生徒との1年間

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顧問2年目07月

顧問2年目07月 01

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 絨毯の優しい感触を靴底から感じる。
 豪奢であり歴史を感じさせるような什器に囲まれた室内は、さながら王室のようで普段自分が勤めている学校とは思えない。
 それも当然である。ここは校長室であり、自分はただ、招かれただけなのだから。

「いや、今回は非常に素晴らしい!よくぞやってくれた!」
「ははは!校長、そこまで言わなくてもいいですよ!我々はただ使命を果たしただけなのですから!」

 高校総体の翌日。立成が出勤していつもの週明けの朝礼の後、教頭に呼び出されたのだ。
 昨日の今日だ。さすがに今回はどんな意図かは予想がついていた。予想どおり、先日の高校総体の結果についての激励での呼び出しだったようだ。

 隣で喋っている男は角田だ。体育教師で、サッカー部の顧問の男だ。立成と同様、教頭に呼び出されたため、2人して校長室に来たのだった。
 今年の我が校のサッカー部は県でベスト4という結果だったらしい。公立の、それもスポーツにそこまで金をかけていない高校としては驚異的な結果だ。メジャースポーツの分野においてこれまでこの高校で結果を出せたことなどないのではないだろうか。
 相変わらずその体躯に見合うでかい喋り声で得意げに何かを話し続けている。立成よりも年齢は上だというのに、体躯が大きくその身体はまだ現役を思わせるようながっしりとしたものだ。半袖のポロシャツにジャージズボンという、いかにも体育教師という装いをしているが、顔や手などの服に隠されていない部分は陽に焼けており、自身が活動的であること、そして部活動の指導もしっかり行っていたのだろうということが伺える。

 この部屋に入ってから、校長の口からは立成と角田を称賛する言葉が止まることはない。褒められ慣れていない立成としては、どう対応するか迷う所ではあるが、そんな立成が口を挟む必要もないほどに、角田はまるで大したことはしていないですよと言わんばかりの表情をを作りながらも、短く刈り上げられた頭をごつい手で掻きながら謙遜の体を装った自賛の台詞を垂れ流していた。

(こういうときには、こいつも便利だなぁ・・・)

 立成はというと、なんとも居心地の悪さを感じていた。
 確かに、筒井が個人戦で県で2位という成績を収めたことは非常に嬉しい。それを褒められると自分のことのように心が躍ってしまう。だが、やはり自分が筒井の成績のために何かをしてやったかというと、果たしてそれはどうなのか、という思いがよぎってしまうのだ。

「立成先生も。弓道部でのインターハイ出場は当校初ですよ。というか、武道でのインターハイ自体が初めてだよ。本当にありがとう。立成先生のご尽力の賜物ですよ」
「いや、そんなことは・・・・・」

 ふいに名指しで言われてしまった。
 慌てて目の前にいる校長に目を向けながら、角田を見習った言葉を紡ぎ出そうとするがうまく言葉が出てこなかった。日本人らしく言葉尻を濁してニュアンスだけで何とか乗り切ろうとしてしまっている。

 そんな立成の返答であっても、今は機嫌が良すぎるのだろうか。校長は非常ににこやかな笑顔だ。薄くなり出している白髪の少し小柄な身体はまるでどこにでもいる好々爺といった雰囲気なのだ。そんな校長が見た目の印象通りに目尻を垂らしてニッタリと綻んだ顔をしている。

 そして、そんな校長の隣には、普段はこの学校にいないもう1人の男の姿がある。

「今となっては私は対岸の者ですが、今回のこの好成績。これほど嬉しいことはありませんよ」
「何をおっしゃいますか永山先生」
「いえいえ。今朝の新聞で知ったからね。思わず駆けつけて来ちゃいましたよ」
 
 永山という男だ。一昨年までこの高校の校長をしており、今は隠居の身なのだそうだ。
 校長同様に白髪ではあるが、その頭髪はまだ十分な豊かさがあり、前髪をしっかりとオールバックにまとめた大人の髪型だ。背は立成よりも少し低いが、この年代にしてはかなり高い方だろう。身に纏うスーツも地味ではあるがしっかりと整えられており、若いときは何かのスポーツで慣らしていたと思われるがっしりと張りのある身体のラインが浮き出ていて、スーツに着られることなくきちんと着こなし、この年代の男としてはとても様になっている。ぎょろっとした目つきが少し威圧感を与えることを気にしているのか、薄く色味の入った銀縁眼鏡が角ばった顔の上に装着されており、それがまた男としての眼鏡郷とともに、確かな知性の持ち主であるような印象を与えている。

「すごいですね、インターハイなんてうちの高校からだといつぐらいなんだろうか。私のときにはなかったからな。立成先生、あなたの功績は素晴らしいものですよ」
「いや、そんな・・・」
「ほほう、こんなデカい身体に見合わず、なかなか謙虚な方ですな」
「そうなんですよ永山先生。こんな態度ですけどね、彼、立成君が弓道部の顧問を務めだした昨年から成績が良くなっておりましてねぇ」
「そりゃすごい!一体どんな指導をしたんですか!?」
「いや、いや」

 参ってしまった。どうも自分の方に矛先を向けられると困ってしまう。
  何度も似たような、壊れた機械人形かと思われるように称賛を繰り返してもらったって、こちらの返す言葉の種類はとうに尽きているのだ。それだというのに、こんな状況は一向に変わらず埒が明かない。 
 ちらりと横にいる角田を見やる。どうにか得意の調子のいい話でこの場を変えてくれないものかと思っていたのだ。さっきまでみたいに、調子のいい言葉を投げかけてくれないかと期待したのだ。

(・・・はぁ?)
 
 角田は睨むような顔で立成を見ていたのだ。ちょうど、校長も永山も立成の方を向きながら話していたから、そんな角田を見ることができたのは立成だけだった。
 自分に話の矛先が来ていないから油断していたとか、校長たちにへこへこするのをさぼっていたとか、そんなものではなかった。それは明らかに、憎しみのような感情を持った男の顔だったのだ。
 思わず、角田を見た立成の目を見開いてしまうほどだった。

(何だこいつ、ふてくされているのか?そんな小学生のようなことがあるのだろうか?もう30代も後半だろ。ガキか、お前は?)

 思わず立成も睨みつけてしまいそうになるのを何とかどうにか抑えながら、拙い言葉で年寄り2人の相手をし続けるしかなかったのだった。


・・・・

 校長室を出て一息をつく。

 散々称賛のお言葉はいただいたが、結局のところ、2人の校長と元校長の永山が喜びのあまり、2人の顧問を呼んでの激励の場だったということだろうか。終わりの見えない場ではあったが、2限目からは授業があるということで、ようやく解放されたのだ。
 怒られたわけではなく、むしろ褒められる一方であったにかかわらず、立成はどこか疲労感を覚えていた。

(全く、朝っぱらからこれなんだからな。やれやれ、ようやく解放されたぜ)

 先ほどまで居た部屋を出ただけだというのに、立成は肩の荷が下りたような、少しだけ自由になったような気楽な気分になっていた。とはいえ、まだ今日という日は始まったばかりなのだ。

「それじゃ立成先生、お先に」
「えっ」

 返答する間もなく、角田の背中が遠くなっていく。
  無言で2人が過ごすこともなく、あっという間の出来事だった。
 体育教師だからなのか、それともせっかちな性分だからなのか。あるいは、一刻も早く立成のいる場所から離れたいと思ったからなのか。角田の歩く速度は本当に早かった。競歩部の顧問も兼任できるのでは、と思ってしまうほどだった。

(やっぱ苦手だなぁ、あいつ・・・)

 悪い奴ではない・・・とは思いながらも、自分との相性の悪さは明確だった。
 そんな奴と一緒に職員室まで肩を並べて歩くのも、少し憂鬱に思えていたため、角田が先に去っていったのは立成にとっては却って好都合だった。
 
 おそらく、向こうも向こうで、こちらに対して苦手意識を持っているのだろう。
 しかし、自分の何が気に食わないのかまではわからなかった。

(自分の部活が好成績を出したときに、俺の部活がインターハイ出場になったから、とか・・・?いや、まさかな・・・)

 そんなことを考えながらも、立成はゆったりと長い廊下を歩きだした。結局、角田の思惑などわかるはずもないし、そこまで興味など無かった。
 さっきまで見えていた角田のポロシャツの背中は、とうの昔に見えなくなっていた。
 それでも、立成の歩く速さは牛歩のままだった。


 ダラダラと歩いたかいもあってか、立成が職員室に着いた時には、すでに2時限目の開始のチャイムが鳴り終わっていた。校長たちには2時限目が始まるから・・・とは言ったものの、実は今日は3時限目からの授業だったのだ。
 
 さて、今日の準備でもするか、と席に着いた立成がPCを立ち上げながら今日の予定を反芻する。
 昨日までは部活の遠征だった。運動部に所属している生徒は普段の生活とのギャップが大きいだろうが、それは教師とて同じだ。おまけに、朝から老人たちの相手をしたこともあり、立成は必死に今日の授業のアウトラインを作り出そうと机上の資料を相手に1人ブツクサと問答していた。

「あら、総体明けから随分と熱心ですね」
「・・・っ!よ、吉沢先生っ!どうしてここにっ!」
 
 いつのまにか養護教師の吉沢が立成の机に近づいていた。唐突であったため立成の尻を乗せるにはあまりにもサイズが合っていない事務椅子からずっこけそうになるほど動揺してしまう。それも当然だ。相変わらず立成にとって、この吉沢がこの男子校においてお気に入りNo1の女子であり、自分が自覚している以上に惹かれてしまっているのだから。

 そんな立成の思惑など知ってか知らぬか、吉沢は目の前で1人コントを演じていた立成を見てクスクスと笑いながらも話を続けた。

「聞きましたよ、立成先生が顧問している弓道部、いい成績を残したんですってね」
「あ、それは・・・・いや、まぁ、そうなんですよ」
「すごいですよね。あまり体育会系が強い学校でもないのに。そういえば、サッカー部もいい成績だったみたいですね。角田先生にさっき会ったとき、すんごく熱弁されちゃった。もう話が止まんなくって止まんなくって」
「えぇ、それは・・・・」

 容易に想像がついた。きっとあの角田が、優しい吉沢が話を遮らないことをいいことに、調子よく自分の手柄をひけらかしたのだろう。あの角田が太い両腕をにぎやかに揺らした大げさなボディランゲージをしながら、得意気にしゃべり続ける画ずらは想像に難くない。

 あいつは・・・!

 と、思わずげんなりした顔をしてしまった立成だったが、それを見た吉沢はにっこりと微笑む。

「ふふっ。でも筒井君も頑張ったのね。だって県で2番目に弓道が上手ってことでしょ?すごいなぁ」
「いやぁ、本当に。・・・あれ、吉沢先生、筒井のこと知ってるんですか?」
「だって、彼は保健委員なんだもの。普段はあんなにのほほんとしているのに、インターハイの選手なんだから、人って分からないものね」

 知らなかった。筒井が吉沢と知り合いだった?おまけにどんな人柄かを知るくらいの関係?
 たかが学校の、それも委員会だけの関係であるというのに、立成は少しだけ、ほんの少しだけ、ちょっとだけやきもちを焼きそうになっていた。自分の知らない吉沢先生のことを、あいつは知っているかもしれないなんて。

 そんなあまりにも大人げないことを考えていた立成に、さらに吉沢は顔を近づけてくる。元が小柄な女性だから、その顔はとても小さい。無遠慮に顔を近づけられたためか、吉沢のいい匂いがダイレクトに立成の鼻腔に入り込んでくる。立成は思わずその厳つい顔を真っ赤に染め、書類を掴んでいたごつい手を中途半端な高さのままででフリーズしてしまう。まるで中学生男子のような初心な自分を隠せない立成の耳もとに、吉沢の可愛らしいウィスパーボイスがそよ風のように入り込んで来た。

「え、ちょ、・・・・」
「でね。筒井君も言ってましたよ。立成先生のおかげだって。いつも自分のことを考えてくれる、一番いい先生だって」
「・・・・なっ・・・・」
「それじゃ、私は保健室に戻りますね」
 
 女の色香にやられて硬直しきったままの立成を置き去りにして吉沢は職員室を出ていった。

 しばしの間をおき、はっと我に返る。
 さっきまでのことが嘘じゃないかと思ってしまう。

 しかし、ほんのわずかだが、匂いがしたような気がした。
 吉沢の匂いだ。
 髪の匂いか服の匂いか、はたまた身体から放出されるフェロモンの香りなのかはわからないが、吉沢の匂いが残っているような気がしていた。今更だがドキドキしてしまった。身体の芯から幸福感が湧き上がっていた。思わず全力で吸い込んでしまいそうになった。

(な、何をしようとしてるんだ、俺は)

 人がまばらだとはいえ、職員室には他の教師もいるのだ。
 さっきまで吉沢がいた空間にある気体の全てを吸い込むような呼吸をしているのを見られでもしたら、セクハラと言われたって否定できるもんじゃない。なにより、そんなところを見られるのは恥ずかしすぎる。

 落ち着け。俺、落ち着け。

 思わず拳を胸に当てて心の臓をなだめようとする。
 そんなことを考えながらも、吉沢が言っていたことが気になっていた。

『一番いい先生だって』

 筒井がそんな風に自分を思っていたなんて。
 立成の顔が自然とほころんでしまう。
 そこには邪な感情など一切ない。教師としての緩んだ笑みだった。
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