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顧問2年目07月
顧問2年目7月 5
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「よーし、しゅっぱつしんこー!!」
「ひひーん!!」
幼い騎士が従える馬に指示を出す。馬も主人に従うような鳴き声をあげ、歩を進める。
馬と呼ぶには少々遅いが、それでも普段よりも高い目線で動くことが楽しいのだろう。悠は喜んだ顔で背筋を正し、まるで本物のナイトとなったかのように立成の背に跨っていた。
(まさか、ここまでさせられるとは・・・)
多少の後悔をしながらも、立成は時折馬の鳴きまねを交えながら四つ足で宴会場の中を進んでいく。馬声をあげる際には顎をしゃくり上げ、本当の馬のように振舞いながら、元いた場所から向かいの壁まで練り歩く。
到着したら方向転換し、また向かいの壁まで四つ足で歩く。その間も背中に乗った悠からは、意気盛んになったからであろう子供特有の奇声があがっていた。
そこまでの重労働ではなかった。だが、思ったよりも両膝が痛くなったのは想定外だ。
宴会場の床が硬めの畳だからだろう。何度も何度もその上を擦りながら四つん這いで練り歩き続ける立成の膝小僧は、傷にまではならないが赤くなりつつあった。
「ん・・・おい、あれ見ろよ」
「ははっ、お馬さんごっこしてんな」
「あの先生も優しいな!さすが立派な先生だ!」
徐々にではあるが、宴会場の親父共から視線を集めつつあることを感じていた。
年端も行かぬ子どもの言いなりになったかのように、四つん這いで歩き続ける自分の姿を見られている。考えようによっては中々屈辱的なものを感じるところではあるが、それでも立成はその歩みを止めることはできなかった。
ようやく元いた場所まで戻った立成は、その顔を後ろに向け、自身の背に乗る騎士へお伺いを立てた。
「よし、もういいかい?」
「だめー!まだー!」
「ええーーっ」
「おうまさん!」
「わっ・・・ひ、ひひーーーん!」
最早ヤケクソ気味に嘶きながらも、立成はまたノッシノッシと歩を進める。その様子は馬というよりもカバに近しいものであった
そんな間抜けな声を出しながら遊んでいるもんだから、これまで宴会の輪の会話に夢中で、悠と立成の様子に気づいていたなかった男たちまでも、一斉に何だ何だと視線を送る。
「おおっ、良い馬だなぁ、悠!」
「ずいぶんでかい馬に乗ってるな!」
「かっこいいぞ、悠!」
酔っ払った親父共からの喝采を浴びて気をよくしたのか、背中の小さな騎士は満足げだ。
立成の腹を挟むようにしている小さな両足がバタバタと動いている。
(ぐっ・・・くそっ・・・)
ここまで注目を集めるつもりはなかった。
ちょっと馬役をやって遊んでやり、悠の気が済んだくらいにやめにしてしまうつもりだったのだ。悠が提案してきたものだとはいえ、そこまで楽しいものでもないから、すぐに飽きるだろう、と。
それなのに、背中に乗った騎士は、飽きることを知らず、立成という馬を宴会場の壁から壁へと往復させる。何度も何度も。
もう七月だ。夏に入りつつ季節であることもあり、宴会場には空調が効かせてある。そうだというのに、馬役を演じている立成の額には、いつしか汗が滲んでいた。
「もっと早く走らせろ!」
観衆からの野次が飛び出した。酔っぱらっているのもあるが、どうやら元々気が強いというか、荒い性の男が多いのだろう。そんな風に一人が囃し立てると、すぐさま後に続く者へ繋がれ、あっという間に宴会場全体が馬が走るのを待ちわびているようになった。
(マジかよ・・・!)
「はしってー!はしれーー!」
まるで駄馬を叱咤するような声が背後からも聞こえてくる。
(あぁぁっ!ったくっ・・・!!)
幼い子供の遊び相手なのだ。大人が本気を出す必要なんて無い。
それでも、意地になっていたのかもしれない。立成は無理やり呼吸を整え、大勢の観衆が見守る中、畳の馬場を全力で駆け抜けた。
「きゃはははは!」
「はあっ、はあっ・・・」
「もういっかい!もういっかい!」
「わかった、よーし!」
「きゃははは!」
悠のケラケラと笑う高い声の下、立成はがむしゃらに走り続けた。
高校球児だった頃に走らされた距離と比べたら短すぎるにもほどがあるが、それでもその時から増えすぎた体重と四つん這いで早く動くことは、今の立成にはかなりの消耗を与えていた。
縞模様の浴衣は着実に乱れ、包まれていた立成の素肌が少しずつ露わになっていく。腰にきつく結んでいたはずの丹前帯も少しずつ緩んでいった。
「ひー、ひー・・・」
「えー、もうつかれちゃったのー?」
「もう無理だー」
「なんでー。もっとー」
かつて子育てを経験した者たちには、共感とともに、体躯の良い立成が頭を蒸気させながらも肩で息をしている様が滑稽に見えたのだろうか。大の大人が着衣が乱れ困憊状態のまま四つん這いの姿に、親父共が大爆笑している。
そんな中、1人の親父が何かを持って立成たちに近づいていった。
「おい、悠!これ使えこれ!」
「なにこれ?」
「これでな、お馬さんのな・・・」
呼吸を整えるのに精一杯の立成には、細かい話が耳に入らなかった。
悠に話しかけているその親父は片方の腕を振り下ろすようなジェスチャーを何度もしていた。
「そうなのー?すごい!」
「こうだぞ、こうやるんだぞ!わかったな!そうすると走るからな!」
「うん!・・・ねー、おうまさん、もういっかい!」
「無理、無理・・・」
「もー、ちゃんとやって!」
「んなっ・・・!」
唐突に"ピシャン!”と刺激が走った。あまりにも想定外すぎるものだった。
自分の突き出した状態の尻に対して、薄い浴衣越しに何かが当たったような・・・・
(な、何だ・・・?)
おそるおそる背後を見る。自身の背に乗る、若すぎる騎士の姿を。
「なっ・・・・!」
悠はハエ叩きを持っていたのだ。その姿は正に得意気といった顔だった。
(まさか・・・)
一瞬で理解した。先ほどの自分の尻を襲った唐突な衝撃。あれは、悠が手にしているハエ叩きで、自分の尻を打擲したのだった。
立成の驚愕の顔に、またも大爆笑する観客の親父たち。しかし、立成の耳にはそれらはただの雑音としてしか入ってこない。自分が置かれたあまりにも惨めすぎる遊びに、ショックを抑えることができなかったのだ。
「もういっかい!」
ピシャン!
「ひいっ!」
年端もいかぬ子供の力なのだ。おまけに、使っている道具はただのハエたたきだ。
それでも。
平らな物が自分の尻に打ち付けられるその感覚。
年端もいかぬ幼児に尻を叩かれるという屈辱感。
そんな相手に何も抵抗もできず、ただただされるがままである自分の無力感。
十分だった。
立成の身体は、内側から沸々と、熱い何かが燃え始めていた。
太い手足も動かせないほどに、全身にピリッと走るものがあった。
その眼は確かに、目の前の宴会場の風景をみているはずであるというのに、まるで偽の世界が映し出されているかのように思えるほど、立成にとっては現実感のない世界が広がっていた。
「ねぇー、もっとーー!」
ピシャン!
「はぁっ・・・!」
その後も何度もその光景が繰り返された。
走ることをせがみ、馬の尻を打擲する少年。その度に鳴き声をあげながら巨体をうねらせる無骨な馬。
あまりにも立成が素っ頓狂な声をあげるからだろう。立成が悠に尻を叩かれる度に、親父たちは大いにに笑っていた。子供を喜ばせるために、オーバーな演技をしていると捉えられたのだろう。親父たちからの印象は良かったようだ。
「わ、わかった、最後な、これで最後」
「うん!」
「よし・・・・はぁ、はぁ・・・・おし、いくぞ!」
「おうまさん!」
「あー!はいはい!わかりましたよっ!ひひーーーーーーーん!!!」
あまりに尻を叩かれるものだから、立成はついに降参した。
へとへとになったというのに、騎士の希望に合わせてまたも全力で畳の上を駆け抜けた。
まるで、子供に尻をはたかれるだけで動けなくなってしまう自分などなかったかのように。そんな風に自分自身を錯覚させるかのように。
「はぁ・・・・はぁ・・・」
「そのまま宴会場を一周だ!」
「凱旋しろー!」
「いっしゅう!いっしゅう!」
誰からの掛け声だろう。終わったと思っていたが、最後の一周が追加されたようだ。悠もその気になってしまっている。
もはやヘロヘロな状態ながらも、立成はこれで最後だ、と自分に言い聞かせながら、宴会場の周遊を始めた。さながら、競馬場で本番前に馬の様子を見せるためのパドックだ。もっとも、すでに馬として走ることは終えているはずであるため、本来の順序とは逆になっているのだが。
「おう、お疲れ!」
「悠、かっこよかったぞ!」
「楽しかったか?そうかそうか!」
1つ目の宴会の輪に近づくと、5人程いる親父たちから騎士への称賛の声がかけられる。まるで敵国を圧倒した勇敢な兵士へ称賛の声を送るかのようだった。
「はっはっは、先生もお疲れさん!」
「いっぱい走ったな!」
「偉い偉い!」
「あ、ありがとうございます・・・」
宴会場を駆け抜けたことで乱れてしまった呼吸を何とか繕いながらも、そんな親父たちに立成は苦笑いを見せる。
「おい、ケツ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよ、ははは」
尻を打たれた、とはいっても、5歳の少年によるものだ。痛み自体は大したことはない。あってないようなものだ。
立成はきっぱりと否定した。そのつもりだった。もうその話題は結構だと。
「いっぱい叩かれてたからな!」
「ちゃんと騎手の言うことを聞かないと駄目だぞ?お馬さんなんだから!」
「まあまあ。どれどれ・・・」
それでも、親父の1人が、その手を伸ばしてきた。
(ぐぅっ・・・)
薄い生地の浴衣に包まれた立成の尻を、その手が無遠慮に撫でまわした。そのあまりにもガサツな触り方に、立成は思わず出てしまいそうな声を押し殺すのがやっとだった。
「おっ・・・?」
「ん?なんだ、どうしたよ」
「いや、先生のケツが大丈夫か確認したんだけどな・・・・この先生、ケツでっかいなぁ~!」
「何してんだよ!」
「何言ってんだ!」
立成の尻を撫で上げた男の一言に一同はさらに盛り上がる。それと同時に、立成の顔が一気に赤く染まった。
言われた。
はっきりと言われた。
触られるだけではなく、言葉にされた。
大声で知らされてしまった。
バレてしまった。
自分の尻が・・・デカ尻であると・・・!
「いや、お前らも触ってみろって!かなりデカい尻だぞ!類まれねぇぞ!」
「ギャハハハ!何言ってんだよ!」
「男のケツとか気持ち悪い」
「男の尻触って何が楽しんだよ!」
そんなことを言い合いながらも、親父たちは畳におろしていた腰をあげ、どれどれ?と言いたげにその身を移動させ、立成を取り囲むようにな並び方となっていた。
まるで、立成の尻の鑑賞会でも始まるかのような布陣だった。
その中央にあるのは、もちろん主役であり、類まれぬデカ尻の持ち主である、立成の尻である。
浴衣に包まれているといっても、四つん這いで尻を突き出しているのだ。尻の形など丸分かりだ。
長身の体躯であるにしても明らかに大きく、そして張り出しているその立成の尻が、親父たちの格好の嘲笑の対象になった。
「確かにデカそうだな」
「ウエストよりも大分パーンって張っているケツだな」
「じゃ、記念に触ってやるか?」
「そうだな、悠も頑張ったんだし!」
「こんなに突き出してるんだ。触ってやらなきゃ可哀そうだしな!」
「何だよそれ!」
何もできない立成の背筋がぞっとしてくる会話が聞こえて来た。
なんでこんなことに。
ようやく終わったはずの馬のモノマネショーだけではなく、この宴会場にて、新たなショーが始まる気配があった。
(やめろ・・・やめろ・・・やめろ・・・・!)
立成は願っていた。しかし、そんな願いなど、神も仏も悪魔も聞くわけがないのだ。
「おっ、これは・・・」
「おお!何だこれ!」
「滅茶苦茶でかいじゃねぇか!」
「ははっ、柔らけえなこのケツ!」
「でも、ここは硬いぞ!鍛えてるんだな!」
「ほんとでけえな!」
次々と親父たちの手が伸びてくる。思い思いの無遠慮な感想を言い合い、それをネタにまた立成の尻に手を出す。
それらの全てが、立成の身体を襲ってくるのだ。
「あぁっ・・・そんな・・・」
酔っ払いの悪ふざけなのだ。
子供を乗せて下手に動けない状態でいる、体格のよい厳つい男が尻を突き出しているのだ。そんな状態なら、おふざけとしてその尻を揶揄ってやるのが、男同士の関係というものだろう。少なくとも、親父たちはそのような認識だった。
しかし、されている側は違う。
無防備な状態の尻を好き放題にされているのだ。
それも、コンプレックスのデカすぎる尻を、だ。
そんな恥ずかしい部位を、四方八方から伸びてくる親父たちの無遠慮な手により、自分の尻を触られ、撫でられ、揉まれ、弄ばれているのだ。立成としてはたまったものではなかった。顔から火が出そうなほどに羞恥に染まり、眼は半開きになりながら、何とか理性を保つだけでも必死だった。
しかし、だからといって、親父たちの手を拒むわけにはいかない。
男集団でこんな悪ふざけなどざらにあるのだ。いちいちつっかかかっていては話にならない。
何より、事実としては、男が男に尻を触られているだけなのだ。何も問題ではないのだ。
このため、立成は、受け入れるしかない。自分の尻を散々にされるしかない。嘲笑の的にされても、笑ってやりすごすしかない。
しかし、そのように耐え忍んでいる立成の姿そのものでさえも、更なる嘲笑へと繋がってしまうのだった。
(ぐっ・・・ううっ・・・くそ、この酔っ払いどもめが・・・・)
苦渋の表情に歪ませながら、耐えて耐えて耐え凌いでいる立成など気にせず、親父たちは下卑た言葉を投げかけながらも、尻をまさぐり続ける。男の尻なのだからと言って、手を止めるものなど誰もいなかった。その尻は、酔っ払った親父たちを一瞬にして魅了したかのような光景だった。
「つぎいこう、つぎいくよぉ!」
「わ、わかった・・」
「おうまさんっ!」
「ひ、ひひーんっ!」
背中の悠が掛け声をかける。立成にとっては、ある意味の助け舟だった。
悠の要求に条件反射のように馬のマネをしてしまう立成にまたも笑いが起こった中、親父たちと馬の触れ合い体験はこれで終わった。終ったはずだ。ようやく解放された。
そう思っていた。
「ひひーん!!」
幼い騎士が従える馬に指示を出す。馬も主人に従うような鳴き声をあげ、歩を進める。
馬と呼ぶには少々遅いが、それでも普段よりも高い目線で動くことが楽しいのだろう。悠は喜んだ顔で背筋を正し、まるで本物のナイトとなったかのように立成の背に跨っていた。
(まさか、ここまでさせられるとは・・・)
多少の後悔をしながらも、立成は時折馬の鳴きまねを交えながら四つ足で宴会場の中を進んでいく。馬声をあげる際には顎をしゃくり上げ、本当の馬のように振舞いながら、元いた場所から向かいの壁まで練り歩く。
到着したら方向転換し、また向かいの壁まで四つ足で歩く。その間も背中に乗った悠からは、意気盛んになったからであろう子供特有の奇声があがっていた。
そこまでの重労働ではなかった。だが、思ったよりも両膝が痛くなったのは想定外だ。
宴会場の床が硬めの畳だからだろう。何度も何度もその上を擦りながら四つん這いで練り歩き続ける立成の膝小僧は、傷にまではならないが赤くなりつつあった。
「ん・・・おい、あれ見ろよ」
「ははっ、お馬さんごっこしてんな」
「あの先生も優しいな!さすが立派な先生だ!」
徐々にではあるが、宴会場の親父共から視線を集めつつあることを感じていた。
年端も行かぬ子どもの言いなりになったかのように、四つん這いで歩き続ける自分の姿を見られている。考えようによっては中々屈辱的なものを感じるところではあるが、それでも立成はその歩みを止めることはできなかった。
ようやく元いた場所まで戻った立成は、その顔を後ろに向け、自身の背に乗る騎士へお伺いを立てた。
「よし、もういいかい?」
「だめー!まだー!」
「ええーーっ」
「おうまさん!」
「わっ・・・ひ、ひひーーーん!」
最早ヤケクソ気味に嘶きながらも、立成はまたノッシノッシと歩を進める。その様子は馬というよりもカバに近しいものであった
そんな間抜けな声を出しながら遊んでいるもんだから、これまで宴会の輪の会話に夢中で、悠と立成の様子に気づいていたなかった男たちまでも、一斉に何だ何だと視線を送る。
「おおっ、良い馬だなぁ、悠!」
「ずいぶんでかい馬に乗ってるな!」
「かっこいいぞ、悠!」
酔っ払った親父共からの喝采を浴びて気をよくしたのか、背中の小さな騎士は満足げだ。
立成の腹を挟むようにしている小さな両足がバタバタと動いている。
(ぐっ・・・くそっ・・・)
ここまで注目を集めるつもりはなかった。
ちょっと馬役をやって遊んでやり、悠の気が済んだくらいにやめにしてしまうつもりだったのだ。悠が提案してきたものだとはいえ、そこまで楽しいものでもないから、すぐに飽きるだろう、と。
それなのに、背中に乗った騎士は、飽きることを知らず、立成という馬を宴会場の壁から壁へと往復させる。何度も何度も。
もう七月だ。夏に入りつつ季節であることもあり、宴会場には空調が効かせてある。そうだというのに、馬役を演じている立成の額には、いつしか汗が滲んでいた。
「もっと早く走らせろ!」
観衆からの野次が飛び出した。酔っぱらっているのもあるが、どうやら元々気が強いというか、荒い性の男が多いのだろう。そんな風に一人が囃し立てると、すぐさま後に続く者へ繋がれ、あっという間に宴会場全体が馬が走るのを待ちわびているようになった。
(マジかよ・・・!)
「はしってー!はしれーー!」
まるで駄馬を叱咤するような声が背後からも聞こえてくる。
(あぁぁっ!ったくっ・・・!!)
幼い子供の遊び相手なのだ。大人が本気を出す必要なんて無い。
それでも、意地になっていたのかもしれない。立成は無理やり呼吸を整え、大勢の観衆が見守る中、畳の馬場を全力で駆け抜けた。
「きゃはははは!」
「はあっ、はあっ・・・」
「もういっかい!もういっかい!」
「わかった、よーし!」
「きゃははは!」
悠のケラケラと笑う高い声の下、立成はがむしゃらに走り続けた。
高校球児だった頃に走らされた距離と比べたら短すぎるにもほどがあるが、それでもその時から増えすぎた体重と四つん這いで早く動くことは、今の立成にはかなりの消耗を与えていた。
縞模様の浴衣は着実に乱れ、包まれていた立成の素肌が少しずつ露わになっていく。腰にきつく結んでいたはずの丹前帯も少しずつ緩んでいった。
「ひー、ひー・・・」
「えー、もうつかれちゃったのー?」
「もう無理だー」
「なんでー。もっとー」
かつて子育てを経験した者たちには、共感とともに、体躯の良い立成が頭を蒸気させながらも肩で息をしている様が滑稽に見えたのだろうか。大の大人が着衣が乱れ困憊状態のまま四つん這いの姿に、親父共が大爆笑している。
そんな中、1人の親父が何かを持って立成たちに近づいていった。
「おい、悠!これ使えこれ!」
「なにこれ?」
「これでな、お馬さんのな・・・」
呼吸を整えるのに精一杯の立成には、細かい話が耳に入らなかった。
悠に話しかけているその親父は片方の腕を振り下ろすようなジェスチャーを何度もしていた。
「そうなのー?すごい!」
「こうだぞ、こうやるんだぞ!わかったな!そうすると走るからな!」
「うん!・・・ねー、おうまさん、もういっかい!」
「無理、無理・・・」
「もー、ちゃんとやって!」
「んなっ・・・!」
唐突に"ピシャン!”と刺激が走った。あまりにも想定外すぎるものだった。
自分の突き出した状態の尻に対して、薄い浴衣越しに何かが当たったような・・・・
(な、何だ・・・?)
おそるおそる背後を見る。自身の背に乗る、若すぎる騎士の姿を。
「なっ・・・・!」
悠はハエ叩きを持っていたのだ。その姿は正に得意気といった顔だった。
(まさか・・・)
一瞬で理解した。先ほどの自分の尻を襲った唐突な衝撃。あれは、悠が手にしているハエ叩きで、自分の尻を打擲したのだった。
立成の驚愕の顔に、またも大爆笑する観客の親父たち。しかし、立成の耳にはそれらはただの雑音としてしか入ってこない。自分が置かれたあまりにも惨めすぎる遊びに、ショックを抑えることができなかったのだ。
「もういっかい!」
ピシャン!
「ひいっ!」
年端もいかぬ子供の力なのだ。おまけに、使っている道具はただのハエたたきだ。
それでも。
平らな物が自分の尻に打ち付けられるその感覚。
年端もいかぬ幼児に尻を叩かれるという屈辱感。
そんな相手に何も抵抗もできず、ただただされるがままである自分の無力感。
十分だった。
立成の身体は、内側から沸々と、熱い何かが燃え始めていた。
太い手足も動かせないほどに、全身にピリッと走るものがあった。
その眼は確かに、目の前の宴会場の風景をみているはずであるというのに、まるで偽の世界が映し出されているかのように思えるほど、立成にとっては現実感のない世界が広がっていた。
「ねぇー、もっとーー!」
ピシャン!
「はぁっ・・・!」
その後も何度もその光景が繰り返された。
走ることをせがみ、馬の尻を打擲する少年。その度に鳴き声をあげながら巨体をうねらせる無骨な馬。
あまりにも立成が素っ頓狂な声をあげるからだろう。立成が悠に尻を叩かれる度に、親父たちは大いにに笑っていた。子供を喜ばせるために、オーバーな演技をしていると捉えられたのだろう。親父たちからの印象は良かったようだ。
「わ、わかった、最後な、これで最後」
「うん!」
「よし・・・・はぁ、はぁ・・・・おし、いくぞ!」
「おうまさん!」
「あー!はいはい!わかりましたよっ!ひひーーーーーーーん!!!」
あまりに尻を叩かれるものだから、立成はついに降参した。
へとへとになったというのに、騎士の希望に合わせてまたも全力で畳の上を駆け抜けた。
まるで、子供に尻をはたかれるだけで動けなくなってしまう自分などなかったかのように。そんな風に自分自身を錯覚させるかのように。
「はぁ・・・・はぁ・・・」
「そのまま宴会場を一周だ!」
「凱旋しろー!」
「いっしゅう!いっしゅう!」
誰からの掛け声だろう。終わったと思っていたが、最後の一周が追加されたようだ。悠もその気になってしまっている。
もはやヘロヘロな状態ながらも、立成はこれで最後だ、と自分に言い聞かせながら、宴会場の周遊を始めた。さながら、競馬場で本番前に馬の様子を見せるためのパドックだ。もっとも、すでに馬として走ることは終えているはずであるため、本来の順序とは逆になっているのだが。
「おう、お疲れ!」
「悠、かっこよかったぞ!」
「楽しかったか?そうかそうか!」
1つ目の宴会の輪に近づくと、5人程いる親父たちから騎士への称賛の声がかけられる。まるで敵国を圧倒した勇敢な兵士へ称賛の声を送るかのようだった。
「はっはっは、先生もお疲れさん!」
「いっぱい走ったな!」
「偉い偉い!」
「あ、ありがとうございます・・・」
宴会場を駆け抜けたことで乱れてしまった呼吸を何とか繕いながらも、そんな親父たちに立成は苦笑いを見せる。
「おい、ケツ、大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよ、ははは」
尻を打たれた、とはいっても、5歳の少年によるものだ。痛み自体は大したことはない。あってないようなものだ。
立成はきっぱりと否定した。そのつもりだった。もうその話題は結構だと。
「いっぱい叩かれてたからな!」
「ちゃんと騎手の言うことを聞かないと駄目だぞ?お馬さんなんだから!」
「まあまあ。どれどれ・・・」
それでも、親父の1人が、その手を伸ばしてきた。
(ぐぅっ・・・)
薄い生地の浴衣に包まれた立成の尻を、その手が無遠慮に撫でまわした。そのあまりにもガサツな触り方に、立成は思わず出てしまいそうな声を押し殺すのがやっとだった。
「おっ・・・?」
「ん?なんだ、どうしたよ」
「いや、先生のケツが大丈夫か確認したんだけどな・・・・この先生、ケツでっかいなぁ~!」
「何してんだよ!」
「何言ってんだ!」
立成の尻を撫で上げた男の一言に一同はさらに盛り上がる。それと同時に、立成の顔が一気に赤く染まった。
言われた。
はっきりと言われた。
触られるだけではなく、言葉にされた。
大声で知らされてしまった。
バレてしまった。
自分の尻が・・・デカ尻であると・・・!
「いや、お前らも触ってみろって!かなりデカい尻だぞ!類まれねぇぞ!」
「ギャハハハ!何言ってんだよ!」
「男のケツとか気持ち悪い」
「男の尻触って何が楽しんだよ!」
そんなことを言い合いながらも、親父たちは畳におろしていた腰をあげ、どれどれ?と言いたげにその身を移動させ、立成を取り囲むようにな並び方となっていた。
まるで、立成の尻の鑑賞会でも始まるかのような布陣だった。
その中央にあるのは、もちろん主役であり、類まれぬデカ尻の持ち主である、立成の尻である。
浴衣に包まれているといっても、四つん這いで尻を突き出しているのだ。尻の形など丸分かりだ。
長身の体躯であるにしても明らかに大きく、そして張り出しているその立成の尻が、親父たちの格好の嘲笑の対象になった。
「確かにデカそうだな」
「ウエストよりも大分パーンって張っているケツだな」
「じゃ、記念に触ってやるか?」
「そうだな、悠も頑張ったんだし!」
「こんなに突き出してるんだ。触ってやらなきゃ可哀そうだしな!」
「何だよそれ!」
何もできない立成の背筋がぞっとしてくる会話が聞こえて来た。
なんでこんなことに。
ようやく終わったはずの馬のモノマネショーだけではなく、この宴会場にて、新たなショーが始まる気配があった。
(やめろ・・・やめろ・・・やめろ・・・・!)
立成は願っていた。しかし、そんな願いなど、神も仏も悪魔も聞くわけがないのだ。
「おっ、これは・・・」
「おお!何だこれ!」
「滅茶苦茶でかいじゃねぇか!」
「ははっ、柔らけえなこのケツ!」
「でも、ここは硬いぞ!鍛えてるんだな!」
「ほんとでけえな!」
次々と親父たちの手が伸びてくる。思い思いの無遠慮な感想を言い合い、それをネタにまた立成の尻に手を出す。
それらの全てが、立成の身体を襲ってくるのだ。
「あぁっ・・・そんな・・・」
酔っ払いの悪ふざけなのだ。
子供を乗せて下手に動けない状態でいる、体格のよい厳つい男が尻を突き出しているのだ。そんな状態なら、おふざけとしてその尻を揶揄ってやるのが、男同士の関係というものだろう。少なくとも、親父たちはそのような認識だった。
しかし、されている側は違う。
無防備な状態の尻を好き放題にされているのだ。
それも、コンプレックスのデカすぎる尻を、だ。
そんな恥ずかしい部位を、四方八方から伸びてくる親父たちの無遠慮な手により、自分の尻を触られ、撫でられ、揉まれ、弄ばれているのだ。立成としてはたまったものではなかった。顔から火が出そうなほどに羞恥に染まり、眼は半開きになりながら、何とか理性を保つだけでも必死だった。
しかし、だからといって、親父たちの手を拒むわけにはいかない。
男集団でこんな悪ふざけなどざらにあるのだ。いちいちつっかかかっていては話にならない。
何より、事実としては、男が男に尻を触られているだけなのだ。何も問題ではないのだ。
このため、立成は、受け入れるしかない。自分の尻を散々にされるしかない。嘲笑の的にされても、笑ってやりすごすしかない。
しかし、そのように耐え忍んでいる立成の姿そのものでさえも、更なる嘲笑へと繋がってしまうのだった。
(ぐっ・・・ううっ・・・くそ、この酔っ払いどもめが・・・・)
苦渋の表情に歪ませながら、耐えて耐えて耐え凌いでいる立成など気にせず、親父たちは下卑た言葉を投げかけながらも、尻をまさぐり続ける。男の尻なのだからと言って、手を止めるものなど誰もいなかった。その尻は、酔っ払った親父たちを一瞬にして魅了したかのような光景だった。
「つぎいこう、つぎいくよぉ!」
「わ、わかった・・」
「おうまさんっ!」
「ひ、ひひーんっ!」
背中の悠が掛け声をかける。立成にとっては、ある意味の助け舟だった。
悠の要求に条件反射のように馬のマネをしてしまう立成にまたも笑いが起こった中、親父たちと馬の触れ合い体験はこれで終わった。終ったはずだ。ようやく解放された。
そう思っていた。
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