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螺旋編 閑話:舞台裏の変化

瞼の裏側 (閑話その五十)

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 老騎士ログウェルがベルグリンド王の妹リエスティアと対面してから、一日が経った昼頃。

 ユグナリスとリエスティアが過ごす別邸に、本邸の屋敷に滞在していたローゼン公爵セルジアスが訪れるという連絡が届く。
 それに伴いローゼン公爵家が抱える近衛騎士が二十名以上も先に訪れ、屋敷周辺の監視と警戒を強めた。
 更に近侍の者達に騎士達は命じ、リエスティアとユグナリスを定刻に客間へ連れて来るよう命じられる。
 その際にユグナリスは、奇妙な事を頼み伝えられた。

 それを承諾したリエスティアとユグナリスは共に待機し、セルジアスが別邸に到着した事を伝えられる。
 更にログウェルも客間へ呼ばれ、この四名のみで対談が行われた。

「――……突然の呼び出しに応じて貰って、悪かったね」

「いえ……」

「ローゼン公。急な訪問と聞きましたが、俺とリエスティアが何か……?」

 屋敷周辺が厳重に警戒された状態になった事にユグナリスは気付き、何事かと尋ねる。
 その答えを述べる前に、セルジアスは窓際に立つログウェルと視線を合わせた後、リエスティアの方へ視線を向けて話し掛けた。

「リエスティア=フォン=ベルグリンド殿」

「は、はい……?」

「貴方は先日、隣に居るユグナリスに贈り物をしたそうですね?」

「え……? 手拭いの、事ですか……?」

「はい。――……ユグナリス。その手拭いを、持ってきてくれたかい?」

「は、はい。こちらですが……?」

 リエスティアが贈った刺繍入りの手拭いを持参するよう求められていたユグナリスは、それを机に広げながら置いてセルジアスに見せる。
 何の変哲も無い手拭いながら、見事な赤薔薇と薄紅の雛菊デイジーが縫われた刺繍を見ると、セルジアスは表情を強張らせ眉を顰めてリエスティアに聞いた。

「……リエスティア姫。貴方はこの刺繍を一人で縫われたと聞きました。本当でしょうか?」

「は、はい。……あの、ユグナリス様に贈り物をしては、駄目だったのでしょうか……?」

「そういうわけではありません。……お聴きしたいのは、この縫われた刺繍です」

「え……?」

「まずは、赤い薔薇を縫われた理由を教えて頂きたい」

「え、えっと。ユグナリス様から、ガルミッシュ帝国皇族の華家紋が、赤い薔薇だと聞いていましたので……」

「そうなのかい? ユグナリス」

「あっ、はい。華家紋の事を、リエスティア姫に御話した事はあります」

「そうか。ならこの赤い薔薇が縫われているのは、ユグナリスへの贈り物として不自然ではありません。――……ただ、もう一つ縫われていますよね?」

「は、はい」

「どうして雛菊デイジーを縫われたのです? しかも赤色でも白色でもなく、薄紅色ピンクを」

「……それは、その。……私は、今は目が見えません。でも、瞼を閉じるようになってから時折、焼き付いたようにモノを視る事があります」

「焼き付いた……?」

「嫌なこと……。怖いこと……。昔に見た光景を、思い出すように思い浮かべ、視てしまう事があるです……」

「……リエスティア……」

 リエスティアが見えない目で恐れる過去の光景を今も見ている事を聞き、ユグナリスが心配そうな表情を浮かべる。
 セルジアスはそれを聞いて、再び尋ねた。

「つまり、この薄紅色の雛菊デイジーも同じように昔に見た物を縫ったという事でしょうか?」

「は、はい」

「どうして嫌な光景ものとして見ていた花を、刺繍に縫い入れたのです?」

「いえ! この雛菊デイジーは、違うんです……」

「?」

「……怖い物を思い出す時、私の瞼にこの雛菊が思い出される事がよくあります。それを視ると、とても落ち着くのです……」

「落ち着く、ですか。どうして薄紅の雛菊デイジーが、落ち着くのか聞いても?」

「……よく、分かりません」

「分からないというのは、どういう意味でしょうか?」

「……」

「ロ、ローゼン公! リエスティアが怯えていますから……」

「ユグナリス、君は黙っていなさい」

「!」

 リエスティアに詰め寄るように問い質すセルジアスの言葉の強さに、隣で聞いていたユグナリスが横から止めようとする。
 しかしそれを強く制止されると、セルジアスは改めてリエスティアに聞いた。

「リエスティア姫。貴方はどうして、この薄紅色の雛菊デイジーを視ると心が落ち着かれるのです?」

「……」

「貴方は視力を失ったのは、十歳にも満たない年齢だと聞いています。つまりそれより前に、貴方は薄紅の雛菊デイジーを落ち着ける環境で見た事があるのですね?」

「……それは……」

「貴方が雛菊それを見たのは、貴方が暮らしていたという孤児院ですか? それとも、引き取られたという里親の場所ですか?」

「……」

「リエスティア姫、どうか御質問にお答え頂きたい。――……それとも、話せない理由が有るのですか?」

 セルジアスは鋭さを宿した視線と真面目な表情で、リエスティアにその質問を続ける。
 しかしリエスティアはそれに答えようとせず、口を噤んだまま一言も発しなくなった。

 質問に答えないリエスティアの態度を見たセルジアスは、一つの溜息を漏らしながら伝える。

「――……リエスティア姫。残念ですが、貴方にはベルグリンド王国へ戻って頂きます」

「!」

「え……っ!?」

「この質問に御答えしてもらえないのであれば、そのように措置するしかありません。残念ですが、和平に基いたユグナリスと婚約という話も白紙にさせて頂きます」

「ロ、ローゼン公!?」

「これはガルミッシュ帝国宰相として権限に基づいた発言です。皇帝陛下にも私から理由を述べれば、すぐに御許可を頂けるでしょう」

「……っ」

「……そうですか。残念です」

 セルジアスは事を強行するように述べ、リエスティアに質問を答えさせようとする。
 しかし戸惑いながらも口を噤んでいるリエスティアの様子を見て諦めた表情を見せたセルジアスは席を立ち上がり、客間から出て行こうとした。 

 それを止めたのは立ち上がるユグナリスであり、セルジアスの肩を掴み止める。

「待ってください! セルジアス兄さん!」

「……ユグナリス」

「幾らなんでも、横暴が過ぎますよ!? 貴方だって、彼女の過去を御聞きしているのでしょう!?」

「いいや。私や君は、彼女が明かした事しか聞いていない。――……そして彼女は、まだ自分の過去を隠している」

「!」

「それが明かされぬ以上、彼女は帝国内部に留めるのに危険な因子として措置を行うしかない」

「ま、待ってください!! 彼女の、リエスティアの何が危険だと言うのです!? 彼女が縫った雛菊デイジーが、どうしてそんな話に――……」

「――……分から、ないのです……」

「!」

 言い争う二人の声が室内に響く中で、小さな声でリエスティアは呟く。
 それを聞いた二人はリエスティアを見ると、再びその口が動き言葉を語り始めた。

「……私にも、分からないんです……。……雛菊それを、見た場所が……」

「え……?」

「……どういう事か、御伺いしてもよろしいですか? リエスティア姫」

「……私は、四歳から五歳頃まで、孤児院で暮らしていました……。でも、自分の両親や自分の生まれが何処か、何も知りません……」

「え……?」

「幼い頃で、身体も弱かったので、覚えていないだけかもしれませんが……。……私には、それ以前の記憶が無いんです……」

「……!」

「多分ですけど……。私が視る雛菊はなは、記憶が無い時に見ていたんだと思います。……だから、嫌な記憶とは逆に、落ち着けるのだと思います……」

 リエスティアが語る雛菊デイジーの話は、同時にリエスティアの更に幼い過去にも繋がる。

 孤児院で暮らし里親に引き取られ酷い暮らしをしていたリエスティアには、本当の両親や生まれの地に関する記憶が無い。
 しかし瞼の裏に焼き付いて視える過去の光景には、刺繍で縫える程に鮮明な薄紅色の雛菊デイジーが存在していた。

 それを語るリエスティアに対して、肩を掴むユグナリスを退かしながらセルジアスは再び向かい合う席に着く。
 しかし真面目で厳しい表情と声を崩すことは無く、更にリエスティアに言及した。

「――……もう一つ、お尋ねします」

「……はい」

「ウォーリス=フォン=ベルグリンド。彼は間違いなく、貴方の兄上なのですか?」

「……そうだと、聞いています」

「その言い方……。貴方御自身も、彼が実際に存在する本当の兄なのか、知らないのですね?」

「……はい」

「!!」

「貴方を初めて見た時、違和感はありました。拝見したウォーリス王とは髪色が違いますし、容姿的にも似た特徴が少ない。しかし全く容姿が似ない兄妹も稀に居ますから、貴方達もそうだと勝手に解釈していました。……私も迂闊でしたね」

「……」

「リエスティア姫。つまり貴方は、御自分の出身地や両親の事を覚えておらず、里親の下から自分の兄と名乗る人物に引き取られ保護を受けた。……しかし自分を引き取ったのが、実際の兄であるという確認は出来ていない。そういうことですね?」

「……はい」

「それを今まで隠していたのは、貴方がベルグリンド王の妹であるという身分保証を揺るがさない為。……いえ、里親に引き取られた悪環境で過ごしていた幼い貴方は、実際の兄ではない事を理解しながらも、そこから抜け出す為に兄と名乗る人物の妹となる事を受け入れたから。そういうことですね?」

「……はい。……ごめんなさい……」

「……リエスティア……」

 セルジアスの問いにリエスティアは答え、閉じた瞼の内側から涙を零して頷き認める。
 それを唖然とした様子で見ていたユグナリスは、驚きに包まれながらリエスティアの涙をただ見ているしかなかった。

 こうして客間の三人は、リエスティア=フォン=ベルグリンドの過去を聞く。
 それは目が見えず足を動かせない哀れな少女が、一筋の光に縋る為に吐いた嘘を暴くことになった。
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