凶兆

黒駒臣

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 きょうも森本さん休みだった。もう三日目――
 真綾は研ぎ終えた米を炊飯器にセットしながら多恵のことを考えていた。
 べつに彼女を心配しているわけではなかった。この村に漂う怪しい気配が徐々に濃くなってきていたからだ。
 こんなことママや先生たちには言えないし、繁樹や保良、ましてや悪口や意地悪を仕掛けてくる邦子になど言えるわけがない。頭がおかしいやつと嗤われ、言い触らされるのが落ちだ。
 水滴の残る手をタオルで拭いてから、真綾はテーブルに広げた算数の宿題に取りかかった。
 でも、森本さんがいないと邦子も元気ないよね。嫌味も何となくさえないし――やっぱ子分がいないと調子が出ないもんなのかな。
 それにしてもあの意地の悪さにはほとほと感心するわ。
 ま、わたしの徹底無視でいらいらしてるみたいだけどね。爪噛みするからすぐわかるわ。いい気味。
 真綾はくすっと笑った。
 家の前で母の軽自動車のエンジン音が止まった。
 校長先生が手配してくれた借家は古いが一軒家で、玄関の前には駐車スペースがあった。
 すぐ引き戸の開く音がして「ただいま」と母、里佳子の声がした。
「おかえりー」
「ごめんごめん、遅くなった――あっ、ご飯炊いてくれたの? 助かるぅ、今朝仕掛けていくの忘れてたのよ」
 手作りの布バッグからタッパーを取り出してシンク横の調理台に並べていく。
 真綾はそれらを覗き込んで歓声を上げた。
「うわぁ、ポテトサラダ、え、トンカツまで? 鈴木先生のおかずおいしくて楽しみっ」
「そうなの。夕飯分も作ってくれるからほんと助かってる。その分、雑用で残業するけどね。
 でもね、鈴木先生、給食も夕飯もだから飽きてくるでしょって申し訳なさそうに言うのよ――そんなことないよね」
「ない。ない。ずっと食べたいよ」
「ま、あつかましいわね――と言いつつ、実はママも」
 顔を見合わせて二人、うふふと笑った。
 週一回隣町からの移動販売で購入した他の食材――分校に併設された鈴木家で保管させてもらっている――を冷蔵庫に片した後、里佳子がエプロンを着けた。
 まな板と包丁の用意を始めたので、真綾は冷蔵庫の野菜室からラップを巻いたキャベツの切り残しを取り出す。
「ねえママ、この間から訊こうと思ってたんだけど――」
「なあに?」
 キャベツを千切りしながら里佳子が振り向いた。
「ママ、よそ見しちゃだめだよ。ただでさえ包丁苦手なんだから」
「わかってるわよ。で、なに? 訊きたいことって」
 真綾は母親の危なっかしい手元を見つめながら、
「『大倉のおはしらさん』って何なのかなと思って?」
「え、なにそれ? 大倉? 圭吾君の家となんか関係あんの?」
「いや、それはこっちが聞きたいことで――」
「あ、そういえば、昨日校長先生が保良を叱るのにそんなこと言ってたわ――
 子供たちを戒める言葉なのかしら。怖い伝説でもあるのかしら。山深い田舎ところだしね」
 里佳子が手を止めて笑う。
「伝説か――だとすると、悪い子は大倉家の柱にされるってこと? うわぁ、なにそれ怖っ」
 真綾はこの村特有の闇を知った気がし、不穏を感じているのは正解なのだと確信した。そのだんだん濃くなってくる不穏に警戒しなければと思った。
「大倉家って代々名主だったんだって。あの大きなお屋敷といい、今でも充分威厳があるみたい。
 でもあなたはそういうこと言っちゃだめよ。大倉家の人が聞いたらあんまりいい気しないから」
「わかってる。だけどそんな代々続くおうちの子なのに圭吾は威張ってなくていい子だよ。純粋で、無邪気で」
「ほんとそうね、お母さんのしつけがいいんじゃないの? ところで、みんなとうまくやってる?」
 千切りを再開して里佳子が問う。
「う――ん。まあ、ね」
 母親に心配をかけたくなくてクラスに馴染んだ振りをしていたが、突然の質問に歯切れの悪い返答しかできなかった。
 離婚する前から娘が他の生徒から浮いているのに気付いているようだったが、様子を見守ってくれていた。今回の赴任はもしかして自分の心機一転というより真綾のためかもしれないと思うと心苦しかった。
「あ、痛っ」
 里佳子が左人差し指をくわえた。
「大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫、ちょっと切っただけだから――でも――ほんと、ママ料理ダメね――だからパパ、料理上手な女と――でもそれってママや真綾を捨てる理由になる? だって付き合い始めた頃、ちゃんと告白したのよ。わたし料理が下手だよって。それでもかまわない、僕の口を君の料理に合わせていくって言ったのに――
 それに、本当は息子が欲しかっただなんてっ。何よそれっ、こんなかわいい娘がいるのによく言えたものだわ。
 はっ、いくら望みの息子が出来たからって、不倫の果てに出来た子なんかろくなもんじゃないわっ」
 目が据わった里佳子がまな板に包丁を叩きつけ始めた。
 キャベツの破片が辺りに飛び散る。
「ママっ」
 真綾の大声に里佳子がはっとなって手を止めた。
「あらやだ、わたしったら何してんの?
 ああ、お腹空いたっ、早く準備して食べよっか」
「うん。その前にこれ」
 真綾は食器棚の小引き出しから取り出していた絆創膏を里佳子の指に貼った。
「ありがとう」
「ねえ、わたしたちはパパに捨てられたんじゃないよ。わたしたちがパパを見限ったんだからねっ。そこ忘れちゃだめだよ」
「うん、わかったわ真綾」
「あと――ママの気持ちもわかるけど――子供はどんな生まれでも、みんなかわいくていい子なんだよ」
「そ――そうね――意地悪なこと言ったわ。こんなママ見たくないよね。ほんとごめんなさい」
 里佳子がいつもの穏やかな笑顔で微笑んだ。
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