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第4話 白蛇棲む『マヨイの林』
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「いいか。料理ってのは分量がすべてだ。レシピは計算された味。少しでもさじ加減が狂うと全く別の味になる」
爽やかな秋晴れが広がる日曜日。
黒尾は約束どおり、白月へ料理教室を開いていた。あの魔の料理はもう二度と食べたくなかった。
「この計量スプーンやカップは自由に使っていい。というか使ってくれ」
「はい、師匠!」
エプロンに身を包み、長い髪を一つにまとめた白月が、目を輝かせながら真剣に生徒となっていた。
祖父の秘蔵コレクションの影響で素裸にエプロンを着けようとしたところを黒尾に阻止され、渋々衣服を着用した当初からすっかり切り替えていた。
「ただ、油をフライパンに敷いて、肉に塩コショウすれば目分量でもそれなりの味にはなる。慣れてきたら調味料を少しずつ増やしていけばいいだろう」
「焼いた肉がこんなにおいしいなんて知らなかった……! きっとヤモリやネズミも焼いて食べたらもっと美味しいかも知れない……今度タカにも獲ってきます!」
「俺は遠慮しとくぜ……」
健気に人間界の勉強をする白月に、黒尾は何とも言い難い思いが芽生えていた。
(次の日には山へ帰りたがると思ったんだが……いつまで保つか)
正直なところ、面倒事が嫌いな黒尾は早く諦めて帰って欲しいと願っていた。というより、どうせすぐに帰るだろうと決め込んでいた。
(俺は面倒事は嫌いなんだよ……)
コンロの火に未だおっかなびっくりの白月を、リビングから眺める。電子タバコ独特の匂いが肉を焼く匂いと混ざり合った。
「……そんなに熱く見つめて、どうしたんですか?」
黒尾の視線に気付いた白月が艶っぽく微笑む。
眉間にシワを寄せて黒尾は目を逸らした。
「うるせ。火を点けたなら換気扇を回せ」
「もしかして、照れてます?」
この自意識過剰め、と悪態をついてそっぽを向く。そろそろ電子タバコを置こうとしたが、やはりもう少し吸うことにした。
(俺は面倒事は嫌いなんだよ……一度関わっちまったらほっとけなくなるだろうが)
*****
「あーあ。何だって日曜日はこんなに過ぎるのが早いんだ」
この週末、ろくに休んだ気がしない。金曜に鬼谷の介護をしたと思ったら蛇の恩返しに遭う―――。
たった数日で、こんな昔話みたいな生活を送るハメになるとは夢にも思わなかった。
こんな状態になっても、明日からしっかり仕事だ。白月を一人家に残すのは色んな意味で不安だが、そう簡単に職を休む訳にも行くまい。
「とりあえず、極力人間の姿でいてもらわないとな。念の為呼び鈴鳴っても居留守させて」
一人ベッドで呟いていると、寝室の扉が静かに開いた。
「お布団、あたためます」
「……それは主《あるじ》が床につく前に言うセリフだ。一体どこで覚えてくるんだよ」
黒尾のぼやきを聞き流し、白月は当然のようにベッドへ入り込んでいた。
「おいビャク、狭いだろ」
「蛇の姿になりましょうか?」
「……いや、そのままで良い。鱗が当たって寒そうだ」
出ていく意志が皆無な白月に、黒尾はため息をついてベッドのスペースを少し空けてやった。
「俺はリビングで寝るから、ベッドを使いたきゃ使っていいぞ」
「いやです。タカと寝たいんです」
「はあ……こちとら明日から仕事なんだ。安眠妨害すんじゃねえぞ?」
「しませんよ……」
すでにうとうとしているのは白月の方だった。黒尾の腕に縋りつき、紺色の瞳が白いまぶたで隠れそうになっている。
「もしかして、ずっと人に化けてると疲れるのか?」
「……少し。二足歩行も、白蛇族はあまり得意じゃなくて」
「そうか。なんか無理させてすまんな」
何故己が謝ったのか疑問に思いつつ、黒尾は言葉を続けた。
「これから平日、俺が留守の間は念の為人の姿を取ってほしいんだが…できそうか?」
「……うん。頑張る。もっとタカと一緒にいたいから……」
眠りの淵へ落ちそうな返事が返ってくる。これほど体力を使わせていたとは思いも寄らなかった。
「……解ったよ。寝る時は白蛇に戻っていいぞ」
「ううん……もう少し、人間の姿に慣れたいから、この、まま、で……」
静かになったかと思うと、すーすーと寝息が聞こえ始めた。
疲労しながらも、脚は二本綺麗に生え揃った姿を白月は保っていた。
(おいおい、電池切れみてえに寝るほど負担だったのかよ)
日中張り切って人間らしく振る舞う白月に、疲労は感じられなかった。もしかすると、黒尾に疲労を悟られまいと気を張っていたのかも知れない。
(じいちゃんの他の蔵書を漁ってみるか。なにか情報が得られるかもしれん)
*****
黒尾は今日もまたT町へと赴いていた。
来年で創立50周年を迎える市立T町博物館が、同じく来年同市で開催される国民体育大会へ合わせ、本格的に記念式典の準備をする時期であった。
同じ市の新聞社ということで、黒尾の勤める新聞社は博物館のスポンサー及び式典へ全面協力のため、T町へ頻繁に取材へ行くことが決まっていた。
『黒尾君、大学ではT町の民俗学を研究したんだってね』
年度初め、この取材の音頭を誰が取るか決める会議の際、チーフが放った言葉だった。
『じゃあ君ほどの適任者はいないよ! T町博物館は日本初の民俗専門の博物館だもの! ぜひお願いしたい! あ、夜遅くなったりするかも知れないけど大丈夫だよね?』
言い方に少々引掛かかったものの、黒尾は快く引き受けた。T町博物館は大学時代、取材やフィールドワークのため何度も訪れた場所だ。
外回りが多くなり夜が遅くなっても問題ない、体力のある独り身を選びたいというのがチーフの本音であった。そして民俗学をただのホラーと呼び、黒尾に青筋を立てられるくらいにはその道に疎かった。
(そしてここにまでボケ老人の介護がついてくるとは……)
黒尾は博物館の入口で仁王立ちしている人物を半目で見やった。
「何であんたいるんすか……」
「なーに、おらいは博物館のスポンサーだえ」
鼻の穴を得意げに膨らませる鬼谷を見て、彼はげんなりしていた。
スポンサー及び博物館へ様々な資料を寄贈しているのは事実だが、今日は取材現場へに勝手に押しかけただけだった。
「ちっ、無駄に土地と金ばっか持ちやがって……」
「いやあ、今日も新聞社が取材さ来るっつうから、タカっちゃん来るんでねーかと思ったら! やっぱおめえだったなあ!」
「はあ……今日は博物館に取材に来たんですから、貴方は大人しくしててくださいよ」
「おう、おらいはただのスポンサーだがらな! けんど、館の一階さ展示されてるあれは、おらいに伝わる神器で、おれの親父がガキだった時に―――」
得意になって騒ぐ鬼谷を博物館の庭園へ追いやった黒尾は、広報担当の博物館職員とミーティングルームへ入っていた。
「本日もご足労頂きありがとうございます。外は寒かったでしょう。この時期になると、T町はもう木枯らしが吹きますからね」
T町博物館学芸員であり、広報担当の白崎が黒尾を労った。
白崎は物腰柔らかな30代くらいの男性だった。話しやすく温和な物言いや、歳が近いこともあり、黒尾は彼が担当で良かったと思っていた。
「この県はどこの地域もそうですよ。夏が終わったら冬の準備です」
世間話もそこそこに、博物館の現在の状況や今後のスケジュールを話し合った。
記念式典へ向けた企画展や館内での講演会も特に問題なく進んでおり、黒尾は来年の式典が内心楽しみになっていた。
最後に白崎と館内を巡っていた際、さりげなく彼へ話を振ってみた。
「常々思うのですが、こちらの館には白蛇族の資料が少ないようですね。河童や天狗は様々あるようですが」
「ええ、そうなんです。白蛇族は物的資料がほぼ無いんです。その希少価値の高さから、人間が狩り尽くしてしまっていますから」
業が深いですよね、と白崎は丸眼鏡奥の目を半開きにした。
やはり祖父の記した通りであった。黒尾はうんうんと頷きながら同調する。
「全く、人間というものは珍しいものや、美しいものに対し見境が無いから困ります。失ってから初めて気付くんです。どれだけ自分たちが恩恵を受けていたかをね」
「ええ、そうですね。教訓としたいものです」
白崎は黒尾の横顔をちらりと盗み見るようにした後、相変わらず穏やかな笑顔を見せていた。
「白崎さん、実は私は『T町物語』の中でも『マヨイの林』に特に惹かれているんです。人間のせいとはいえ、資料が少ないのはやはり寂しいものがありますね」
『T町物語』とは、古くよりT町の庶民に伝わる逸話や言い伝えを記した民話集であった。明治時代の民俗学者らによって編集・刊行され、現代では「日本のグリム童話」との異名を持つにまで至っている。
『マヨイの林』は収録されている民話の一つ、白蛇族についての物語だった。
「おや、奇遇ですね。実は私も『マヨイの林』が大好きなんです」
白崎はぱっと顔を明るくすると、白蛇族唯一の展示資料『マヨイの林』を記した紙芝居へ視線を向けた。
紙芝居のストーリーはこうだった。
"かつて白蛇と白蛇族がたくさん棲んでいた山域へ強欲な人間が踏み入り、その鱗の美しさや肉の珍味を求め彼らを乱獲した。結果、白蛇や白蛇族はほぼいなくなってしまった。
そしてその後、その山域へ近付く者は道に迷い遭難したり、またある者は気狂いとなって帰還したりする事件が相次いだ。
人間に踏みにじられた白蛇の呪いだと地元の民は考え、その山域を「マヨイの林」と呼び忌地とした"
「人間の欲深さが詰まったストーリーですよね」
白崎は遠くを見つめるような目をして言った。そして黒尾へ向き直ると、少し不思議そうに尋ねた。
「ところで、黒尾さんはなぜ『マヨイの林』にそんなに興味がおありで? 何かきっかけがあったんですか?」
「いやあ、うちの祖父が民俗学――民話マニアでして。小さい頃からよく聞かされたもんで」
黒尾は口走りそうになり慌てて口をつぐんだ。祖父が民俗学者であること、ひいてはこの博物館で長年学者として勤めていたことは公にしたくなかった。
(じいちゃんの七光り丸出しだからな……それにじいちゃんが勤めてたのは10年以上も前だし)
黒尾の胸中を余所に、白崎は納得したように微笑んだ。
「なるほど。白蛇を捕まえたいとかではなく、お祖父様の影響だったのですね。私の身内にも民話に詳しい者がいたので、仰ることはよく解ります」
「ああ、そうでしたか。さすが民俗学の宝庫と言われるこの地ですね」
「ところで黒尾さん、ご存じですか? 実は今も白蛇が採れるとの噂を聞きつけた密猟者や、冷やかしの観光客、そして動画配信者がマヨイの林へ足を運んでいること」
「ああ……風の噂で聞いたことはあります。全く、迷惑極まりない」
白崎の言う通り、マヨイの林があるとされる山域近辺には密猟者のほか、マナーを忘れた観光客や、視聴率稼ぎの動画配信者までもが訪れていた。
『T町物語』を目玉に町おこしをしたことで、T町は一躍有名となった。しかしそれにより、良くも悪くも様々な人間が多様な形で『T町物語』へ触れているのであった。
「やはりご存じでしたか。何でも、不躾に訪れた者たちは、何故か不審な事故にあったり、消息不明になったりという噂もあるようですよ」
黒尾は有名動画サイトで目にしたサムネイルを思い出した。『ホラースポット マヨイの林に行ってみたら事故ったw』『有名配信者◯◯、マヨイの林へ行くライブ配信を最後に消息断つ』『【捕まえたら】マヨイの林に今も白蛇はいるのか?【売れるかも】』―――。
どれも低俗で、承認欲求を束にして固めたようなタイトルだった。
「良からぬ者がいるのは、動画サイトで少し目にしたことはあります。今も昔も結局変わりませんね。昔ですら遠い地からも密猟者がやって来ましたが、今は誰でもネットで情報を得てそこへ行くことができる。情報社会の弊害ですね」
黒尾の言葉に小さく頷き、白崎は少し俯いた。丸眼鏡が光を反射し、その表情は読み取れなかった。
「過去、マヨイの林の山域を解体しようとして、解体業者など、関係者の変死事件が相次いだこともあるようですね。祖父から聞きました。その事件をきっかけに白蛇供養の祠が建てられたとか」
「さすが、お詳しいですね」
白崎はやはり、穏やかな笑顔をしていた。しかしどこか憤りを押し殺しているように黒尾には見えた。
「祠を立てたくらいで彼らが納得するとは思いませんけどね」
「ええ。仰る通りかと。白崎さんもよほどT町物語、そして『マヨイの林』のファンなんですね。神聖なこの地へ土足で踏み込まれたら、私とて気分が悪くなります」
つい話し込んでいるうちに、会社へ戻る刻となっていた。
黒尾は白崎や他の職員へ挨拶を済ませ、足早に社用車へ乗り込んだ。
会社への道を走りながら、別れ際の白崎との会話を反芻していた。
『白蛇族は心から想った相手とでないと子孫を残せないなんて、生き物として欠陥ですよね。惚れた相手が悪い奴だったとしても、そいつと番うしか子孫を残せないなんて』―――
「俺も、あいつにとって"良い奴"ではないよなあ……」
タバコを取り出したくなったが、今はやめておいた。
爽やかな秋晴れが広がる日曜日。
黒尾は約束どおり、白月へ料理教室を開いていた。あの魔の料理はもう二度と食べたくなかった。
「この計量スプーンやカップは自由に使っていい。というか使ってくれ」
「はい、師匠!」
エプロンに身を包み、長い髪を一つにまとめた白月が、目を輝かせながら真剣に生徒となっていた。
祖父の秘蔵コレクションの影響で素裸にエプロンを着けようとしたところを黒尾に阻止され、渋々衣服を着用した当初からすっかり切り替えていた。
「ただ、油をフライパンに敷いて、肉に塩コショウすれば目分量でもそれなりの味にはなる。慣れてきたら調味料を少しずつ増やしていけばいいだろう」
「焼いた肉がこんなにおいしいなんて知らなかった……! きっとヤモリやネズミも焼いて食べたらもっと美味しいかも知れない……今度タカにも獲ってきます!」
「俺は遠慮しとくぜ……」
健気に人間界の勉強をする白月に、黒尾は何とも言い難い思いが芽生えていた。
(次の日には山へ帰りたがると思ったんだが……いつまで保つか)
正直なところ、面倒事が嫌いな黒尾は早く諦めて帰って欲しいと願っていた。というより、どうせすぐに帰るだろうと決め込んでいた。
(俺は面倒事は嫌いなんだよ……)
コンロの火に未だおっかなびっくりの白月を、リビングから眺める。電子タバコ独特の匂いが肉を焼く匂いと混ざり合った。
「……そんなに熱く見つめて、どうしたんですか?」
黒尾の視線に気付いた白月が艶っぽく微笑む。
眉間にシワを寄せて黒尾は目を逸らした。
「うるせ。火を点けたなら換気扇を回せ」
「もしかして、照れてます?」
この自意識過剰め、と悪態をついてそっぽを向く。そろそろ電子タバコを置こうとしたが、やはりもう少し吸うことにした。
(俺は面倒事は嫌いなんだよ……一度関わっちまったらほっとけなくなるだろうが)
*****
「あーあ。何だって日曜日はこんなに過ぎるのが早いんだ」
この週末、ろくに休んだ気がしない。金曜に鬼谷の介護をしたと思ったら蛇の恩返しに遭う―――。
たった数日で、こんな昔話みたいな生活を送るハメになるとは夢にも思わなかった。
こんな状態になっても、明日からしっかり仕事だ。白月を一人家に残すのは色んな意味で不安だが、そう簡単に職を休む訳にも行くまい。
「とりあえず、極力人間の姿でいてもらわないとな。念の為呼び鈴鳴っても居留守させて」
一人ベッドで呟いていると、寝室の扉が静かに開いた。
「お布団、あたためます」
「……それは主《あるじ》が床につく前に言うセリフだ。一体どこで覚えてくるんだよ」
黒尾のぼやきを聞き流し、白月は当然のようにベッドへ入り込んでいた。
「おいビャク、狭いだろ」
「蛇の姿になりましょうか?」
「……いや、そのままで良い。鱗が当たって寒そうだ」
出ていく意志が皆無な白月に、黒尾はため息をついてベッドのスペースを少し空けてやった。
「俺はリビングで寝るから、ベッドを使いたきゃ使っていいぞ」
「いやです。タカと寝たいんです」
「はあ……こちとら明日から仕事なんだ。安眠妨害すんじゃねえぞ?」
「しませんよ……」
すでにうとうとしているのは白月の方だった。黒尾の腕に縋りつき、紺色の瞳が白いまぶたで隠れそうになっている。
「もしかして、ずっと人に化けてると疲れるのか?」
「……少し。二足歩行も、白蛇族はあまり得意じゃなくて」
「そうか。なんか無理させてすまんな」
何故己が謝ったのか疑問に思いつつ、黒尾は言葉を続けた。
「これから平日、俺が留守の間は念の為人の姿を取ってほしいんだが…できそうか?」
「……うん。頑張る。もっとタカと一緒にいたいから……」
眠りの淵へ落ちそうな返事が返ってくる。これほど体力を使わせていたとは思いも寄らなかった。
「……解ったよ。寝る時は白蛇に戻っていいぞ」
「ううん……もう少し、人間の姿に慣れたいから、この、まま、で……」
静かになったかと思うと、すーすーと寝息が聞こえ始めた。
疲労しながらも、脚は二本綺麗に生え揃った姿を白月は保っていた。
(おいおい、電池切れみてえに寝るほど負担だったのかよ)
日中張り切って人間らしく振る舞う白月に、疲労は感じられなかった。もしかすると、黒尾に疲労を悟られまいと気を張っていたのかも知れない。
(じいちゃんの他の蔵書を漁ってみるか。なにか情報が得られるかもしれん)
*****
黒尾は今日もまたT町へと赴いていた。
来年で創立50周年を迎える市立T町博物館が、同じく来年同市で開催される国民体育大会へ合わせ、本格的に記念式典の準備をする時期であった。
同じ市の新聞社ということで、黒尾の勤める新聞社は博物館のスポンサー及び式典へ全面協力のため、T町へ頻繁に取材へ行くことが決まっていた。
『黒尾君、大学ではT町の民俗学を研究したんだってね』
年度初め、この取材の音頭を誰が取るか決める会議の際、チーフが放った言葉だった。
『じゃあ君ほどの適任者はいないよ! T町博物館は日本初の民俗専門の博物館だもの! ぜひお願いしたい! あ、夜遅くなったりするかも知れないけど大丈夫だよね?』
言い方に少々引掛かかったものの、黒尾は快く引き受けた。T町博物館は大学時代、取材やフィールドワークのため何度も訪れた場所だ。
外回りが多くなり夜が遅くなっても問題ない、体力のある独り身を選びたいというのがチーフの本音であった。そして民俗学をただのホラーと呼び、黒尾に青筋を立てられるくらいにはその道に疎かった。
(そしてここにまでボケ老人の介護がついてくるとは……)
黒尾は博物館の入口で仁王立ちしている人物を半目で見やった。
「何であんたいるんすか……」
「なーに、おらいは博物館のスポンサーだえ」
鼻の穴を得意げに膨らませる鬼谷を見て、彼はげんなりしていた。
スポンサー及び博物館へ様々な資料を寄贈しているのは事実だが、今日は取材現場へに勝手に押しかけただけだった。
「ちっ、無駄に土地と金ばっか持ちやがって……」
「いやあ、今日も新聞社が取材さ来るっつうから、タカっちゃん来るんでねーかと思ったら! やっぱおめえだったなあ!」
「はあ……今日は博物館に取材に来たんですから、貴方は大人しくしててくださいよ」
「おう、おらいはただのスポンサーだがらな! けんど、館の一階さ展示されてるあれは、おらいに伝わる神器で、おれの親父がガキだった時に―――」
得意になって騒ぐ鬼谷を博物館の庭園へ追いやった黒尾は、広報担当の博物館職員とミーティングルームへ入っていた。
「本日もご足労頂きありがとうございます。外は寒かったでしょう。この時期になると、T町はもう木枯らしが吹きますからね」
T町博物館学芸員であり、広報担当の白崎が黒尾を労った。
白崎は物腰柔らかな30代くらいの男性だった。話しやすく温和な物言いや、歳が近いこともあり、黒尾は彼が担当で良かったと思っていた。
「この県はどこの地域もそうですよ。夏が終わったら冬の準備です」
世間話もそこそこに、博物館の現在の状況や今後のスケジュールを話し合った。
記念式典へ向けた企画展や館内での講演会も特に問題なく進んでおり、黒尾は来年の式典が内心楽しみになっていた。
最後に白崎と館内を巡っていた際、さりげなく彼へ話を振ってみた。
「常々思うのですが、こちらの館には白蛇族の資料が少ないようですね。河童や天狗は様々あるようですが」
「ええ、そうなんです。白蛇族は物的資料がほぼ無いんです。その希少価値の高さから、人間が狩り尽くしてしまっていますから」
業が深いですよね、と白崎は丸眼鏡奥の目を半開きにした。
やはり祖父の記した通りであった。黒尾はうんうんと頷きながら同調する。
「全く、人間というものは珍しいものや、美しいものに対し見境が無いから困ります。失ってから初めて気付くんです。どれだけ自分たちが恩恵を受けていたかをね」
「ええ、そうですね。教訓としたいものです」
白崎は黒尾の横顔をちらりと盗み見るようにした後、相変わらず穏やかな笑顔を見せていた。
「白崎さん、実は私は『T町物語』の中でも『マヨイの林』に特に惹かれているんです。人間のせいとはいえ、資料が少ないのはやはり寂しいものがありますね」
『T町物語』とは、古くよりT町の庶民に伝わる逸話や言い伝えを記した民話集であった。明治時代の民俗学者らによって編集・刊行され、現代では「日本のグリム童話」との異名を持つにまで至っている。
『マヨイの林』は収録されている民話の一つ、白蛇族についての物語だった。
「おや、奇遇ですね。実は私も『マヨイの林』が大好きなんです」
白崎はぱっと顔を明るくすると、白蛇族唯一の展示資料『マヨイの林』を記した紙芝居へ視線を向けた。
紙芝居のストーリーはこうだった。
"かつて白蛇と白蛇族がたくさん棲んでいた山域へ強欲な人間が踏み入り、その鱗の美しさや肉の珍味を求め彼らを乱獲した。結果、白蛇や白蛇族はほぼいなくなってしまった。
そしてその後、その山域へ近付く者は道に迷い遭難したり、またある者は気狂いとなって帰還したりする事件が相次いだ。
人間に踏みにじられた白蛇の呪いだと地元の民は考え、その山域を「マヨイの林」と呼び忌地とした"
「人間の欲深さが詰まったストーリーですよね」
白崎は遠くを見つめるような目をして言った。そして黒尾へ向き直ると、少し不思議そうに尋ねた。
「ところで、黒尾さんはなぜ『マヨイの林』にそんなに興味がおありで? 何かきっかけがあったんですか?」
「いやあ、うちの祖父が民俗学――民話マニアでして。小さい頃からよく聞かされたもんで」
黒尾は口走りそうになり慌てて口をつぐんだ。祖父が民俗学者であること、ひいてはこの博物館で長年学者として勤めていたことは公にしたくなかった。
(じいちゃんの七光り丸出しだからな……それにじいちゃんが勤めてたのは10年以上も前だし)
黒尾の胸中を余所に、白崎は納得したように微笑んだ。
「なるほど。白蛇を捕まえたいとかではなく、お祖父様の影響だったのですね。私の身内にも民話に詳しい者がいたので、仰ることはよく解ります」
「ああ、そうでしたか。さすが民俗学の宝庫と言われるこの地ですね」
「ところで黒尾さん、ご存じですか? 実は今も白蛇が採れるとの噂を聞きつけた密猟者や、冷やかしの観光客、そして動画配信者がマヨイの林へ足を運んでいること」
「ああ……風の噂で聞いたことはあります。全く、迷惑極まりない」
白崎の言う通り、マヨイの林があるとされる山域近辺には密猟者のほか、マナーを忘れた観光客や、視聴率稼ぎの動画配信者までもが訪れていた。
『T町物語』を目玉に町おこしをしたことで、T町は一躍有名となった。しかしそれにより、良くも悪くも様々な人間が多様な形で『T町物語』へ触れているのであった。
「やはりご存じでしたか。何でも、不躾に訪れた者たちは、何故か不審な事故にあったり、消息不明になったりという噂もあるようですよ」
黒尾は有名動画サイトで目にしたサムネイルを思い出した。『ホラースポット マヨイの林に行ってみたら事故ったw』『有名配信者◯◯、マヨイの林へ行くライブ配信を最後に消息断つ』『【捕まえたら】マヨイの林に今も白蛇はいるのか?【売れるかも】』―――。
どれも低俗で、承認欲求を束にして固めたようなタイトルだった。
「良からぬ者がいるのは、動画サイトで少し目にしたことはあります。今も昔も結局変わりませんね。昔ですら遠い地からも密猟者がやって来ましたが、今は誰でもネットで情報を得てそこへ行くことができる。情報社会の弊害ですね」
黒尾の言葉に小さく頷き、白崎は少し俯いた。丸眼鏡が光を反射し、その表情は読み取れなかった。
「過去、マヨイの林の山域を解体しようとして、解体業者など、関係者の変死事件が相次いだこともあるようですね。祖父から聞きました。その事件をきっかけに白蛇供養の祠が建てられたとか」
「さすが、お詳しいですね」
白崎はやはり、穏やかな笑顔をしていた。しかしどこか憤りを押し殺しているように黒尾には見えた。
「祠を立てたくらいで彼らが納得するとは思いませんけどね」
「ええ。仰る通りかと。白崎さんもよほどT町物語、そして『マヨイの林』のファンなんですね。神聖なこの地へ土足で踏み込まれたら、私とて気分が悪くなります」
つい話し込んでいるうちに、会社へ戻る刻となっていた。
黒尾は白崎や他の職員へ挨拶を済ませ、足早に社用車へ乗り込んだ。
会社への道を走りながら、別れ際の白崎との会話を反芻していた。
『白蛇族は心から想った相手とでないと子孫を残せないなんて、生き物として欠陥ですよね。惚れた相手が悪い奴だったとしても、そいつと番うしか子孫を残せないなんて』―――
「俺も、あいつにとって"良い奴"ではないよなあ……」
タバコを取り出したくなったが、今はやめておいた。
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