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第10話 千年の想い

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「お逃げください、陛下……ッ」

 トルマーレ王宮本丸に響く声。命に替えても君主を護らんとする、家臣の叫びだった。
 ついに、王宮内へ毒瘴が流れ込み、王と側近たちが黒い煙に巻かれていた。
 側近はすでに生気を吸われ、薄れゆく意識の中で君主を背に庇っていた。
 が、トルマンもすでに毒瘴にやられ、立っているのがやっとの状態となっていた。

「親愛なる家臣よ……済まないッ……」

 トルマンは残り少ない力を振りしぼり、意識を失った側近を物陰へ隠した。

 毒瘴は不気味な影が蠢き、生き物のようだった。まるで液体のように流れ込んできたそれは、トルマンの目の前で人のような形を作った。
 10メートルはあろう"それ"は王宮の床を這うようにし、頭部らしき部分をぐいと持ち上げた。すると目と口のような箇所が不気味に白く光り、再び顔が形成された。

「……やはり、きみなんだろう……?」

 側近らも倒れ、トルマンは単身"それ"と対峙していた。
 毒瘴は彼の周囲を固め、蠢いている。
 "それ"はトルマンへ手を伸ばし、彼を掴もうとしているようだった。


「陛下!! ご無事ですか!!!」

 よどみきった空間を射抜くような声が響いた。
 王宮を封鎖していた毒瘴をかいくぐり、一人の兵士――タンザは本丸へ突入した。隣ではサフィヤが険しい顔で"それ"を見つめていた。

「タンザ…! サフィヤ…! よくぞ、還ってきてくれた…!」

 生還を喜びあう暇はなかった。"それ"はトルマンを鷲掴みにせんとばかりに、大き過ぎる手を広げた。
 トルマンは苦しげに浅い呼吸を繰り返し、"それ"へ語りかけた。

「きみなんだろう? ルビーラ!」

 ルビーラ―――
 そう呼ばれた瞬間、"それ"は驚いたように動きを止めた。

「ルビーラ……!? まさか……! やはり……!」

 サフィヤが何かに気が付いた。しかし何に気付いたのか問う余裕もなく、タンザは"それ"に剣を向けた。

「陛下から離れろッッ!!」

 雄叫びを上げながらタンザは"それ"の手目掛けて突進し、剣を振り下ろさんとした。

「このッ!!」
「待てッ、タンザ、攻撃しては―――」

 "それ"は憤ったのか、地鳴りのようなうめき声を上げ、剣を振りかざすタンザへ手を高く上げた。手を振り下ろさんとした瞬間―――。

「お止めください……!」

 サフィヤが、タンザを背に庇った。大きな手―――毒瘴の塊がふたりを覆いつくし、ふたりは弾き飛ばされた。身を挺してタンザを庇ったサフィヤから小さなうめき声が漏れる。

「つッ、うぅ……」
「サ、サフィヤ…! 大丈夫か…!?」  
「僕はッ、平気だから、陛下を……!」  

 それを見ていたトルマンは叫んだ。

「もうやめてくれ、ルビーラ……! きみの狙いは私だろう!」

 "それ"はトルマンへ向き直った。身体中から噴き出す毒瘴がわずかに陰ったようにも見えた。

「ルビーラ……千年も、火山に一人閉じ込めて……本当に済まなかった……あんなに、王国のために尽くしてくれたきみを、私は護ることすらできなかった」

 "それ"は長い身体を震わせていた。心なしか、少しずつ縮んでいくようだった。

―――こいつ、王の話を理解しているのか?

 意思疎通不可能な化け物にしか見えなかったそれが、「人」へ近づいているようにタンザは感じた。

―――ルビーラってトパスさんが言ってた名前か…? もしかすると、こいつは、元々は――。

「ルビーラ……、私だ、"ダイモンド"だ……! 己でも信じられないが、あれから千年の時を経て、トルマーレに再び生を受けたのだ」
 
 "ルビーラ"の身体がどんどん縮小し、本丸に満ちていた毒瘴が弱まっていった。

「トパスから聞き確信した。ここ永い年月、予知能力を有したエスピリカが生まれていないと。私のせいできみは生まれ変わることもできず、千年も火山へ幽閉されていたのだろう……」

 トルマン―――ダイモンドは特別な誰かを見つめるようなまなざしで"ルビーラ"を見上げた。
 涙など絶対に見せなかった君主の瞳に、透き通った珠が盛り上がっては絶えず溢れ落ちるのを、タンザは黙って見つめていた。

「……千年前、きみが予言した"王国の罪"だ。罪もないエスピリカを幽閉し、族長だったきみの魂を穢した。これは私の罪だ。あの時、国王として民を収められず、きみを悲惨な目に遭わせてしまったのだから」

 気が付くと、"それ"は王と同じくらいの身長となっていた。
 少しずつ、頭の先から毒瘴が剥がれ落ちていき―――

「あれは……!」

 タンザは息を呑んだ。
 あの禍々しい姿の"それ"は、地下に幽閉されていたエスピリカそのものだった。
 
 彼は初めてエスピリカを見た時のことを思い出していた。
 透き通るような白い肌、光をまとったかのような銀色の髪。人間と違い尖った耳は、知性を感じさせた。
 トルマンと向かい合うそれは、紅い瞳が穏やかながらも熱く燃える炎を連想させた。
 足近くまで伸びた淡い銀の髪はわずかな朝日を反射し、金糸のように輝いていた。
 生身でも透明感のあるエスピリカだが、現れたルビーラは本当に姿が透けていた。 

 それは、彼がすでにこの世の者でないことを周知させるには十分だった。

「永い間、ほんとうに済まなかった……! ルビーラ……!」
『ダイモンド……』

 ルビーラは声にならない声でトルマンダイモンド―――いにしえの友の名を呼んだ。

「千年前、エスピリカの族長だったきみが火山へ投げ込まれたと聞いたとき、頭の中が真っ白になった。同時に、王として無力な自分自身を呪った。挙句、大切な友と一族を千年も幽閉した」

 ルビーラは静かに友を見つめていた。その感情は、傍からは読み取ることができなかった。

「ルビーラ。私はこの後、必ずエスピリカを地上へ呼び戻す。あの時、王として成し遂げられなかった事を此度、王として成し遂げる。そしてもちろん、きみの墓を作る。こんなに今さらでも、あの時できなかったきみへの鎮魂をしたい」

 王宮内の毒瘴は弱まり、トルマンとタンザに生気が戻りつつあった。

「エスピリカとトルマーレ、共存の再開を見届けてくれるかい?」
  
 想いを胸に秘めた紅いまなざしが揺れている。
 ルビーラは少し押し黙ったのち、ゆっくりとかぶりをふった。
 身体の透明度は増していき、いよいよ消えてしまうかと思われた。
 トルマンは一瞬悲しげなまなざしになったが、すぐに目を伏せ「分かった」とうなずいた。

「ルビーラ。きみはほんとうに素晴らしい、"美しいひと"だった。国王である前に、一人の人間として。きみはかけがえのない存在だった」

 ルビーラは切なく、儚く微笑んだ。紅い瞳がやさしい光に満ちていた。

「……ルビーラ族長」

 サフィヤが彼へ歩み寄り、跪いた。

「僕は現代のエスピリカ、現族長トパスの孫、サフィヤと申します。貴方のことは、先祖代々言い伝えで存じておりました」

 紅と蒼、ふたつの瞳が見つめ合った。
 精霊のようなエスピリカがふたり並び、神聖な儀式のようにタンザには見えた。

「エスピリカは今や、トルマーレを恨んでおりません。再びトルマーレと共存できる日を、だれもが心より望んでおります。トルマン陛下は、永きに渡る両者よ隔たりを取り払おうとなさいました。それゆえ、僕は今ここにおります。エスピリカはの未来は明るいと、僕は信じております」

 ルビーラはサフィヤを見つめた後、隣のタンザへと視線を向けた。
 タンザもサフィヤに並んで跪いた。

「千年前のエスピリカ族長、ルビーラ様。先の無礼をどうか、お許しください」

 君主を護ろうととっさに斬りつけようとしたことを詫びると、彼はルビーラをまっすぐ見上げ、立ち上がった。

「小生は幼少期、サフィヤと出会いました。地下への接近が禁じられていたにも関わらず、好奇心に負け地下の秘密を知りました。そしてその後も逢瀬を続けたのを鮮明に心に刻んでおります。子どもながら、王国に背く行為でありました。しかし、そこで彼―――このサフィヤと出逢いエスピリカの清さ、尊さを知りました。一兵士の身分で恐れながら、エスピリカはトルマーレに必要な存在であると痛感しております」

 走馬灯のようにめぐる、サフィヤとの出逢い、地下の風景。真実の間で知った歴史。
 そして10年の時を経ての再会。
 どの記憶でも、儚く、切なく、けれどまっすぐにこちらを見つめる蒼玉の瞳。
 
 初めて会ったその時から、俺は―――。

「俺とサフィヤは、出会うべくして出会ったと自負しております。我が君主のもと、エスピリカとトルマーレの架け橋となり、いずれ架け橋すら必要ないほど。かつてのトルマーレに戻すことに、使命を尽くします」

 言葉おもいがあふれて止まらない。自身の舌が意思を持っているようだった。

「そして小生――俺は、今もサフィヤに心奪われております。子どもの頃からこの想いは変わっておりません」

 蒼玉の瞳が見開かれ、こちらを見つめていた。
 自身でも何を言っているのか、なぜ今口走ったのかタンザ分からなかった。
 耳までルビー色に染まる若き兵士たちを見つめたあと、トルマンとルビーラはうなずき合った。

『ダイモンド……私はきみに伝えられなかった想いを、どうか伝えたかったのです……愚かにも未練に捕らわれた私は、自我なき怪物となってしまったようです』
「それはきみのせいじゃない。千年も待たせた私の責任だ」

 ルビーラの、紅玉の瞳が儚く揺れた。
 まなざしだけは、トルマンをまっすくみつめたままに。

「そして私も。きみにもっと、伝えたかった想いがたくさんある。身勝手なのは分かっている。けれど、それでもどうかもう一度、私の傍へ生まれ変わってきてくれないか」

 ルビーラは切なげに微笑むだけで何も答えなかった。そして、薄れゆく身体でトルマンへ歩み寄った。

『ああ、ダイモンド……生まれ変わりと思えぬほど、こんなにも…あの時の姿のままで……』
 
 いちばん大切な宝物へ触れるように、ルビーラはトルマンの頬へ触れた。
 トルマンダイモンドはその手を取ると、誓うように口づけた。

 消えゆく間際、ルビーラはトルマンの耳元になにかを囁いた。
 愛の言葉を囁くように唇が動いたのを、タンザは確かに見ていた。

 神の末裔と、それに仕えた精霊の末裔―――
 一人の人として愛し、愛されたふたりの章の終幕を、未来担うふたりがまっすぐに見つめていた。
 
 
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