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顧問2年目05月
顧問2年目05月 1
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GW直前。
授業が終わり部活動が始まっている時間帯。
広い校舎内に生徒たちが散らばり、各所から元気な声が聞こえてくる。
教師たちはというと、顧問を勤める部活で指導していたり、職員室に残り残務処理をしていたり。立成も授業の準備の他にも、定例の職員会議の準備や勤務に必要な書類作成に追われている。
授業以外の仕事に追われているが、それでも、今日も部活動のために弓道場に行くつもりだった。それが教師の務めだといえばそれまでだが、立成としては顧問としての仕事としてとらえているわけではなかった。昨年入部してきた13人の1年生。1人しかいなかった2年の筒井だけではその対応は困難であるのは明白のため、立成も都合をつけて無理にでも毎日部活に顔を出すことにしたのだった。弓道の素人の自分が協力できることなんてたかが知れているが、それでも部活に同学年がいなあという筒井も寂しかろうと思いやって、彼の負担を少しでも減らして部活を楽しませてやりたいという純粋な思いからだった。
色々あって筒井とは一般的な教師と生徒を越える関係になってしまっているが、それと部活動は別だと思っていた。
立成がそろそろ書類仕事を切り上げようとしてたところに学年主任が寄って来たのだった。
好ましくない相手の出現だ。嫌なタイミングだった。また面倒な仕事の押し付けか、どうでもいいような小言か。立成は身構えつつも、頑張って表情に出さないようにした。
「立成先生、今時間ある?」
「あ、主任。はい、大丈夫ですけど、何か?」
「それがね、今校長が君を呼んでいるみたいなんだ」
「・・・はぁっ?」
立成は間抜けな声が出てしまっていた。
てっきり学年主任のことだから、自身に対する小言を言いにきたのだと思って辟易していたのだった。それが、他の教師の呼び出しだとは思ってもいない。ましてや、それが校長だなんて。
なぜ校長が?自分なんかに?
?マークを浮かべながら鳩が豆鉄砲を喰らったかのように目を見開き驚いている立成に、学年主任は小柄な身体を寄せておどけたように耳元で囁く。
「立成先生、何かしでかしましたかね?」
「えっ・・・いや、そんなことは・・・」
学年主任の言葉に立成は考え込む。
自分は何かやらかしてしまったか?遅刻や欠勤もしていないし、授業だって申し分なく行っているつもりだ。生徒の家庭とも不和が生じていない。職員同士の関係だって、そりゃ相性の問題はあるものの、どの教師ともそれなりの関係であり仕事に支障をきたしてなんていない。第一、そんな程度のことであれば校長直々に自分に注意するなんてことはないと思われる。きっとそれ以上のことだ。そんなことで思い当たることといえば・・・
(まさか、筒井との関係がバレたのか・・・?)
間抜けな表情が一瞬にして固くなる。そんな立成を見ながらもニヤニヤした顔を浮かべながら学年主任は立成のもとから立ち去る。
立成はなんとか引き付った笑みを浮かべてそれを見送るが、ばくんばくんと心臓が鳴り、背筋が冷えていた。
(もし、筒井の関係を明らかにされたら・・・)
不純交際として処罰されるのだろうか?いや、男同士なのだから交際ではない?しかし明らかに身体の関係は持ってしまっている。それを誰かに見られていたら否定のしようもない?だが、そんなことは・・・
立成は立ち竦んだ。校長室に行くのがひどく億劫だった。
「すまないね、忙しい中に呼び出してしまって」
「いえ、大丈夫ですが、校長どうしました?」
白髪で皺だらけの年齢を重ねた男が椅子から立ち上がって立成を出迎える。
校長室だ。結局言われたとおりにきていたのだ。
めったに足を踏み入れることなどない部屋のため居心地の悪さを感じ、辺りをキョロキョロと見回してしまう。
職員室や他の教室とは、室内の雰囲気や置かれている調度品は、デザインも質も段違いだ。同じ学校の中だというのに偉い違いだ。そういうものなのかもしれないが。
校長の机は事務机なんかじゃない木製のデスクだ。いかにも重役が使っていそうな豪奢なものだ。その机上には数枚の紙と上質そうな黒光りした万年筆が置かれている。
立成はそのデスクを挟んで背筋を伸ばしている。指先まで伸ばして太腿につけ、まるで軍隊の兵士の気分だった。
「ハハハ。そんなに固くなるんじゃないよ」
にっこりとした笑顔を立成に向けてくる。その屈託のない表情が、逆に立成に恐れを抱かせる。
(この校長・・・今は笑っているが、本題に入ったらどう変わるのか・・・)
やはり筒井との関係がばれたのだろうか?そうなると俺はどうなる?謹慎?停職?解雇?訴訟?
イメージの悪いフレーズが脳内を駆け巡り冷や汗がこめかみを伝う。
さらに経緯を問われたら俺はなんと答えるんだ?生徒に詰め寄られて仕方なく?それじゃあいつが悪者みたいじゃないか?だからと言って俺が誘った?
立成は考えるだけで顔を青くした。心の中が冷ややかになる。
校長はそんな立成の様子に気づかずに口を開いた。
「君は・・・学生時代はアーチェリー部だったようだね?」
「・・・えっ?」
思っていないことを聞かれた。先ほどの学年主任の時のように間抜けな声を漏らしてしまう。
「えっと・・・はい。そのとおりです」
「高校時代もかね?」
「いえ、高校まではずっと野球部でしたが」
(何だこれは・・・)
校長が何を言おうとしているか諮りかねる。しかし、屈託のない笑顔のまま一向に表情が変わらない校長の様子を見ると、自分か思い描いていた最悪のシナリオとは違いそうな気配を感じていた。
「ほう。どうりでがっしりした身体をしているわけだ。いえね、君の弓道部は昨年度は素晴らしい活躍を見せたからね、てっきり君が経験者だからなのかと思ったよ。まぁ、アーチェリーも弓道も似たようなところがあるのかもしれないね」
「それは・・・それは多少はあるかもしれませんが、昨年の好成績は俺・・・私の力ではなく、生徒の努力の賜物です。私は彼の努力を見守っていただけですし」
校長の目を見ながら立成は答えた。それは立成の本心だった。自分が昨年、弓道部の成績に寄与するようなことを何かしたかというと特に何も思いつかない。
「ハッハッハッ謙遜しなくてもよい。ところで冬の全国に行った生徒だが、えーっと」
「筒井ですか?」
「あぁそうそう。筒井君だね。彼はどうかな?調子は良いかね?今年の夏の大会でも全国は狙えないかな?」
「それは・・・どうでしょうか。確かに毎日練習していますが」
「いやー期待しているよ。彼がまた活躍してくれたら私としてもこの学校としても」
「はぁ・・・」
「弓道はマイナースポーツだけどね、そんなこと関係ない。ぜひ結果を残してほしい。だからね、立成先生。君も彼の励みとなるように、これまでのように、いや、これまで以上に頑張ってくれたまえ」
満足そうに喋り続ける校長。その皺まみれの顔は相変わらずニコニコと微笑んでいる。嬉しくてたまらないという感じである。
立成は目の前のその顔を見ながら「何だったんだこれは」と思いながらも、最悪の事態を免れたことで胸を撫で下ろした。
その日の部活動。
太陽が傾いた時間帯。本日の部活動が終わるギリギリ前に立成は弓道場に入ることができた。個人練習が終わり、団体戦イメージした5人による20射の記録をとっている最中だった。
立成は邪魔にならないよう道場内の畳が敷かれた上座の審査席に腰を下ろする。審査席は道場の中でも一段高いため生徒たちが弓を引く様子が良く見渡すことができる設計となっている。立成はそこで胡坐をかき、矢を射る部員たちの様子を眺める。
5人が弓を引いている所を見ながら、立成は先ほどの校長室での出来事を考える。
幸いにも筒井との関係について言及されなかったため、おそらくバレてはいないのだろう。
しかし・・・
もし、本当に自分の予想したとおりであったならどうなっていただろうか。そもそも、自分と筒井の関係は何なのだろう?先月だって筒井のいいなりになってしまって・・・
しかし、普段の筒井は全くそんな素振りを見せない。いたって普通の、これまでどおりの生徒を演じている。あるいは、これが筒井の素の顔で自分との行為の時が異様なのだろうか。
改めて部活をしている筒井を見る。弓道着に身を包み真剣な眼をして的を見つめている。弓道の団体戦である5人立ちの最後の射手である「落ち」として弓を構えている。他の4人と学年の違いがあるとはいえ、その様は頼りがいのある男の姿だ。
(普段のあいつはあんな風な顔をするんだもんなぁ)
そんな考え事に耽っていたらあっという間に辺りが夕闇に染まる。
あまり部活を見ることができなかったが、今日の部活も終わりだった。
「黙想」
部員たちがズラリと並んで道場の木の床の上に正座している。荘厳な風景だ。部長である筒井の号令に合わせ、全員が瞳を閉じる。部活の始まりと終わりに毎回行っている、自分を見つめ直す時間だ。
一段高い審査席にいる立成はそんな景色を何とはなしに眺める。
(改めて見ると、去年と比べるとすげぇ人数だな・・・)
新しい1年生が13人入部した。彼らはまだ入部したてで胴着も袴もないため学校のジャージの姿だ。
2年生は11人だ。去年入部した全員が、幸いにも誰も脱落せずに残ったのだ。1年生とは1歳ほどしか違いがないのに
3年生が筒井1人だから、合計25人の部活の体制だ。そんな人数の男子生徒たちが道場で正座で黙想していると、なかなかの迫力に見える。
黙想の時間も終わり各々自由に活動している。1年たちはまだ道具もないため皆帰宅している。2年たち
も各々好き勝手に弓を引いたり審査席で道具の整備をしているが、そのうち皆いなくなった。
道場には2人だけになった。
こんな関係になってしまっているものの、2人は毎日のように関係を持っているわけではなかった。当初、立成はそうなってしまった場合はさすがにはっきりと断ろうとしていたが、そこは筒井が物分かりが良かったのが幸いした。日々のふとした瞬間に、立成の胸、腹、肢、尻、局部へのボディタッチ等は相変わらずだが、そこは笑って見過ごすとして、こと部活に関しては筒井は真摯に取り組んでいた。普段がそんなものだからこそ、筒井に迫られたときに立成は彼を無下にできないのではあるが・・・
弓を引き矢を放ち続ける筒井と、それを見守る立成だ。昨年から筒井が続けている部活動後の個人練習。昨年度の新入部員である現2年に対しては付きっきりの指導は必要ないため、部活動の時間も筒井は本来の練習ができる状態だ。しかし、それでも筒井はこの個人練習を継続して行っている。
立成はいつも、その様子を無言で眺めている。
筒井が弓道場のど真ん中で弓を打起こした状態から大三へと進み、ギリギリと弦を引きながら引き分けている。
会。矢が放たれる直前の状態。そこら無表情で弓を引きききる筒井。しなった弓からギシギシと音が聞こえてきそうである。
ピシャン バスン
弓に張られた弦の音と、矢が的に当たる音が響いた。
筒井は相変わらず無表情だ。立成より少し背は低く、骨格も相変わらず細身である。そんな体格だというのに・・・
(的中もすごいが・・・何だか迫力までついてきたんじゃないか?)
その後も筒井は弓を引き続ける。
黙々とした練習で、弓道場の雰囲気も厳かなものになっている。人数が少ないことでより緊張感が増しているのかもしれない。
ただ弓のしなる音が、矢が放たれる音が、弦の返る音が、的に矢が刺さる音が、2人だけがいる弓道場になり続けていた。
夜の時間になる。
2人で的場の安土に刺さる矢を抜き取り、玄関で矢を吹き土をとる。ついでに的場の的もしまう。
筒井は無言で最後の片づけをしている。しかし、その顔には疲労が見えている。弓道部は運動部の割には運動量が少ないため汗はかいていないのだが、1本1本、矢を射る度に真剣に取り組んでいるからだろう。
そんな筒井の様子をみた立成は矢を拭きながら雑談を開始した。
「しっかし、今年もたくさん入部してきたなぁ」
わざとのんびりしたように言った。意図的に表情もだらしなく崩す。そんな立成の態度に呼応したかのように、筒井もそれまでのピンと張り詰めた雰囲気を崩す。
「ね。勧誘なんて何にもしてないのにね」
「筒井の成績が良かったからかな」
「ま、そうだろうね」
フッフッと得意そうに笑う筒井。思わず立成もつられて笑ってしまう。
さっきまでの個人練習の様子とはまるで別人なのだ。こうして話していると高校生らしいのだ。
昨年、立成がこの学校に赴任して出会った時、こんな暢気な感じのまったりとした空気感が筒井の持ち味だったのだ。
「でもね、残念ながらそんなことないんだよ、先生」
「そうか?」
「うん。2年の川崎から聞いたけど、やっぱり楽そうだからってうちの部活に入ってきているみたいだよ」
「何~?本当か?」
いぶかしげに言う立成。そういうものだろうか。いくらこのあたりでは進学校であるとはいえ、筒井の成績に惹かれて入部したヤツがいたって良さそうなものなのだが。
「あ~あ、6月の大会で部活も終わりかぁ」
ふいに筒井が口にした。
「何言ってんだ。その高校総体で入賞すればまだまだ大会が残ってるぞ」
「えっ・・・そんな簡単に言わないでよ」
「冬で実績できてるんだから大丈夫だって」
「あ~それね。それがプレッシャーなんだよね~」
ため息をついている。筒井は笑っているがその笑顔は少し固いような気がする。冗談めかして言っているが、それが彼の本音なのかもしれない。
「もしかして、今も個人練習してるのは、そういう理由か?」
「・・・うーん、やんなきゃって思ってるからしてるんだけど。それが理由・・・なのかな?」
立成は少し不憫に思ってしまった。
明るく振舞っているが、少し抱えているものが大きいのかもしれない。
高校スポーツはメンタルが大部分を占めるとはよく聞く話だ。もしかしたら筒井は結構限界が近いのではないか?そもそも部活なんだから、生徒が楽しめればそれで充分だとも思っていたのだ。
立成は筒井に何かを言いたかった。寄り添いたかった。
しかし、何を言ったとしても、筒井は表面上は有難がるかもしれないが本当の助けにはならないような気がした。
できること・・・
自分が筒井にできること・・・
逡巡していた立成の脳裏に、ふいに校長の言葉がよみがえる。
『彼の励みとなるように、これまでのように、いや、これまで以上に頑張ってくれたまえ』
立成はカーッとなってしまった。
(今までみたいに、筒井に色々とやられろってことか?)
そういうことなのだろうか?
校長の意図には全くそんなことなどないだろう。いや、絶対にない。
ただ学校のネームバリューが欲しくて言いたいことを言ってきただけだ。
そんな校長の言葉を変に解釈したって・・・
勝手な妄想をしたこと、そんなことを考えてしまった自分に対して、立成は少し顔を赤らめながら弓道場に戻る筒井を見つめていた。
授業が終わり部活動が始まっている時間帯。
広い校舎内に生徒たちが散らばり、各所から元気な声が聞こえてくる。
教師たちはというと、顧問を勤める部活で指導していたり、職員室に残り残務処理をしていたり。立成も授業の準備の他にも、定例の職員会議の準備や勤務に必要な書類作成に追われている。
授業以外の仕事に追われているが、それでも、今日も部活動のために弓道場に行くつもりだった。それが教師の務めだといえばそれまでだが、立成としては顧問としての仕事としてとらえているわけではなかった。昨年入部してきた13人の1年生。1人しかいなかった2年の筒井だけではその対応は困難であるのは明白のため、立成も都合をつけて無理にでも毎日部活に顔を出すことにしたのだった。弓道の素人の自分が協力できることなんてたかが知れているが、それでも部活に同学年がいなあという筒井も寂しかろうと思いやって、彼の負担を少しでも減らして部活を楽しませてやりたいという純粋な思いからだった。
色々あって筒井とは一般的な教師と生徒を越える関係になってしまっているが、それと部活動は別だと思っていた。
立成がそろそろ書類仕事を切り上げようとしてたところに学年主任が寄って来たのだった。
好ましくない相手の出現だ。嫌なタイミングだった。また面倒な仕事の押し付けか、どうでもいいような小言か。立成は身構えつつも、頑張って表情に出さないようにした。
「立成先生、今時間ある?」
「あ、主任。はい、大丈夫ですけど、何か?」
「それがね、今校長が君を呼んでいるみたいなんだ」
「・・・はぁっ?」
立成は間抜けな声が出てしまっていた。
てっきり学年主任のことだから、自身に対する小言を言いにきたのだと思って辟易していたのだった。それが、他の教師の呼び出しだとは思ってもいない。ましてや、それが校長だなんて。
なぜ校長が?自分なんかに?
?マークを浮かべながら鳩が豆鉄砲を喰らったかのように目を見開き驚いている立成に、学年主任は小柄な身体を寄せておどけたように耳元で囁く。
「立成先生、何かしでかしましたかね?」
「えっ・・・いや、そんなことは・・・」
学年主任の言葉に立成は考え込む。
自分は何かやらかしてしまったか?遅刻や欠勤もしていないし、授業だって申し分なく行っているつもりだ。生徒の家庭とも不和が生じていない。職員同士の関係だって、そりゃ相性の問題はあるものの、どの教師ともそれなりの関係であり仕事に支障をきたしてなんていない。第一、そんな程度のことであれば校長直々に自分に注意するなんてことはないと思われる。きっとそれ以上のことだ。そんなことで思い当たることといえば・・・
(まさか、筒井との関係がバレたのか・・・?)
間抜けな表情が一瞬にして固くなる。そんな立成を見ながらもニヤニヤした顔を浮かべながら学年主任は立成のもとから立ち去る。
立成はなんとか引き付った笑みを浮かべてそれを見送るが、ばくんばくんと心臓が鳴り、背筋が冷えていた。
(もし、筒井の関係を明らかにされたら・・・)
不純交際として処罰されるのだろうか?いや、男同士なのだから交際ではない?しかし明らかに身体の関係は持ってしまっている。それを誰かに見られていたら否定のしようもない?だが、そんなことは・・・
立成は立ち竦んだ。校長室に行くのがひどく億劫だった。
「すまないね、忙しい中に呼び出してしまって」
「いえ、大丈夫ですが、校長どうしました?」
白髪で皺だらけの年齢を重ねた男が椅子から立ち上がって立成を出迎える。
校長室だ。結局言われたとおりにきていたのだ。
めったに足を踏み入れることなどない部屋のため居心地の悪さを感じ、辺りをキョロキョロと見回してしまう。
職員室や他の教室とは、室内の雰囲気や置かれている調度品は、デザインも質も段違いだ。同じ学校の中だというのに偉い違いだ。そういうものなのかもしれないが。
校長の机は事務机なんかじゃない木製のデスクだ。いかにも重役が使っていそうな豪奢なものだ。その机上には数枚の紙と上質そうな黒光りした万年筆が置かれている。
立成はそのデスクを挟んで背筋を伸ばしている。指先まで伸ばして太腿につけ、まるで軍隊の兵士の気分だった。
「ハハハ。そんなに固くなるんじゃないよ」
にっこりとした笑顔を立成に向けてくる。その屈託のない表情が、逆に立成に恐れを抱かせる。
(この校長・・・今は笑っているが、本題に入ったらどう変わるのか・・・)
やはり筒井との関係がばれたのだろうか?そうなると俺はどうなる?謹慎?停職?解雇?訴訟?
イメージの悪いフレーズが脳内を駆け巡り冷や汗がこめかみを伝う。
さらに経緯を問われたら俺はなんと答えるんだ?生徒に詰め寄られて仕方なく?それじゃあいつが悪者みたいじゃないか?だからと言って俺が誘った?
立成は考えるだけで顔を青くした。心の中が冷ややかになる。
校長はそんな立成の様子に気づかずに口を開いた。
「君は・・・学生時代はアーチェリー部だったようだね?」
「・・・えっ?」
思っていないことを聞かれた。先ほどの学年主任の時のように間抜けな声を漏らしてしまう。
「えっと・・・はい。そのとおりです」
「高校時代もかね?」
「いえ、高校まではずっと野球部でしたが」
(何だこれは・・・)
校長が何を言おうとしているか諮りかねる。しかし、屈託のない笑顔のまま一向に表情が変わらない校長の様子を見ると、自分か思い描いていた最悪のシナリオとは違いそうな気配を感じていた。
「ほう。どうりでがっしりした身体をしているわけだ。いえね、君の弓道部は昨年度は素晴らしい活躍を見せたからね、てっきり君が経験者だからなのかと思ったよ。まぁ、アーチェリーも弓道も似たようなところがあるのかもしれないね」
「それは・・・それは多少はあるかもしれませんが、昨年の好成績は俺・・・私の力ではなく、生徒の努力の賜物です。私は彼の努力を見守っていただけですし」
校長の目を見ながら立成は答えた。それは立成の本心だった。自分が昨年、弓道部の成績に寄与するようなことを何かしたかというと特に何も思いつかない。
「ハッハッハッ謙遜しなくてもよい。ところで冬の全国に行った生徒だが、えーっと」
「筒井ですか?」
「あぁそうそう。筒井君だね。彼はどうかな?調子は良いかね?今年の夏の大会でも全国は狙えないかな?」
「それは・・・どうでしょうか。確かに毎日練習していますが」
「いやー期待しているよ。彼がまた活躍してくれたら私としてもこの学校としても」
「はぁ・・・」
「弓道はマイナースポーツだけどね、そんなこと関係ない。ぜひ結果を残してほしい。だからね、立成先生。君も彼の励みとなるように、これまでのように、いや、これまで以上に頑張ってくれたまえ」
満足そうに喋り続ける校長。その皺まみれの顔は相変わらずニコニコと微笑んでいる。嬉しくてたまらないという感じである。
立成は目の前のその顔を見ながら「何だったんだこれは」と思いながらも、最悪の事態を免れたことで胸を撫で下ろした。
その日の部活動。
太陽が傾いた時間帯。本日の部活動が終わるギリギリ前に立成は弓道場に入ることができた。個人練習が終わり、団体戦イメージした5人による20射の記録をとっている最中だった。
立成は邪魔にならないよう道場内の畳が敷かれた上座の審査席に腰を下ろする。審査席は道場の中でも一段高いため生徒たちが弓を引く様子が良く見渡すことができる設計となっている。立成はそこで胡坐をかき、矢を射る部員たちの様子を眺める。
5人が弓を引いている所を見ながら、立成は先ほどの校長室での出来事を考える。
幸いにも筒井との関係について言及されなかったため、おそらくバレてはいないのだろう。
しかし・・・
もし、本当に自分の予想したとおりであったならどうなっていただろうか。そもそも、自分と筒井の関係は何なのだろう?先月だって筒井のいいなりになってしまって・・・
しかし、普段の筒井は全くそんな素振りを見せない。いたって普通の、これまでどおりの生徒を演じている。あるいは、これが筒井の素の顔で自分との行為の時が異様なのだろうか。
改めて部活をしている筒井を見る。弓道着に身を包み真剣な眼をして的を見つめている。弓道の団体戦である5人立ちの最後の射手である「落ち」として弓を構えている。他の4人と学年の違いがあるとはいえ、その様は頼りがいのある男の姿だ。
(普段のあいつはあんな風な顔をするんだもんなぁ)
そんな考え事に耽っていたらあっという間に辺りが夕闇に染まる。
あまり部活を見ることができなかったが、今日の部活も終わりだった。
「黙想」
部員たちがズラリと並んで道場の木の床の上に正座している。荘厳な風景だ。部長である筒井の号令に合わせ、全員が瞳を閉じる。部活の始まりと終わりに毎回行っている、自分を見つめ直す時間だ。
一段高い審査席にいる立成はそんな景色を何とはなしに眺める。
(改めて見ると、去年と比べるとすげぇ人数だな・・・)
新しい1年生が13人入部した。彼らはまだ入部したてで胴着も袴もないため学校のジャージの姿だ。
2年生は11人だ。去年入部した全員が、幸いにも誰も脱落せずに残ったのだ。1年生とは1歳ほどしか違いがないのに
3年生が筒井1人だから、合計25人の部活の体制だ。そんな人数の男子生徒たちが道場で正座で黙想していると、なかなかの迫力に見える。
黙想の時間も終わり各々自由に活動している。1年たちはまだ道具もないため皆帰宅している。2年たち
も各々好き勝手に弓を引いたり審査席で道具の整備をしているが、そのうち皆いなくなった。
道場には2人だけになった。
こんな関係になってしまっているものの、2人は毎日のように関係を持っているわけではなかった。当初、立成はそうなってしまった場合はさすがにはっきりと断ろうとしていたが、そこは筒井が物分かりが良かったのが幸いした。日々のふとした瞬間に、立成の胸、腹、肢、尻、局部へのボディタッチ等は相変わらずだが、そこは笑って見過ごすとして、こと部活に関しては筒井は真摯に取り組んでいた。普段がそんなものだからこそ、筒井に迫られたときに立成は彼を無下にできないのではあるが・・・
弓を引き矢を放ち続ける筒井と、それを見守る立成だ。昨年から筒井が続けている部活動後の個人練習。昨年度の新入部員である現2年に対しては付きっきりの指導は必要ないため、部活動の時間も筒井は本来の練習ができる状態だ。しかし、それでも筒井はこの個人練習を継続して行っている。
立成はいつも、その様子を無言で眺めている。
筒井が弓道場のど真ん中で弓を打起こした状態から大三へと進み、ギリギリと弦を引きながら引き分けている。
会。矢が放たれる直前の状態。そこら無表情で弓を引きききる筒井。しなった弓からギシギシと音が聞こえてきそうである。
ピシャン バスン
弓に張られた弦の音と、矢が的に当たる音が響いた。
筒井は相変わらず無表情だ。立成より少し背は低く、骨格も相変わらず細身である。そんな体格だというのに・・・
(的中もすごいが・・・何だか迫力までついてきたんじゃないか?)
その後も筒井は弓を引き続ける。
黙々とした練習で、弓道場の雰囲気も厳かなものになっている。人数が少ないことでより緊張感が増しているのかもしれない。
ただ弓のしなる音が、矢が放たれる音が、弦の返る音が、的に矢が刺さる音が、2人だけがいる弓道場になり続けていた。
夜の時間になる。
2人で的場の安土に刺さる矢を抜き取り、玄関で矢を吹き土をとる。ついでに的場の的もしまう。
筒井は無言で最後の片づけをしている。しかし、その顔には疲労が見えている。弓道部は運動部の割には運動量が少ないため汗はかいていないのだが、1本1本、矢を射る度に真剣に取り組んでいるからだろう。
そんな筒井の様子をみた立成は矢を拭きながら雑談を開始した。
「しっかし、今年もたくさん入部してきたなぁ」
わざとのんびりしたように言った。意図的に表情もだらしなく崩す。そんな立成の態度に呼応したかのように、筒井もそれまでのピンと張り詰めた雰囲気を崩す。
「ね。勧誘なんて何にもしてないのにね」
「筒井の成績が良かったからかな」
「ま、そうだろうね」
フッフッと得意そうに笑う筒井。思わず立成もつられて笑ってしまう。
さっきまでの個人練習の様子とはまるで別人なのだ。こうして話していると高校生らしいのだ。
昨年、立成がこの学校に赴任して出会った時、こんな暢気な感じのまったりとした空気感が筒井の持ち味だったのだ。
「でもね、残念ながらそんなことないんだよ、先生」
「そうか?」
「うん。2年の川崎から聞いたけど、やっぱり楽そうだからってうちの部活に入ってきているみたいだよ」
「何~?本当か?」
いぶかしげに言う立成。そういうものだろうか。いくらこのあたりでは進学校であるとはいえ、筒井の成績に惹かれて入部したヤツがいたって良さそうなものなのだが。
「あ~あ、6月の大会で部活も終わりかぁ」
ふいに筒井が口にした。
「何言ってんだ。その高校総体で入賞すればまだまだ大会が残ってるぞ」
「えっ・・・そんな簡単に言わないでよ」
「冬で実績できてるんだから大丈夫だって」
「あ~それね。それがプレッシャーなんだよね~」
ため息をついている。筒井は笑っているがその笑顔は少し固いような気がする。冗談めかして言っているが、それが彼の本音なのかもしれない。
「もしかして、今も個人練習してるのは、そういう理由か?」
「・・・うーん、やんなきゃって思ってるからしてるんだけど。それが理由・・・なのかな?」
立成は少し不憫に思ってしまった。
明るく振舞っているが、少し抱えているものが大きいのかもしれない。
高校スポーツはメンタルが大部分を占めるとはよく聞く話だ。もしかしたら筒井は結構限界が近いのではないか?そもそも部活なんだから、生徒が楽しめればそれで充分だとも思っていたのだ。
立成は筒井に何かを言いたかった。寄り添いたかった。
しかし、何を言ったとしても、筒井は表面上は有難がるかもしれないが本当の助けにはならないような気がした。
できること・・・
自分が筒井にできること・・・
逡巡していた立成の脳裏に、ふいに校長の言葉がよみがえる。
『彼の励みとなるように、これまでのように、いや、これまで以上に頑張ってくれたまえ』
立成はカーッとなってしまった。
(今までみたいに、筒井に色々とやられろってことか?)
そういうことなのだろうか?
校長の意図には全くそんなことなどないだろう。いや、絶対にない。
ただ学校のネームバリューが欲しくて言いたいことを言ってきただけだ。
そんな校長の言葉を変に解釈したって・・・
勝手な妄想をしたこと、そんなことを考えてしまった自分に対して、立成は少し顔を赤らめながら弓道場に戻る筒井を見つめていた。
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