きみの心音を聴かせて

朱宮あめ

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第4章・ひとりにはなりたくない

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 それからいくつかの電車を見送って、葉乃が泣き止むのを待った。
 葉乃が泣き止む頃には、陽が暮れ始めていた。
「……私ね、前の学校でいじめられてたんだ。中学生のとき」
 泣き止んだ葉乃が、ぽつぽつと話し出す。
「私その頃ちょっと太ってて……しかも、性格も暗かったし。たぶんそれがいちばんの理由で、みんなに無視されてた。男子には小学生の頃からずっとからかわれたりしてたし、だから私、学校がだいっきらいだった」
「葉乃と美里って、たしか私立出身だったよね?」
「うん。小学校からエスカレーター式のとこ」
 ふたりの母校は小中高大一貫の学校で、地元でも有名なところだ。
 知ったとき、どうしてわざわざ外部受験なんかしたんだろうと疑問に思ったことを覚えている。
「みんな、私の悪口を言うか、無視。毎日学校に行くのが辛くて、通学中に吐いたこともある。でもね、二年生になったとき、美里と知り合ったんだ。美里だけは違った。美里は、私の容姿とか関係なく、ふつうに話しかけてきてくれたんだ」
 葉乃は過去を懐かしむように遠くを見つめる。
「私がみんなに無視されていてもおかまいなし。周りの視線を気にすることもなく、私のところに来てくれた。……私、美里がいなかったら、今生きていたかも分からない」
 私はいじめにあったことがない。
 幸い、これまでのクラスでいじめを目撃したこともなかった。
 葉乃が抱えていたものの大きさに、私は愕然とする。
 葉乃がいじめにあっていたなんて知らなかった。これまでたくさん話してきたのに、私は葉乃のなにを見ていたんだろう。
「美里と一緒にいるようになってからは、頑張ってダイエットをして、ナメられないようにファッションも勉強した。そうやって少しづつ、クラスに溶け込んでいったんだ」
「でも」と、葉乃が暗い声を出す。
 中学三年生になった葉乃に待っていたのは、残酷な現実だった。
「最後のクラス替えで、美里とクラスが離れちゃって……代わりに同じクラスになったのは、一年のとき私をいじめてきた派手なグループの女子たちだった」
 葉乃の顔が苦しげに歪む。
 葉乃の苦しみが伝染したように、私の胸もきりきりと痛んだ。
「またいじめられるかもって、すごく怖かった。でも、進級してすぐ、いじめっ子のひとりがふつうに話しかけてきたんだ。一年のときのいじめの記憶なんて、ぜんぜん覚えてなかったみたいに」
「な、なにそれ。最低……!」
「だから私も、必死に忘れてるふりして笑った。そうやってその子たちのグループに入ったとき、あ、私、ここにいていいんだって、ほっとしちゃったんだ」
 大っきらいだったはずなのにおかしいよね、と葉乃は投げやりに笑う。
 その声音には、嫌悪の色が混ざっていた。
 もしかしたら葉乃は、そうやって場の空気に合わせてしまうじぶんがきらいなのかもしれない。
「って、なんで柚香が泣くの」
 指摘されて初めて気付く。私は泣いていた。
「だって……ムカつくんだもん。散々いじめてきたくせに、ある日突然ぜんぶなかったことにしようとするとか……私だったら、ぜったい許せない」
 胸の中が、意味が分からないくらいぐちゃぐちゃになる。泣きながら怒る私に、葉乃は困ったように笑った。
「……笑っちゃダメだよ」
「え?」
 こんなの、ぜんぜん、笑いごとじゃない。
 葉乃の顔から笑みが消える。
「今の話、葉乃にとってはぜんぜん笑える話じゃないでしょ。無理して我慢して、心の中と違う顔をするくせがついちゃったら、どんどん本音が分からなくなっちゃうよ」
 みるみる葉乃の顔が歪んでいく。目から、ぽろぽろと涙があふれ出す。やっぱり、泣くのを我慢していたようだ。
「うん」と、葉乃は肩を震わせながら頷いた。
 葉乃にハブられたと分かったとき、じぶん勝手だと思ったし、ショックだった。
 でも、今なら葉乃のしたことが理解できてしまう。葉乃はこれまで、過去の傷をだれにも打ち明けられないままひとり怯えて、葛藤していたのだ。
「その子たちに合わせなきゃいじめられるかもしれないって思うのは、普通のことだよ。たぶん私が葉乃と同じ立場でも、同じことをしちゃうかもしれない」
 私たちは、ひとりになるとなんの力も持たない。
 たったひとりで完璧に形成された空気に抗うのは、容易なことではない。
 まして、葉乃はいじめられる恐怖を一度味わっている。無茶をしてでもいじめを回避しようと思うのは当然のことだ。
「でも……柚香は私に怒るべきでしょ。私、柚香に最低なことしたんだよ」
「違うよ。先に最低なことをしたのは、その友達だよ。私はその子たちに腹が立つ」
 やっぱり柚香は優しいね、と葉乃は力なく笑う。
「……そのグループね、集まるたびにだれかの悪口を言ってたんだ。あの子感じ悪いよね、とか、あいつウザいからハブろうよ、とか。それで、みんなその言葉に過剰に頷いて。聞いてるだけじゃ保身だと思われるから、それが怖くて私もみんなと一緒になって悪口を言ったりして。中一のとき、私がされていやだったことを別の子にやり返してた」
 葉乃はどこか遠くを見つめて言う。
「そうやってみんなに合わせて笑ってるうちに、どんどんじぶんの性格が悪くなっていってること自覚して、いやになってた」
 気持ちは分かる。
 変わりたいと思いながらも、周囲に流されて、空気に抗えないじぶんがいやだった。
「じぶんのことがきらいできらいで仕方なかった。その子たちと離れたかったけど……でも、同じクラスに美里がいないから、どうしても勇気が持てなくて」
 その言葉で気付いた。葉乃にとっての美里は、私にとっての音無くんと同じなんだ。
「それだけじゃない。私が影でだれかの悪口を言ってるって知ったら、美里にもきらわれちゃうかもしれない。そう思ったら、美里にも相談できなかった」
 呟く葉乃の声は震えていた。
「でも、身動きがとれなくなってる私を助けてくれたのは、やっぱり美里だった」
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