ただ君に会いたくて

朱宮あめ

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第3話

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 ――にゃあ。
 その声は、聞こえるはずのないものだった。
 手の中には、ちいさすぎるいのち。
 生まれたてでまだ目も開いておらず、びくびくと震えるだけで鳴き声すらあげられないようだった。
「かなり衰弱してますね」
「…………」
「……どうするんです? このままじゃこの子……」
 本田さんは、その先は言わなかった。ぐっと奥歯を噛み締める。いやだ。死なせるのは、いやだ。
「動物病院を探す」
 こんな深夜にやっている動物病院があるとは思わない。けど、なにもしなければこの子は死んでしまう。それなら、足掻かないと。
「私、救急外来がある動物病院知ってますよ」
「本当ですか!?」
 そのひとことは、一本のわらだった。
 その後、深夜もやっている動物病院へ連れていき、処置を終えて帰路に着いたのは、明け方の四時だった。
「……付き合わせてしまって悪かったですね」
「いえ。仔猫ちゃんが無事でなによりでした」
「これから里親探さないと……」
 しかし探すにしても、俺には友達なんていないし、知り合いもほとんどいない。
「え、野上さん飼わないんですか?」
「……僕は飼えないよ」
「どうして?」
 それは……。
 喉まででかかった言葉を呑み込み、ぎゅっと唇を噛む。 
「……とにかく飼えないんだ。だから、飼ってくれるひとを探さないと」
 背中を向けて、夜道を歩き出す。
「ここまでしたのに……」
「本田さん、近くに猫好きな知り合いとかいませんか?」
 本田さんの言葉に聞こえないふりをして、僕は訊く。
「うちのアパート、ペット禁止じゃないんですし、飼ってあげましょうよ。ねぇ? この子、野上さんにすごい懐いてるじゃないですか」
「……僕は、猫は飼えない。飼えないんだ」
「アレルギーでもあるんですか?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ飼ってあげましょうよ。私も手伝いますから」
「……できない」
「なんで?」
 頑なに首を横に振る僕を、本田さんは怪訝な顔で見つめてくる。
「……なんでも」
「なにか理由があるんです?」
「あなたには関係ないでしょう」
「だったら、なんで助けたんですか」
「……それは、だって、放っておけないから」
 目を泳がせる僕に、本田さんは詰め寄ってくる。
「そんなの勝手すぎます! 助けたあとの責任を持てないなら、絶対この子は助けるべきじゃなかった。あのままにしていたら、ほかのだれかがこの子を助けてくれたかもしれないのに」
 そのとおりだった。そんなことは、僕だって分かっていた。でも、身体が勝手に……。
「君になにが分かるんだよ」
「……分かります。この子には、野上さんしかいないんですよ」
「……僕はダメなんだよ。動物を飼うことに向いてないから」
「向いてない?」
 言葉につまりながら、呻くようにして告げる。
「……昔、飼ってた仔猫を死なせたことがある」
「え……」
「小学生のとき、あの川の橋の下で仔猫を見つけて……親に隠れて飼ってたことがあるんだ。でも、仔猫を飼い始めてすぐ梅雨に入って……大雨で川が氾濫した。雨が止んでから川に行ったけど、ミィはもうどこにもいなかった」
 たぶん、流されてしまったのだと思う。
「……僕のせいだ。僕がミィを殺したんだ。すぐに親に相談して里親を見つけてあげてれば、ミィはあんなことにはならなかったかもしれないのに」
 呟くように言うと、本田さんは黙り込んでしまった。
「……だから、僕はもう」
 ――にゃあ。
 重い空気を察したのか、仔猫が足に擦り寄ってきた。そのまま、ジーンズにしがみつくようによじ登ってくる。
 ……可愛い。
「顔が緩んでますよ?」
「……う、うるさい。とにかく、僕は飼えな……」
「じゃあ分かりました! そういうことならこの子は私が育てます。でもその代わり、野上さんも手伝ってくださいよ!」
「……はぁ?」
 本田さんは満面の笑みを浮かべて僕を見ていた。
 もはや、ため息しか出ない。
「…………分かったよ」
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