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自販機前の子供
しおりを挟む一人暮らしを始めて三日目に駅からアパートへの近道を発見した。会社からの帰宅がどうしても夜遅くなるので、ショートカットはありがたかった。
街灯の少ない薄暗い路地だが、ちょうど中ほどに自販機が三台稼働していて、わりと視界が明るい。
廃業した酒屋の閉まったままのシャッター前に置かれた自販機二台は缶コーヒーやジュースなど、おなじみの清涼飲料水を販売していて、もう一台はビールや酎ハイなどのアルコール類の販売をしていた。
雨除けのテントは破れ、ぶらぶらと風に揺れている状態だったが、自販機自体は最新で、明りに引き寄せられた虫の侵入もなく清潔感があってよかった。
きょうは喉が渇いてないからいらないけど、欲しい時はここで買って帰ろうと思いながら通り過ぎた。
次の夜、自販機の前に小さな男の子がいた。
釣銭の忘れを調べているのか、三台のコイン返却口に指を順番に突っ込んだ後、アスファルトの地面に寝っ転がって機械の下を覗き出した。
こんな暗がりじゃ見えないだろうと思いながら通り過ぎた。
にしてもこんな夜遅く、子供が一人で何してるんだ? 飲み物が欲しくて買いにきた? いやいやいや、家が近くだとしてもこんな遅い時間に? 親は? 親はどうしてるんだ?
あまりに気になって振り返ったが、帰ってしまったのか、男の子はもういなかった。
次の夜もまたいた。
手が届く範囲の商品ボタンを押している。お金を入れて購入しようとしているわけではなさそうで、アルコール類の自販機も含めて押しまくり、しゃがみ込んで商品の出し口から中を覗いている。
いやいや出て来んだろ。
通り過ぎながら、しゃがんだ後姿を見た。
身体はあまりにがりがりで、首周りの伸びきったTシャツの汚れは自販機の薄明かりでもわかるほどひどかった。
しかも半袖から見える細い腕には煙草の火を押し付けたような跡がいくつもある。
この子、虐待されてるのか? 暴力だけじゃなく、飲み物も食べ物も与えてもらってない?
だから親が寝静まってから何か口に入れるものを探しに出て来ているのかもしれない。金など持ってるはずもないから、ワンチャン釣銭や商品の取り忘れを期待してる?
そう考えながら振り返ったが、男の子はもういなかった。
次の夜もいた。
何か見つけたのか地面に寝転んで自販機の下に左手を突っ込んでいる。
後ろで立って見ていると、小さな指が100円玉を引き出してきた。
なんだか涙が出てきた。やっとお金を見つけてもそれだけじゃジュースは買えない。
「ねえ、ぼく。それじゃ買えないから、おにいさんが足りない分、出してあげるよ」
こんなご時世の夜遅く、親がそばにいない子供に声をかけるのを一瞬憚ったが、あまりにかわいそうで思わず声をかけていた。
座り込んで下を向いたまま、手の中の100円玉をじっと見つめていた男の子が顔を上げた。
自販機の明かりに浮かび上がるその顔には真っ黒な目が一つと歯がびっしり並んだ小さな口しかなかった。
ばたん。ばたん。
何の音?
ピンポーン。
チャイム?
ばたん。ばたん。
もううるさいな、なんだよっ。
ピンポーン。
あ、やっぱチャイム?
目を開けるとベッドの中だった。
耳を澄ませても何も聞こえない。
夢か――夢だったんだな。
毎晩自販機前で子供を見てたから――いやそれすらも全部夢?
大きな伸びをして上半身を起こす。時計を見ると朝の七時だ。
きょうは日曜だっけ、もう少し寝るか。
頭をぼりぼり掻きながら、再び横になりかけると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「あ、ほんとに鳴ってたのか――誰なんだこんな早く」
ベッドから降りて玄関を開けると、にこやかな大家が立っていた。
「おはようさん。朝早く悪いね。君、日曜日しかいないからさ、今月のお家賃もらいに来たんだけど――」
「あ、おはようございます。すみません、こちらから持って行こうと思ってたんですが――」
「いや構わんよ。わし暇だから。ところでさ、君、あそこの道通って通勤してる?」
「え? どの道ですか?」
バッグから財布を取り出しつつ、大家に視線を向ける。
「ほら大通りから外れた薄暗い路地。そこを通ればここまでだいぶ近道になるんだよ。そのこと君に教えてあげなきゃって思ってたんだよね」
「あ、この前偶然見つけてもう通ってます。
はい、これ――いつもありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。君みたいにすぐ支払ってくれる店子さんは世話なくて助かるよ」
数枚の一万円札と家賃帳を渡すと大家が捺印しながら話を続ける。
「それでね、あの路地のちょうど真ん中ぐらいに自販機あるだろ? 夜にあそこを通った時、もし子供を見かけても構っちゃいけないよ」
「えっ?」
「あれ、人間じゃないから」
「ええっ?」
ばたん。ばたん。
さっきチャイムと一緒に聞こえていた夢の中の物音がキッチンの中から聞こえる。
ばたん。ばたん。
「それじゃ、また来月もよろしくね」
大家が玄関から去った後、そっとキッチンを覗く。
はあああ――ため息が出た。
「教えてくれんの遅過ぎだよ、大家さん――」
自販機前のあの子供は夢ではなかった。
その証拠に今は僕んちの冷蔵庫の前に立って、興味深げに扉の開閉を繰り返して遊んでいた。
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