上 下
14 / 20

13

しおりを挟む
 バスに乗り込んでからは、会話はなかった。
 私はただ、じっとじぶんの足元に広がっていく水溜まりを見下ろしていた。
 バスはトンネルを抜け、山道をくだって、どんどん知らない街に入っていく。
 バスに揺られて二時間。空は既に真っ暗で、バスに乗る前よりも雨足は弱くなっていた。
 車窓の向こうには、初めての街。初めてひとりで、こんな遠くまできた。いや、ひとりではないか。
 だいきらいなあの街を、私はずっと飛び出したかった。それなのに、いざ離れてみたら怖くて仕方がない。
 ――弱いなぁ、私は。
 怯える私の手を、今度は椿先輩がぎゅっとして歩き出した。
「海行こっか」
「海?」
 椿先輩を見る。
「好きなんですか?」
「べつに。ただ、無言でも波の音があるから気まずくないじゃん? あたしら、べつに友だちでもなんでもないし」
 そう言われて思い出す。
 そういえば私たちは、友だちではない。歳も違うし、出会ってまだ間もなくて、お互いのことをほとんどなにも知らない。
 ただ、同盟を組んでいる。
 拠りどころがなくて、心にとてつもなく大きな穴を抱えていて、いつも不安で死にそうな私たち。
『この子の生い立ちも、これまでの状況もぜーんぶ知ってて……』
 ふと、椿先輩が学年主任に言った言葉を思い出す。
「……そういえば椿先輩、私のこと知ってたんですね」
「ごめんね、黙ってて」
 申し訳なさそうに、椿先輩が微笑む。
「いえ。ちょっと驚いただけです。高校では、まだ噂になってないと思ってたから」
 噂はウイルスよりも簡単に広まる。そのことを私はだれより知っていたはずなのに。
 私は今、平穏に過ごせている。
 そう思い込むことで、どうにかしてじぶんの心を守りたかったのかもしれない。
「大丈夫。なってないよ」
 顔を上げる。
「え、じゃあどうして……」
「あたしとあんた、実は中学一緒だったんだよ」
「えっ!?」
 驚く私を見て、椿先輩が笑う。
「やっぱり、知らなかったか。オネーサン、ふつうに考えてよ。同じバス使ってる時点で近所でしょ」
「たしかに……」
「といってもね、なんとなく聞いたことあるくらいだったけど。あんたが噂の子だっていうのは知らなかったよ。さっきの学年主任の話でピンときただけ」
「……そうですか」
「……もしかして、お母さんが自殺したのも、その噂の内容が関係してる?」
 黙り込んだまま頷く。
「母は、強いひとでした。周りの視線も気にしないようなひとで、私が母のせいでいじめられても鼻で笑ってるような、とにかく世間とは乖離かいりしたひとで。……でも、最終的には負けました。心を病んで死を選んだ」
「……そう」
 椿先輩は静かに相槌を打つ。もしかしたらだけど、と、椿先輩が静かな声で語り出す。
「お母さんは、強がってたのかもね」
「……強がってた?」
 ――強かったんじゃなくて?
「娘がじぶんのせいでいじめられてる。それを気にしない母親なんていないよ。でもさ、それを悔いたら、娘の存在自体を否定することになっちゃうから、謝れなかったんじゃないかな。……だから、なんでもないような顔をしていたのかもしれない」
「……そう……なのかな」
 ……もしかしたら。椿先輩の言うように、母は私のために、ずっと……。
 そう考えそうになって、目を伏せた。
 今となっては、母が私のことをどう思っていたのかなんて分からない。この先も、一生、知ることはないのだ。
 椿先輩が空を仰ぐ。
のこされた私たちは、前を向くしかない。どんなに悔やんだって、過去は変えられないから」
 過去は変えられない。死んだひとは戻ってこない。
「たまったもんじゃないけどね」
 そう、たまったもんじゃない。だから、私たちは駆け落ちしてきたのだ。あの地獄から。
 決意の滲んだその横顔をじっと見つめ、それから私は車窓へ目を向けた。
 タイミングよく、トンネルから抜ける。
 開けた視界の先にあるのは、きらきらとわずかな光を反射してきらめく大海原だった。
「うわ、海だ……」
 思わず呟く。
 本当に来てしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

深海の星空

柴野日向
青春
「あなたが、少しでも笑っていてくれるなら、ぼくはもう、何もいらないんです」  ひねくれた孤高の少女と、真面目すぎる新聞配達の少年は、深い海の底で出会った。誰にも言えない秘密を抱え、塞がらない傷を見せ合い、ただ求めるのは、歩む深海に差し込む光。  少しずつ縮まる距離の中、明らかになるのは、少女の最も嫌う人間と、望まれなかった少年との残酷な繋がり。 やがて立ち塞がる絶望に、一縷の希望を見出す二人は、再び手を繋ぐことができるのか。 世界の片隅で、小さな幸福へと手を伸ばす、少年少女の物語。

想い出キャンディの作り方

花梨
青春
学校に居場所がない。 夏休みになっても、友達と遊びにいくこともない。 中一の梨緒子は、ひとりで街を散策することにした。ひとりでも、楽しい夏休みにできるもん。 そんな中、今は使われていない高原のホテルで出会った瑠々という少女。 小学六年生と思えぬ雰囲気と、下僕のようにお世話をする淳悟という青年の不思議な関係に、梨緒子は興味を持つ。 ふたりと接していくうちに、瑠々の秘密を知ることとなり……。 はじめから「別れ」が定められた少女たちのひと夏の物語。

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

ペア

koikoiSS
青春
 中学生の桜庭瞬(さくらばしゅん)は所属する強豪サッカー部でエースとして活躍していた。  しかし中学最後の大会で「負けたら終わり」というプレッシャーに圧し潰され、チャンスをことごとく外してしまいチームも敗北。チームメイトからは「お前のせいで負けた」と言われ、その試合がトラウマとなり高校でサッカーを続けることを断念した。  高校入学式の日の朝、瞬は目覚まし時計の電池切れという災難で寝坊してしまい学校まで全力疾走することになる。すると同じく遅刻をしかけて走ってきた瀬尾春人(せおはると)(ハル)と遭遇し、学校まで競争する羽目に。その出来事がきっかけでハルとはすぐに仲よくなり、ハルの誘いもあって瞬はテニス部へ入部することになる。そんなハルは練習初日に、「なにがなんでも全国大会へ行きます」と監督の前で豪語する。というのもハルにはある〝約束〟があった。  友との絆、好きなことへ注ぐ情熱、甘酸っぱい恋。青春の全てが詰まった高校3年間が、今、始まる。 ※他サイトでも掲載しております。

足枷《あしかせ》無しでも、Stay with me

ゆりえる
青春
 あの時、寝坊しなければ、急いで、通学路ではなく近道の野原を通らなければ、今まで通りの学生生活が続いていたはずだった......  と後悔せずにいられない牧田 詩奈。  思いがけずに見舞われた大きな怪我によって、見せかけだけの友情やイジメなどの困難の時期を経て、真の友情や失いたくないものや将来の夢などに気付き、それらを通して強く成長し、大切だから、失いたくないからこそ、辛くても正しい選択をしなくてはならなかった。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

居候高校生、主夫になる。〜娘3人は最強番長でした〜

蓮田ユーマ
青春
父親が起こした会社での致命的なミスにより、責任と借金を負い、もう育てていくことが出来ないと告白された。 宮下楓太は父親の友人の八月朔日真奈美の家に居候することに。 八月朔日家には地元でも有名らしい3人の美人姉妹がいた……だが、有名な理由は想像とはまったく違うものだった。 愛花、アキラ、叶。 3人は、それぞれが通う学校で番長として君臨している、ヤンキー娘たちだった。 ※小説家になろうに投稿していて、アルファポリス様でも投稿することにしました。 小説家になろうにてジャンル別日間6位、週間9位を頂きました。

青春リフレクション

羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。 命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。 そんなある日、一人の少女に出会う。 彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。 でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!? 胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!

処理中です...