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しおりを挟む降りしきる雨の中を繁樹は自宅とは反対の方向を歩いていた。うるさく付きまとってくる邦子たちがいないので久しぶりに秘密の場所に行くつもりだ。
なぜ二人とも休んでいるのか気にはなるが、心配はしていない。むしろせいせいしていた。
大人たちから期待をかけられている繁樹は幼い頃からストレスを抱えていた。そして三年生の時、一人で家から遠く離れた場所までほっつき歩き、山の麓の小高い場所にある古墓地を偶然見つけた。
それが繁樹の秘密の場所だ。
供花の有無でまだいくつか墓参されている墓があるにはあったが、めったに人は来ない。
神童と呼ばれている繁樹は、ここで人に聞かれてはまずい悪態を叫んだり、墓を的にして石当てをしたり、近くを流れる沢路川に自分が持てる最大の石を投げ入れたりして鬱憤を晴らしていた。
四年生の後半から邦子たちに付きまとわれ始め、なかなか来られなかったが、ここ最近のいらいらして落ち着かない気持ちを鎮めようと荒天にもかかわらず来てしまった。
この間、算数のテストで一問間違えただけなのに父親にこっぴどく叱られた。母親は嘆き悲しみ、恥ずかしいとまで言われた。
そんなあかんことか? たった一問やで――
ふてくされ、そう口ごたえしようとしたが、かえって面倒臭くなるだけだ。深く反省しているように見せて、次のテストに向けて猛勉強しなければいけない。
繁樹は中学に入るまでの辛抱やと歯を食いしばった。
村から離れた街の中高一貫校に受かれば寮に入ってこの村を出て行ける。将来のことはまだ何も考えていなかったが、まずは村を出て親元を離れるのが目標だ。
厳しくするのはお前のためだと両親は言うが、繁樹にはわかっていた。それがただの見栄からくるものだということを。
兄弟間で何があったのかわからないが、父親と叔父――保良の父――は表面上兄弟仲を取り繕ってはいるものの、裏では非常に仲が悪かった。
たぶん叔父のほうが頭が良いからかもしれない。
繁樹が高学年になってから知ったことなのだが、親類内での相談事は長男の父ではなく、次男である叔父に持ち込まれている。そのことで悔しい思いをしていた父親が繁樹に期待をかけ自慢するのは必然だった。
叔父は叔父で保良があんなふうだからさぞ情けなく悔しい思いをしているのだろう、笑顔で繁樹をべた褒めするわりに瞳の中には嫉妬が見え隠れしている。
子供の頃に大の仲良しだった繁樹と保良が今の状態になったのは、ただただ親たちのエゴのせいなのだ。
傘をさしていてもぼと濡れになるほど雨が激しさを増してきた。
目の前に広がる雑草に埋もれた古墓地は雨の白い紗がかかりよく見えない。
こんなふうではストレス発散にならない。やはり日を改めようと繁樹は踵を返し、ぬかるんだ坂道を戻り始めた。
坂を下りると地道に並行して流れる川からばしゃばしゃと音が聞こえた。川は丈高い茂みの向こうにあるので何が音を立ててるのかは見えないが、傘を打つ激しい雨音に混じって確かに聞える。水面を叩く雨の音でもなく、明らかに別の水音だ。
こんな日に川遊び?
まさかなと繁樹は首をひねった。ここは古墓地が近いせいなのか、川遊びや釣りに来るものを今まで見たことがない。
だからこそ秘密の場所にしたのだ。
だが、自分が知らないだけで、もしかして穴場なのかもしれないと、誰かいるのか確認するために茂みをかき分け河原に出てみた。
土砂降りの中、川の浅瀬に裸の子供が立っていた。魚を取るつもりなのか、じっと川の中を見つめている。
水嵩増えとるし、濁ってんのに魚らおらんで――あれ? あの子――
「おーい危ないでぇ、こんなとこで何やってんのや――」
繁樹は声をかけながら川のぎりぎりまで近寄った。
頭からびしょ濡れの子供が顔を上げた。胡麻粒のような小さな黒い瞳をきょろっと動かして繁樹を見る。
「うわっ」
これは人間やない。
繁樹は急いで茂みをかき分け、元の道に戻ると家路に向かってひた走った。
雨が激しさを増し、辺りが真っ白になる。視界が霞んで繁樹は足を止めた。
腹の虫がぐうっと大きく鳴いた。
「お腹空いたなぁ」
常日頃から空腹を口に出さない繁樹だったが、腹が減ってたまらなくなり思わずつぶやいた。
裏門から男衆に連れられ大倉家に入ったナナシは女子衆たちが立ち働く台所の土間に直に座らされた。
「おまつやん、用意したもんこの子に食わしちゃって」
年配の女子衆がつやつやの白米の握り飯の山が入った皿を持ってきて、一つをナナシに手渡す。戸惑いながら受け取って、それを頬張った。
しょっぱてもちっとしてて、こんなうまいもん食うたん初めてや、とナナシは嬉しくなった。
一つ食べ切ると次々手渡してくれ、喉が詰まりそうになると欠けた湯呑に入った水も手渡してくれた。
ナナシはおまつと呼ばれていた女子衆に微笑んだ。
こんなん食わしてくれんの、うちがここの子になるさかいやな。
土間に直接座らされても、欠けた汚い湯呑で水をもらっても、おまつが冷たい表情のままで笑顔を返してくれなくても、ナナシはそう信じて疑わなかった。
「うちの名前なんて付けてくれるんやろ」
満腹になり、ふうと一息ついてから、誰にともなくつぶやいた。
その言葉を聞いて土間の端で煙管を吹かしていた男衆と止まる間もなく立ち働く女子衆たちは大笑いした。
「お前に名前らあるか」
野菜を切りながらおまつがナナシに向かって吐き捨てた。
「お前はナナシいう名前やろ? ほいたらナナシやないか」
男衆が帯に掛けた袋に煙管を収めて笑う。
「定やん、そんなんゆうたら可哀想やで。『おはしらさん』やのに」
若い女子衆が言葉とは裏腹にくすりと嗤って仲間たちに目配せする。
おはしらさん?
ナナシは首を傾げた。
「そやな。こいつぁ沢路村の『おはしらさん』になるんやな」
きょとんとするナナシに目も合わせず、男衆が手を合わせて拝んだ。
わけがわからないままのナナシにおまつが、
「お前は『おはしらさん』いうて、これから土ん中へ埋められるんや。大雨降るたんびに暴れる川の神さんの贄や。
そやかいようさん米食えたんや、ありがたい思え」
それを聞いて、ナナシは顔色を変えて立ち上がり、出口に向かって走り出した。
それまで笑顔だった男衆の顔が鬼のように変貌し、逃がすまいとナナシの腕をつかんだ。
「お、おとやん、おかやんがうちに会いに来たら、ど、どうするんや――」
「心配いらん。旦那さんがいらん子おるか訊いたら、お前のおとやん、真っ先にお前を指さしたんや。柱にするんも知っとるで、なーんも心配いらんわ」
男衆が大口を開けて嗤った。
「お前は旦那さんが買うた人柱や」
男衆に続いて、おまつがふんと鼻で嗤った。
な、なんやこれ――
突然なだれ込んできた見知らぬ記憶で息苦しくなった繁樹は傘を落としてその場にしゃがみ込んだ。激しい動悸で胸が痛くなり、視野が暗く狭まってくる。
あっという間に全身がぼと濡れになったがどうすることもできない。
暗闇に囲まれてしまった繁樹の耳に自分の息切れに混じって静かな読経が聞こえて来た。
身体を打つ雨の音もするが、路上でうずくまった体勢ではなく、手足をくくられて深い穴の中にいるような感覚だ。
ばさばさと頭の上から雨とともに何かが降って来る。濃厚な土の臭いで、これはナナシが『大倉のおはしらさん』として埋められている記憶なのだとわかった。
「まだまだや、もっと土被せえ。はよせな大雨降ってくるで」
旦那さんの声がした。
胸の下あたりまで埋まっていたが、頭に被さる土は流れ込んでくる雨水で洗い落とされていく。
見上げていると丸い穴の口から再び土の塊が落ちて来た。
一瞬目の前が暗くなるもすぐ激しい雨水で流れ落ち、穴を覗く旦那さんや男衆と目が合った。
旦那さんの顔には連れて来られた時の優しい表情は欠片もなく、ただただ冷たく険しい表情が浮かんでいた。
「こっち睨んどる」
震える男衆の声に旦那さんは、
「はよ土かけぇ、もっとや、もっとぉっ」
と厳しく命令した。
スピードアップして土がかけられていくも、雨量が上回り、なかなか頭まで埋まらず、いつまでも丸く切り取られた暗い空と穴の縁から流れ込んでくる泥水、そして旦那さんや男衆の怯えた顔が見えていた。
読経がひときわ大きくなった。
大量の雨に濡れた土は粘くて重い泥に変化していた。それがどんどん被せられ、鼻や口から泥土が容赦なく体内へと押し入ってくる。
とうとうナナシは頭の先まで埋まってしまった。
命の火が消える瞬間に思い出したのは、おとやんの顔でも、おかやんの顔でも、兄弟姉妹の顔でもなく、岩場や木の洞に隠した『食料』のことだった。
このナナシの埋められた場所が古墓地のある土地の一角であり、人柱を立ててからは川の氾濫が起こることなく、沢路村はようやく安全で平穏な村となった――
ナナシの記憶は終わったが、繁樹は息ができずにそのままずっとうずくまっていた。呼吸しようにも鼻や口に何か詰められたように塞がれ、まったく息が吸えない。
「た――すけ――」
その時、身体を打つ雨が止まった。
辛うじて顔を上げた繁樹は傘を差しかける心配そうな保良を見た。
「繁樹っ、大丈夫か? 繁樹っ」
大声の呼びかけでとたんに呼吸が楽になり、胸いっぱい空気を吸い込んだ。
「だ、大丈夫や――」
「ほんまか? こんなとこでどうしたんや――」
見渡すと分校のそばにある畑の横にいた。
「なんもない。もうほっといて――」
沢路川で見たものや、脳内に流れ込んできた昔の出来事を誰かに話したかったが、それは保良ではない。
こいつに言うたら、お前頭おかしなったんちゃうかって絶対嗤われるし、そもそも僕の話ら真剣に聞いてくれへん。
繁樹は立ち上がると転がっていた自分の傘を拾った。
「そやけど、ものすごう顔色悪いで。お前もなんかあったんか?」
保良の言葉に繁樹はふと目を上げた。
「お前も、って?」
「おれもいろいろ悩みあってな、誰にも言えやんし、くよくよしてたら、ものすごう腹減ってな、気ぃもなんか変になって、食えやんようなものまで食いたなってきて――
そやかいお前もか、思たんや――」
「そん時、保良はどうしたん?」
「話すだけでも気ぃ楽になるて真綾に言われたんで、今まで溜めてたこと聞いてもろた」
「へえ、あいつが――珍しこともあるんやな」
保良が、そやろと笑って、
「もしお前もおれと同じやったら話聞いたるで。ま、おれに話してもなぁんも解決せんやろけど――」
だが繁樹は保良から目を逸らせた。
「――僕、お前のこと嫌いや。それはお前もやろ?」
「うん、まあ、そやな――
なあ、繁樹、おれら子供の頃仲良うしてたやん。だんだん大きぃなってきてもお前の態度は変わらんかった。やのに、おれ、先にお前のこと嫌うてしもた――それはな、親に、繁樹は賢い、繁樹が良え、お前みたいな子いらんって、ずっと言われてて悔しかったからや」
「保良――」
「ほんまはお前が憎いわけやないんや。そらちょっとは嫉妬したで、意地くそ悪いこともしたけども――って、今頃こんな言いわけしてもしゃあないけどな」
そう自嘲する保良に、繁樹は「ぼくも意地悪いこと言うたで、お互いさんやな」と言って、ふふっと笑った。
それからさっき川で見たものや脳内に浮かんだ昔の出来事『大倉のおはしらさん』にシンクロして具合が悪くなったことなどを説明した。
その間保良は馬鹿にしたり、茶化したりすることなく、いつもと違う真剣な顔でうなずきながら話を聞いてくれていた。
「なあ、それて多恵とか邦子が休んでるんと関係あるんかな。べつにあいつらどうでもええけど――
なんやこの頃、近所のおっさんらもおかしなったような気ぃもするし」
保良の言葉を聞いて繁樹はうなずいた。
そう言えば、ここ最近の両親の言動も厳しさを超え、異常さを増した。しかも常に腹を空かせ、朝昼晩を問わず飯をかき込んでいる。そんなこと以前にはなかったことだ。
「確かになんかおかしなって来てるな」
だが、どう対処すればいいのか、繁樹にはまったく見当もつかなかった。
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