上 下
28 / 85
第3章

3

しおりを挟む
 二年前、私はあの事故のあとしばらく沖縄の病院に入院していた。
 フェリーから助け出された私は、額を数針縫う怪我をしたけれど、それ以外に目立った外傷はなかった。しかし、念の為ということで、脳波とか心臓とか、とにかくいろいろと検査を受けた。

 警察や病院の先生にも、事故のことをいろいろと聞かれた。あの頃の私はまだ、事故について思い出すのは辛くて、その人たちのことがあまり好きではなかった。
 病室を出ると事故について調べている記者や、私が事故の被害者であることを知っている人たちの視線をいつも感じて、トイレに行くことすら怖くなった。

『あの子が助かった子?』
『運のいい子ね』
『あのフェリー、今も引きあげられてないんでしょ?』
『あんな事故で助かるなんて、奇跡だわ』

 あちこちで、いろいろな声が囁かれた。

 テレビは見れなかった。というより、お母さんとお父さんが見させてくれなかったのだ。
 たぶん、事故に関してのニュースがいたるところで報道されていて、お母さんもお父さんも、私の心を心配してくれていたのだと思う。

 そのときはまだ、私は私以外の人が助からなかったということを知らなかったから。

『水波ちゃん……水波ちゃんっ』

 あるとき、知らないおばさんが私に会いに来た。
 そのおばさんは、私を見るなりぎゅっと抱きついてきた。最初は優しかったその腕は、次第に強くなって、ぎりぎりと私を締め上げ始めた。

 その人は、泣きながら私を強く強く抱き締めて、耳元で囁いた。

『どうして? どうしてあなたは生きているの? どうしてあの子はいないの? ねぇ、一緒にいたはずよね? あの子はどこ? ねぇ、答えなさいよ。ねぇ!』

 腕が千切れるかと思うほど、強い力だった。剥き出しの歯が、血走った目が、恐ろしかった。

『落ち着いてください、この子はなにも悪くない。まだ話をできるような状態じゃないんですよ』
『お気持ちは分かりますが、お引き取りください』
『待って! まだ話は終わってないのよ! 離して! 離しなさい!』

 その人は医師や看護師の言うことも聞かず、ただまっすぐに私を睨みつけて、呪詛のように『あの子を返せ』と呟いていた。
 あれは、だれだったんだろう。
 分からない。いくら考えても、思いだせない。

 けれど、ひとつだけ分かっていることがある。
 彼女は、私をすごく恨んでいた。生き残った私を、憎んでいた。

 医師たちが慌てて私から引き剥がそうとすると、女性は泣き叫びながら暴れた。まるで、子供のように。

『放して! 放しなさい! この子があの子を殺したのよ! この子が私の子を奪ったの! この鬼! 悪魔!』
『お願いやめて!』
『この子はまだ目覚めたばかりなんですよ! お願いします! これ以上この子を怖がらせないでっ!』

 お母さんとお父さんが、慌てて私を庇うように抱き締める。私は怖くて声も出せなかった。全身が震えて、息を忘れた。

 あのときの彼女は化粧もしていない顔をぐしゃぐしゃにして、泣き叫んでいた。その姿がとても痛々しくて、当時の私は、それがすごくショックだった。

 なにかが割れる音。叫び声。すすり泣く声。

 秋風は、あの日の曖昧な記憶を乗せてやってくる。
 事故のあと、たった一度だけ会ったあの人は……。

 あの人は、だれ?

 窓の外を眺めながら呆然と考えていると、
「水波? ぼーっとして、大丈夫?」
「え? あ……」
 心配そうな顔をした朝香と目が合って、ハッとする。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

真っ白のバンドスコア

夏木
青春
親父みたいに、プロのバンドとして絶対にデビューしてやる! そう意気込んで恭弥が入学した羽宮高校には軽音楽部がなかった。 しかし、多くのプロが通ってきたバンドコンテストの出場条件は「部活動であること」。 まずは軽音楽部を作るために、与えられた条件を満たさなければならない。 バンドメンバーを集めて、1つの曲を作る。 その曲が、人を変える。 それを信じて、前に進む青春×バンド物語!

俺と公園のベンチと好きな人

藤谷葵
青春
斉藤直哉は早川香澄に片想い中 公園のベンチでぼんやりと黄昏ているとベンチに話しかけられる 直哉はベンチに悩みを語り、ベンチのおかげで香澄との距離を縮めていく

SING!!

雪白楽
青春
キミの音を奏でるために、私は生まれてきたんだ―― 指先から零れるメロディーが、かけがえのない出会いを紡ぐ。 さあ、もう一度……音楽を、はじめよう。 第12回ドリーム小説大賞 奨励賞 受賞作品

青春リフレクション

羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。 命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。 そんなある日、一人の少女に出会う。 彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。 でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!? 胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!

静かに過ごしたい冬馬君が学園のマドンナに好かれてしまった件について

おとら@ 書籍発売中
青春
この物語は、とある理由から目立ちたくないぼっちの少年の成長物語である そんなある日、少年は不良に絡まれている女子を助けてしまったが……。 なんと、彼女は学園のマドンナだった……! こうして平穏に過ごしたい少年の生活は一変することになる。 彼女を避けていたが、度々遭遇してしまう。 そんな中、少年は次第に彼女に惹かれていく……。 そして助けられた少女もまた……。 二人の青春、そして成長物語をご覧ください。 ※中盤から甘々にご注意を。 ※性描写ありは保険です。 他サイトにも掲載しております。

【推しが114人もいる俺 最強!!アイドルオーディションプロジェクト】

RYOアズ
青春
ある日アイドル大好きな女の子「花」がアイドル雑誌でオーディションの記事を見つける。 憧れのアイドルになるためアイドルのオーディションを受けることに。 そして一方アイドルというものにまったく無縁だった男がある事をきっかけにオーディション審査中のアイドル達を必死に応援することになる物語。 果たして花はアイドルになることができるのか!?

桜の下でつまずく 不器用な女子高生の転生物語

ログ
青春
『さくら色の転生:不器用な女子高生の成長物語』は、春に転生した女子高生、美咲の冒険と自己発見の物語です。美咲は突然、自分が全く異なる世界に転生したことに気づきます。この新しい世界で、彼女は自然と調和する特別な力を発見し、多くの挑戦に直面します。美咲は、失敗と成功を繰り返しながら自分自身を見つめ直し、真の自己実現を目指します。彼女の旅は、友情、勇気、そして自己受容の重要性を描いています。この物語は、読者に夢と希望を与え、自分自身の可能性を信じる力を教えてくれるでしょう。

悩みの夏は小さな謎とともに

渋川宙
青春
お盆前に親戚の家を訪れた高校二年の蓮井悠人。この機会に普段は東京の大学で大学院生をしている従兄の新井和臣に進路相談をしとうと決意する。  そんな悠人と和臣に、祖母の志津が不思議な話を持ってきた。なんでも町はずれにある廃校舎を勝手に利用している人がいるという話で…

処理中です...