坊主が神に祈るとき

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第一話 木魚で告白

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 ピピピッ! ピピピッ!

 目覚まし時計のようなアラーム音が、焼き上がりを知らせた。オーブンから天板を引き出すと、芳ばしい小麦の香りがふわっと頭上を抜けた。

 天板に並んでいたのは、
 〝木魚〟
 に、そっくりなクッキーだった。その表面はもはや木材以外の何物でもない。彫刻刀で彫り込まれた、細い線の一つ一つが見事に再現されているミニ木魚だ。

 早速、味見をする。
 木肌に真っ白い歯が刺さると、
 サクッと心地よい音がした。

「うん。よく焼けてる、上出来」

 近江虎元このえこげんはそう言うと、四合瓶を取り出した。ラベルには〝ザ鬼不殺〟と書いてある。キャップを開けると、ステンレス製の水筒に、ドボドボと注いだ。少しコップにとり、日本酒でクッキーを流し込む。

 そして、ツルツルに剃り上げられた頭を、ペシッと叩いて言った。
「塩味がエセ日本酒にピッタシだッ」

 ハンガーラックに吊ってある、袈裟や、作務衣と言った、僧侶が着る服ではなく、黒いシャツに黒いスラックスを着込むと、黒いサングラスをかけた。
 伸縮性のある布地が、人間離れした筋肉によって、ピチピチに引き伸ばされた。

 虎元は、焼き上がったばかりの木魚クッキーの紙袋と水筒をバックパックに詰め、踊るようなスキップで車庫に向かった。プロレスラーでも簡単に組み伏せそうな、丸太のように太い手足の筋肉がブルンブルンと揺れるが、不思議なことに足音は聞こえない。

 車庫の端に止めてあったママチャリを片手でヒョイッと持ち上げ、そのまま車庫から出た。昼の強い日差しが、サングラスとツルツルの頭にキラリ反射した。

 ママチャリにまたがると、グイッと力を入れ、ペダルを漕ぎ出した。

 ベキッ!
 ペダルが根本から、ボッキリと折れた。

「おいおい、冗談だろ? これで何台目だ、最近の金属は脆すぎるだろ」

 車庫に戻り、折りたたみ自転車を見つけると、摘むように持ち上げた。
「軽っ」
 思わず声を上げる。

「仕方ない、こいつにしとくか。確か自転車マニアの檀家さんから貰ったやつだな。にしても、おもちゃ見てぇだな。大丈夫か?」

 小口径のやや太めのタイヤに、細いフレーム。それには〝Super Titanium〟と印刷されていた。

 まるでサーカスの熊が三輪車に乗っているようだった。大柄の虎元には小さすぎる。それでも虎元は、その小さ過ぎる自転車の上で器用にバランスをとり、ペダルを折らないよう慎重に漕ぎ出した。

「そーっと、そーっと、折れないようにっ、と」

 山頂にある寺の車庫から外へ出ると、すぐに山道になっていて、長い下り坂が続く。坂道が終るまでまずは転がっていった。止まったところで、やおらペダルを漕ぎ出した。
 すると、一見華奢に見えた折りたたみ自転車が、案外丈夫なことに気づいた。

「おおっ? 何だこの安定感は? これいけるかも」

 徐々に力を込める。
 それに合わせ、次第にスピードが上がっていく。
 そしてついに自転車はバイクのような速さになる。

「おおーっ、いいねいいね。ちっちゃいとスピード感が半端ねぇ」

 ペダルを上下させる太い脚は、V6エンジンのクランクシャフトのようで、小口径の車輪が唸りを上げて回転している。バス、トラック、スポーツカー。次々に車を追い抜きつつ、長い坂道を登っていく。ちょうど山頂に差し掛かったとき、勢いのあまり、車体が大きくジャンプ、
 ドスン!
 と、着地するとこんどは、下り坂を落下するように転がっていく。

「ひゃほーっ。楽チンだぜーッ」

 進行方向はるか先、長い下り坂の終点に、大きな病院が見えた。




 病院のエントランスに入り、そのまま病棟行きのエレベーターに乗ろうとしたところで、看護師がギョッとして虎元を呼び止めた。

「こ、近江さん。どうしたんですか? その服」
 虎元の服はビリビリに破れていて、サングラスにもヒビが入っていた。

「ちょっと転んでな。なに怪我はないさ」

「怪我はないって、そんなに服が破れているのに大丈夫なわけないでしょ、ちょっと見せてください」
 看護師は、虎元の身体を見て首をひねった。

「大丈夫ですね。もしかしてその服、自分で破いたんですか?」
「そんなわけ無いだろ、それはそうとうちのジジイ、見舞いに来るたびに弱っているんだが、痛みとか酷くなってはないだろうな?」

 虎元から聞かれた看護師は少し困った様子で、首を左右に振った。

「多分痛いはずなんですけど。もともと痛がらない方なので、こちらも困っているんですよね」

 看護師と虎元がはなしこんでいると、看護師のかなり後、病院総合案内所に、救急隊員らしい男達が流れ込んできた。

「こちらに、全身打撲か全身骨折の男が運ばれてきませんでしたか?」
 救急隊員が受付の看護師に聞いた。

「来てませんね。どうされたんですか?」
「それが、人を引いたと通報があって、現場に行って通報者と話すと噛み合わんのですよ」
「噛み合わないって?」
「自転車が上から人が降ってきて、車にあたって、サッカーボールみたいに飛んでいった。って意味がわからないでしょう? 確かに車は大破しているので、熊にでも当ったか自損なんですけど、念の為こうやって聞き込みしているんですよ」

 救急隊員と受付看護師のやり取りが遠目に見えた、その看護師は、虎元に、ごめんなさい。といって、パタパタと受付に戻っていった。虎元は、ヤベ。と直ぐに病棟エレベーターに飛び乗った。


「ジジイ! 見舞いに来たぜ。新作だ」
 虎元はそう言って、病室のドアを勢いよく開けた。

 ベッドに寝ていた虎元の祖父は、ベッドに横たわり強張ったような表情で、仰向けで寝ていた。騒がしい虎元にも、全く反応しない。
 
「――おいおい、聞こえないのか? 顔だけじゃなく耳まで老いぼれたか」
 
 祖父は表情を少し緩めた。厳格そうなその顔の、頬の痩せ具合や、土気色の肌からも、状態が良くないことが見て取れた。

「お前なぁ、少しは言葉遣いを覚えろ。それよりどうだ? もう二ヵ月経つが、住職として寺はうまく回せているか?」

「おお、バッチリよ。安心して極楽へいけ」

 天満寺てんまんじは、虎元と住職である祖父、二人で切り盛りしていたが、祖父が入院した二ヵ月前から、虎元が正式に住職となり、一人でやっているのだった。

「ほれ、僧侶ならみんな大好き木魚クッキーだ。そいつを食って元気を出せ。般若湯ノンアルと合うように塩味だ。うまいぞ」

 サイドテーブルの皿に、水筒を置き、クッキーを盛り付ける。水筒のカップに中の酒を注ぐと、ぷうんと吟醸香が広がった。クッキーを一つ取って、祖父の鼻の下に、口ひげのように押し付けた。

「おいおい、ジジイ、顔色悪いな。クッキーと同じ色じゃないか」
 
 虎元が笑うと、祖父は張りついた木魚を手にとって、天井を見たまま微動だにせず、ポツリと言った。

「いよいよ隠せなくなってきた。お前には悪かったと思っている」
「ん? なんのことだ?」
「今までいえなかった事がある。最後に伝えなきゃならん」

「おお、そうか。そりゃ心残りだな。さっさと言え」 
「お前に今まで教えてきた、寺の教え。ありゃ嘘だ」

 虎元の口から、食べかけの木魚がポロリと落ちた。

「おいおい、冗談はよせ」
「本当だ。もともとこの地で守っていた僧侶の後を継いだ。そしてこの地で墓を守ることになった」
「しかし俺に経を教えてくれたじゃないか? ジジイもその先代から習ったんだろう?」

「習ってない。すべて通信教育だ」

 虎元は椅子から落ちそうになる。二の句が継げないでいると、更に追い打ちをかけられた。

「まだある。同一人物に会うには、一月開けろという寺の習わしも嘘だ」

「い、いや。ジジイ。そりゃないぜ。その習わしがあるから、世捨て人みたいな生活をしてきたんだぜ」

「すべての嘘は、ワシらの秘密を隠すためのものだ」
「秘密? 何だ財宝でも隠しているのか?」

 呆れ顔の虎元に、祖父は仰向けのまま、微動だにせずに言った。

「ワシは、見るだけで人を殺せる。先代を殺したのはワシだ。ワシはもともとこの地に刺客としてきた」

 虎元はナースコールに手を伸ばした。

「まて……ワシは正気だ」
 祖父が虎元の手を止めた。

「わかったわかった、いいからちょっと待ってろ。まずは頭を見てもらえ」

「ワシはお前の未来が心配だ」
「俺はジジイの頭が心配だ」

 すると祖父は、やはり天井を見たままの体勢で、木魚クッキーを人差し指と中指で挟むように持った。そして手首を使うようにしてポンと上に放り投げた。

 軽く投げたように見えたそれは、ぐんぐん速度を上げ、天井にストッと突き刺さった。

「あっ、ジジイッ、なんてことをっ、勿体ない」
「そこ違うだろ、よく見ろ」 

 祖父に言われて天井を見ると、クッキーはそのままの形で天井に突き刺さっている。

「ジジイ、これは?」
「この力はワシら一族の者に備わる異形の力だ。この力のために、ワシら一族は呪われている。そして、その力と呪いは、お前にも引き継がれている」

「あのねぇ。俺ら仏徒じゃねぇのか? 密教じゃあるまいし、呪いは専門外だろ?」

「この力、仏教とは無関係、仏教は隠れ蓑だ。今までの嘘は、お前がお前の力のせいで、他人を呪ったり、無意識の内に人を殺すことがないように、寺に縛り付けておきたかっただけだ。
 いいか?
 刀も鞘の中だと安全だ。
 しかし、抜身の刀は持ち主さえ傷つける」

 祖父はそう言うと、皿のクッキーを手に取り、手のひらに乗せた。
「見ろ」

 木魚クッキーは、手のひらの上で浮いていた。

「おいおい、冗談だろ? どんな手品だ?」
「手品ではない。留魄るはくを使い浮かせている。留魄るはくとは、万物に憑く魂だ。ワシら一族は〝魂を統べる術〟を知る。その術を〝きょう〟と呼ぶ」

「〝きょう〟? お経?」
「お前は、既に〝きょう〟を知っている。身についている。忘れているだけだ。このままでも自然に思い出せるが、時間がかかる。その間が危険だ」

「危険? どう危険なんだ?」
「いろいろだ」
「いろいろって、なんだそりゃ?」
「一言ではいえん。とにかく危険だ。お前は術を思い出さないといかん」
「思い出すって、さっぱりわからん。具体的にどうすりゃいい?」

「ワシをお前がその手で殺せ、
 そうすればすぐに思い出す。
 思い出せば暴走する危険は去る。
 後はお前が、その力を自分の意思でどう使うかだけだ」

「俺が、ジジイを殺す? 馬鹿言うな、できるわけないだろ?」

「殺すだけなら方法は簡単だ。今から教える」

 そう言って祖父は、自分の殺し方を説明した。

「――というわけだ。ワシは殺られたことさえ気づかんのだ。
 もう一度言うぞ、〝きょう〟は、人を殺すだけの力ではない。魂を視て操る事ができる。それを〝思い出せ〟 そのためにワシを殺すんだ」

「まてまて、ジジイが長生きして、俺に教えればいいだろ?」

「なあ、虎元。ワシは酒は飲めん。呑む気も失せた。目も見えん。見たいものもない。脚も動かん。行きたいところもない。
 生ける屍のようなものだ。
 もう楽にしてくれないか? 
 それにな。ワシらの力は呪われていると言っただろ? ワシがここに長くいるとそれだけで、この病院の人たちが呪われてしまう。
 ワシの楽のため、
 お前の将来のため、
 そして人に迷惑をかけないためだ。
 ワシを殺せ」

 虎元はゴクリとツバを飲み込んで、じっと祖父を見つめた。

「さあ、頼む」
 祖父は懇願した。

「嫌だ、断る」
 虎元は、きっぱりと言った。

 すると祖父の手がにゅっと伸びて、病人とは思えない力で虎元の手を掴んだ。仰向けのまま動かないはずの祖父の視線が、なぜか虎元に突き刺さる。

「頼む、虎元。見て、念じるだけでいい。それだけでワシは安心できる。それだけで万事うまく……行く」

 枕元に繋がれているモニターが異常状態を感知しアラートを告げた。パタパタと、人の近づく慌ただしい音の中、虎元はただ呆然としていた。

 
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