薄明のアクアリウム

朱宮あめ

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 私は震える声で言った。
「……イロハさんは、きっととても真面目で、仕事もきっちりできてしまうから、きっと甘えることが苦手なんです。いつもひとの上に立っていたから、甘えかたを知らないまま今まできてしまったけれど、本当はずっと、だれかに甘えたかったんじゃないですか? 本当は、今のじぶんを変えたいんじゃないんですか、イロハさんも」
「……私は、べつに……」
 それまで強かったイロハさんの声が、わずかに動揺に揺れる。私は畳み掛けるように続けた。
「ナツメさんのこともそうです。イロハさんはべつに、責めたかったわけじゃないですよね? ただ、励ましたかっただけなんですよね? ナツメさんと、それからじぶんのことを」
 イロハさんが驚いた顔をして、私を見る。
「なんだ、いきなり」
 あのとき、イロハさんはくだらないと言った。でもそれは、ナツメさんにではなく、じぶん自身に向けた言葉だったのだと、私は思う。
「なんとなく、そんな感じがしたんです。わざと言葉にしてじぶんに言い聞かせて、奮い立たせようとしてるっていうか」
「……ふん」
「違いましたか?」
 イロハさんは黙ったまま、瞬きをする。そして、静かな声でぽつりと漏らした。
「……お前は、変わってるな」
「よく言われます」
 イロハさんは降参だというように手を挙げて、小さく笑った。
「……そうだよ」
 それは、どこか溜め込んでいた空気をぷはっと吐くような言いかただった。
「……本当は、私も迷っていたんだ」
 目の前を、大きなクジラがゆったりと横切っていく。それを眺めながら、イロハさんは話し出した。
「今の仕事は、じぶんがやりたくて就いた仕事だ。上司に期待され、後輩に頼られ、それなりに充実している。だが……仕事への向き合いかたや後輩への指導に息苦しさを感じていたのも事実だ。私は白鬼。ハーフとはいえ、完璧な存在として周りからは認識されている。だから私は……生まれたときから、だれかに頼るということを許されなかった。無論、仕事で迷っても、相談できるひとなんていなかった。だから……迷いながらも、己の道を突き進んできた。たまに周りにとやかく言われることがあったが、結果は出ているし、今のスタイルこそが完璧なのだと、疑問や不満の声を無視して貫き通した。私は白鬼……完璧でなければならない。弱音なんて吐いてはいけない。厳しすぎるときらわれても、それが結果に繋がるなら気にすることはないのだと」
 本気でそう思っていた、とイロハさんは話す。しかし、つい先日一番近くで成長を見てきた後輩が、突然辞めてしまったのだという。
「辞めた後輩が、最後に言ったんだ。ずっとそばにいるのに、イロハさんの視界に入ってる気がしない。このままイロハさんのそばで働き続けるのは、体力的にも精神的にも辛い。……そう言って、辞めていった」
 これまでの自分を、全否定されたような心地だった。私は、彼女の人生を狂わせかけていたのかもしれない。そう気付いて、恐ろしくなった。
 イロハさんは私たちにそう打ち明けながら、静かに涙を流していた。
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