上 下
2 / 10

2

しおりを挟む

 僕には、だれにも話したことのない秘密がある。
 それは――心の声を聞くことができるということ。
 もちろんそれは、僕が自ら望んだことではない。中学二年くらいのとき、突然そういう体質になってしまったのだ。
 教室にいても、電車の中でも、そして……家でも。必ずだれかの心の声が聞こえてくる。
 それは大体気持ちのいいものではなくて、だれかの悪口だったり不満だったり、知りたくもない事実だったりする。
 だれかの悪意を聞くというのは、思春期真っ只中の僕には耐え難いものだった。
 親友だと思っていた友人の心の内。可愛いなと思っていたあの子の裏の顔。優しい先生の本音……。人を信用できなくなるには、十分過ぎるものだった。
 簡単に言えば、絶望したのだ。人の醜さに。
 僕は、この不思議な能力を手に入れてからというもの、ほとんどクラスメイトと接しなくなった。
 中学生のときはこの能力に戸惑い、人間不信で不登校気味になっていた。
 けれど、高校生になった今、少しは成長したのか、クラスからあぶれない程度にはクラスメイトたちとまともな関係を築けるようになった。
 とはいえ、わざわざ深入りしようとは思わないので、基本的に学校外でのイベントの誘いは断るが。
 誘いを断るときには相手が気を悪くしないように言葉に気を付けながら、それなりの理由を盾に謝罪をする。
 ……の、だけれど。
 僕には今、気になっている人がいる。
 クラスメイトの花野はなの澄香すみか……。
 斜め前の席の彼女には、感情がない。……いや、というか、一度も声を聞いたことがないのだ。彼女自身の声も、心の声も、どちらも。
 花野はクラスメイトと話をしないどころか、目もほとんど合わせない。
 つまり、高校生になって半年が経つのに、彼女はこの学校生活の中で一度も心を動かしていないということだ。


 ***



 ――それは、夏休みが明けて一ヶ月が過ぎた頃、昼休みのことだった。
『だれか、私を殺して』
 ふと、声が聞こえて顔を上げる。
「え……?」
 聞いたことのない声だった。突然聞こえてきた物騒な言葉に、心臓がざわめいた。
 教室を見まわす。みんな、楽しそうにお弁当を食べている。特別様子のおかしいのクラスメイトたちはいないが……。
 カラフルな会話が飛び交う中、たったひとり、自席で本を読む彼女に目がいった。
 ……もしかして。
 まるで、そこだけ教室から切り離されたように薄くしらじんだ空間。
 彼女の黒髪は、特別にきれいだった。陽に当たるとかすかに青みがかって見えるのだ。まるで、髪の毛一本一本に、深海の水が混ざっているような。
 それだけでなく、彼女は容姿も飛び抜けて美しい。
 すっと通った鼻筋に、長いまつ毛。本に目を落とす横顔はさながら精巧な彫刻のようで、うっかり視界に入れると、息をするのも忘れてその横顔に魅入ってしまうことが多々あった。
 今の声は、彼女のものだったのだろうか……。
 しとしとと降る雨音のように穏やかで、それでいて流れ星のように儚い声だった。

 初秋、夏の不快感丸出しの空気はどこかへ行って、少し落ち着いた色が街を包み始めた。
 放課後、僕は街の図書館でテスト勉強をしたあと、図書館に隣接する公園を散策していた。
 部活に入っていない僕は、放課後は基本自由だ。
 舗装ほそうされた小路こみちを歩いていると、少し先の東屋あずまやに人影があることに気づいた。女性だ。
 俯いているのか、顔はよく見えないけれど、耳にかけた髪がさらりと垂れた瞬間、あ、と思った。
 彼女だ。花野澄香。
 少し近付いてから、足を止める。
 相変わらず美しい横顔。
 公園の一角、この東屋だけが、騒がしい世間と切り離されたように神聖なもののように錯覚してしまいそうになる。
 ぽつ、と頬に冷たい感触があった。
 空を見ると、いつの間にか青空は分厚く重い雲に覆われている。と、思えば雨粒はあっという間に公園を薄墨色うすずみいろに染め始めた。
「わっ……降ってきた!」
 僕は慌てて東屋に逃げ込んだ。

 髪についた雫を手で軽く払いながら、ちらりと花野を見る。花野は忙しなく東屋へ駆け込んだときだけ、僕をちらりと見たものの、すぐに視線を手元の本に戻して読書を再開していた。その後は僕のことにまったく関心を示す様子もなく、読書に勤しんでいる。
「…………」
 僕は花野の読書の邪魔をしないよう、細心の注意を払って彼女の向かいに座った。
 静かな空間。神聖な時間。
 声をかけてみたいけれど、かけるのがはばかられる。沈黙が心地良いだなんて、不思議だ。
 しとしと、ぽつぽつ。
 雨が降っている。雨のせいか、いつもより緑が深く、花も鮮やかに見える。
 僕はその日、彼女にひとことも声をかけられないまま、雨が止むのを待ち続けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】碧よりも蒼く

多田莉都
青春
中学二年のときに、陸上競技の男子100m走で全国制覇を成し遂げたことのある深田碧斗は、高校になってからは何の実績もなかった。実績どころか、陸上部にすら所属していなかった。碧斗が走ることを辞めてしまったのにはある理由があった。 それは中学三年の大会で出会ったある才能の前に、碧斗は走ることを諦めてしまったからだった。中学を卒業し、祖父母の住む他県の高校を受験し、故郷の富山を離れた碧斗は無気力な日々を過ごす。 ある日、地元で深田碧斗が陸上の大会に出ていたということを知り、「何のことだ」と陸上雑誌を調べたところ、ある高校の深田碧斗が富山の大会に出場していた記録をみつけだした。 これは一体、どういうことなんだ? 碧斗は一路、富山へと帰り、事実を確かめることにした。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件

フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

月光はあの花の調べ

朱宮あめ
青春
真夜中、日常に疲れ果て、自殺するために岬に向かった大地は、同じく自殺をしようとしていた少女・朝陽に出会う。 崖から今にも飛び降りそうな朝陽を必死に止めていると、朝陽は『話をしよう』と大地に言う。 真夜中、波の音が響く崖の上で、ふたりの奇妙な一夜が始まる。

タラシの俺が、ボーイッシュな幼なじみに恋をした

家紋武範
青春
黒島威(くろしまたける)17歳は生まれついての美少年。 存在するだけで女性がよってくる天然タラシだ。 今日も時間をわけて大人の女性、後輩とデートをしていたがその時、懐かしい顔。 久しぶりにあった短髪の男顔、幼なじみの細井令(ほそいれい)に心を奪われてしまった。 いつも誘われるがままだったが初めての恋。つまり初恋。 しかし幼なじみの気安さからか、意中の令から恋の相談を受けてしまう。 自分の好きな相手からの恋の相談。 タケルはそれにもがき苦しむ。 【ご注意下さい】 作中、人によっては若干の不快な描写があります。苦手な方は避けて下さい。 ですが最終的には素敵なハッピーエンドに導いていきます。 最後までお付き合い願います。

離した手のひらは空に透かして。

朱宮あめ
青春
高校三年生の羽石ことりは、ずっと憧れていた美術大学への進学も決まり、あとは卒業式を待つのみとなっていた。 幼なじみで恋人同士の奏と高校最後の日常を謳歌していると、女手一つでことりを育ててくれていた母が倒れてしまう。 母はなんとか一命を取り留めたものの、右半身に障害が残ってしまった。 進学か、母か。ことりは進路を迷い始める。 迷いを奏に相談するが、ことりは厳しく批難されてしまい……。 結局、進学か帰郷か決められないまま学校が始まる。奏と会うことに気まずさを感じて登校するが、奏は学校に来なかった。 奏に連絡すると、冬休み中に奏が事故に遭っていたことを知り……。 ねぇ、大人になるってどういうこと?

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

処理中です...