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第二章
08 転生
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いやいや、どうしてこうなった?そもそも何がどうしてこうなった?
私は昨日までシシィ・ファルナーゼだった。
違う、今日もシシィ・ファルナーゼだ、多分。
公爵家に生まれ、宰相の父と宮廷の花と謳われた母の愛を一身に受けた幸せな娘。8歳にして大人顔負けのレース編みと刺繍の腕には定評がある。物静かで薫り高い紅茶と読書が好きな大人しい子ども。金の髪と紫の瞳をもつ将来は母を超える美女になるであろうと言われるほどの美少女。賢さで家庭教師たちが”これでは私たちの仕事が楽すぎます”と苦笑するほどの才気をもつ、非の打ち所の無い令嬢。
でも、同時に昨日まで獅子井桜だった。
でもって、今は獅子井桜じゃない。
会社員でアメフトを学生時代にやっていたと言う父と看護士で剣道二段の母、筋肉ダルマの兄が二人いる末っ子長女。父方祖父が元警察官で紅白帯を締める柔道家。父方祖母が弓道を嗜んでいて流鏑馬姿が格好よく、そこに惚れたとは祖父の談。母方祖父は漁師で、ヤの付く職業と見間違われるような強面で豪快な人。母方祖母は普段はおっとりしているように見えるけど、祖父を尻に敷く強い女性だ。
獅子井桜が自他ともに認める脳筋になるのもやむなしといった環境に思う。
対してシシィ・ファルナーゼは、おっとりと微笑みながら何でもこなす淑女の卵。
――日本ではないし、多分だけど地球でもない世界。シシィ・ファルナーゼの持つ世界の知識と獅子井桜が持つそれとはまったくかすりもしない。
ならば、全く共通点の無い二人の記憶をもってここにいる私は、だれ?ああ、体はシシィだ。それは分かっているけど、中身が獅子井桜だ。考えるのは苦手だが、ここには助言をくれるまっつんはいない。自分でどうにかしないといけないのだ。
考えて考えて考えすぎて、それでも答えなんか出なくて頭が煮えるかと思った時、ノックの音がした。「どうぞ」と言うと入ってきたのは家令のアーノルドだった。
家令の彼が私の部屋にやって来るとは珍しい。職務的に。
四十代半ばで中々のイケオジのアーノルドは、獅子井桜の周囲にはいなかった知的なタイプの男性だ。代々ファルナーゼ家につかえていたと言う血筋で、シシィにとって立場はともかく心情的には家族の一員と思っている信頼できる男だ。
「シシィお嬢様、ご気分がすぐれないとお聞きしました。お医者様をお呼びしましょうか」
規則正しい生活をしているシシィが、いつもの時間に起床しなかったために心配したメイドが注進したらしい。心配をかけてしまったアーノルドに向かって首を横に振り、医者は呼ばなくていいと伝える。
「頭が……」
「痛いのですか?」
「違う。頭が悪いんです。どうしていいのか分からない」
ああ、これも本当はダメかも。アーノルドの前にいるのはシシィ・ファルナーゼであって、獅子井桜じゃない。私の口調じゃ、ダメだろう、多分。
そう思ってアーノルドの顔を見ると、案の定お嬢様はどうしたのだろうとでも言いたげな顔でこっちを見ている。
「ねー、セバスチャン」
「……アーノルドにございます」
「うん、知ってる。でも、執事と言えばセバスチャンに決まってるし」
「……家令でございます」
「うん、それも知ってる。でも、家令のアーノルドに言っていいか分からない事があって。でも、執事のセバスチャンになら言えるような気がするんだけど」
訳分からないよね。うん、スマン!執事はセバスチャンとか言われても困るよねー。家令だし。
でも、大丈夫!私も訳わからないから!
ちっとも大丈夫くないけど、混乱中だけど、大丈夫って誰か言ってー!というか、セバスチャン、脳筋の私と違って君なら賢いから何とかなる!何とかしてくれ!
「執事のセバスチャンで結構です。シシィお嬢様のお悩みを伺いたく存じます」
諦めたように首を振って、アーノルドはセバスチャンを請け負ってくれた。
よし来た!頭のいい人に丸投げだ!と、私は今の自分の状況をセバスチャンに説明する。
「では、お嬢様は、獅子井桜さまでいらっしゃると?」
「シシィ・ファルナーゼでもある。昨日のご飯も覚えてる。チキンのトマト煮と玉ねぎのスープと……」
「メニューの事は結構です。シシィお嬢様の記憶はあるのに、自我が獅子井桜様だと、そういう事で宜しいでしょうか?」
「そう、それ!自我!」
頭のいい人は使う言葉が違うねー。
「前世……」
セバスチャンが言うには、私は前世の記憶を思い出したのではないかということだ。
「あ……異世界転生!」
まっつんに聞いた事がある。ネット小説で流行りだという異世界転生。つまり、あれか?獅子井桜は死んでシシィ・ファルナーゼに生まれ変わって、いったい何の拍子でだか分からないけど前に生きた自分の事を思い出したと。私は読んだことないけど。
「稀に聞く話でございます。行ったことのない場所、会った事の無い筈の人々、知っている筈のない知識が、突然に備わってしまう。そして、調べてみるとそれらに整合性が取れているということが……。しかし、お嬢様に関しては世界すら異なるようで、検証のしようもなく……」
うん、そうだね!
地球だの日本だのと言う言葉が全くの意味不明な単語だった時点で世界が違うね。
「お嬢様は今後どうされるおつもりでしょうか?」
困ったようにセバスチャンが言う。
うん、どうしようね!
それが分からないからセバスチャンに相談しているんだよ!
1.両親に正直に言う
2.シシィの記憶があるのだからシシィとして振舞い、徐々に自分を出していく
「……お父様とお母様に嫌われたらどうしよう」
私の意識は獅子井桜のものだけれど、シシィとして両親に愛されていた記憶がある。
体はシシィのままで、中身が別人になってしまったと知ったら……それを考えると怖い。
「旦那様も奥さまも、それでもお嬢様を愛してくださいますよ」
何の根拠も無さそうなただの慰めだけど、それでもちょっと気が軽くなった……かも?そう思った途端に、脳を鷲掴みされるような痛みが走った。
「セバス……ううん、アーノルド」
「どうなさいました、シシィお嬢様。顔色が悪くなったようでございますが」
「頭が……」
「悪いのですよね」
「うん。――じゃなくて、頭が、痛い」
話している間にも痛みがどんどんひどくなる。そこから始まって全身に痛みが走り、体が軋む音が聞こえるような気がする。ぞくぞくする体を持て余す。熱いのか寒いのかも分からない。自分が地面にめり込んでいくような気も、反対に宙に浮かんでいるような気もする。もう、声を発することも身じろぎする事も出来ない。
「お嬢様!――だれか!医師様の手配を!急げ!」
アーノルドの焦ったような声が聞こえたのを最後に意識が途切れた。
そして、三日間も高熱を出して目覚めなかった私は、その熱が下がった時にはシシィ・ファルナーゼの記憶も獅子井桜の記憶も失っていた。
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