ある男の物語

三枝麻衣

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妖精

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 少女はおそるおそる、くさむらへ足を踏み出した。純白じゅんぱくのワンピースが、木漏こもれ日にきらめく。腰まで伸ばした、淡い桜色の髪が揺れる…汚れないようにスカートの裾を両手で掴み、少女は歩き出した。
 川のせせらぎと鳥の鳴き声に耳を澄まし、目を閉じる。出迎えるように、深緑しんりょくの葉がそよぐ。自然の息吹いぶきを身に受けて、少女は柔らかく微笑んだ。
 空気を味わう為に深く呼吸し、そのまま両腕を横に広げて舞った。ある国で見かけた舞踊ぶよう真似まねたものだ。右足の爪先つまさきを立てて、左足を前に出し、爪先を軸に右へと回る。差し出した左足を半周させ、今度は左足の爪先を立てて左へ回った。二度、三度、くるりくるりと同じ動きを繰り返す。
 色彩しきさい豊かな花の中で舞う少女の横を、美しい羽根模様の蝶が飛び交う。透明な蝶の羽が、太陽の光に反射して輝きを帯びると、少女はその倍に目を輝かせて蝶の後を追った。
 陽光ようこうに照らされた蝶は、導くように先へ先へと羽ばたき、やがて彼方かなたへ消えて行く。川の上流が見える位置まで来たとき、少女は立ち止まり、顔を歪めた。視線の先には、鎧姿の男が出迎えるようにたたずんでいる。
 妖精にとって、人間は大敵だ…そう伝えられる時代は終わった。種族の別を問わずに交流し、親睦しんぼくを深め、婚姻こんいんも容易になった。生活を共にするようにもなった為、今や互いに顔を合わせるのは至極しごく当然のことだ。
 だからこそ、少女は男を知っていた。問わずとも、男が誰であるか瞬時に理解出来た。

「…あなたは…」

 少女の目の輝きが、溢れる涙に変わる。男は、立ちすくむ少女に歩み寄った。少女は一歩、後退あとずさりしたが、それ以上は動かない。
 開いた一歩分の距離を少しだけ詰めると、男は少女の目から流れた涙を、そっと指で拭った。それからその手を、頭の上に乗せて軽く撫でる。てのひらに温もりは無く、氷のように冷たい。しかし体格の良い男の、腰ほどの位置にいる少女には抵抗も出来なかった。
 手が頭から離れると、少女は首を横に振る。見上げて、悲痛に歪んだ顔を向けた。何かを言おうとして、唇を開きかけるも、そこで止まる。
 何かを言いあぐねている少女を、男はただ黙って見つめていた。やがて、手持ちの小袋から何かを取り出すと、それを少女に差し出した。

「形見だ」

 言葉に、少女は目を見開いた。視線を手元に落とすと、楕円形の小さな翡翠ひすいが、陽光を受けて透けて見える。先は小さな鎖で一つ一つ繋がれている…ネックレスだった。
 受け取った様子を察して、男は再びその頭に手を乗せると、すぐに離れて元来た道へ背を向けた。

「待って…お願い、行かないで!」

 少女は男の背に呼びかけた。しかし、男が立ち止まることはない。
 声を震わせて、少女はもう一度、その背に呼びかけた。

「行かないで!」

 無情にも、男は立ち止まらずに去って行く。徐々に小さくなっていくその背を、少女は追い駆けた。
 その時、少女の手に持つ翡翠の宝石が、眩い程の輝きを放った。宝石の輝きは増すばかりだ。輝きは、驚いて立ち止まる少女を包むように…否、それは真に迫り、包んでいく。
 何かを察知して、少女は宝石を手放した。だが宝石は少女から離れなかった。叫ぶ間もなく、少女は宝石の輝きに飲み込まれ、姿を消した。主を失くした宝石は、翡翠の色を濁らせて、川の水底みなそこに沈んで行く。
 …離れたところで立ち止まり、男は終始をじっと見届けていた。強くなる川の潺と、異変に気付いた小鳥のさえずりが、周囲を騒々そうぞうしくさせる。少女以外に人の気配が無いことを確認すると、男は先程まで妖精のいた方向へと歩き始めた。
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