転生令嬢シシィ・ファルナーゼは死亡フラグをへし折りたい

柴 (柴犬から変更しました)

文字の大きさ
上 下
76 / 129
第三章

74 前回と前世と乙女ゲーム 4

しおりを挟む


「スピネルの本当の名前はマティアーシュっていうのね?」


 私だけでなくセレンハート嬢まで固まっている状態の中、ひとり通常通りのファルナーゼ嬢が従者に振り返って言った。


「いえ、お嬢様。私はスピネルです。何度も言ったでしょう?」


「いや、確かにそう言ってたけどさ、本当の名前って言うか……」


「お嬢様、私の名前は未来永劫スピネルでございます。お嬢様が下さった名前が私の唯一の名前です」


 いや、今の問題はそこではないだろう。闇落ちするだの勇者に討伐されるかもしれないだのマリアに救われて恋に落ちるだの聞かされたのだ。今は名前以外にもっと気にするところがある筈だ。


「スピネル様は本当に竜種のマティアーシュ様ですの?」


「その名はもう私のものではありませんが、かつてマティアーシュと呼ばれていたのは本当です」


 え、闇落ちしないと物語はどうなるの?勇者は骨折り損のくたびれ儲けの無駄働きということ?とセレンハート嬢がブツブツと呟いている。

 確かに、この男が神託にあった闇落ち竜だとしたら、勇者の使命はどうなるんだろうか。


「レナ、スピネルはどうして闇落ちしちゃうの?」


 すっかり淑女の仮面が外れたファルナーゼ嬢が問いかける。確かに、今現在この男が正常な竜だったとしても、これから闇落ちするのかもしれない。その原因を取り除けば、暗黒竜による被害は無くなる。勇者はいい面の皮だとは思うが、人民の命には代えられない。


 セレンハート嬢はチラリと従者をみやり、話していいものかと問う。従者が頷くと、これはスピネル様の個人的事情ですので、あまり口外はしたくないのですが――と前置きして話し始めた。


 従者は竜王の第二子で、兄とは異母兄弟であるらしい。そして、彼の母は竜ではなく人間だった。異種類婚でうまれた彼は、純粋な竜種である兄よりも内包魔力が高く能力も上回っていた。嫉妬した兄に疎まれ、人間であった母は死に、父である竜王には顧みられず、しかし能力と魔力の高さゆえに彼を次期王とすべく一派が継承争いの火種を撒いた。


 彼は兄の手の者により誘拐され、証拠が残らぬようわが国で人間の手によって殺される筈だった。体を不自由にする薬を盛られボロボロになるまで嬲られ、放置しておけば人型をとれなくなるだろうという思惑の元、彼は捨てられる。発見されるのはこの国には無い色彩の弱った子供、或いはこの国に居るはずのない竜。

 どちらにせよ、己と違うものに対して非情な人間種に見つかれば、その場で殺されるか研究材料として弄り回されたのち殺されるか。


 だが、殺される寸前に彼の魔力が暴発し、彼はこの世とあの世との境目に落ちる。恨み骨髄に徹した彼は、狭間で己の力を高め、この世界への復讐を誓う。


 それが闇落ちの理由だそうだ。


「全然乙女ゲームじゃない」


 ファルナーゼ嬢のつぶやきは、この部屋にいるすべての者に黙殺された。


「ゲームの中ですので時系列ははっきりしないのですが、本当ならスピネル様は狭間におられる時期かと……」


「途中まではその通りでした」


 従者が、その凄惨な過去に似つかわしくない誇らしげな笑顔でセレンハート嬢の言葉を肯定した。いや、喜色を浮かべられても反応に困るのだが。


「お嬢様が暴行を受けている私を助けて下さったのです。お嬢様があの時あの場所に来ることが無かったら、セレンハート嬢の仰る通りの道筋を辿ったかもしれません」


 ファルナーゼ家の敷地内にある「常世の森」。その森で従者は弱った体に複数の少年たちから暴力を振るわれているところに割って入ったのがファルナーゼ嬢だったという。


「お嬢様はそれはそれは凛々しく美しく華麗で強烈で容赦なく可憐で……」

「いや、スピネル、それはいいから」

「そうですか?まだ讃え足りませんが」

「話が進まないから」


 ファルナーゼ嬢に止められた従者は至極不満そうではあったが話を進めた。


「お嬢様に助けて頂いた私はファルナーゼ家で保護して頂き、そのままお嬢様にお仕えして今に至ります。よって、闇落ちだの暗黒竜だのと言う未来はやってきませんね。私の将来はお嬢様との幸せな生活一択であって、復讐だの意趣返しだのとはまったく無縁です」


「そ……そうか」

「そうなのです」


 これで暗黒竜による被害は考慮しなくて良くなった。

 なにせ、当の本竜が闇落ちどころか生き生きとして幸せな生活を送っているのだ。


 私にはまったく責任が無い事だと思うが、何故か勇者に対して申し訳ない気持ちを抱いてしまう。


「シシィ、あなた自分の死亡フラグだけじゃなくて、スピネル様の闇落ちフラグも、ついでにマリア様の対マティアーシュ様恋愛フラグも折っていたのね……」


「知らなかったけど、そうみたいね?」


 ファルナーゼ嬢は世界を破滅から救ったという自覚はあるのだろうか。いや、ないだろう。


 勇者が神により選定され神託を降ろしたという事は、通常は人の世に不干渉である神がそれをせねばならないほどの危機だったという事だ。


 それを、まるで植えて忘れていた種が勝手に綺麗な花を咲かせたとでもいうような軽さで”そうみたい”だと言い放つ。


 このような話を表立って言える訳もないのでここだけの話になるだろうが、すでに世界は救われたのだ。それの何が悪いのだ。


 立つ瀬の無い勇者の事は置いておいて、今は平和が約束されたことを喜ぼう。


 勇者にまみえる機会があったら、神の信託が新たに降ろせないか聞いてみることにして。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

もう終わってますわ

こもろう
恋愛
聖女ローラとばかり親しく付き合うの婚約者メルヴィン王子。 爪弾きにされた令嬢エメラインは覚悟を決めて立ち上がる。

【完結】私は死んだ。だからわたしは笑うことにした。

彩華(あやはな)
恋愛
最後に見たのは恋人の手をとる婚約者の姿。私はそれを見ながら階段から落ちた。 目を覚ましたわたしは変わった。見舞いにも来ない両親にー。婚約者にもー。わたしは私の為に彼らをやり込める。わたしは・・・私の為に、笑う。

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません

ゆうき
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。 そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。 婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。 どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。 実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。 それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。 これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。 ☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆

処理中です...