あめふりバス停の優しい傘

朱宮あめ

文字の大きさ
上 下
13 / 20

12

しおりを挟む

 雨の中、傘も差さずに私は走っていた。
 しばらく走って、走って、いつものバス停まで来たところで足を止める。
 ハッハッと、薄く開いた唇の隙間から息が漏れる。
「ちょっともう、なに? めっちゃ走るじゃん」
「わっ! あ、あっ……すみません!」
 手を離して我に返る。今日は我に返ってばっかりだ。いや、我を忘れてばかりなのか。
「だからそれ。もう! すぐ謝らなくていいってば」
 指摘され、口を噤む。
 椿先輩はつくづく私の悪いクセに敏感だ。
「もう、びしょびしょ」
「傘、置いてきちゃったから……」
 紺色の制服は、雨のせいでさらに濃く染まっている。
 タオルで水滴を拭いながら、スマホ画面を開いて時間を確認した。
 時刻は午後五時五十三分。
 五時のバスは行ってしまったばかり。次のバスが来るまで、あと五十二分もある。ここへ来てようやく、バスが一時間に一本しかなかったことを思い出す。
 ――どうしよう。
 バスが来るまでまだ時間はたっぷり過ぎるほどある。
 バス停の前で立ち尽くしていると、椿先輩に袖を引かれた。
「ほら、座ろ」
「あ……はい」
 その手に従い、ベンチに座る。
「……あの、椿先輩。すみません。巻き込んでしまって」
 謝るなら今しかないと、私は椿先輩に頭を下げた。
「べつに、あんたが巻き込んだわけじゃないでしょ。あたしが勝手にやったことだから」
 そういえば、あのとき椿先輩は空き教室にいた。もしかして、私が学年主任に怒られていることに気付いてきてくれたのだろうか。わざわざ?
「……あの、椿先輩……あのとき、空き教室にいましたよね」
「あーまぁね」
 椿先輩はほんの少し気まずそうに目を泳がせて、笑った。
「どうして、来てくれたんですか」
 私の問いに、椿先輩は黙り込む。しばらく沈黙してから、不意にぽそりと言った。
「あんたがいなくなっちゃいそうで怖かった」
 どきりとした。
「ってのは、冗談。……ま、強いて言うなら、手が届くからだよ」
「手?」
 顔を上げて、椿先輩を見る。
 今、手と言ったのだろうか。雨音でよく聞こえなかった。
「……あいつらのことは助けられなかったけど、あんた……しずくには、あたしの手がまだ届くから」
 その苦しげな顔を見て、彼女がどうしていつもあの空き教室にいるのかが、唐突に理解できた。
 椿先輩はずっと、亡くなった仲間たちを助けられなかったことを後悔していたのだ。椿先輩はまだ、事故の日から立ち止まったままでいるのだ……。
 心臓を掴まれたように苦しくなる。
「……ありがとうございました。私……椿先輩のおかげで、」
 私の声を、椿先輩が優しく遮る。
「いいよ。わざわざいやなこと思い出そうとしなくて」
 ふっと、不甲斐ない声が漏れそうになってぐっとこらえて頷く。
「……はい」
 俯くと、長い前髪が私の視界を暗くした。
 やっぱり、この感じは落ち着く。
 椿先輩のおかげで助かった。とても。
 でも、彼女を救ってくれるひとは、どこにいるんだろう。
 ――……私に、なにかできないかな。
 ぎゅっとじぶんの手首を握る。
『手が届くから』
 椿先輩の言葉が頭の中で響いた。
 手がある。私にも。椿先輩と同じ、手が。
 坂の向こうから、バスのエンジン音がする。バスのライトが、濡れた車道を明るく照らした。じゃっとアスファルトに溜まった水が弾かれる音がする。
 それを見て、私は立ち上がった。
「椿先輩、」
 椿先輩が顔を上げて私を見る。私は彼女の透けるように白い顔を見下ろして、言った。
「駆け落ち……しませんか」
「…………は?」
 ぽかんとする椿先輩の腕を掴んで、私は再び向こう側のバス停まで走り出す。
「ちょっ……なに、いきなり!」
「前、言ってくれたじゃないですか。駆け落ちしないかって」
「う、うん……それは言ったけど」
 向かいのバス停につき、足を止めて椿先輩を振り返る。椿先輩は、ぱちぱちと長いまつ毛を揺らして瞬きをしていた。
「しましょう、駆け落ち!」
「……マジで?」
「マジです」
 真顔の椿先輩に、私も真顔で返す。すると、椿先輩ぷはっと空気を吐くように笑った。
「いいね! 行くか!」
 そのひとことを合図に、私たちは反対方向のバスに乗り込んだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

すれ違いの君と夢見た明日の約束を。

朱宮あめ
青春
中学時代のいじめがトラウマで、高校では本当の自分を隠して生活を送る陰キャ、大場あみ。 ある日、いつものように保健室で休んでいると、クラスの人気者である茅野チトセに秘密を言い当てられてしまい……!?

踏切少女は、線香花火を灯す

住倉霜秋
青春
僕の中の夏らしさを詰め込んでみました。 生きていると、隣を歩いている人が増えたり減ったりしますよね。 もう二度と隣を歩けない人を想うことは、その人への弔いであり祈りであるのです。 だから、私はこの小説が好きです。 この物語には祈りがあります。

放課後はネットで待ち合わせ

星名柚花
青春
【カクヨム×魔法のiらんどコンテスト特別賞受賞作】 高校入学を控えた前日、山科萌はいつものメンバーとオンラインゲームで遊んでいた。 何気なく「明日入学式だ」と言ったことから、ゲーム友達「ルビー」も同じ高校に通うことが判明。 翌日、萌はルビーと出会う。 女性アバターを使っていたルビーの正体は、ゲーム好きな美少年だった。 彼から女子避けのために「彼女のふりをしてほしい」と頼まれた萌。 初めはただのフリだったけれど、だんだん彼のことが気になるようになり…?

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

青春リフレクション

羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。 命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。 そんなある日、一人の少女に出会う。 彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。 でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!? 胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!

土俵の華〜女子相撲譚〜

葉月空
青春
土俵の華は女子相撲を題材にした青春群像劇です。 相撲が好きな美月が女子大相撲の横綱になるまでの物語 でも美月は体が弱く母親には相撲を辞める様に言われるが美月は母の反対を押し切ってまで相撲を続けてる。何故、彼女は母親の意見を押し切ってまで相撲も続けるのか そして、美月は横綱になれるのか? ご意見や感想もお待ちしております。

彗星と遭う

皆川大輔
青春
【✨青春カテゴリ最高4位✨】 中学野球世界大会で〝世界一〟という称号を手にした。 その時、投手だった空野彗は中学生ながら152キロを記録し、怪物と呼ばれた。 その時、捕手だった武山一星は全試合でマスクを被ってリードを、打っては四番とマルチの才能を発揮し、天才と呼ばれた。 突出した実力を持っていながら世界一という実績をも手に入れた二人は、瞬く間にお茶の間を賑わせる存在となった。 もちろん、新しいスターを常に欲している強豪校がその卵たる二人を放っておく訳もなく。 二人の元には、多数の高校からオファーが届いた――しかし二人が選んだのは、地元埼玉の県立高校、彩星高校だった。 部員数は70名弱だが、その実は三年連続一回戦負けの弱小校一歩手前な崖っぷち中堅高校。 怪物は、ある困難を乗り越えるためにその高校へ。 天才は、ある理由で野球を諦めるためにその高校へ入学した。 各々の別の意思を持って選んだ高校で、本来会うはずのなかった運命が交差する。 衝突もしながら協力もし、共に高校野球の頂へ挑む二人。 圧倒的な実績と衝撃的な結果で、二人は〝彗星バッテリー〟と呼ばれるようになり、高校野球だけではなく野球界を賑わせることとなる。 彗星――怪しげな尾と共に現れるそれは、ある人には願いを叶える吉兆となり、ある人には夢を奪う凶兆となる。 この物語は、そんな彗星と呼ばれた二人の少年と、人を惑わす光と遭ってしまった人達の物語。        ☆ 第一部表紙絵制作者様→紫苑*Shion様《https://pixiv.net/users/43889070》 第二部表紙絵制作者様→和輝こころ様《https://twitter.com/honeybanana1》 第三部表紙絵制作者様→NYAZU様《https://skima.jp/profile?id=156412》 登場人物集です→https://jiechuandazhu.webnode.jp/%e5%bd%97%e6%98%9f%e3%81%a8%e9%81%ad%e3%81%86%e3%80%90%e7%99%bb%e5%a0%b4%e4%ba%ba%e7%89%a9%e3%80%91/

処理中です...