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私が残せるもの

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 橘花はためらいつつも続ける。
「……珠は最初、私に怯えていました。最初は私が毒を持っているから恐ろしいのだろうと思っていましたが……そのわりに、焼き菓子ひとつで簡単に私に懐いてくれましたし」
「……まぁ、珠にとっては満足に食べられなかった頃の記憶はまだ生傷として残ってるだろうからな」
「ですが、もしそうだとしたら、なおさら珠は大人の女が怖いのではないでしょうか?」
「それはそうだが……」
 白玖は考え込んだ。
「贄である私が、やすやすと口を出すことではないと分かっています。でも……」
 でも、と橘花は唇を噛み締める。
 珠との会話は、今の橘花にとって数少ない癒しの時間となっている。
 けれど、橘花はもうすぐいなくなる。
 そうしたら、残された珠はどうなるだろう。
 また、今までの生活に戻ることになる。そうなれば、またメイドたちと過ごす時間が増える。
 もし、珠が彼女たちから虐げられていたとしたら。
 考えるだけでも胸が締め付けられた。
「橘花。珠を心配する気持ちは分かる。でも、正直俺は今、珠のことを気にかけてやる余裕はない。俺はまず、橘花を助けたい」
 橘花は押し黙る。
 実家にいた頃も、メイド同士の諍いは絶えずあった。そのせいでメイドをやめていった者も、心を病んだ者も、自ら命を絶った者もいた。
 橘花の父は、メイドなどいくらでも代わりはいると言って気にも止めていなかったし、実際、橘花もどうでもいいと思っていた。
 あの頃、橘花はひとのことに無頓着だった。
 でも、今は違う。
「私は……心の中に箱があります」
 白玖が顔を上げた。
「箱?」
「じぶんで、じぶんを生かすための箱です。ほんのちょっとした嬉しかったこととか、気になったこととか、好きだと思ったものを心の箱に詰めたりして、この世に未練を残してきました。そうでないと、生きていられなかったので」
 白玖は黙って耳を傾けている。
「父にこの屋敷の花嫁になれと言われたとき、悲しくはありませんでした。だれかの役に立って死ねるのなら、このまま飼い殺されるよりずっといい。それまで必死に貯めていた箱の中の宝物はすべて無駄になってしまったけれど、それでも、家族のために私ができることはこれしかないから。だから、この運命を受け入れなきゃいけない。必死に、言い聞かせていました」
 でも。嫁入りしたその日、橘花は出会ってしまった。白玖や、珠に。
 橘花は涙を滲ませて、白玖に訴える。
「あなたが助けるだなんて言うから……贄として迎え入れたくせに、八日後の話なんてするから……」
 今まで貯めてきた箱の比にならないくらい、未練ができてしまった。生きたいと思ってしまった。
「だから私は、無理だと分かっていても、あなたに、命を預けたいと思った」
「……橘花」
「私は、おろかですか……?」
 なぜなら、嫁入りから七日過ぎて、生きていた花嫁はいない。そのことを考えるならば、おろかとしか言いようがない。
「…………」
 言葉を詰まらせた橘花に、白玖は強い口調で告げる。
「そんなことはない。俺は、言葉だけで終わらせるつもりはない。橘花のことは、俺が必ず助ける」
 そうであればいいと、切に願う。
 だが……だが。
 もし。もしも、あと四日で死ぬとしたら。
「珠は……初めて、私に笑いかけてくれた子です。彼女を助けたいと思うのは、間違いですか?」
「…………いや」
 せめて、珠の居場所だけは作ってから死にたいと思った。
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