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第7話 白崎という男
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穏やかな顔つきに洒落た丸眼鏡に、爽やかに刈り上げられた短髪の男性がにこにこと笑いながらこちらへ歩み寄ってきた。
「白崎さん…!」
黒尾は驚きつつも、慌てて会釈をした。
「驚きましたよ。こんなところで白崎さんとお会いするなんて」
「私もびっくりです。誰か人間がいると思ったら、見知ったお顔なんですから」
白崎は相変わらず人の良い笑みを浮かべながら黒尾を見つめていた。
そしてしゃがんだまま黒尾の隣でこちらを見上げる白月へ向き直った。
「おや、お連れ様ですか。はじめまして、私は白崎と申します。T町博物館の職員で、黒尾さんにはいつもお仕事でお世話になってりおります」
突如声を掛けてくる人間にどぎまぎしていた白月へも、白崎は丁寧に挨拶した。
「えと……ど、どうも……」
キャップを深く被り直し、ネックウォーマーをぐいっと上げながら白月はもじもじと挨拶を返した。
「あ、ああ、この子はうちの……親戚の子です。私が取材の下見をするから一緒に連れてきたんすよ、ドライブがてら」
この辺りではあまり見かけない白い髪や肌を怪しまれないか、黒尾は気が気じゃなかった。
さりげなく白月を背中に庇い、撮った写真データを白崎へ見せた。
「実は今度、『マヨイの林』を記事にピックアップしようと検討してしているんですよ。いつも河童や天狗ばかり特集だから、つい気合が入って個人的に下見に来てしまって」
白崎は差し出されたカメラに表示された写真をしげしげと眺めると、再びにこにこと微笑みながらそれを黒尾へ返した。
「『マヨイの林』の特集ですか? 珍しいですね。一体、どんな記事になるのか楽しみですね!」
丸眼鏡の奥が強く煌めいた。
その光に、興味や賞賛以外の感情が含まれているのを感じつつ、黒尾は相槌を打った。
「そして白崎さんは、今日はどうしてここへ? お仕事です?」
「いえ、今日は非番です。暇だったので、散歩がてら少し巡回でもしようかと」
「巡回?」
「ええ。ここら辺、マヨイの林があると言われているでしょう。マヨイの林は博物館所有の敷地とつながっているんです。敷地にまで侵入しては荒らす輩が出るので、こうしてたまに巡回しているんですよ」
白崎は肩を竦めて苦笑いする。眉間にやたらシワが寄っていた。
「また輩ですか……本当に困ったもんですね。マヨイの林おろか、博物館の敷地まで荒らすとは」
黒尾は怒りと不快感を覚えた。
動画サイトで目にしたサムネイルから溢れる、民俗への敬意など微塵も感じられない、承認欲求の塊を思い出す。
「休みの日まで巡回なんて大変ですね。白崎さんの貴重な時間なのに」
「いえいえ、私が好きでやってることですから」
丸眼鏡奥の光は、再び優しげなものを取り戻し笑っていた。
すると、頭上からピーヒョロロ、という猛禽類の鳴き声が聞こえた。
「あ、さっきの鷹だな」
ずっと静かにしゃがみ込んで白月は、その鳴き声を聞くとさりげなく黒尾の背にまた隠れた。
「おや、黒尾さんたちもあの鷹を見かけたんですね」
「ええ、さっきやたら近くに来たもんで驚きましたよ。にしても、かっこいい鷹ですね。尾が真っ黒で」
「……ええ、そうですね。ご立派で」
心なしか、白崎は少し嫌そうに鷹を見上げていた。
鷹は三者の傍の木へ止まると、こちらを威嚇するようにギィ、と鳴き始めた。
「なんだ? さっきはすごく大人しかったのに。この近くに巣でもあるんすかね?」
「……そうかも知れないですね」
白崎ははっきりと嫌悪感、というより敵意を視線に込め鷹を見つめていた。
「……全く、うるさい不愉快な鳥だ」
何も出来やしないのに、という小さな呟きが黒尾の耳を掠めた。
普段の彼からは想像できぬ冷徹さを感じ、蛇に頰を舐められたような、ゾクリとした感覚を覚える。
(白崎さんは鷹に襲われた経験でもあるのか……?)
黒尾の胸中を余所に、白崎はけろりと穏やかな笑顔を作ると、挨拶もそこそこに去っていった。
*****
その日の晩。
黒尾鷹矢は半目で白目を剥き心底後悔していた。
「まら酔ってらい……まらのめる……!」
黒尾秘蔵の日本酒を部屋で発見した白月が、飲みたいと騒ぎ出したのが30分前。
今、完全に出来上がってダル絡みする蛇の美青年が居座っていた。
「たったこれだけでこんなに酔うとは……甘酒にしてやれば良かったぜ」
「だからぁ、酔ってらいってば!」
絞め落とさんばかりの力で抱き着いて来ては情緒不安定に絡む蛇野郎に、黒尾は思わずマムシ酒の作り方を検索したところであった。
「てめえ、俺を絞め殺す気か。そんなに強く抱き着くんじゃねえよ。離れろっての」
「らって、らってぇ……たかやがっ、ぜんぜん手ぇ出してくれないからぁ……」
もっと飲むと暴れたかと思えばしくしくと泣きだす白月。面倒くさいの極みであった。
「白蛇族ってこんな酒乱だったのか? こりゃ天狗四郎坊さんと飲み比べなんて無理だろ」
「うぅ……婆さまはすっごく強かったのにぃ……」
「この日本酒は上級者向けなんだよ。今度、甘いカクテルから挑戦だ。ほら、水飲め」
差し出された水を飲み干すと、白月は大人しくなった。
「なんか…ねむい…」
「うるせえから今日はもう寝ちまえ」
「うん……」
ちゃっかり黒尾の膝を枕にして、白月は細いいびきをかき始めた。
赤らんだ頰をそっとつつきながら一人ぼやく。
「お前、俺のじいちゃんといつどこで出会ったんだよ。黒尾鷹寿と」
さりげなく尋ねようと思った矢先、酒に暴れ始めて完全に訊くタイミングを逃してた。
「……うーん……たか……」
むにゃむにゃと小さく寝言を言いながら白月は寝返りを打つ。
「なあ、寝てるとこ悪いが、足が痺れてきたからどいてくれ」
「うーん……たか……」
「なんだよ、さっきから。俺はここにいんだろ」
「たか……とし、さん」
呼ばれているのは己でなかったのかと少し残念な気持ちになる。黒尾は電子タバコを点火しようとポケットへ手を入れた。
「とし、さんが……ってた」
「あ? 何だ?」
「たかとし、さんがいってた……鳥に、なるって……死んだ人間は……」
寝ぼけてるだけか、過去の思い出か。
奇妙なことを口走りなが無防備に他人の膝で寝続ける白月の顔を見て、タバコは辞めておいた。
黒尾はため息をついて気怠く背伸びした。
「キチ谷の山で会った時、俺をじいちゃんと見間違えて出てきたんじゃねえのか……?」
黒尾の胸に小さく、黒いもやが渦巻いていた。
「白崎さん…!」
黒尾は驚きつつも、慌てて会釈をした。
「驚きましたよ。こんなところで白崎さんとお会いするなんて」
「私もびっくりです。誰か人間がいると思ったら、見知ったお顔なんですから」
白崎は相変わらず人の良い笑みを浮かべながら黒尾を見つめていた。
そしてしゃがんだまま黒尾の隣でこちらを見上げる白月へ向き直った。
「おや、お連れ様ですか。はじめまして、私は白崎と申します。T町博物館の職員で、黒尾さんにはいつもお仕事でお世話になってりおります」
突如声を掛けてくる人間にどぎまぎしていた白月へも、白崎は丁寧に挨拶した。
「えと……ど、どうも……」
キャップを深く被り直し、ネックウォーマーをぐいっと上げながら白月はもじもじと挨拶を返した。
「あ、ああ、この子はうちの……親戚の子です。私が取材の下見をするから一緒に連れてきたんすよ、ドライブがてら」
この辺りではあまり見かけない白い髪や肌を怪しまれないか、黒尾は気が気じゃなかった。
さりげなく白月を背中に庇い、撮った写真データを白崎へ見せた。
「実は今度、『マヨイの林』を記事にピックアップしようと検討してしているんですよ。いつも河童や天狗ばかり特集だから、つい気合が入って個人的に下見に来てしまって」
白崎は差し出されたカメラに表示された写真をしげしげと眺めると、再びにこにこと微笑みながらそれを黒尾へ返した。
「『マヨイの林』の特集ですか? 珍しいですね。一体、どんな記事になるのか楽しみですね!」
丸眼鏡の奥が強く煌めいた。
その光に、興味や賞賛以外の感情が含まれているのを感じつつ、黒尾は相槌を打った。
「そして白崎さんは、今日はどうしてここへ? お仕事です?」
「いえ、今日は非番です。暇だったので、散歩がてら少し巡回でもしようかと」
「巡回?」
「ええ。ここら辺、マヨイの林があると言われているでしょう。マヨイの林は博物館所有の敷地とつながっているんです。敷地にまで侵入しては荒らす輩が出るので、こうしてたまに巡回しているんですよ」
白崎は肩を竦めて苦笑いする。眉間にやたらシワが寄っていた。
「また輩ですか……本当に困ったもんですね。マヨイの林おろか、博物館の敷地まで荒らすとは」
黒尾は怒りと不快感を覚えた。
動画サイトで目にしたサムネイルから溢れる、民俗への敬意など微塵も感じられない、承認欲求の塊を思い出す。
「休みの日まで巡回なんて大変ですね。白崎さんの貴重な時間なのに」
「いえいえ、私が好きでやってることですから」
丸眼鏡奥の光は、再び優しげなものを取り戻し笑っていた。
すると、頭上からピーヒョロロ、という猛禽類の鳴き声が聞こえた。
「あ、さっきの鷹だな」
ずっと静かにしゃがみ込んで白月は、その鳴き声を聞くとさりげなく黒尾の背にまた隠れた。
「おや、黒尾さんたちもあの鷹を見かけたんですね」
「ええ、さっきやたら近くに来たもんで驚きましたよ。にしても、かっこいい鷹ですね。尾が真っ黒で」
「……ええ、そうですね。ご立派で」
心なしか、白崎は少し嫌そうに鷹を見上げていた。
鷹は三者の傍の木へ止まると、こちらを威嚇するようにギィ、と鳴き始めた。
「なんだ? さっきはすごく大人しかったのに。この近くに巣でもあるんすかね?」
「……そうかも知れないですね」
白崎ははっきりと嫌悪感、というより敵意を視線に込め鷹を見つめていた。
「……全く、うるさい不愉快な鳥だ」
何も出来やしないのに、という小さな呟きが黒尾の耳を掠めた。
普段の彼からは想像できぬ冷徹さを感じ、蛇に頰を舐められたような、ゾクリとした感覚を覚える。
(白崎さんは鷹に襲われた経験でもあるのか……?)
黒尾の胸中を余所に、白崎はけろりと穏やかな笑顔を作ると、挨拶もそこそこに去っていった。
*****
その日の晩。
黒尾鷹矢は半目で白目を剥き心底後悔していた。
「まら酔ってらい……まらのめる……!」
黒尾秘蔵の日本酒を部屋で発見した白月が、飲みたいと騒ぎ出したのが30分前。
今、完全に出来上がってダル絡みする蛇の美青年が居座っていた。
「たったこれだけでこんなに酔うとは……甘酒にしてやれば良かったぜ」
「だからぁ、酔ってらいってば!」
絞め落とさんばかりの力で抱き着いて来ては情緒不安定に絡む蛇野郎に、黒尾は思わずマムシ酒の作り方を検索したところであった。
「てめえ、俺を絞め殺す気か。そんなに強く抱き着くんじゃねえよ。離れろっての」
「らって、らってぇ……たかやがっ、ぜんぜん手ぇ出してくれないからぁ……」
もっと飲むと暴れたかと思えばしくしくと泣きだす白月。面倒くさいの極みであった。
「白蛇族ってこんな酒乱だったのか? こりゃ天狗四郎坊さんと飲み比べなんて無理だろ」
「うぅ……婆さまはすっごく強かったのにぃ……」
「この日本酒は上級者向けなんだよ。今度、甘いカクテルから挑戦だ。ほら、水飲め」
差し出された水を飲み干すと、白月は大人しくなった。
「なんか…ねむい…」
「うるせえから今日はもう寝ちまえ」
「うん……」
ちゃっかり黒尾の膝を枕にして、白月は細いいびきをかき始めた。
赤らんだ頰をそっとつつきながら一人ぼやく。
「お前、俺のじいちゃんといつどこで出会ったんだよ。黒尾鷹寿と」
さりげなく尋ねようと思った矢先、酒に暴れ始めて完全に訊くタイミングを逃してた。
「……うーん……たか……」
むにゃむにゃと小さく寝言を言いながら白月は寝返りを打つ。
「なあ、寝てるとこ悪いが、足が痺れてきたからどいてくれ」
「うーん……たか……」
「なんだよ、さっきから。俺はここにいんだろ」
「たか……とし、さん」
呼ばれているのは己でなかったのかと少し残念な気持ちになる。黒尾は電子タバコを点火しようとポケットへ手を入れた。
「とし、さんが……ってた」
「あ? 何だ?」
「たかとし、さんがいってた……鳥に、なるって……死んだ人間は……」
寝ぼけてるだけか、過去の思い出か。
奇妙なことを口走りなが無防備に他人の膝で寝続ける白月の顔を見て、タバコは辞めておいた。
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