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螺旋編 閑話:舞台裏の変化

若者の青春 (閑話その三十五)

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 人間大陸の各国で大多数の人々が悪夢を見たという情報が流れる中、悪夢を見ない者達も居る。
 特にその人数が多かったのは、ガルミッシュ帝国とベルグリンド王国の人々だった。
 それ故に悪夢を見た事自体が国の上層部まで話題に上らず、特に年若い者達しか見なかった事で異変とすら認識されていない。

 そして悪夢を見ていない帝国皇子ユグナリスは、軟禁状態で過ごすローゼン公爵領地の屋敷周辺で日課の訓練を終えて身嗜みを整えると、いつものように別邸を借り暮らすベルグリンド王国の姫リエスティアと対談を行った。

「――……リエスティア姫、こんにちは」

「いらっしゃいませ、ユグナリス様」

 面会する部屋に訪れたユグナリスは、車椅子に座り瞼を閉じる黒い長髪のリエスティアに迎えられる。
 二人が見せる表情は始めの頃に比べると柔らかく、また何処か嬉しさと楽しさを宿らせていた。
 
 互いに帝国皇子や姫という立場ながらも、この対談で互いの本音を隠すことなく語り合っている。
 それ故に堅苦しい雰囲気や濁す言葉も無く、また腹芸のような裏表がある交渉なども行わない。

 ただ歳の近い男女が身近に起きた事を語らい、自分自身の事を話す。
 そんな他愛も無い話を行える場は、ユグナリスにとって新鮮なモノを感じさせていた。

「――……リエスティア姫が、とても話し易い方で良かったです」

「そうなのでしょうか?」

「はい。私は幾度か女性と対面し話す機会はありましたが、どれも立場を抜きに談笑は出来ません。……ただアルトリアの場合は、それに含まれませんでしたが」

「アルトリア様とは、どのような御話を?」

「喧嘩ばかりでしたよ。私の好きな菓子や紅茶を用意したら匂いと味が甘過ぎると拒否したり、礼儀作法が全然なってないとけなされたり、着ている腹がダサいと蔑まれたり……」

「アルトリア様は、甘いモノがあまりお好きではなかったのでしょうか?」

「そうですね。甘い菓子よりも、少し苦みを含んだ菓子が好きだったようです。チョコレートやココアなどを、好んで食していたと思います」

「そうなのですか。……アルトリア様は罵倒の多い方だったようですが、ユグナリス様の礼儀作法を指摘できる程、ちゃんと作法を出来ていたのですか?」

「ええ。少なくとも私が見た限り、文句の付けようも無かったです。そうした猫かぶりの顔を知らなければ、私はアルトリアこそ淑女の見本になれるとさえ思っていたでしょうね」

「服のことも仰られていたということは、そうした事もお詳しかったのですか?」

「服のことは、よく分かりません。私は与えられた服を着ていたのが普通だったので。……ただアルトリアの身に付ける服は、確かに似合うと言えるモノが多かった。癪ですけどね」

「服選びが御得意でしたら、ユグナリス様もアルトリア様に服を選んでもらうことなどは……?」

「一度も無かったですね。逆に私から幾つかドレスや装飾品を贈らせた記憶はあるんですが、どれもダメ出しをされた上で送り返されました。そうした事があったので、二度とアルトリアには贈り物をしないと誓っています」

「あはは……」

 ユグナリスはそうしたアルトリアの愚痴を語り、リエスティアはその話を聞きながら苦笑を浮かべる。
 そこで何を思ったのか、ユグナリスはリエスティアにある事を聞いた。

「――……そうだ、リエスティア姫」

「はい?」

「何か欲しいモノなどは、ありますか?」

「え……? 欲しいもの、ですか?」

「はい。既に三ヶ月ほど経ちましたが、こうした場所に居るばかりでは飽きもあるでしょう。何か欲しいモノや、暇潰しになるようなモノを御用意できればと」

「……いえ。必要なモノは、屋敷の方々に御用意を頂けているので」

「そうなのですか。……せっかくなので、私から貴方に贈らせて頂けるモノがあると思ったのですが……」

「……」

 少し残念そうな表情を見せるユグナリスは、声に寂しさを宿らせる。
 それに気付いたリエスティアは少し考える様子を見せた後、唇を動かし声を漏らした。

「……それでしたら、一つだけ……」、

「!」

「いえ。厳密には、一つではないのですが……」

「なんですか? 言ってみてください」

「……お裁縫の道具と、布地や糸があれば、欲しいと思いまして……」

「え?」

 小さな声でそう伝えるリエスティアの言葉に、ユグナリスは首を傾げ不思議と思う声を漏らす。
 それに気付き表情を下に向けたリエスティアは、その要望を取り下げようとした。

「い、いえ。やっぱり、いいです……」

「あっ、いえ! 申し訳ありません! ……ただ、その。リエスティア様は裁縫をなさるのですか?」

「……はい」

「失礼を承知で申します。……その瞳で、裁縫を嗜めるのですか?」

「はい。視力を失ってからは練習が必要でしたが……」

「それは……視力を失う前から出来ていたと?」

「元々、孤児院で暮らしていた頃から、そうした仕事をしていたんです」

「え……!?」

「私は身体が弱くて、身体を動かすことが人より出来ませんでした。でも手先は少し器用で、裁縫は出来たんです。それで細やかに仕事を貰い、まかないを頂いていました」

「そうなのですか……」

「兄に引き取られてから、王国で暮らすようになって。辛かった針仕事をする必要は無いと兄に言われたので、今はしていません。……ただ時々、お暇な時間に趣味で出来れば良いと思いまして……」

 裁縫道具を求める理由を話すリエスティアは、徐々に消え入りそうな声になっていく。
 それを聞いたユグナリスは少し考え、表情を微笑ませながら明るい声で聞いた。

「――……リエスティア様の兄上は、裁縫を絶対にしてはならないと言われているのですか?」

「え? い、いえ。そういうわけでは……」

「ならば問題は無いでしょう。私の方からローゼン公爵にお願いし、姫が裁縫道具を使う許可を頂きます」

「!」

「その上で、私から裁縫道具と使用する素材を揃えてお渡ししましょう。それで、宜しいですか?」

「……ありがとうございます」

 頭を下げるリエスティアは、ユグナリスに対して感謝を伝える。
 リエスティアの求めに応じられるよう張り切るユグナリスはその日の面会を終えると、すぐに手紙を書いて屋敷の家令に渡し、それを通じてローゼン公セルジアスに要望を伝えた。

 セルジアスは帝都の城に設けられた執務室でその手紙で受け取り、大きな溜息を漏らす。
 しかし特に目立った要望も無く今まで監視した中で奇妙な行動も無いリエスティア姫が口に出して欲したモノである事を一考し、その要望を叶える事に決めた。

 ユグナリスが手紙を出してから一週間後、その手元に包装された箱と色様々で鮮やかな布地と糸が届く。
 それをユグナリスは面会する際にリエスティアに渡すと、その瞳を閉じた表情はいつになく嬉しさを含んだ優しい笑みを見せた。

「――……ありがとうございます、ユグナリス様」

「……い、いえ。……良かったです。喜んでもらえて」

 リエスティアの笑顔を見た時、ユグナリスは僅かな胸の高鳴りを感じる。

 今までアルトリアに贈り物をしても悪態と共に拒絶され、更に非礼を行った女性に対して謝礼での贈り物しかしてこなかったユグナリスは、初めて女性に贈り物を贈った事で感謝され喜ばれるという経験をした。
 それが胸の高鳴りを生み、ユグナリスにも自然で優しい笑みを浮かばせる。
 
 世界に大きな異変に晒されていない者達にも、小さな変化が訪れる。
 ユグナリスとリエスティアの関係もまた、徐々に進展という名の変化を生じさせていた。
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