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革命編 三章:オラクル共和王国
交渉の策略
しおりを挟む大商人リックハルトとの交渉に打って出たクラウスは、思わぬ交渉を行う。
それはガルミッシュ帝国のローゼン公爵家が本部経営する『赤薔薇の貴婦人』の魔石に関する貿易の一部を、『旅の運び屋』と提携し利益共有するという、とてつもない取引だった。
それを聞いたリックハルトは思わず腰を上げ、驚愕した表情のまま硬直する。
しかしすぐに落ち着きを取り戻し、冷静な表情に戻りながら椅子に腰を降ろして話を続けた。
「――……大変、魅力的な御話ですね」
「そう思いますか?」
「『赤薔薇の貴婦人』は貿易に関する搬送業を、全て自領だけで担っていらっしゃる。それ故に魔石を始めとした貿易の利益は、全てローゼン公爵家と帝国に莫大な形で齎されているとか。……その魔石の貿易に関われるのであれば、私共の商会も更なる発展が見込める事でしょう」
「では、この交渉を受けてくださいますか?」
「ええ、是非とも御受けしたいところです。――……この話が、本当に成立すればの御話ですが」
リックハルトは鋭い眼光を向けながら表情を引き締め、クラウスを見つめる。
その目は腕利きの商人が観察眼を高めた証明であり、また取引相手に対して強い警戒と不信感を抱いたのだとワーグナーは察した。
そうした状態で、リックハルトは口調を強めながら述べる。
「確かに、貴方は『赤薔薇の貴婦人』の関係者である事は疑いません。……しかし、魔石の貿易に関する権利を一部でも取り決められる程の権力を商会内で有しているとは、とても考え難い」
「……なるほど。確かに、こんな資材運搬を請け負っているのだ。下っ端だと思われるのは、無理もないな」
「仮に御受けしたとしても、今回の交渉に応じる証明として貴方には誓約書を書いて頂くことになる。しかし誓約書が末端構成員の捺印で記されているモノであれば、『赤薔薇の貴婦人』は今回の交渉を認める事はないでしょう。違いますか?」
「確かに、その通りですな」
「私としましては、今回の交渉事に『赤薔薇の貴婦人』を治める商会長の直筆の証明、捺印が施された契約書でなければ。『旅の運び屋』商会として、この取引に応じる事はできません」
「……」
「この取引を成立させるのであれば、『赤薔薇の貴婦人』の商会長。現ローゼン公爵家当主、セルジアス=ライン=フォン=ローゼン殿の証明を頂きます。……その点を、御容赦して頂きたい」
リックハルトは強い口調で語り、頭を下げながら今回の交渉に関する返答を述べる。
それを聞いていたワーグナーは、僅かに表情を顰めた。
仮に今回の取引を保留にしてローゼン公爵領地に帰還し、セルジアスに誓約書を渡して証明を記してもらうとする。
そして再び王都へ訪れてリックハルトと交渉を行う過程で、短くとも四ヶ月以上の期間が必要となるだろう。
四ヶ月ともなれば、急速に発展するオラクル共和王国の様相は読み難い。
そして黒獣傭兵団を庇った為に迫害を受けている者達の状況も、悪化している可能性が高まるのだ。
それを考えるワーグナーの感情は暗くなり、表情を強張らせながら僅かに歯軋りを鳴らす。
しかし隣に座るクラウスを見た時、ワーグナーは驚きの表情へ変わった。
クラウスの表情は、自分とは真逆。
その口元を微笑ませながら余裕に満ちた表情を浮かべるクラウスは、笑いの息を漏らしながらリックハルトに話し掛けた。
「ふっ。……リックハルト殿、御存知ですかな?」
「?」
「『赤薔薇の貴婦人』は、ローゼン公爵家が十三年前に立ち上げた商会です。……しかし商会の代表者として、三名の名前を商会長として立てている」
「……商会長が、三名?」
「ええ。というのも、様々な理由がありましてな。商会は大きくなるにつれて、国内や国外で行う業務や情報が膨大化してしまったのです。そこで商会内の部署を分け、国内取引・国外取引・商品開発の三点において、商会長を設ける事になったのですよ」
「……!」
「帝国内部の権利に関しては、貴方が御存知の通り。セルジアス=ライン=フォン=ローゼン殿が商会長として勤めています。……ちなみに、商品開発を務める商会長。それがセルジアスの妹である、アルトリア=ユースシス=フォン=ローゼン殿です」
「!!」
「では、国外取引に関する商会の権利は誰が保有していたのか。……分かりますかな?」
「……クラウス=イスカル=フォン=ローゼン……!」
「そう、ローゼン公爵家の前当主。クラウス=イスカル=フォン=ローゼン。……つまり魔石取引に関する権利は、外部取引を務める商会長が担っているのです」
クラウスは笑みを浮かべながらそう語り、魔石に関する貿易売買の権利がセルジアスに無い事を語る。
それを聞いて僅かに驚きを秘めたリックハルトだったが、すぐに冷静な面持ちで会話を切り返した。
「……なるほど、商会を部門毎に分けた経営ですか。……しかし、その外部取引の権利を持つ商会長クラウス氏は、数年前に帝国で起きた内乱にて死亡しておられる。その権利は別の方に……現当主であるセルジアス殿に委譲されたのでは?」
「ふっ、はは……っ」
「……何がおかしいのです?」
「いえいえ。……実は、セルジアス殿は御多忙なようで。正式には引き継がず、外部取引に関しては『代理』という形で業務を代行しているだけなのです。……つまり外部取引に関する権利を有する『商会長』は、現在でもクラウス=イスカル=フォン=ローゼンの名義となっているのですよ」
「!」
「つまり、『赤薔薇の貴婦人』の外部取引を担う商会長。クラウス=イスカル=フォン=ローゼンが今回の交渉に関する正式な許可をしたと証明すれば、貴方は私の取引を受けて頂ける。そういう話でしたな?」
「……まさか、貴方は……!!」
弁舌を振るうクラウスの様子を見て、リックハルトは過去の出来事を思い出す。
それは二年前、彼がマシラ共和王国に滞在していた時に起きた出来事。
ガルミッシュ帝国がベルグリンド王国と戦争状態となり、その最中に帝国側で内乱が起き、ローゼン公クラウスが死去したという話。
その際にクラウスの娘アルトリアは父親の死を聞いて取り乱し、宿に籠り伏せるようになった事実をリックハルトは知っていた。
しかし一ヶ月程の時間が経つと、アルトリアが精神状態を戻してリックハルトと対峙する。
その精神的な復活にどのような兆しがあったのか深く詮索しなかったリックハルトだったが、今まさにその理由が目の前に居る事を察した。
そうしたリックハルトの察しを理解したのか、クラウスは微笑みを強めながら述べる。
「さぁ、リックハルト殿。誓約書でも何でも、用意して頂いても構いませんぞ。――……すぐに私が、直筆でも血判でも証明をしてやろう」
「……!!」
「だが、誓約書に一筆だけ加えさせてもらう。――……私の正体が共和王国の内外に関わらず漏れた場合、この取引は無効。貴方が店を出す国には、二度とローゼン公爵家の貿易品は届く事は無くなるだろう。各国には、その理由も丁寧に添えさせて頂く」
「な……ッ!!」
「どうするね? リックハルト殿。……なんならこの取引、別の商会に持っていっても私は一向に構わんのだぞ?」
クラウスは不敵に微笑みながら、リックハルトに交渉と称した脅しを掛ける。
それは貿易を行う商人としての生命を終えるに等しい脅迫であり、もし断れば他の商会と大きな差が開き、『旅の運び屋』商会が衰退していく未来を鮮明に見える話だった。
更にクラウスが帝国に戻らなければ、ローゼン公爵家は彼の身に何かが起きたのだと察するだろう。
それすらもリックハルトと商会には危ぶまれる状況であり、この取引が全て無効となってしまう可能性を示していた。
リックハルトはこの時点で、クラウスの術中に嵌ってしまった事を悟る。
赤薔薇の貴婦人の商号を持つ相手を商人として無視できず、更に取引相手となる商会長本人が脅迫に赴いていれば、どのような理由があっても断れるはずがない。
大商人だからこそ嵌ってしまった策略に対して、リックハルトは目の前の人物と過去のアリアの姿が似た形で重なるように見えた。
そしてローゼン公爵家の親子に敗北した事を察し、諦めにも似た境地に至りながら身体から力を抜いて返答を零す。
「――……分かりました。誓約書を、御用意いたします」
「そうか。感謝するぞ、リックハルト殿」
「いえ……。……ただし、御約束は守って頂きます。必ずね」
「ああ、取引で嘘は吐かんよ。それが商売を行う者の鉄則だ、そうだろう?」
「……ええ。そうですな」
不敵な笑みを見せるクラウスに対して、リックハルトは疲弊した様子で頷く。
そして立ち上がったリックハルトは客間の外で控えていた従者に命じ、二枚の羊皮紙とインクを持参してクラウス達の前で誓約書を書き始めた。
リックハルトは秘密を共有する協力者に仕立て上げるという、クラウスの詭弁と策略。
それを間近に見ていたワーグナーは、驚愕と共に寒気を感じながら呟いた。
「……まったく。厄介な奴が、帝国にも居たもんだぜ……」
「何か言ったか?」
「いいや、味方だと頼もしい限りだよ。アンタは」
「ふっ。敵のままでなかった事を、感謝するといい」
クラウスとワーグナーはそう語り合い、互いに嫌味な微笑みを向け合う。
そしてクラウス自身も誓約書に例の条件を書き加え、リックハルトと共に署名と血判を捺した。
こうしてクラウスは、リックハルトに持ち掛けた脅迫を成立させる。
そして正式にクラウス達一行は『旅の運び屋』の名によって保障された偽名の傘下商会として所属登録し、共和王国内の滞在と行商の権利を得ることになった。
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