生徒との1年間

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顧問2年目07月

顧問2年目07月 2

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 放課後。

 授業の準備と受け持つ学級に関する報告書関連の業務に目途をつけた立成は、学校の外れの方に足を運んだ。
 目指す場所は弓道場だ。今日も部活があるのだ。
 昨日まで高校総体だったのだから今日くらい休んでもいいとは思うものの、部活は実施することになったのだ。
 そう決めたのは、この部活の新部長だ。今日から新体制が始動する。

「おっす。今日も部活頑張ってるなー」
「あっ立成先生、お疲れ様です」

 玄関で靴を脱いだ立成に真っ先に声をかけてきた弓道着姿の生徒。
 川崎だ。彼が今日からこの部活の新部長なのだ。
 他の部員たちも川崎に続き、立成に挨拶をしてくる。
 
 立成はそんな彼らに声をかけながらも。弓道場の上座にある段上がりの畳敷のスペースに腰を下ろした。

 部員たちは黙々と矢を射っている。見る限り今日も休んだ部員はいないようだ。
 筒井もいる。1年たちは誰もいないが、おそらく外で射法八節の練習でもしているのだろう。

 立成はあらためて新部長の川崎を見やった。

 その表情は真剣に弓道に取り組んでいるように見える。迷いなどなく、ただ目の前の的の事を考えているようだった。いつもの練習中の川崎の姿であるように見えた。

 よかった。どうやら立ち直ることができたようだ。他の連中も、川崎が新部長であることに不平はなさそうだ。

 立成は表情にこそ出さなかったが安堵した気持ちのまま、彼ら十代の少年たちが矢を射る姿を見続けていた。
 
・・・

 昨日の高校総体最終日。
 予選を突破した団体戦は、準々決勝、準決勝と、2回の20本射を行い、それぞれ的中枢が上位半数の高校が残るシステムだ。その結果、上位4校が決勝進出になる。

 立成の高校は、準々決勝で敗退だった。結果は20射6中という、予選通過校の中でもダントツでの最下位だった。
 理由は簡単だ。団体予選で、筒井とともに的中を稼いでくれていた川崎が唐突に不調になったからだった。川崎個人としては、4射0中。残という結果だったのだ。

 立成としてもショックだった。あまりにも唐突だった。
 高校生なのだから、好調不調の波が大きいのはわかる。学生時代にアーチェリー部にいた立成は、的中競技においてそれが身に染みて理解できる。
 しかしそれでも、2年生ながら筒井と並ぶほどに的中を稼いでくれるポイントゲッターであり、普段からどこか鵜浮世離れしたような、飄々とした川崎が、こんな風にあっさりと崩れていくのを目にすると、とても信じられない思いだったのだ。

 試合が終わった後の雰囲気はどん底だった。団体戦出場の5人とも、まさかこんな結果になるとは思ってもいなかっただろう。

 とりわけ、川崎の顔は、悲壮な顔・・・というよりも、真っ白の肌にどこか無表情とも言い難い、見ているこちらが気に病んでしまいそうなものだった。

 恒例の試合後のミーティングがあるにもかかわらず、川崎がフラっと消えてしまっていた。

 何人かの生徒が、川崎がどこへともなくフラフラと歩いて行ったのを目撃していたようだ。声をかけようともしたのだそうだが、試合の結果と川崎の顔をみると誰も止められなかったのだそうだ。
 
 1人にした方がいいかもしれない。
 そうは思うものの、顧問としては放っておくことはできない。立成は試合会場を駆けずり回った。

 川崎は2階の外れの方にいた。
 非常階段の近くの椅子に座っていた。弓道着姿で弽も外さないまま、両手で頭を抱え込んでいる。

 何か声をかけようか。

 立成は壁にもたれてその身を隠しながら逡巡していた。

 もう少し時間を置くべきだろうか。
 いや、ケアするなら早いほど良いのか。
 それでも1日くらいは置いた方が、川崎自身が自分を見つめなおすことができてよいのではないか。
 とはいえ、あまりに切羽詰まってしまうと。

 そんなことを思いながら川崎を覗いていた立成だが、ふいに誰かが通り過ぎた。

 筒井だった。川崎の隣に腰を下ろし、何かを話しかけている。その言葉までは立成の耳には届かなかった。
 
(あいつ・・・・そういえば・・・・そうか・・・・)

 立成は辺りを見渡す。薄暗い廊下。非常階段の扉。古臭いソファー。
 
 そうだ。この場所は、ちょうど1年前にも立成は来ていたのだ。
 昨年の高校総体。筒井も同様に、団体戦で急に的中を落としていた。そんな筒井が逃げ込んだ場所もここで。そして、その筒井を立成がなぐさめた場所もここだった。

 もう一度、立成は川崎と筒井の方に目を向ける。
 相変わらず何を話しているかなんて立成にはわからない。
 今の川崎が何を求めているかもわからない。
 
 しかし。 

(大丈夫だ、きっと。あいつがいるなら、大丈夫だ)

 確信なんてない。
 もしかしたら余計悪化してしまうかもしれない。
 言いたいことも伝えたいことも思っていることも、うまく言葉にできないかもしれない。
 それが川崎に伝わるかもわからない。

 それでも。
 同じことを経験した、してしまった男同士なのだ。
 だから、大丈夫だ。筒井なら大丈夫だ。

 そう思いながら、立成は残りの部員の元へと戻っていったのだった。

 一番ダメージを負っているのは、たしかに4射0中という結果だった。川崎なのかもしれない。
 しかし、他の3人の2年だって、4射1中の結果なのだ。ポイントゲッターの調子がくずれるなんて、スポーツではよくあることだ。上手くカバーできなかった負い目は、きっとあの3人だって感じているに違いない。立成は歩きながらも心の中で筒井に話しかけていた。

(そっちは任せたぞ、すまんな、筒井・・・・)

 元の場所に戻ると、相変わらず呆然としたままでいる3人の弓道着姿の部員たちが、相変わらず呆然としたままでいた。
 立成は自分がショックを受けていることなんて一旦奥にしまって、3人に語りかけた。

・・・  

「黙祷っ」

 号令をかける声が変わるだけでも新鮮だ。
 弓道場に正座した生徒たちに合わせて、立成も目を閉じる。

 数秒間の黙祷の後、新部長からやめの合図が出る。

 今日の部活も終わった。

 6月の上旬になり、これから待っている夏の暑さを予感させるかのように、空は雲一つない快晴だ。
 陽が出ている時間がどんどん伸びているのか、まだ昼間のように明るい。
 そんな煌々とした光に感化されてか、少しテンションが高い状態のまま帰り支度を整えて、続々と帰宅する生徒たち。

 さて、と。
 今日はあとは筒井の自主練を見守るだけだ。

 本来3年ならば引退なのだろうが、高校総体の個人戦で2位になった筒井は、7月の地方大会、8月のインターハイ出場するのだ。そうなったからには、3年生とはいえこれまで同様に部活動にも出ることになる。

 昨日まで大会だったのだから、それこそ休んだっていいと立成は思うのだが、筒井を見ると弓道着から着替える気配もない。やはり今日も部活動後の自主練をするようだ。
 すごいな。やはり、10代の若さと青さがそうさせるのだろう。

 そうであれば、あとは暗くなるまで、のんびりと筒井の射を見つめていよう。
 ここ1年での立成のルーティーンだ。

 立成は自然と目を閉じた。それでも何が行われているかはわかるくらいに、聞きなれた音が耳に入ってくる。

 矢を射る。射る。射る。
 返る弦の音。的に当たる音。
 
 眠たくなるときもあるものの、どこか耳に心地よい。

(こうしているのも、あと1か月とちょっとか・・・)

 思わず、少しだけセンチメンタルな気分に浸ってしまった。
 30を超えたというのにそんなことを考えるなんて、と、少し顔を紅くしながら重い目を開いた。

 しかし、そこにはいつもとは少し違う光景があった。

 いつものように、筒井1人の自主練が行われているはずだったが、そこにはもう一人、川崎の姿があった。

「あれ・・・川崎、帰らないのか?今日は練習していくのか?」
「はい。俺も筒井さんみたいになるためには、こういうことからやんなきゃなって思ったんで」
「ほう、偉いな。」
「いえ、そういうのじゃないです。やっぱり、ここ一番で力を発揮できるようにするには、人よりも練習するしかないなって思ったんで」
「そうか・・・あまり無理はするなよ?」
「はい。ありがとうございます」

 川崎はそう言いながら、筒井より前に的に立ち、弓を構える。
 互いに話すこともなく、ただ自分の目の前にある的だけを見つめている。
 
 2人の矢が的紙を突き破る音が定期的に聞こえてくる。

 筒井が射る。川崎が射る。筒井が射る。川崎が射る。

 決してうるさいわけではないというのに、いつもよりも賑やかに感じていた。

 ある程度射った矢の本数が溜まった段階で、2人は外に出ていった。
 立成も付いて矢を取りに行く。立成にできる数少ない補助だ。

 1人先に弓道場に戻る川崎を視線で追いつつ、ゆっくりと矢を拭きながら立成は筒井に語りかけた。

「よかったな、川崎もいつもどおりだな」
「そうだね。今日休むかと思ったけど、来てくれてよかった」
「筒井のおかげだ」
「ううん、先生のおかげだよ。去年先生が俺にしてくれたことと同じことをしただけだから」
「・・・そうか」

 少し前までは弓道というものに追い込まれそうになっていたというのに。
 立成の目の前の少年は頼りがいのある男に見えた。

 そんな風に立成が思っているのがわかったのだろうか。
 ふふっと笑っていた筒井は、少し恥ずかしかしそうに下を向いた。その若い頬が赤く染まっているのは、陽が傾いてきたせいではないだろう。

「よくやったな。さすが、前部長さんだな」
「何だよそれ、なんか俺が古いみたいな」
「事実だろ、もう部長じゃないんだし。OBみたいなもんだ」
「ひどい!」

 雑巾で矢先を拭きながらゲラゲラ笑う立成と筒井。
 それは教師と生徒という関係を超えた、年の離れた親友であるかのようにも見えた。

「ねぇ、さっき話したんだけど、川崎、これからも毎日自主練するみたいだよ」
「えっ、マジか」
「うん。川崎のやつ、本気だった」

 そうか。
 
 部長になったからってだけじゃない。
 何かが、川崎の中で変わったのかもしれない。

 昨日の試合は確かに残念ではあった。
 だが、川崎が成長するという点では、悪いことではなかったのかもしれない。
 
 しみじみとそんなことを考えていたら、唐突に筒井がニヤニヤとした下卑た笑みを浮かべ出した。
 ?と訝しむ立成に対して、自分の口元に手をやる。ひそひそ話をするかのようなジェスチャーだ。
 意図がわからないものの、背の高い立成は少しだけ背中を屈ませて筒井の口元に耳を寄せてやった。

「何だ?」
「残念だったね」
「えっ?」
「俺、せっかくインターハイ出れるようになったのに、川崎がいるんじゃあねぇ・・・」
「はぁっ・・・・?」

 まったく要領を得なかった。間抜けな声で相槌することしかできない
 本当に筒井が何を言おうとしているのかわからなかった。

「しばらくは、弓道場で先生と2人っきりになれる時間がなくなっちゃったってこと」
「何・・・・それがどうした・・・・なっ!!」

 筒井が何を言いたいのかようやく理解でき、立成は一気に紅顔した。
 
「先生も期待してたんじゃない?俺がインターハイに行くから、あと1ヶ月は部活に来るから、その間は弓道場で色々できるなぁって」
「おま、そんな」
「俺は考えてたよ、先生も考えてたんじゃない?」
「馬鹿言えっ!」
「ふふっ、当面は弓道場では弓道だけしかできないね」
「なっ・・・・あ、当たり前だ!」
「なに騒いでんですか?」

 ガラガラと玄関の引き戸を開きながら、川崎が顔を出す。
 いつまでたっても自主練に戻らない筒井と立成を気にしたのだろう。
 筒井はにやにやしながら川崎に応える。

「え?えっとね、部活の後にね・・・・」
「あーーー!馬鹿馬鹿!違う、何でもない!気にするな川崎!」
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