明日はちゃんと、君のいない右側を歩いてく。

朱宮あめ

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第3章

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 二年前、私はあの事故のあとしばらく沖縄の病院に入院していた。
 フェリーから助け出された私は、額を数針縫う怪我をしたけれど、それ以外に目立った外傷はなかった。しかし、念の為ということで、脳波とか心臓とか、とにかくいろいろと検査を受けた。

 警察や病院の先生にも、事故のことをいろいろと聞かれた。あの頃の私はまだ、事故について思い出すのは辛くて、その人たちのことがあまり好きではなかった。
 病室を出ると事故について調べている記者や、私が事故の被害者であることを知っている人たちの視線をいつも感じて、トイレに行くことすら怖くなった。

『あの子が助かった子?』
『運のいい子ね』
『あのフェリー、今も引きあげられてないんでしょ?』
『あんな事故で助かるなんて、奇跡だわ』

 あちこちで、いろいろな声が囁かれた。

 テレビは見れなかった。というより、お母さんとお父さんが見させてくれなかったのだ。
 たぶん、事故に関してのニュースがいたるところで報道されていて、お母さんもお父さんも、私の心を心配してくれていたのだと思う。

 そのときはまだ、私は私以外の人が助からなかったということを知らなかったから。

『水波ちゃん……水波ちゃんっ』

 あるとき、知らないおばさんが私に会いに来た。
 そのおばさんは、私を見るなりぎゅっと抱きついてきた。最初は優しかったその腕は、次第に強くなって、ぎりぎりと私を締め上げ始めた。

 その人は、泣きながら私を強く強く抱き締めて、耳元で囁いた。

『どうして? どうしてあなたは生きているの? どうしてあの子はいないの? ねぇ、一緒にいたはずよね? あの子はどこ? ねぇ、答えなさいよ。ねぇ!』

 腕が千切れるかと思うほど、強い力だった。剥き出しの歯が、血走った目が、恐ろしかった。

『落ち着いてください、この子はなにも悪くない。まだ話をできるような状態じゃないんですよ』
『お気持ちは分かりますが、お引き取りください』
『待って! まだ話は終わってないのよ! 離して! 離しなさい!』

 その人は医師や看護師の言うことも聞かず、ただまっすぐに私を睨みつけて、呪詛のように『あの子を返せ』と呟いていた。
 あれは、だれだったんだろう。
 分からない。いくら考えても、思いだせない。

 けれど、ひとつだけ分かっていることがある。
 彼女は、私をすごく恨んでいた。生き残った私を、憎んでいた。

 医師たちが慌てて私から引き剥がそうとすると、女性は泣き叫びながら暴れた。まるで、子供のように。

『放して! 放しなさい! この子があの子を殺したのよ! この子が私の子を奪ったの! この鬼! 悪魔!』
『お願いやめて!』
『この子はまだ目覚めたばかりなんですよ! お願いします! これ以上この子を怖がらせないでっ!』

 お母さんとお父さんが、慌てて私を庇うように抱き締める。私は怖くて声も出せなかった。全身が震えて、息を忘れた。

 あのときの彼女は化粧もしていない顔をぐしゃぐしゃにして、泣き叫んでいた。その姿がとても痛々しくて、当時の私は、それがすごくショックだった。

 なにかが割れる音。叫び声。すすり泣く声。

 秋風は、あの日の曖昧な記憶を乗せてやってくる。
 事故のあと、たった一度だけ会ったあの人は……。

 あの人は、だれ?

 窓の外を眺めながら呆然と考えていると、
「水波? ぼーっとして、大丈夫?」
「え? あ……」
 心配そうな顔をした朝香と目が合って、ハッとする。
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