虹色浪漫譚

オウマ

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 遊郭近くの宿の一室。一仕事終わった、さあ一服……と、いうわけにはまだいかない。此処からの一押しが大事なんだ。
「貴女様の常連に知れたらさぞ恨まれるだろうなあ……」
 腕枕をし、耳元に囁く。相手はそれなりに評判の良い遊女。なかなかの稼ぎを誇っているらしく、頻繁に俺を呼び出してくれる。大事にしなければならない常連さんだ。
「まさか。知れやしませんよ。アンタみたいな色男に相手してもらえて嬉しいわ」
「俺こそ、こんな美女を相手にできるなんて」
「まあ、よく言いますわ」
 クスクスと笑いながら彼女は俺の腕をすり抜けて起き上がった。
「もう時間ですか?」
「ええ。名残惜しいけど、そろそろ行かなくては」
「つれないお方だ」
 着付けを手伝い、後ろから抱き締めて首筋に口づける。
「また呼んで下さいね。そしたらすぐに飛んで行くから」
「嬉しい。ええ、また是非に。本当に飛んで来てよ翠さん」
「勿論です」
 出口まで見送って、これでようやく仕事完了。また是非にと言わせたら勝ちさ。
 あ~~~、しっかし流石に腰にくる~! ちょっと最近客を取りすぎだろうか。身体を反らして腰を伸ばしてみる――が、腰の軋み具合はあまり緩和されない。
「はあ……」
 おっと、溜め息しちまった。いけないいけない。魂が抜けちまう。
 さて、帰るか……。
 宿を出て遊郭近辺を歩く。大きな敷地だ。どれ程儲かっているやら羨ましい。などと思いながら歩いていたら、ふと金髪の男が目に入った。向こうも俺に気付いたのか箒で落ち葉の掃き掃除をしていた手を一旦止めてこちらに目を光らせてきた。
 ああ、遊郭の用心棒だ。前髪の鬱陶しい金色のざんばら頭に着物という珍しい身なりですぐ分かる。
 疑われたら何されるか分かったものではないからな、関わらないに越した事はない。って、あれ……どうしたことだろう、なんか目眩がする。忙しいからな、最近……。睡眠不足も祟っているのか……。あ、あれ……まずい、な……。足……が…………………………。
 ………………真っ暗だ。なんだ? 一体何がどうなったんだ? 額にピリッと沁みる感触を受けて反射的に目を開ける。
「ん……。えっ!?」
 あの遊郭の用心棒の顔が目と鼻の先にあった。そりゃあもう驚いて口から心臓を吐きそうになったわけだが……。青い目がジッと俺を真上から至近距離で見つめている。一体これは益々なにがどうなってこうなって、どうしたもんだか。
「気が付かれましたか? まだ動かないで。貴方は怪我をしている。大丈夫、此処は俺のねぐらです。慌てなくていい」
 用心棒が手拭いで俺の額を拭ってる……。ピリリと沁みたのはこれだったのか。
「か、かたじけない……。なぜ俺は怪我を?」
「突然に真っ直ぐ地面へと倒れ込まれました。具合が悪そうに歩いてましたから危ういなとは思いましたが……。浅い怪我です。すぐに治るでしょう」
 血止めらしき軟膏を俺の額に塗り込み、彼は「よし」と小声で頷いた。治療が終わったということなんだろう。嗚呼、やっと頭が少しずつ冷静になってきた。背中に布団の感触がある。倒れた俺を彼が自分のねぐらへと担ぎ込んでくれたのか。で、……え? ちょっと待てよ? 額を治療されてたということは、俺は…………。
「か、か、顔に、傷……」
 再び卒倒しそうになった。ど、ど、ど、どうしよう。よりにもよって顔に傷だなんて。
 あ、うろたえ始めた俺を青い目が不思議そうに見つめてる。
「えっと。他、痛むところはありませんか? なにせ真っ直ぐに地面へと倒れられた」
 ここは平気か、ではここはどうだと聞きながら彼の手が俺の身体を順々に触っていく。いやいやいや、俺がうろたえているのはそういう理由ではなくて……。
「貴方、遊郭の方ですよね。ご存知かと思いますが、俺は顔が商品でして……」
「ひょっとしますと、歌舞伎座の方ですか?」
「はい。……嗚呼、参りました。あの、鏡をお借りできますか?」
 本当に参った……。やってしまったなあ俺。よりによって顔……。
「鏡、ですか? お待ちを……」
 俺の言葉に棚の中を物色し始めてくれた。……あれ、中の物をどんどんと出して相当棚の奥まで探ってる。「鏡なんてあったかなあ~」なんて呟いてるし。あれれ、鏡なんて、よく使うものじゃあ、ないんですかい?
 簡単に出てくるものだと思ったのに、ちょっと違うみたいだ。
「あ、あの、すいません、大丈夫です! いやあ~、御迷惑をおかけ致しました」
 一生懸命探して下さってる、悪いことをしてしまったな……。本当に大丈夫ですよと身を起こす。と、同時に彼が「あ!」と声を上げた。しかし「ありました、どうぞ」と差し出してくれた手鏡はバリバリに割れ砕けていた。
 これはまるで、拳で叩き割ったかのような割れ方だ。でもまあ、見れなくもない。傷を確認するだけなら充分だ。
「あー、ありがとうございます。……嗚呼ぁぁぁぁぁぁ……」
 これは、酷い……。ひび割れた鏡に映った額の傷を見て堪らず落胆する。嗚呼、間違いなく傷だ。本当に傷だ。なんてこった……。
「大丈夫ですか? 浅い傷ですよ。すぐに治ります。元気を出して下さい。あと、こんなボロ部屋で宜しければもう少し休んでいかれても構いませんが」
 肩を落とした俺を見兼ねたのか用心棒がニコリと笑ってみせた。
 ふわりとした笑顔だ。こうして間近によくよく見ると実に優しげな顔をしている。遊郭の用心棒というと仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八徳を失ったならず者の仕事という響きが先行してあまり良い印象は持っていなかったのだが……。まあ、『忘八』なんて一昔前の言葉だけれども。彼の朗らかな表情からはそんな荒んだ雰囲気など微塵も感じられない。が、やはりいざとなったら容赦ないんだろうか。そんな風には見えないなあ。
「ありがとう御座います。あの、貴方のお名前は? 私は司馬翠と申します。翠と呼んで下さい」
「翠さん、ね。俺は狐塚蒼志(コヅカ アオシ)と申します。蒼志でどうぞ」
「では蒼志さん。今度、是非に酒でも奢らせて下さい」
「ああ、それは嬉しい。酒、好きなんで。でも、あまり気にしなくていいですからね?」
「いえいえ、助かりましたし。あ、鏡もつけますよ」
 だって割れてしまってる。これでは使い物にならないだろう。しかし彼は首を横に振った。
「や、鏡はいいです。あまり~、使いませんから……。あんな奥にあったくらいですし」
 言って、グチャグチャにかき回した棚を指差す。
 鏡と言った刹那、表情が曇った。察するに、混血であることが嫌なのかな……。目立つ風貌だ、損することも多かったのだろう。
「そう、ですか……。いつお暇ですか?」
「そうですねー。遊郭の営業時間外は暇です。あと~、一応都合をつけようと思えばいつでも。俺の代わりなんて幾らでもいますしね。貴方の方が忙しいでしょう?」
「分かりました。では日を改めて誘いに来ますので」
「はい。俺はいつも此処にいますので来て頂ければ必ずと言っていいほど簡単に捕まる筈です。ではお気をつけてお帰りを」
「はい。それでは」
 一礼し、戸を開けて部屋を出る。蒼志さんは酷く心配げに俺を見送ってくれた。これは、いきなり目の前で盛大に倒れてみせた俺が悪いな……。
 戸を開けてすぐ目に入った高い堀を見て、此処が遊郭の敷地内だということに気付く。遊郭屋敷の一角、こんな端の目立たぬところに用心棒のねぐらがあったとは知らなかった。
 とりあえず前髪をかき集めて傷を隠す。嗚呼、まだ足がふらついている。やれやれ、人様に迷惑をかけてしまうとは情けない……。しかし怪我の功名とでも言おうか。偶然にも良い人に出会えたものだ。狐塚蒼志、か。
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