虹色浪漫譚

オウマ

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「モモ、そろそろ首を縦に振ってくれないか?」
 切れ長の目が真っ直ぐに私を見つめる。
「ん~、申し訳ありません。お気持ちは大変嬉しいのですが、まだなんとも心の準備が……」
 琥珀(コハク)という名のこの男、またしても身請け話を持ち出してきた。半年ほど前から度々に口にされ、毎度それとなくはぐらかしてきたけれど――先月から声色が変わってきた。いよいよ本気なのだろうか。アタシは彼のせいで近頃はずっと悶々とした日々を過ごしている……。
「もう店の方には了承を得てる。何が気に食わない?」
 琥珀が、ふうと息を吐き酒を呷る。
 了承……。兄はこの話に賛成なんだ……。でも、でも、アタシは……。
「なんと言ったらいいか……。なんやまだ、何かをやり残している気がするんですわ」
「何だ? やりたいことがあるなら俺が叶えてやる」
「いいえ、せっかくのお言葉ですが、やり残しているそれが何かが自分でもよー分からへんのですわ。申し訳ありません琥珀様……」
 あ、また溜め息つかれた……。
「全くもって難しい女だな。どうすれば頷く?」
「それも分かりません。……けど、そうね。ウチの中で琥珀様が何にも代え難い程の御方となられたら多分頷くんやないかと思います」
 とにかく苦笑いを続けて誤魔化そうとした。だって、どう言えばいいんだ。実の兄と、離れ難いなどと。
 言えるわけがない。兄さんから離れたくないなんてこと。
「……どうすればいい?」
 これだけはぐらかしても尚、この男は問いただしてきた。
「せやなあ、とこっとん惚れさして下さればええんやないでしょか!」
「じゃあ惚れてくれ」
「まあ、ハッキリとした言い方」
 もう、どないしたらええねん……。酒を呷るこの男に身体を擦り付ける。仕方が無い、これがアタシの仕事だもの。「早く頷け」と笑いながら琥珀がアタシの身体を抱いて押し倒してきた。
「あんっ。そ~んな急かしませんと~」
 一生懸命に笑顔を作った。着物が剥かれていく。いいよ、抱かせてやるから身請けの話はもうこの辺で勘弁してくれ……。
 この男のことは別に嫌いじゃない。容姿も綺麗やし、お上手やし。若くして財を成し、それはもう充実した人生を送っていることはその自信に満ち溢れた顔を見れば分かる。何も欠点は無い。けど――――。
 嗚呼、嫌だ。こんなに喜び勇んで喘いでみせてるのに頭の中は別の男のことでいっぱい。どんどん嘘が上手くなっていく自分が汚らわしい。
 もういい、何も考えたくない………………。
 アタシを抱いて一応気を良くしたらしい琥珀さんは上機嫌に帰っていった。「必ず頷かせてやる」と言い残して。
 でも、今回もなんとかやり過ごす事が出来た。ホッと一息。
 その夜、寝支度をしている最中に兄が部屋に訪ねてきた。そしてアタシの顔を見るなり大きく溜め息をついた。
「お前、また琥珀さんの身請け話し断ったんだって?」
 嗚呼、またその話かいな……。気分が沈む。
「兄さん……。……うん、なんや踏ん切りつかんくて……。兄さん、アタシどないしたらええ?」
「俺は、良い話だと思うぞ」
 ……迷わずに言い切るんやね……。
「兄さんは、賛成なんか? アタシが琥珀さんに身請けされたら嬉しい? 兄さんは幸せ?」
「ああ。お前もそろそろ一人の男に愛される喜びを知った方がいい年頃だ。お前が幸せになってくれたら当然、俺も幸せだよ」
 兄の大きな手に頭を撫でられる。一人の男に愛される喜びだなんて、兄はそれがアタシにとってどれ程に残酷な言葉か分かっていないんだ……。
「兄さんが、そういうなら、そういう方向で、よう考えてみる……」
 涙が溢れてきた。アタシは兄さんとこれからもずっと一緒にいたいのに、その兄さんは私に出て行けと言っている……。他の男の元に行けと……。兄にこう言われたら、アタシは従うしかない……。分かってはいた。所詮は兄妹、どんなに想っていたって、結ばれる事は叶わない。だから、いつかこんな日が来ることを覚悟はしていた。でも……。
「泣くな。もう店も客はついたし大丈夫だぞ? 琥珀は金も名誉もある……」
 金と名誉……。それがなんだというんだ。確かに琥珀は全てを兼ね備えている欠点の無い男だ。でも琥珀は兄さんよりも背が低い、肌の色も白い、手も小さい、何もかも違う。比べても無駄だって分かっている、でも、違うんだ。足りないんだ……。
「っ……兄さっ……! アタシ、む、胸が痛い……! 痛い……!」
 どうして分かってくれないのだろう。アタシの幸せは兄さんと一緒にいる事なのに。
「泣くな……。泣かないでくれ……」
 縋るような目を向けてしまったアタシを兄さんが胸に抱き締めた。
「ア、アタシ、兄さんの妹やもん!! 離れたない!! 寂し……!!」
「そんなこと言うな。離れても、お前は俺の大事な妹だ……!」
 強く強く抱き締められる。その腕の力が物語っていた、兄は決してアタシに意地悪を言ってるんじゃない。想ってるが故にこう言ってくれてるのだと……。アタシにとっては兄といる事が幸せ、でも兄にとってアタシが身を固める事が幸せだというなら、アタシは、従うしかないんだ……。
「兄さん……! ……分かった。アタシ、兄さんの言う通りにする……。兄さんが身請けされなさいって言うなら、する……。兄さんの見込んだ男なら間違いないものね?」
「ああ。幸せにしてもらえよ」
「……うん……。……兄さん、今日ちぃと肌寒くないか? 久々に一緒に寝ぇへん? なあ? 寝よ?」
「はあ? なーに言ってんだ! 明日も頑張らなきゃだろ? 早く寝なさいっ」
 苦笑いしてアタシの手を振り払う。……ちぇっ。
「なんやねーん! 昔はよく一緒に寝たやんか! アタシが寒い寒い~言うと一緒の布団入れてくれて~。ややわ、何を変に照れてるんだか! 分かったわ、モモ良い子やから一人で寝る! おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 手を振り、兄が部屋を出て行く。……気が緩んだのか再び涙が零れた。
「アタシ、兄さん無しに生きてく自信なんてないよ……」
 ずっと二人で生きてきた。貧しかった幼少期の生活、一山当ててやろうと兄言われ、兄の為に遊女としての振る舞いを学んだ。全て兄の為。誰に身請けされる為じゃない、兄の為だった。なのに、この始末。アタシが今までやってきたことはなんだったのか。
 兄は遊郭の支配人、アタシはそこの看板遊女、それで良かったのに……。でも、仕方が無いんだ。身請けされることもまた、兄の為ならば……。
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