だった。四面楚歌で絶望的な状況下の中、主人公はたった一人でこの世界の矛盾に立ち向かった。そして、いつ奈落の底に主人公が突き落とされるのかと心配していた俺の気持ちを他所に見事、幸せを掴んでみせた。結城様の作品は全て目を通しているけれど、あんな幸せな終わり方をする話は初めてだった。
「そうですか? 雪村さんの背を押せたのなら書いて良かった」
 温和な笑みを湛えて結城様が言う。
「はい! 私、最後は感動して思わず涙してしまいました」
 って、そんな端整な顔立ちでそんな微笑みされたら俺、見惚れちゃうよ……。
 何だか顔が火照り始めた。赤くなっていたらどうしよう……。堪らず視線反らすと、ちょうど店員がやって来てきて注文を聞いてきた。あああ、そうだ何も考えていなかった。今日は何を食べようか、メニューをサーッと流し見る。……よし、目が止まった。コレにしてみよう。
「では、コーヒーとショートケーキをお願い致します」
「アップルパイもお願いします」
 結城様が続けて言う。おおおおおお、今日は結城様も甘味をお召しに! と、いうことは、今日はこないだよりも長く一緒にいられるかも!? ……って、待て! 待て! ニヤケるな俺! 怪しい女だと思われるだろーがい!
「かしこまりました。お待ち下さいませ」
 店員が奥へと去っていく。それを見計らって「生クリームとはどんな味なのでしょう。初めて食べます」と、それとなく結城様に話題を振った。せっかく会えたんだ、何でもいい、沢山の言葉を交わしたい。
「ああ、なんて言ったらいいかな。滑らかで旨いですよ」
「まあ、それは楽しみ。ところで結城様が頼まれたアップルパイというのはどんなもので?」
「そうですね、林檎の焼き菓子といったところです。言うより見た方が早いかな」
「甘味にお詳しいんですね! 私め窮屈な暮らしを強いられております故、すっかり時代に取り残されています……。あ、スイマセン、愚痴紛いな事をっ」
 うっかりしちゃった……。結城様は「いえいえ」と笑ってくれたけど、愚痴なんか聞かせたら失礼だよ……。
 この人の眼差しは深くて、とても優しげだ。思わず口が滑って何でも話してしまいそうになる……。むしろ、言わずとも全て見透かされているかもしれない。でも、しっかりしなくちゃ。
 あ、さて、ところで、書き上がったからと持ってきてしまった俺の作品、どーすんべ。見せるの恥ずかしくなってきた! なかなか言い出せないし、このままそれとなく流そうかしら。よし、そうしよう!
「……ところで。どうですか? 進み具合は」
「はうっ!?」
 思わず声を上げてしまった。結城様がにこやかに、しかし「どうなの? どうなの?」と催促するような目で俺を見てくる。や、やっぱりこの人は俺の心を見透かす事が出来るんだ、うわーん!! ――と、なれば、覚悟を決めるしかないか。
「そ、それが短い話なので一応ほぼ完成してしまいまして。自分から言い出しておいてなんですが、お見せするとなると恥ずかしい」
 裸足で逃げ出したい衝動を堪えながら風呂敷包みより原稿用紙を取り出して手渡す。原稿を厳重に封筒にまで入れちゃってるあたり俺の警戒心の高さの表れだ。だって他の誰かに読まれたら恥ずかしさで絶対に死ぬ!!
「そんなに照れないで。では拝見させていただきます」
 前置きしてから、結城様は原稿用紙に目を通し始めた。なんだか、とても真剣な眼が文字列を追っている。
「あ、流し読みで構いませんから……」
 ろくすっぽ学の無い女が書いた素人作品だもの。よくよく見なくとも荒ばかりに違いない。真剣に読んじゃいけない作品で御座いますっ。
 一応、書いた物語を要約すると、こうだ。部屋に閉じ込められて生きるも死ぬも叶わぬ主人公が窓の外をずっと眺めてるうちに背中に羽が生えて、その羽を頼りに窓から外に飛び出して遠くで誰にも知られずやっと死ぬ事が出来ました、めでたしめでたし、という。
 その物語の主人公は、俺だ。自由に生きるも死ぬも叶わない俺の話。自殺でもしようものなら士郎さんだけじゃなく父と母、親戚たちの顔にも泥を塗る。そして灰はきっと悲しむだろう。かと言って生きる事すら上手に出来ない。それはそんな俺を書いた話。羽は、俺の願望だ。
 ふと文字を追っていた目を止めて結城様が繊細な手で原稿用紙をトントンとテーブルに叩いて整え、元通り封筒に入れ直した。……読み終わったのだろう。原稿用紙十枚足らずの短い話だもの。
 憂いを帯びた深い目が再び俺を見る。結城様はこの物語をどう受け取ってくれただろう。はたしてその物語の主人公が俺だと気付いてくれただろうか。
「稚拙な言い回しは多々ありますが、言いたい事が素直に現れている作品ですね」
「本当ですか!? すいません、結城様ほどの高名な作家様にこんな素人作品を読ませてしまって……。私めの字は読み難かったでしょう?」
「いえ、雪村さんの想いが詰まっている作品です」
「そう、ですか? ……その物語の主人公は、私です……。なーんちゃって、あ、あの、もし宜しければその原稿、結城様に受け取ってほしいのですがっ」
「僕に?」
「はい! 他の誰に見せるでもなく書いた物語です。結城様に受け取っていただけたら本望……、なのですが、邪魔に、なっちゃいますかね?」
 あはは、と苦笑いして曇りかけた顔を誤魔化した。そうだよなー、要らないよなー、困っちゃうよなー、こんなの貰ってくれって言われたってさー……。どんな形でもいい、この方の傍に自分の想いを置きたいと思った。でも、そんなの迷惑だよな……。
「分かりました。では受け取らせて頂きます」
 ――え?
 ガサッと音を立てて俺の原稿が結城様の鞄の中に仕舞われる。うわーー、受け取ってもらえちゃったー! 灰ちゃーん、灰ちゃーん! どうしよー!
「あ、ありがとう御座います! ありがとう御座います!」
 嬉しくて何度も頭を下げた。そんな俺を結城様は「いえいえ」と首を振って優しげな眼差しで見つめてくれた。あーん、顔が熱い! 顔が熱いよー!
「いや、もう、本当に嬉しいです! 勿論、邪魔になってしまったら捨て下さって構いませんのでっ。……あ、丁度にケーキが来ましたね!」
 お待たせ致しましたと言って店員が結城様の前にアップルパイという焼き菓子を、俺の前にはコーヒーと……なんか白い奇怪なものを置いて去って行った。
「えっと、何ですか、この白いホワホワなヌメヌメは?」
「それが生クリームです。食べてみて下さい」
 そして結城様はアップルパイとやらを食べ始めた。なんと繊細なフォークの使い方! もぐもぐと動かされる口元すら気品溢れていて麗しい! って、食事してる人をジロジロ見ちゃ失礼だろが俺の馬鹿~!! 結城様が気付いてなくて良かった。そうそう、見惚れている場合じゃない。俺は俺で生クリームとやらを食べてみなきゃいけないのだ。
「いただきます」
 呼吸を整え、フォークで小さく切ってパクリと一口。
「ふぉおおぉおおおおおおお~! 生クリームってうんみゃあ~!」
 なんだこれはー!! マッタリとしていて、それでいて滑らかな舌触り!! 口の中に広がる柔らかな甘みに思わず声を上げて身震いしてしまった!! って、ああ~、また俺ったら恥ずかしい事を!! 前方から「プフッ」と小さく結城様が息を漏らしたのが聞こえた。わ、笑われている!! しかしそうと分かっていても、それでもどうにもならないこの震える身体!! 嗚呼、無念だ!!
「雪村さん。手をつけた後で悪いがアップルパイも少し食べてみますか?」
「はううう……。え!? 宜しいんですか!? では、少し頂きます! ……ん~、でも、どの辺を頂きましょう?」
 なんかコレ、どこ食っていいんだか全然分からん――なんて迷っていたら結城様が林檎が乗った旨そうなトコを一口分切り取り、それをフォークに乗せて俺の口元に差し出してくれた。
「ほら、口を開けて」
 そ、そんな優しげな笑顔でそんなそんなそんな……おかーちゃーん!! おかーちゃーん!! オラ生きてて良かったー!!
 開けた口の中にそっとアップルパイがやって来た。それはもう噛み締める。
「どうです? 僕はこれが一番好きです」
「っふにゃにゃわぅおぅううううううう~!!」
 うおおお、答えになってないけど仕方がないです!! ちょっとちょっと美味しすぎてヤバいですよコレ!! なんだこの甘酸っぱさ、そして生地のサクサクとした食感!! 何か美味し過ぎて涙まで浮かんできた!! ええいもう恥も何もあるか、好きなだけ震えておけ俺の身体!! 美味しいんだから仕方が無いっ!! ああ、なんかこのアップルパイのおかげでコーヒーの味もより美味い!!
「前にお会いした時よりも表情が生き生きしてますね?」
「うみゃいうみゃい……ハッ!! そう……でしょうか? エヘヘッ、だとしたらそれは貴方様のおかげです。学業の苦手だった私が物語を書くなんて思ってもみませんでしたし。お茶といい新しい経験を沢山出来ました」
「それは良かった。僕も雪村さんの反応は見ていて新鮮だ」
「そうですか? 良かった、お呼び出しに迷惑していないかと心配でした! ……私、病んでてもいいです! こうして楽しめている。以前は、生きてるか死んでるかも曖昧な世界にいましたから……」
 貴方も、そうなんですか? なんて、聞けないよな……。
 俺は、貴方のおかげで少し生き返る事が出来たんですよ、結城様……。
 暫しの沈黙。何度か瞬きをしてから結城様が何かを思い出したように「あっ」と顔を上げた。
「家を空けて旦那様は大丈夫なんですか?」
 そっか。気にさせちゃって何だか悪いな……。
「ああ、全く問題ありません! あの方は滅多に帰ってきませんし、珍しく帰ってきたと思えば仕事に夢中で私は邪魔になります。いてもいなくても、というヤツです。私、普段から親戚宅に無断で泊まりがけしていますがお叱りを受けた事は一度も御座いません」
 会いたいが故の嘘じゃない。本当の事だ。
 結城様が「ほう」と唸ってニコリと微笑む。
「ならば、定期的にお会い致しましょう」
「え!? 宜しいんですか!? 嬉しい!! 私、なるだけ家にいたくないのです~っ。時間なら気にしないで下さい、平気ですから!!」
 やったー!! 何をおっしゃるのかと思いきや、まさかこんな事を言ってもらえるなんて!! おかーちゃーん、オラ本当に生きてて良かったー!!
「まだまだ新しい食べ物がある。楽しみです」
 そ、それは何か食うたび叫ぶ俺の反応が、か!? ……マズイぞ俺、女と思われてないんじゃないのか? いや、人妻である俺を女と思ってもらってもなかなかどうして……、ええい、会えるだけで喜びだ! この際、細かい事は気にしないっ!
「私も楽しみです! では宜しければ今日は御夕食も…………あ、これは少々厚かましいでしょうか?」
「いえ。でも夕食も、となるとある程度時間が……。本当に大丈夫なんですか?」
「はい、大丈夫です。家には親戚宅に出掛けると書き置きしてきました。普段から家は開けていますし、大丈夫です」
 結城様お察し下さい、心配は御無用です。だってちゃーんと灰の許可も得てるもんね!
「そうですか。ならば今夜夕食も御一緒に」
 通じた!! やった!! 灰ちゃん、ありがとー!!
「嬉しい~!! ありがとう御座います、ありがとう御座います!! 一人で家で食す夕食は味が致しませんし~。今日は美味しく食べられそうですっ。本当に嬉しい!!」
 抑えなきゃって思うのに、どうにも嬉しすぎてはしゃいじゃう。うるさい女だと思われちゃうよ~!! ……でも結城様の目は優しい。俺、こんななのに、凄く優しい……。
「夕食までには時間がある。どこか行きたい場所は?」
「行きたい場所? ん~~、普段あまり出掛けないものですから疎いんですよねー。月並みですが活動写真とかー……」
「では活動写真でも観に行きますか。時間もうまく潰せそうだ」
「あ、今って確か凄く話題になってる作品がありましたよね。題名はなんていったかなー。とても話題なのに私まだ観ていないのです。結城様は?」
「話題作ね。僕も多分まだ見ていないと思います。……では、行きましょう」
 気付けば綺麗になっていた皿の上。結城様が席を立ち、御支払いを済ませる。……って、また奢ってもらっちゃったよ俺!!
 店を出てからお礼を述べて頭を下げると、彼は何も言わずただ微笑んで山高帽子を頭にかぶった。……うわあ~、結城様って帽子かぶるんだ。素敵だなあ……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...