27 / 48
第4章・ひとりにはなりたくない
5
しおりを挟む
それからいくつかの電車を見送って、葉乃が泣き止むのを待った。
葉乃が泣き止む頃には、陽が暮れ始めていた。
「……私ね、前の学校でいじめられてたんだ。中学生のとき」
泣き止んだ葉乃が、ぽつぽつと話し出す。
「私その頃ちょっと太ってて……しかも、性格も暗かったし。たぶんそれがいちばんの理由で、みんなに無視されてた。男子には小学生の頃からずっとからかわれたりしてたし、だから私、学校がだいっきらいだった」
「葉乃と美里って、たしか私立出身だったよね?」
「うん。小学校からエスカレーター式のとこ」
ふたりの母校は小中高大一貫の学校で、地元でも有名なところだ。
知ったとき、どうしてわざわざ外部受験なんかしたんだろうと疑問に思ったことを覚えている。
「みんな、私の悪口を言うか、無視。毎日学校に行くのが辛くて、通学中に吐いたこともある。でもね、二年生になったとき、美里と知り合ったんだ。美里だけは違った。美里は、私の容姿とか関係なく、ふつうに話しかけてきてくれたんだ」
葉乃は過去を懐かしむように遠くを見つめる。
「私がみんなに無視されていてもおかまいなし。周りの視線を気にすることもなく、私のところに来てくれた。……私、美里がいなかったら、今生きていたかも分からない」
私はいじめにあったことがない。
幸い、これまでのクラスでいじめを目撃したこともなかった。
葉乃が抱えていたものの大きさに、私は愕然とする。
葉乃がいじめにあっていたなんて知らなかった。これまでたくさん話してきたのに、私は葉乃のなにを見ていたんだろう。
「美里と一緒にいるようになってからは、頑張ってダイエットをして、ナメられないようにファッションも勉強した。そうやって少しづつ、クラスに溶け込んでいったんだ」
「でも」と、葉乃が暗い声を出す。
中学三年生になった葉乃に待っていたのは、残酷な現実だった。
「最後のクラス替えで、美里とクラスが離れちゃって……代わりに同じクラスになったのは、一年のとき私をいじめてきた派手なグループの女子たちだった」
葉乃の顔が苦しげに歪む。
葉乃の苦しみが伝染したように、私の胸もきりきりと痛んだ。
「またいじめられるかもって、すごく怖かった。でも、進級してすぐ、いじめっ子のひとりがふつうに話しかけてきたんだ。一年のときのいじめの記憶なんて、ぜんぜん覚えてなかったみたいに」
「な、なにそれ。最低……!」
「だから私も、必死に忘れてるふりして笑った。そうやってその子たちのグループに入ったとき、あ、私、ここにいていいんだって、ほっとしちゃったんだ」
大っきらいだったはずなのにおかしいよね、と葉乃は投げやりに笑う。
その声音には、嫌悪の色が混ざっていた。
もしかしたら葉乃は、そうやって場の空気に合わせてしまうじぶんがきらいなのかもしれない。
「って、なんで柚香が泣くの」
指摘されて初めて気付く。私は泣いていた。
「だって……ムカつくんだもん。散々いじめてきたくせに、ある日突然ぜんぶなかったことにしようとするとか……私だったら、ぜったい許せない」
胸の中が、意味が分からないくらいぐちゃぐちゃになる。泣きながら怒る私に、葉乃は困ったように笑った。
「……笑っちゃダメだよ」
「え?」
こんなの、ぜんぜん、笑いごとじゃない。
葉乃の顔から笑みが消える。
「今の話、葉乃にとってはぜんぜん笑える話じゃないでしょ。無理して我慢して、心の中と違う顔をするくせがついちゃったら、どんどん本音が分からなくなっちゃうよ」
みるみる葉乃の顔が歪んでいく。目から、ぽろぽろと涙があふれ出す。やっぱり、泣くのを我慢していたようだ。
「うん」と、葉乃は肩を震わせながら頷いた。
葉乃にハブられたと分かったとき、じぶん勝手だと思ったし、ショックだった。
でも、今なら葉乃のしたことが理解できてしまう。葉乃はこれまで、過去の傷をだれにも打ち明けられないままひとり怯えて、葛藤していたのだ。
「その子たちに合わせなきゃいじめられるかもしれないって思うのは、普通のことだよ。たぶん私が葉乃と同じ立場でも、同じことをしちゃうかもしれない」
私たちは、ひとりになるとなんの力も持たない。
たったひとりで完璧に形成された空気に抗うのは、容易なことではない。
まして、葉乃はいじめられる恐怖を一度味わっている。無茶をしてでもいじめを回避しようと思うのは当然のことだ。
「でも……柚香は私に怒るべきでしょ。私、柚香に最低なことしたんだよ」
「違うよ。先に最低なことをしたのは、その友達だよ。私はその子たちに腹が立つ」
やっぱり柚香は優しいね、と葉乃は力なく笑う。
「……そのグループね、集まるたびにだれかの悪口を言ってたんだ。あの子感じ悪いよね、とか、あいつウザいからハブろうよ、とか。それで、みんなその言葉に過剰に頷いて。聞いてるだけじゃ保身だと思われるから、それが怖くて私もみんなと一緒になって悪口を言ったりして。中一のとき、私がされていやだったことを別の子にやり返してた」
葉乃はどこか遠くを見つめて言う。
「そうやってみんなに合わせて笑ってるうちに、どんどんじぶんの性格が悪くなっていってること自覚して、いやになってた」
気持ちは分かる。
変わりたいと思いながらも、周囲に流されて、空気に抗えないじぶんがいやだった。
「じぶんのことがきらいできらいで仕方なかった。その子たちと離れたかったけど……でも、同じクラスに美里がいないから、どうしても勇気が持てなくて」
その言葉で気付いた。葉乃にとっての美里は、私にとっての音無くんと同じなんだ。
「それだけじゃない。私が影でだれかの悪口を言ってるって知ったら、美里にもきらわれちゃうかもしれない。そう思ったら、美里にも相談できなかった」
呟く葉乃の声は震えていた。
「でも、身動きがとれなくなってる私を助けてくれたのは、やっぱり美里だった」
葉乃が泣き止む頃には、陽が暮れ始めていた。
「……私ね、前の学校でいじめられてたんだ。中学生のとき」
泣き止んだ葉乃が、ぽつぽつと話し出す。
「私その頃ちょっと太ってて……しかも、性格も暗かったし。たぶんそれがいちばんの理由で、みんなに無視されてた。男子には小学生の頃からずっとからかわれたりしてたし、だから私、学校がだいっきらいだった」
「葉乃と美里って、たしか私立出身だったよね?」
「うん。小学校からエスカレーター式のとこ」
ふたりの母校は小中高大一貫の学校で、地元でも有名なところだ。
知ったとき、どうしてわざわざ外部受験なんかしたんだろうと疑問に思ったことを覚えている。
「みんな、私の悪口を言うか、無視。毎日学校に行くのが辛くて、通学中に吐いたこともある。でもね、二年生になったとき、美里と知り合ったんだ。美里だけは違った。美里は、私の容姿とか関係なく、ふつうに話しかけてきてくれたんだ」
葉乃は過去を懐かしむように遠くを見つめる。
「私がみんなに無視されていてもおかまいなし。周りの視線を気にすることもなく、私のところに来てくれた。……私、美里がいなかったら、今生きていたかも分からない」
私はいじめにあったことがない。
幸い、これまでのクラスでいじめを目撃したこともなかった。
葉乃が抱えていたものの大きさに、私は愕然とする。
葉乃がいじめにあっていたなんて知らなかった。これまでたくさん話してきたのに、私は葉乃のなにを見ていたんだろう。
「美里と一緒にいるようになってからは、頑張ってダイエットをして、ナメられないようにファッションも勉強した。そうやって少しづつ、クラスに溶け込んでいったんだ」
「でも」と、葉乃が暗い声を出す。
中学三年生になった葉乃に待っていたのは、残酷な現実だった。
「最後のクラス替えで、美里とクラスが離れちゃって……代わりに同じクラスになったのは、一年のとき私をいじめてきた派手なグループの女子たちだった」
葉乃の顔が苦しげに歪む。
葉乃の苦しみが伝染したように、私の胸もきりきりと痛んだ。
「またいじめられるかもって、すごく怖かった。でも、進級してすぐ、いじめっ子のひとりがふつうに話しかけてきたんだ。一年のときのいじめの記憶なんて、ぜんぜん覚えてなかったみたいに」
「な、なにそれ。最低……!」
「だから私も、必死に忘れてるふりして笑った。そうやってその子たちのグループに入ったとき、あ、私、ここにいていいんだって、ほっとしちゃったんだ」
大っきらいだったはずなのにおかしいよね、と葉乃は投げやりに笑う。
その声音には、嫌悪の色が混ざっていた。
もしかしたら葉乃は、そうやって場の空気に合わせてしまうじぶんがきらいなのかもしれない。
「って、なんで柚香が泣くの」
指摘されて初めて気付く。私は泣いていた。
「だって……ムカつくんだもん。散々いじめてきたくせに、ある日突然ぜんぶなかったことにしようとするとか……私だったら、ぜったい許せない」
胸の中が、意味が分からないくらいぐちゃぐちゃになる。泣きながら怒る私に、葉乃は困ったように笑った。
「……笑っちゃダメだよ」
「え?」
こんなの、ぜんぜん、笑いごとじゃない。
葉乃の顔から笑みが消える。
「今の話、葉乃にとってはぜんぜん笑える話じゃないでしょ。無理して我慢して、心の中と違う顔をするくせがついちゃったら、どんどん本音が分からなくなっちゃうよ」
みるみる葉乃の顔が歪んでいく。目から、ぽろぽろと涙があふれ出す。やっぱり、泣くのを我慢していたようだ。
「うん」と、葉乃は肩を震わせながら頷いた。
葉乃にハブられたと分かったとき、じぶん勝手だと思ったし、ショックだった。
でも、今なら葉乃のしたことが理解できてしまう。葉乃はこれまで、過去の傷をだれにも打ち明けられないままひとり怯えて、葛藤していたのだ。
「その子たちに合わせなきゃいじめられるかもしれないって思うのは、普通のことだよ。たぶん私が葉乃と同じ立場でも、同じことをしちゃうかもしれない」
私たちは、ひとりになるとなんの力も持たない。
たったひとりで完璧に形成された空気に抗うのは、容易なことではない。
まして、葉乃はいじめられる恐怖を一度味わっている。無茶をしてでもいじめを回避しようと思うのは当然のことだ。
「でも……柚香は私に怒るべきでしょ。私、柚香に最低なことしたんだよ」
「違うよ。先に最低なことをしたのは、その友達だよ。私はその子たちに腹が立つ」
やっぱり柚香は優しいね、と葉乃は力なく笑う。
「……そのグループね、集まるたびにだれかの悪口を言ってたんだ。あの子感じ悪いよね、とか、あいつウザいからハブろうよ、とか。それで、みんなその言葉に過剰に頷いて。聞いてるだけじゃ保身だと思われるから、それが怖くて私もみんなと一緒になって悪口を言ったりして。中一のとき、私がされていやだったことを別の子にやり返してた」
葉乃はどこか遠くを見つめて言う。
「そうやってみんなに合わせて笑ってるうちに、どんどんじぶんの性格が悪くなっていってること自覚して、いやになってた」
気持ちは分かる。
変わりたいと思いながらも、周囲に流されて、空気に抗えないじぶんがいやだった。
「じぶんのことがきらいできらいで仕方なかった。その子たちと離れたかったけど……でも、同じクラスに美里がいないから、どうしても勇気が持てなくて」
その言葉で気付いた。葉乃にとっての美里は、私にとっての音無くんと同じなんだ。
「それだけじゃない。私が影でだれかの悪口を言ってるって知ったら、美里にもきらわれちゃうかもしれない。そう思ったら、美里にも相談できなかった」
呟く葉乃の声は震えていた。
「でも、身動きがとれなくなってる私を助けてくれたのは、やっぱり美里だった」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
すれ違いの君と夢見た明日の約束を。
朱宮あめ
青春
中学時代のいじめがトラウマで、高校では本当の自分を隠して生活を送る陰キャ、大場あみ。
ある日、いつものように保健室で休んでいると、クラスの人気者である茅野チトセに秘密を言い当てられてしまい……!?
離した手のひらは空に透かして。
朱宮あめ
青春
高校三年生の羽石ことりは、ずっと憧れていた美術大学への進学も決まり、あとは卒業式を待つのみとなっていた。
幼なじみで恋人同士の奏と高校最後の日常を謳歌していると、女手一つでことりを育ててくれていた母が倒れてしまう。
母はなんとか一命を取り留めたものの、右半身に障害が残ってしまった。
進学か、母か。ことりは進路を迷い始める。
迷いを奏に相談するが、ことりは厳しく批難されてしまい……。
結局、進学か帰郷か決められないまま学校が始まる。奏と会うことに気まずさを感じて登校するが、奏は学校に来なかった。
奏に連絡すると、冬休み中に奏が事故に遭っていたことを知り……。
ねぇ、大人になるってどういうこと?
夏の決意
S.H.L
青春
主人公の遥(はるか)は高校3年生の女子バスケットボール部のキャプテン。部員たちとともに全国大会出場を目指して練習に励んでいたが、ある日、突然のアクシデントによりチームは崩壊の危機に瀕する。そんな中、遥は自らの決意を示すため、坊主頭になることを決意する。この決意はチームを再び一つにまとめるきっかけとなり、仲間たちとの絆を深め、成長していく青春ストーリー。
月光はあの花の調べ
朱宮あめ
青春
真夜中、日常に疲れ果て、自殺するために岬に向かった大地は、同じく自殺をしようとしていた少女・朝陽に出会う。
崖から今にも飛び降りそうな朝陽を必死に止めていると、朝陽は『話をしよう』と大地に言う。
真夜中、波の音が響く崖の上で、ふたりの奇妙な一夜が始まる。
坊主頭の絆:学校を変えた一歩【シリーズ】
S.H.L
青春
高校生のあかりとユイは、学校を襲う謎の病に立ち向かうため、伝説に基づく古い儀式に従い、坊主頭になる決断をします。この一見小さな行動は、学校全体に大きな影響を与え、生徒や教職員の間で新しい絆と理解を生み出します。
物語は、あかりとユイが学校の秘密を解き明かし、新しい伝統を築く過程を追いながら、彼女たちの内面の成長と変革の旅を描きます。彼女たちの行動は、生徒たちにインスピレーションを与え、更には教師にも影響を及ぼし、伝統的な教育コミュニティに新たな風を吹き込みます。
私だけの王子様。
朱宮あめ
青春
高校三年生の珠生は、美しく心優しい女の子。学校でも一番の人気者の珠生だったが、それは、偽りの姿だった。
まるでなにかの呪いのように自分を偽り続け、必死に自分の居場所を守り続ける珠生。
しかし、そんな彼女の前に現れたのは王子様ではなく……
きらわれ者のお姫様とその家臣?
呪いを解いたのは、だいきらいなあの子と幼なじみの男の子だった。
お姫様を救えるのは王子様とは限らない。
もしかしたら、ひとりとも限らない……かも?
「あらすじ」
人気者として完璧な姿で卒業したかった珠生と、卒業することにすら意味を感じていなかったひなた。
高校三年生ではじめて同じクラスになった珠生とひなたは、似ているようで似ていない者同士。
そんなふたりが、お互いに共鳴し合い、季節の移ろいのように、少しづつ成長していく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる