SUZAKU ~長谷雄卿異聞~

戸浦 隆

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SUZAKU ~長谷雄卿異聞~②

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     二、

 次の一日を、長谷雄卿は心が失せたように過ごした。
 午前は日々の例に従って学生(がくしょう)たちを集め作文(漢詩を作ること)をさせていたのだが、何となく気が入らない。聞き漏らしたり、聴いても頭の中を素通りしたりで、まともに評が下せないのである。学生たちも、普段の弾けば響く硬質の緊張が無いのをいいことに、少々間延びした時間をくつろぎに活用していた。
「ウウウ、ウオオオオン………」
 くぐもった獣の吠え声が、突然降って湧いた。
「な、何だ。何事だ」
 皆、顔を見合わせ耳をそばだてる。
「ウオウウウ、ウオオオオン………」
 不気味な声を、今度ははっきりと耳が捉えた。学生たちは色めき立ち、驚き怖じる者さえいる。どうやら物置に使っている塗籠(ぬりごめ・厚い壁で塗り込めた屋内の部屋)の中から聞こえて来るようだ。
 何人かが塗籠に近づき、恐る恐る戸を少しばかり開けた。すると、何やら動いている。うかがい見ると、身の丈二尺あまり(約60センチ)、体は白く頭は黒い足四つの生き物がいる。頭には角を一本振り立て、うなり声を上げて今にも飛び掛からんばかりだ。戸を開けた者は腰を抜かすは、辺りに群れていた者は逃げ惑うはという騒ぎになった。
 そう言えば………、と長谷雄卿は思い出した。
 陰陽師に言われていたのだ。この日、家の内に鬼が現ずるであろう。危害を及ぼしたり祟(たた)りがあるわけではないが、物忌(ものいみ・体を浄め家に籠もって慎むこと)をすべきである、と。
 すっかり失念していた。だが、今となってはもはや手遅れだ。どうすればいい………。
 長谷雄卿は思案しながらも、どう打つ手も見い出せぬまま、騒ぎの中で立ち往生していた。
 そうこうするうち、学生の中に少々豪胆の者がいて、塗籠の中に跳び込むや、この怪しのものの頭をはっしと蹴り上げた。
「ぎゃうっ!」
 叫び声とともに黒い頭が宙に飛んだ。
 白い塊が学生の足元を抜け、庭先へ逃げて行った。
 犬ではないか!
 床に半挿(はんしょう・湯水を注ぐ黒塗りの容器)が転がっていた。角と見えたのは、その半挿の柄の部分である。恐らく夜のうちに犬が塗籠に入り、半挿に頭を差し入れたものの抜けずにいたのだろう。解けてみれば何ということはないからくりに、一同笑うことしきりであった。
 こういう騒動があっては作文どころではない。学生たちを早々に帰した長谷雄卿は、少なからず気がふさいだ。
 昨日といい今日といい、一体何としたことだ。またぞろ物笑いの種を作ってしまった。道真様(菅原道真・長谷雄卿と師)の好敵手、三善清行に突っ掛かってみたものの打ち砕かれ、陰陽師の言(げん)を忘れて物忌をしなかった。それどころか騒動の最中に学生たちを導けず、ただおろおろと為す術(すべ)無く立ち尽くすばかりだった。
 何たる失態だ。ああ、情けない。不甲斐ない。一番弟子の自分がこの有様では、道真様に申し訳が無いではないか。右腕となってお助けしなければならないのに、逆に足を引っ張る結果しか出せないとは………。道真様は気性の真っ直ぐなお方だ。さぞかしお怒りになり、私に愛想尽かしなさるだろう。決してお許し下さるまい。
 ああ、何としよう。どう埋め合わせよう。つくづく自分が厭(いや)になる。何が宮中切っての才人だ。何が学九流に渡り芸百科に通ずだ。何が世に並び無き、やんごとなき者だ。いくら学に秀(ひい)でていたとて何になる。肝心要(かなめ)の時の働きがあってこその才ではないか。ああ、役立たずの木偶(でく)め。ああ、このどうしようもない能無しめ………。
 鬱々とした思いが、部屋を歩けば部屋中に、庭に出れば庭中に、なめくじが這うように引き摺った跡を残した。陽が中天を越し物の影を少しずつ伸ばしながら傾く間、長谷雄卿はさながら実体の無い暗い陽炎(かげろう)であった。胸の内に黒いウンカの群れが湧き上がり、形を変貌させながら乱舞し、羽音を消すことが無かった。
 陽が落ち夜の闇がにじり寄ると、螺旋を描くばかりの思考は淀みに沈み、至るところ蝕(むしば)まれた感覚は麻痺し、疲れ果てた体の内を放心だけが漂っていた。
 長谷雄卿は、まるで骸(むくろ)のように蔀戸(しとみど・日光や雨風を防ぐ戸)の脇の壁に体を預け座していた。

 
「………ご………ち………」
 どこからか、ほとんど知覚を失っていた耳に微かな音が忍び入り、ふやけた脳に葉ずれのそよぎを起こした。
「………ごん………ちゅう………」
 初めは途切れ途切れであった音が、次第に繋がり始めた。
「………ごんさ………ちゅう…ごんさま………」
 それが意味を成す言葉だと知るまでに、しばらく掛かった。
「………ごんさま、ちゅう…ごんさま。ちゅう、な、ごん、さま。中納言様、大丈夫でございますか」
「あ、ああ………」
「ようやくお気づきになられましたな」
 空(す)かした蔀戸の格子が作る月明かりと影との境に、朱雀門の男が坐っていた。
「どう、したのだ………こんな、時分に………」
 自ら言葉を発することで、長谷雄卿はようやく意識と体が自分の殻の中に納まりつつあると感じるようになった。
「お忘れでございますか、昨夜の賭けもののことを。お望み通り、連れて参りました」
 ああ、あれは夢の中のことではなかったのか。この一両日どうも頭が混濁して、悪い夢を見ていたような気がする………。
「そこに控えております」
 部屋の隅に、女が傀儡(くぐつ)人形のように両腕を垂れ両脚を前に投げ出していた。
「近くに寄って、ご覧下さい」
 言われるままに近づき、顔を覗き込んだ。
 肌が水晶のように青く透き通り、顔立ちの美しさは清艶の極みを超えてこの世のものとも思えない。心臓を鷲づかみされ、一瞬鼓動するのを忘れてしまった。両の眼は釘付けされ、他のものを視野に入れることを拒んだ。ただ、女には全く生気が無い。その美しさも温かみの無い硝子(ガラス)細工のようであった。
「昨夜も申しましたが、この女には魂が入っておりません。一日に一言、言葉を掛けるだけでよろしゅうございます。百日経てば魂が入り、中納言様の思いのままの女に生まれ変わっておりましょう。ただし、それより前に指一本なりとも触れてはなりませんぞ。この約束を違(たが)えば、必ずや不本意なことが起こると肝に銘じおかれますように」
 男の言葉も眼の前の女も、我を取り戻してからの現(うつつ)なのか、それともまだ続いている夢の中のことなのか。現ならば、あろうこととは思えないこの現を信じる他は無い。夢ならば、覚めて欲しくはないこの夢を見続けていたい………。
 長谷雄卿は、頭のどこかでそんなことをぼんやりと考えながら、ただただ女を見詰めているばかりだった。


 長谷雄卿は、まんじりともせず夜を明かした。ぴくりとも動かない女を眼の前にして、途方に暮れていた。
 どう声を掛ければいい。何と語り掛けよう………。
 女性と面と向かい合うのは、初めてのことだった。言葉を交わすどころか、歌や文(ふみ)を贈ったことさえ皆無なのだ。しかも伸ばせば手に触れることの出来るこの女は、極めて美しい。最初は見ているだけで頭が熱を帯び、臓腑のことごとくがわなないた。寄せては満ちる恍惚のさざ波に陶酔し切っていた。ところが時が経つにつれ、息苦しさを覚えて来たのである。
 女は、形は人でありながら人とは言えなかった。ただの物体、血の通わない陶器同然だった。顔を間近に覗き込もうが、周りをぐるぐる歩こうが、一切反応が無い。非の打ちどころの無い整った顔であればこそ、完璧な無表情は一種不気味にさえ感じられる。しかも、その無機物のような女に言葉を掛けねばならないのだ。
 相手が生身の人間ならば、感情や気が往き交う。眼の動き、仕草などが互いの距離を縮め、思わぬきっかけから寄り添い合える言葉が生まれたりするものだ。だが、女はまるで拒絶の壁だった。長谷雄卿ならずとも、これでは困惑する。いくら言葉を絞り出そうとしても、出て来るものは不安の溜息であり、諦めの嘆息でしかなかった。辺りが白みかける頃には憔悴も燃え尽き、白い灰になり掛かっていた。
「疲れた………。ほとほと疲れた。そなたは疲れというものを知らぬのであろうな」
 ぽつりと、長谷雄卿の口から言葉がこぼれ出た。それがこの日一番の実感であり、女に掛けた最初の言葉であった。
 長谷雄卿はごろりと横になると、そのまま眠りの淵へ落ちて行った………。


 目覚めたのはすでに夕刻で、まだ夢の跡を半分引き摺っていた。頭が少しずつはっきりして来るにつれ、眼が色を識別し物の形を捉え始めた。皮膚は寒さを憶い出し、筋肉や関節が体の節々に痛みを甦(よみがえ)らせる。
 はっと身を起こした。
 夢ではない。女が坐っている。残照のせいか、心なしか頬に赤みが差しているように思えた。
 これは兆(きざ)しか。胎動の始まりか。いや、何でもよい。とにかく扉が開かれたのだ。この扉の向こうに待つものは、光か闇か。それは分からぬ。分からぬが、踏み出すより他は無い。どうしてこの今に留まれよう。今は常に動いているのだ。現に昨夜はいなかった女が、こうして眼の前にいるではないか。女の存在は夢ではないのだ。女と関わることが私に与えられた現実ならば、進む先はすでに定まっている筈だ。
 ………待てよ。待て。ちょっと待て。ひょっとしたら………。
 女に魂を入れるということは、女が生を得るというだけではないのかも知れない。それは私自身も新しく生まれ変わるということではないのか? 今までの紀長谷雄ではなく、新しい紀長谷雄になれる、そういうことではないのか? そうか。そうなのだ。ようし、信じるぞ。信じて、この女と生きていくぞ………。
 それからの長谷雄卿は、女に語り掛けることを苦と思わなくなった。物心ついた頃の自分のことから話し始めた。話し始めると、忘れていた瑣末(さまつ)なことさえ思い出した。自分ながら驚き、懐かしさに語ることが却って喜びに感じられた。母のこと、父のこと、冷たさも覚えずいくつもの玉をこしらえた雪の白さ、飽かず見惚れた満開の桜、誇らしく思えたこと、悔しさに涙を流したこと、学問への熱い想い、師の道真のこと、双六の愉しさ妙味………。尽きることなく、言葉が後から後からあふれて来る。
 長谷雄卿は女に語りながら、その実、自分自身に語っているのだった。一日に一言どころか、千言あっても万言あっても足りなかった。そうして語り疲れ、眠るのである。
 翌日には女のわずかな変化に気づく。耳朶(じだ)や頬に血が通い、ほんのり薄く紅の色が広がっている。眼に微かな光が見え隠れする。長谷雄卿は、そういう顕(あらわ)れを決して見逃さなかった。女の変化を見るにつけ、長谷雄卿は我がことのように喜び、なおいっそう語り掛けるのだった。語れば語るほど、次の日にはますます女が芽吹くように思いながら。


 十日ほどもすると、女は長谷雄卿の言葉にわずかながら反応するようになった。こくりと頷いたり、小首を傾げたりした。
 それからまた十日ばかり過ぎると、指で物を示して名を知りたがった。名を教えると女は手で触れ、歯で噛んで確かめようとする。
 さらに十日あまり経ると、片言ながら長谷雄卿に応じるようになった。
 そうこうするうち、女は邸の中を珍しそうに歩き回った。庭に出て前栽の脇にしゃがみ込み、熱心に草花や虫を注視する。釣殿から泉水を遊泳する魚影を飽きもせず眺め、たまさか魚が跳ねたりすると、きゃっきゃっと明るい笑い声を上げるのだった。
 四十日で、女は赤児から幼女にまで成長した。
 長谷雄卿は女に夢中になった。体は大人の美しい女が、幼い者の舌足らずの言葉を口にし、童女の仕草を見せるのだ。可愛くていとおしくてならなかった。奇異とは思わない。女を側で見守っているだけで、この上ない幸せを感じるのである。眼が離せなかった。眼が離せないというより、光に吸い寄せられるように自然と女の姿を眼が追っていた。
 女もまた、時に頼るような、時に何か言いたげな眼差しを向ける。あるいは、むずがったり癇(かん)が起こって泣き出すことがある。そんな時、長谷雄卿はじっとしていることが出来なかった。女の側に駆け寄り、「どうしたのだ、ん、何がして欲しい、何が気に入らないのだ」と、他愛ない女の一喜一憂に親身に付き合うのである。片時も離れたくなかった。戯(ざ)れごとと言えば戯れごとであろうが、長谷雄卿にとっては今や大切な、真剣な日々の営みの中心となっていた。
 こういう有様であったから、宮中への出仕も学生を集めての作文の講習も、何かと理由をつけては怠ることが多くなった。


 いく日経ったのか。
 初めは几帳面に指折っていた日数も、いつしか数えなくなっていた。すでに女は、清楚さと可憐さが溢れるばかりの娘になっていた。女の体に、心がようやく追いついて来たのである。
 だが、女が女の匂いを発するようになるにつれ、長谷雄卿は息苦しくなって来た。
 遠くから眺めている分にはまだよかった。が、側にいるとそれだけで、香を焚きしめたような薫りに鼻が官能の疼(うず)きに誘われる。眼と眼が合うと、肺が呼吸を忘れ息が詰まる。話そうとすると、顔の筋肉が硬直し舌がもつれる。自然、女と距離を保つようになった。
 ところが距離を置けば置くほど、不安が首をもたげる。一緒にいたい、顔を間近に見ていたい、何とか言葉を交わせぬものか、と想いがつのるのだ。
 この心のざわめきは何だ。なぜこんなにも揺れ惑う。なぜこれほどに苦しい。思い通りの女になると、あの男は言ったではないか。あれは虚言か。いや、女は確かに私の思い通りの女になった。思い通りにならないのは私の心の方だ。
 ああ、美しい澄んだ眼で私を見るな。ああ、芳(かぐわ)しいしなやかな体で私に近づくな。ああ、可憐な蕾の唇で私に語り掛けるな。
 ああ、だが、眩し過ぎるお前の姿を見ていたい。ああ、転ぶ鈴の音のようなお前の声を聞いていたい。ああ、柔らかく弾けそうなお前の頬をこの手に包みたい………。
 長谷雄卿は、狂おしく心乱れるこのような日をいくつ重ねたことだろう。


 ある宵のことである。
 女の居る西の対屋(たいのや)へ続く渡殿を行きつ戻りつしながら、長谷雄卿は逡巡していた。その気配を察し、妻戸をわずかに開けた女が思いあまったように声を掛けた。
「長谷雄様………」
 長谷雄卿は、突然金縛りにあったように足が動かなくなってしまった。
「どうか、こちらへ」
 か細い、すがるような声だ。
 想いが惹かれ、長谷雄卿は衣擦(きぬず)れの音の後に従った。
 唐紙障子を開け几帳の側に坐ると、すでに湿りを含んだ口調で女が言った。
「長谷雄様は、わたくしをお嫌いなのでしょうか」
「何を言い出すかと思えば………」
「いえ、真面目に聞いていただきたいのです。わたくしの真剣な想いを、どうかお汲み取り下さい」
 訴え掛ける女の眼差しが、真っ直ぐ長谷雄卿に注がれている。逃げるわけにはいかないと思った。
「長谷雄様は、近頃わたくしを避けておいでなのではありませんか。わたくしにはそう思えてなりません」
「いや。そんなつもりは………」
「以前はわたくしの知りたいこと、したいこと、思っていることを、まるですっかりお見通しのように話して下さいました。わたくしは、それが嬉しくて嬉しくて、次から次にあれもこれもと追い掛けるように尋ねました。尋ねるたびに返って来る長谷雄様の言葉が、わたくしの中に満ちていくのです。それがどんなに幸せであったことか。長谷雄様も、お話しなさる時は本当に楽しそうでした」
 初めの頃の、鞠(まり)の弾むような日々が脳裏に甦る。今となってはもはや手にすることの出来ない春爛漫のあの日々が………。
「長谷雄様は変わっておしまいになられました。一体どいなされたのです」
「………」
「やはり、わたくしをお嫌いになられたのですね」
「いや、そうではない」
「でも、わたくしが近寄ろうとすると、長谷雄様は何か用事でも思いついたように離れて行ってしまいます。わたくしを見て欲しいと思っても、素知らぬふうに眼を伏せたり、あらぬ方を眺めたりなさいます。わたくしは悲しくなって、にじむ涙を堪えようがありません」
 そう言いながら、すでに女の眼には涙が浮かび、瞬きすれば光る粒がこぼれ落ちそうだった。
 長谷雄卿は胸が締め付けられた。その胸の内で、窮した言葉がもがいている。
「お願いです。どうかわたくしをここに置いて下さい。ここで生まれ育てられたわたくしは、他に行くところとてありません。長谷雄様に見捨てられてしまって、どう生きていけましょう。以前と同じようにとは望みません。ですが、情けのひとかけらだけでも掛けていただきとうございます……」
 女は、とうとう崩れるように泣き伏してしまった。
 長谷雄卿は噴き上げて来る熱い想いを堪え切れず、絞り出すように言った。
「誰がお前を見捨てるものか」
 女が濡れた眼を上げ、長谷雄卿を見詰めた。
「真実(まこと)、でございますか」
「ああ、真実だとも。今となって何の嘘ごとなど言い得よう」
「でも………」
 女は、長谷雄卿の言葉をそのまま呑み込んでいいものかどうか、躊躇(ためら)っていた。湧き上がる喜びを押しとどめ、長谷雄卿の次の言葉を待った。
「私には、勇気が無かったのだ」
「勇気?」
「自分の想いを打ち明ける勇気が」
「長谷雄様の想い………」
「お前は私を育ての親としてしか見ていないのではあるまいか。お前が無防備に安心し切っているのは、他に頼る者が無いからではないのか。一人の男として、私をどれほどに受け止めてくれているのか、と。私はお前の気持ちをあれこれ推し測り、考えあぐねては煩悶していたのだ。お前のことを想うと切ない、苦しい。恋い焦がれながら、答えを知るのが恐ろしい。夢中になればなるほど、自分を持て余していたのだ」
「長谷雄様………」
「許せ。お前につらい思いをさせたのは私のいたらなさだ。もう惑いはしない。私にはお前しかいないのだ。私はお前が愛おしい。愛おしくてならないのだ」
 女の眼から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「嬉しゅうございます、長谷雄様。物心ついてより、わたくしの側にはいつも長谷雄様がいらっしゃいました。長谷雄様は、わたくしの親でございました。けれども、長ずるにつれ当たり前のように長谷雄様をお慕いする気持ちが生まれて来たのです。それが日に日に大きく、強くなって………。わたくしは、いずれ時が満ちれば長谷雄様に娶(めと)られるものと思っておりました。それがわたくしの運命だと、それをわたくし自身が望んでいいるのだと………」
「そうか、そうだったのか。今まで悩んでいたことは全て杞憂だったのか。お前はやはり私の望むままの女であったというわけか………」
 長谷雄卿は天を仰いだ。それから大きく息を吐くと、女の顔に眼を移した。涙に濡れた女の顔は、これまで知っていたどの顔よりも美しく、まぶしく耀いて見えた。
「私の妻となってくれ。そうしていつまでも私の側にいてくれ」
 女は頬を伝う涙を細い指先で拭いながら、笑みとともに頷いた。
 長谷雄卿は、体の底から湧き上がる至福の波が全身を駆けめぐるのを覚えた。
 二人の指先が互いを求めて伸ばされ、出会い、固く絡んだ。それは二人を繋ぐかけがえのない架け橋のように、長谷雄卿には思えた。
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