上 下
81 / 85
第6章

13

しおりを挟む
 祈るように言うが、綺瀬くんは静かに首を振った。

「水波はもう、ひとりじゃないだろ。水波を愛する両親がいて、水波の手を握ってくれる親友たちがいて、心配してくれる先生だっている。これから水波は、もっといろんな人に出会って大人になっていくんだ。過去より未来を見て生きていくんだよ」
「……でも、綺瀬くんは……」
「水波は優しいから、いつも俺のことを一番に考えてくれるよね。そういうところ、大好きだよ。……でも、俺のことは心配しなくて大丈夫。水波との思い出があるから、もう怖くないし寒くもない」

 水の惑星を閉じ込めたようなその瞳が、とろりと潤んだ。目が離せなくなる。かすかに綺瀬くんの眉が歪んでいる。苦しげなその顔に、言葉を失う。

「綺瀬くん……」

 お願い、行かないで。
 そう言いたいけれど、ぐっと呑み込む。
 ダメだ。これ以上は、甘えちゃダメだ。

「水波。これまでそばにいてくれてありがとう。俺を好きになってくれてありがとう」

 私は唇を一文字に引き結んだまま、ぶんぶんと首を横に振った。
 綺瀬くんの頬を、涙がつたう。

「俺の人生に寄り添ってくれて、ありがとう」

 いやだ。やっぱりいやだ。待ってよ。行かないでよ。お願い、もう少しだけそばにいてよ。

 綺瀬くんを引き止めるように、私は彼に抱きついた。

 ……はずだったのに。

 私の手は虚しく空を切った。バランスを崩して、危うく転びかける。

 驚いて振り向く。
 もう一度、綺瀬くんに手を伸ばす。
 私の手は、たしかに綺瀬くんの胸に触れているはずなのに、感触はない。
 綺瀬くんの身体は半透明で、彼の身体には夜空の星が瞬いていて。

 綺瀬くんが泣きながら微笑む。

 口を開いてなにかを言っていた。けれど、どうしてか声は聞こえない。
 耳を押さえる。

 どうして? どうして、どうして……。

 綺瀬くんはどんどん空気にとけていく。

「待って……綺瀬くん! 綺瀬くん!」

 何度抱きつこうとしても、私の手はなにも掴めないまま。

「待って……やだ、やだ! 行かないでよ! 綺瀬くんっ……」

 勢い余って、地べたに転がった。しゃくりあげながらもう一度立ち上がろうとしたとき、風が動いた。綺瀬くんがふわりと私の前にしゃがみ込んだのだ。

「綺瀬くん……?」

 綺瀬くんが鼻先の触れそうな距離で私を見つめている。ゆっくりと唇が動いた。

 その唇は、たしかに『ありがとう』と言っていた。
 ぶんぶんと首を振る。

「私こそっ……! どん底だった私を抱き締めてくれて、悩みを聞いてくれて、ずっとずっと、呆れずにそばにいてくれて……」

『ありがとう』と言いたいのに、どうしても言えない。

「綺瀬くん……あのね」

 綺瀬くんの指先が、優しく私の唇に触れた。
 そのまま頬に流れていく。
 あたたかい水に包まれるような感覚が気持ち良くて、私は目を閉じて擦り寄せるように綺瀬くんの指先に応える。

『水波』

 かすかに声が聞こえて、目を開く。

 綺瀬くんの指先は震えていた。綺瀬くんがそっと身をかがめ、私も引き寄せられるように顔を上に向ける。

 そして、触れるだけのキスをした。

 目を伏せると、涙が頬をつたっていく。綺瀬くんのぬくもりを噛み締める。

 次に目を開けると、綺瀬くんの姿はどこにもなくなっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

榛名の園

ひかり企画
青春
荒れた14歳から17歳位までの、女子少年院経験記など、あたしの自伝小説を書いて見ました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

ライトブルー

ジンギスカン
青春
同級生のウザ絡みに頭を抱える椚田司は念願のハッピースクールライフを手に入れるため、遂に陰湿な復讐を決行する。その陰湿さが故、自分が犯人だと気づかれる訳にはいかない。次々と襲い来る「お前が犯人だ」の声を椚田は切り抜けることができるのか。

処理中です...