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前説 本編 零話
しおりを挟む「結城のヤモリは長槍で戦に臨む」 関ヶ原の戦い編
前説
『戦国の世』真っただ中、下総の小国。御家を守り抜く気概に満ち溢れる城主がいた。かの有名な『桶狭間の戦い』の年には、齢二七で城主になっていたのだ。
この男が生き抜いた人生は、まさに乱世に於いて『神に選ばれし者』と、云えよう。
当時の名だたる武将をも凌駕する、稀有な人物の一人である。
なおメインで登場する、登場人物のイメージとして、次に掲げる方々を仮想して頂ければ幸いで御座います。この御時世、何に抵触するか分かりません、苗字のみでの想像をお願い致します。思い当たりそうな苗字が数名いる場合の為、ヒントも添えております。
桔梗(九月) 新垣様
安倍晴月 明石家師匠
朝勝 役所様
信吾 阿部様 (男子柔道メダリスト)
長門晋之介 山下様 (山P)
豊臣秀吉 女子ソフトボール選手のメダルをかじった市長様
石田三成 小栗様
片桐且元 妻夫木様
せつ ゆい (P)
主人公(結城晴朝) 各自、御自由に想像していただきます。
序説
爬虫類のヤモリは、人が住む屋敷の薄暗い壁や屋根裏に潜み、夜になるとゴキブリやクモなどの害虫を食す。日の中は滅多に姿を見せず、家に住む者には有難い、有益な生きものである。
性質は大人しく、人への害は無いが、みてくれだけが、難点であろう。 しかし、日本古来より『家守』と、漢字表記されている『読んで字の如し』住み着いた家を守っているのだ。
如何なる小さな農家や商家、貧乏家でも、御家を維持(守る)する事は並々ならない苦労を伴う。更に『一国の主』とならば、桁違いの苦しみが連続して訪れる。
時は戦国、下総の小国に、御家を守る為、延いては領地領民を守る為に、人生を懸けた『家守武将』がいた。
本編
時は慶長五年九月、激しい雷雨が小降りになった頃である。
一人の男が濡れ縁に胡坐をかき、襖に背を当て静かに寝ていた、微かに聞こえる雨音が、子守唄代わりになったのであろう。小降りになったとは云え、遠く南の空には未だ稲光が天を突き、雷音も聞こえている。
そんな中、男は何者かの足音で目が覚めた。所は、関東下総の国、結城氏の支城、中久喜栃井城である。
結城氏とは、平安以来の名族で、源氏の流れをくむ関東の名門である。初代結城朝光が隣国の小山氏から分家して、小山城から東へ四里程の、日光を源流とする田川沿いに館を構えた。そこが結城氏の居城『結城城』である。
そして、その男が眠る栃井城は、結城城から西へ一里半ほどの小高い丘の上にあった。
その男とは言ったが、中々の老人である、齢も六十は超えているであろう。頭は禿げ上がり無精な髭が生えているのだ。何処から見ても、老いぼれ爺ではあるが武人である事だけは、身なりから推察出来る。されど眠りから目覚め、濡れ縁に腰を掛けたまま、微かな雨のしずくを見る目は眼光鋭く、歴戦の強者を物語っていた。
「御屋形様、大変で御座います一大事じゃ、もはや終わりかもしれませぬ……」
元結城家筆頭家老玉岡が、髷を振り乱し、大声を張り上げながら男に駈け寄って来たのだ。
「如何した」
濡れ縁に腰を掛ける爺が言った。
「爆破じゃ、爆破で御座る、結城の御屋敷が燃えて………燃えております~」
玉岡は、雨に濡れた髷が解けんばかりに首を振り、息も絶え絶えに、声を振り絞り伝えた。
「ほう……、西軍に与する佐竹に、大筒でも撃ち込まれたか……」
爺は何故であろう、大惨事たる報告にも、驚くほど慌ててはいない。
「御屋形様、少しは驚きなされ、慌てなされ。武士は元より農民から町人に至るまで、皆の者必死で御堀の水を汲み、火消しを行っておりまする……」
すると爺は、玉岡の話を遮る様に。
「お鶴は無事か、それが心配じゃ」
尋ねると。
「御無事で御座います『偶然にも』と、言いますか~東館におわしまして……、幸運で御座いました。しかしながら……、え……」
玉岡が言葉に詰まると。
「結城少将の事か」
爺は眼光を見開き、眉間にしわを寄せた。
結城少将とは、豊臣秀吉の養子であり、実の父は徳川家康である。つまり家康の次男が秀吉の養子に入り、その後結城家の養子になった、しかも結城家の養女鶴姫と婚姻した為、名実ともに結城家の十八代当主である。
そして爺は一瞬、雨上がりの虹を見ると。
「心配は無かろう、無事じゃ」
と、言い切った。玉岡は怪訝な表情で。
「御屋形様、呑気な戯言はおやめなされ、御家の一大事で御座るぞ。御家老の加藤様から『御隠居様などに、いちいち報告せずとも良い』と、たしなめられましたが。居ても立っても居られず、はせ参じたものを……」
声を荒げた。
「わしには、分かる、分かるのじゃ」
そう小声で話すと、濡れ縁にあぐらをかき、二重になった虹を指差し。
「何とも吉兆」
と、呼びかけ、微笑んだ。
この、御屋形様と呼ばれている、無精髭で皺の深い爺。何処から見ても老いぼれ爺に傍目には見えるが、下総結城氏十七代城主結城晴朝と称する、一国の主であった男である。
大騒ぎをしている玉岡は、晴朝が城主時の筆頭家老であり、側近中の側近であった。所が、結城晴朝が隠居すると同時に、筆頭家老の任を解かれ、秀康の政権下では『下級武士の扱い』と、大幅に格下げされてしまったのだ。
慣習として、晴朝を『御隠居様』と、呼ぶべきであろうが、秀康を未だ『主君』と、認められないのか。今まで通り『御屋形様』と、呼んでいる。それとも、長年呼び慣れた呼称は、そうそう抜けるものではないのかもしれない。
玉岡に限らず結城の地侍は、往々にして晴朝を『御屋形様』と、呼んでいる様である。
晴朝は群雄割拠する関東の地で、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、相模の北条氏などと戦を交え、四十年もの長い間、結城家を守ってきた大殿様である。時には和議を結ぶなどして、切り抜けた事もあり『剛の者』と、云うだけではなく、知略も持ち合わせているのだ。
しかしながら、全ての戦に於いて『勇猛さと知略』が嚙み合っていた訳ではない。
晴朝が若かりし頃、相模の北条氏に脅され、前線にて上杉謙信軍と戦を交えた事がある。晴朝は先鋒として、勇猛な上杉軍に玉砕覚悟、やる気満々で『長槍』を振り回し戦に臨んだ。
しかし、上杉軍の鉄砲隊が、激しい銃撃を開始した途端、馬頭を翻し、味方北条軍の次鋒に襲い掛かったのだ。上杉軍との事前内通は無かった様である。
初めて見る『鉄砲隊』を、前にして、槍や刀では戦えないと判断したのであろう。単純に『怖くなった』だけかもしれないが……、其処は不明である。それも数名が銃撃されただけで即断し、寝返った為、北条軍は大慌てで退却と相成った。混乱は結城の兵も同様で、いきなり長槍を掲げる晴朝が向きを変え。
「気が変わったー」「矛先を相模に向けよー」「敵は、北条なりー」
などと、叫びながら、後詰めの結城兵をかき分け、北条軍に向ったのである。
其の後、上杉には『北条に恫喝され、仕方なしに先鋒を務めたまで』と、詫びを入れ。北条には『総崩れを回避する為の所業であった』などと、苦しい言い訳を押し通した。それでも首は、何とか繋がったのであるから『強運』としか言い様がない。
戦は槍から鉄砲に変わり始めている。しかし晴朝は、その後も長槍で戦に臨んだ、家臣団の象徴なのであろう。生死をかけた戦場に於いては、武器以上に精神面が肝要なのだ。
晴朝が作らせた、全長二間(3m64㎝)という、桁外れに長い『御手杵の槍』と呼ばれ名槍は『天下三槍』の一つである。
「は、はい。確かに爆破による怪我は御座いませぬが、西舘からの火の粉が舞う、本丸館から避難する際、転びまして、腰を強打され、歩く事もままならない状況で御座います」
玉岡が言うと、被せる様に。
「そんな事までは、知らぬわ。爆音で、腰でも抜かしたのであろう」
晴朝は玉岡の目を見ずに言うと。
「御屋形様、何か……。御存じで御座いますか」
玉岡は晴朝の顔を覗き込んだ。
「いや、いや……、いや何も知らん……。して、火の手は如何した」
晴朝は話題を変えた。
実際、玉岡が伝えに来た頃には、火の手は下火になっていた。城中の者から、町民農民すべて一丸となり、消火に協力したおかげでもあるが。なにより、先程まで降っていた、雷雨にも助けられたのだ。されど被害は甚大で、西舘はほぼ全壊である。
結城の城は天守閣を持たない平城で、大きく分けて本丸の実城と西舘、東館で構成されている。城の敷地が広大である為か、西と東を結ぶ回廊があるわけではなく、三棟を囲むように武家屋敷が点在しているだけである。
しかし、中央実城の屋敷だけはひときわ大きく、百十四畳敷きの『金の間』九十六畳敷きの『銀の間』は見るものを圧倒する。ただし、近代城郭の豪華さはなく、あくまでも戦に備える城の構造である。
そもそも結城城の歴史は古く、平安時代にまでさかのぼる。初代結城朝光は源頼朝の側近として仕え、頼朝公の『落胤』という伝説まである程、鎌倉幕府征夷大将軍の寵愛を受けた人物であった。そこから十七代目になるまで、数年の御家断絶や度重なる戦にも、何とか持ちこたえてきた城であった。
ただしその歴史の中で、爆破された事は未だかつて無く、初めてである。
「して、死んだ者はおるか、怪我人はどうじゃ」
晴朝は玉岡に尋ねた。
「はっ、不思議な事に、数名怪我人はおりまするが大事には至らず、死者は一人もおりませぬ」
晴朝はそう聞くと、深く目を閉じ、軽く頷いた。
その時、また庭先から大きな声が聞こえてきた、元家老の吉田が血相を変えて。
「大変じゃ~一大事、御屋形様~。御家老の加藤様から『御隠居様などに、いちいち報告せずとも良い』と……」
先程の玉岡と一緒である。
晴朝は、話の途中で食い気味に。
「如何いたした、騒々しい。肝心な所だけで良い」
と、言い終わるや否や。
「あっ、玉岡様もいらっしゃったか、それは好都合。大変で御座る、豊臣方に与する佐竹が攻めてまいります。おそらく徳川内府殿が、石田治部殿を鎮圧する為、大軍を率いて西へ向かった事を好機と判断し、進軍を始めた模様で御座います」
吉田は息を切らしながら必死に報告した。
するとまた庭先から、元家老の一人、高椅(たかはし)が、目も飛び出さんばかりの形相で、袴の裾を振り乱しながら。
「御屋形様、宇都宮から蒲生殿の使者が援軍を求めて参りました。聞けば、会津の上杉中納言殿が、徳川内府殿の西行を機に、交戦していた最上義光殿と和睦し、内府殿を挟み撃ちにすべく、二万に及ぶ上杉軍が南下を始めた模様。驚く事に和睦を結んだ最上軍が先鋒を務めているとの事。更には、伊達政宗殿も上杉殿と内通し、伊達領以北の主な街道に陣を張り、南部、津軽、秋田など德川方諸大名の南下を抑えておるとの事」
一気に報告すると庭に倒れこみ、肩で息をしている。
当然高椅も、息を整えた後『御隠居様などに、いちいち報告せずとも良い』の下りを語った。
しかし晴朝は話を止める事はせず、あきれた様に苦笑いをして深く目を瞑り、腕組みをしたまま動かない。
大きな戦の予感を、思い巡らせていたのであろう。
三者の報告をまとめると、徳川家康方の東軍に与する結城家としては、極めて厳しい状況に置かれた事になってしまったのだ。
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◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
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