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第5話 バスタイム♡サービス

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 待ちに待った金曜日。
 しかし黒尾はここ最近で最も機嫌が悪かった。
 ハンドルを握る手に感情が反映されないよう、平静を保つのに必至だった。

「あの腐れチーフめ……」

 先ほどの終業前、上司との会話を反芻しながら、胸の中に嫌な味が広がった。

『T町博物館はホラー系の博物館なんだし、少し怖いものを記事にしたいよね』
『……民俗学はホラーとは違いますよチーフ』

 こめかみへ青筋を立てる黒尾をまるで意に介さず、初老の男性上司は言葉をつづけた。

『定期的に記事にできるくらいには、心霊やホラーは定番だもんね。河童や天狗はしょっちゅう記事にしているし、今回は思い切ってそのマヨイなんたらを記事にしてみよう』
『マヨイの林、です』
『そう、それそれ。よし、T町定番の河童だけじゃなく、そのコブラの民話をピックアップだ! 取材頼んだよ!』
『……コブラじゃなくて白蛇です』


 民俗学についての話がどこまでも嚙みあわないもどかしさ、そして己が愛する地元の民話を「ただのホラー」と称される怒りがまだ腹で煮えたぎっていた。

「じいちゃんが聞いたら憤死ものだぞ。日本刀持ち出すレベルだ」

 一人車内で愚痴りながら、居候の蛇が待つ自宅へ急いだ。

*****

「おかえり、タカっ」

 玄関を開けるなり大型犬のように白月が黒尾の首へ飛びついた。
 お出迎えというよりあの世からのお迎えが来そうな抱きつき(絞め上げ)がこの一週間、帰宅時の恒例行事と化していた。

「あーよしよしどうどう。良い子にしてたか?」
「いつもどおりいい子ですよ。ご褒美くれても良いくらい」
「ぐげげッ、だから首にぶら下がるなと言ってるだろう。そして両脚で挟んで俺を絞め上げるんじゃねえ」

 蛇のように絡みつく白月を引きはがし、何とか手洗いや着替えを済ませた。

「今日の料理には、塩コショウの他に醤油を入れてみたんです!」

 魔界の料理デビュー以来、白月は黒尾へ夕飯を作るようになった。 
 と言っても、ほぼ焼いた肉や野菜へ塩コショウを振ったシンプルなものばかりであった。
 流石に他の味付けが食べたいとぼやいたところ、今日は醤油にどっぷり浸けられた、塩分もりもりオンパレードな焼肉が皿へ盛り付けられていた。
 目に星を輝かせながら、食べ始めるのを待つ白月に白目を剥きそうになった。

「おいおい……塩で俺を清めるる気かよ……」



 黒尾の機転により、無限醤油ファンタジーな食事は無事に乗り切ることができた。  
 「人間界定番のアレンジ」と称し、凶器レベルでしょっぱいそれを、水や砂糖を加えて煮込み直した。
 さらに溶き卵に絡めさせることでしょっぱさを限界まで取り除き、白月でも食べやすい味かつ、彼を落ち込ませずに手料理を生まれ変わらせることに成功していた。

「すごい! 生卵と肉がこんなに合うなんて知らなかったです!」 

 殻ごとではなく、溶いた卵と肉をおいしそうに頬張る白月に黒尾は内心安堵した。  

「だろ。焼肉✕溶き卵は人間界では定番なんだよ。焼肉の尖ったしょっぱさをやさしく抱擁する溶き卵……これは食のハーモニーだ。これをしない人間は居ねえ。ち、ちょうど醤油でしょっぱくなった肉が食いたかったしなー」 

 実のところ、すき焼きでもないのに焼肉を溶き卵に浸けて食べるのはこの地方くらいだったが。
 今日はしっかり炊けている白米に肉を乗せ、黒尾はそれを頬張った。

(米がちゃんと炊けるようになっただけありがてえ。先日は生米がそのまま椀に入ってきたり、炊飯器で生米を空焚きしたりだったからな。あと米を洗剤で洗おうとしたり……)

 この一週間での数奇なハプニングを思い出しながら、黒尾は白月を讃えた。

「今日の米もなかなか美味いぞ。しっかり炊けるようになって偉いじゃないか」
「えっ、ほんと!? ちゃんとおいしく出来てる!?」

 先ほどより目の星を一つ増やした白月が身を乗り出した。
 蛇ではなく犬の尻尾が見えるようだった。

「ああ。美味いし、よく炊けている。米は日本人の糧だからな」

 心底嬉しげにする白月へ、黒尾は米を差し出した。

「食ってみるか?」  
「……蛇は肉しか食べません」
「ハンバーガーは肉の他にも小麦や葉物が入ってるぞ。焼いた米で肉を挟んだものもある。食べたかったんじゃないのか?」
「うー……ハンバーガーは食べてみたいけど……蛇は肉食の生き物だし……」

 もじもじとぼやく白月へ、黒尾は米を箸で掬って差し出した。

「ほら、一口食ってみろ。不味かったら吐き出していいから」

 白月は一瞬虹彩を鋭くして米を見つめた後、思い切ったようにかぶりついた。
 
「むぐ……」
「どうだ? 今は人間になってるし美味いんじゃねえか?」
 
 静かに咀嚼し飲み込んだ白月の顔には、曇り空からぱっと陽が照ったような笑顔が広がっていった。

「おいしい……! 肉じゃないのに、こんなにおいしいものがあるんですね……!」

 蛇のままなら味わえない美味しさだ、と感激する白月に、黒尾は達成感のようなものを感じていた。

「そうだろう。人間の食べ物は美味いもんがたくさんある。特に日本は、どこに行っても飯が美味いんだ」
「人間の美味しいものを紹介してくれたから、お礼に白蛇族絶賛のモグラをタカにご馳走しなくちゃ……! 大丈夫、串焼きにすれば人間でも食べられると思います! あとは肥えたウシガエルも! ぶよぶよの身体を掴み上げて、頭からガブッといくのが最高なんです……! ああ、食べたくなってきた」
「………食欲失せるからやめてくれ……」
 

*****

 楽しい(?)夕食を終え、黒尾は熱いシャワーを浴びていた。 

「なあ、風呂ぐらいゆっくりさせてくれよ……」

 もちろん白月もその背中にくっつき、ちゃっかり一緒にシャワーを浴びていた。
 当たり前に毎度バスタイムへ不法侵入する蛇野郎へ、すでに追い出す気力は失せていた。

「ふふ、背中あったかい」
「あたりめえだ。熱いシャワーも浴びてるしな」
「蛇は変温動物だから、寒さに弱いんです。けどこうして人間になっていると、冬眠の準備をしなくて済みますね」
「……そういや冬も近いな。人間に化けていれば冬眠せず冬を越せるのか?」
「うん……人間に化けなくても、暖かい場所なら冬眠は必要ありません」

 祖父の手記にあった文を思い出す。人に化け人里で暮らした白蛇族の記録だ。

『人間と番い人里で暮らす者あり。しかし永続的に化け続ける事能《あた》う者は、相当妖力のある個体なり。そうした者は数少なく、ほとんどの白蛇族は人里離れた山奥で生息す』

「なあ、ビャク。ずっと人の姿でいるの辛くないのか?」
「少し疲れますけど……しっかり睡眠を取ればある程度回復するみたいです」

 背中に顔を擦りつけながら白月は答えた。心なしか声に眠気を含んでいるようだった。

「俺の帰宅後なら蛇にでも半蛇にでもなって良いぞ。許可してやる」 
「じゃあ……脚だけ蛇に戻ります」
 
 白月は両脚をぴたりと揃えた。脚に美しい鱗が浮き上がり始めたかと思うと、瞬く間に下半身が白い蛇となった。

「省エネモードです」
「ほんと不思議な生物だな。民俗学では計り知れねえよ」 

 足へ絡み付いてくる尾に微妙な気持ちになりながら、黒尾は白月を自身の目の前へ移動させた。

「一週間人に化けて頑張ったからサービスしてやる。ほら座れ」

 意図をよく分かっていなそうな白月を風呂イスへ腰掛けさせ、シャワーの勢いを強めた。

「わっ、何するのタカっ」 
「良いから目ェつぶってろ。泡が目に入ると沁みるぞ」

 シャンプーを泡立て、絹のような白い髪へ擦り付ける。
 白い髪の上によく泡立ったシャンプーが乗り、なんだか奇妙な形を成していた。

「うー…なんだか変な感じです」 
「人間界では"心地よい"って言うんだぞ」   

 今までは湯を浴びるばかりで添加物を含むシャンプー類は使っていないようだった。  
 しかし白月からは不思議とほのかに良い香りが漂っていた。人工の香水や柔軟剤の香りとは違った、何とも形容し難いほのかな香りが。

「あっ……そこっ、タカの指、気持ち良いです……」
「なんか語弊のある表現だな。あと喘ぐな」
「ひゃ、くすぐったい……! んっ、んぅ……っ」

 悩ましい声を上げ身をくねらせる白月に妙な気持ちが込み上げる気がした。

「……おい、じっとしてろって」

 ただの生理現象、条件反射だと己に言い聞かせ、黒尾はシャンプーの泡を流し始めた。

(断じて俺はムラついてる訳じゃねえ……こいつは人間じゃねえんだし、それに雄だし)

 意識しないようにすればするほど下半身のある一点へ血液が集中し始めているのが嫌でも解った。 

(やべえな、なんとかビャクにバレないようにしねえと……) 

「あっ……髪の間にっ、そんな……っ、ゆび……」 
「……なあ、白蛇族って頭皮が性感帯なのか?」

 頭皮をマッサージするように指圧を掛けると、艶めかしい吐息を漏らす白蛇にそう疑わずには居られなかった。

「あ……っ、あ……っ、それっ、気持ちいい…」 

 白月が頭を仰け反らせた拍子に、黒尾の"そこ"へ後頭部アタックがクリティカルヒットでお見舞いされた。
「う゛っ………お」
「あれ……? 今なんか、"ごりっ"て……?」

 振り向こうとする白い頭を、黒尾は悶絶しながら必死に抑えつけた。

「おい、今振り向くんじゃねえぞ……そしてじっとしてろっての」
「えっ、なんで? どうして振り向いちゃいけないんです?」
「いいから黙って性感帯《とうひ》マッサージされとけ……っ」
「でもなんか今、固いのが頭に当たって……」
「っ、黙ってろって言ってんだろ、この蛇公が!」
「え、えええっ?」

 なぜ黒尾が悶絶したり焦っているのか訳が分からない様子で白月は無理やり正面を向かされ続けたのだった。

***
 楽しい楽しいバスタイムを終え、ベッドにふたり横たわっていた。 
 正しくは今日も今日とて白月が黒尾のベッドへ当たり前のように侵入しているだけなのだが。

「なあ、ビャク。そろそろ山が恋しいんじゃねえか? ずっと化けてるのも疲れるんだろ」 

 さりげなく尋ねてみる。山へ帰りたいと言えば、すぐに帰すつもりだった。

(流石にこれ以上居られると帰すタイミングを逃しそうだしな……)

 黒尾の胸中を余所に、白月はあっけらかんとして返答した。

「山には帰りません。それにあとちょっとタカを落とせば、ずっとここに居ていいんでしょう?」
「ずっとここにって……そんな条件だったか? それにあとちょっとってなんだよ」
「だって、だいぶ僕のこと好きになってきてるでしょう?」
「………お前なあ。その自信はどこから湧いてくるんだ」
「でも嫌いじゃないでしょう、僕のこと」
「嫌いとかそういう問題じゃなくてだな」
「なら問題なしです。もっと僕のこと好きになってもらうからね……」

 なんだかんだで言いくるめられた敗北感が、眠たげに足首へ絡みつく蛇の尾からひしひしと伝わった。

「はあ……この蛇公め……」
 
 すでにすーすーと寝息を立て始めている寝顔へ静かに悪態をつく。

(おいおい……ちいとばかし愛着湧いちまってるんじゃねえか? 俺。しっかりしろ俺)

「お前と俺とじゃ棲む世界が違いすぎるだろうが。そういう奴らが永劫一緒にって、そんなのまずできることじゃねえんだよ……」 

 すでに夢の世界へ旅立っている白月の、寝顔にかかる白い前髪をそっと梳いた。気が付く気配もなく、規則出しい寝息が鳴り続けるだけだった。

「黙ってれば悪くねえな……黙っていれば、だが」

 中性的でよく整ったその顔立ちへ羨ましさすら芽生えた。
 意地悪く鼻をつまんだりしてやろうかと少し思ったが、手を伸ばしかけて止めた。

「何やってんだ俺は。明日も早めに起きるんだからさっさと寝るぞ」
 
 黒尾は自身と白月の身体へ毛布をかけ直すと、隣から聞こえる寝息を子守唄に目を閉じた。
 
(とりあえず、明日は早速マヨイの林へ行ってみよう。取材の下見だ)

 『マヨイの林』へ導かれた人間を待つのは、白蛇族の無念《たたり》か、それとも別の"何か"か―――。
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