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アルバイト
沖野さん
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千香には近頃気になることがあった。最近始めたアルバイト先にいる男性のことだ。
「めちゃようけ気にかけてくれるんよね。ほんまのお兄さんげえに。 」
今もその男性にメールを返している最中だ。他のアルバイト先の人とは特に連絡をとっていないのだが、その男性とだけは頻繁にメールをやり取りしていた。...プルルルル____。噂をすれば何とやらだ。
「はい。どうしましたか? 」
「いえ、特に意味は無いのですが、千香さんの声が聞きたくなって。 」
「沖野さん。それって私を口説いてるんですか。 」
苦笑混じりに返す。すると沖野は真剣な声のトーンで、
「そうだと言ったら、どうしますか。初めて見たときからずっとどこかで会ったことがあると思っていました。夢で、見たんです。 」
「夢、...。最近、変なことが続くんです。藤堂平助が私に宛てた手紙が出てきたり、土方歳三にすごく似ている男性と会ったり。 」
「千香さん、もしかして...。いや、これは千香さん自身の力で思い出さないと意味が無い。なんでもないです。忘れて下さい。 」
沖野の声がほんの少し暗くなった。それに気づいた千香はすかさず尋ねる。
「沖野さん、私自身の力で思い出すって何ですか。何か知っているんですか? 」
すると、こほこほという咳が聞こえた。途端、千香の鼓動がとても早くなり胸が苦しくなった。
「沖野さん!大丈夫ですか!沖野さん、沖野さん! 」
「こほ、こほ。...あはは。全然変わりませんね。どんな時代でも貴方は心配性なんですよ。大丈夫。ただの風邪です。近頃卒論で遅くまで起きているので。万が一にも老害なんてこと、ありえません。 」
老害、というキーワードに千香は手が震えた。
「沖野さんって、下の名前が春司さんですよね。気のせいだと思いますが、沖田総司と名前が似ています。諱が混ざってますけど。 」
「さあて。それは気のせいでしょうかねえ。 」
沖野は千香を揶揄うようにクツクツと微笑う。
「みんな、そんなのばっかりです。ヒントが欲しいです。私、何か大切なことを忘れている気がするんです。 」
「私は千香さんが思い出せることを祈っていますね。必ず思い出せるはずです。 」
「沖野さん、いじわるです。何か思い出したとしても、沖野さんのことは思い出しませんからね。 」
千香はぷうと頬を膨らませた。それに沖野はまた微笑いながら、
「それは辛いなあ。命懸けだったのに。 」
と悲しそうな声で返事をした。
「と、とにかくまたバイトのときに会いましょう。 」
「ええ、楽しみにしています。 」
普段の兄のように甲斐甲斐しく面倒を見てくれる沖野からは想像もつかないほど弱々しい声が聞こえ、千香は焦って電話を切った。
「沖野さん、4年生なのにバイト辞めんの珍しいわ。まさかずっと私を探しよった?いやいやそれは無い。でも今時和菓子屋でバイトする大学生も珍しいんよね。...思い、出すんかな。何かを。 」
千香は目を閉じて、頭の中にあるであろう思い出せない記憶を探った。
「はあ、とうとうバイトの日が来てしまった。 」
沖野との電話以降、千香は沖野の言った言葉が頭から離れなかった。
「____...そうだと言ったら、どうしますか。初めて見たときからずっとどこかで会ったことがあると思っていました。夢で、見たんです。 」
沖野と出会ったのは、つい先日のことだ。それなのに、沖野はさも千香のことを以前から知っているような口ぶりだった。
「おはようございます。 」
店に入るとにこにことした爽やかスマイルで沖野はレジに立っていた。
「沖野さん、まだ開店まで1時間ありますよ。着替えまでもう済ませちゃって。いくら鍵貰ってるとはいえ、頑張りすぎですよ。風邪も引いてるのに、もう少し自分を大切にして下さい。心配に、なりますから。 」
何故か千香は、また沖野との電話と同じ様に息苦しく悲しい気持ちになった。
「大丈夫ですよ。以前の様に肺を病んではいないのですから。本当に、千香さんは優しすぎる。...だから今は平助がいないのだから、私にも望みがあると思ってしまうんですよ。 」
沖野はガラスケースの上に肘をついて、千香を見つめる。千香は気まずくなって目を逸らし、小さく会釈をし更衣室に向かった。
「え、どういうこと。沖野さん、以前肺を病んどったとか、平助、とか。平助って藤堂平助のこと?確かに藤堂平助は、新選組で好きな隊士上位に入るけど...。 」
「千香さん、相変わらずの独り言ですね。 」
「お、おき、沖野さん、いつの間に後ろに。 」
着替えが終わっていたから良いもののここは女子更衣室だ。他に人が居たなら沖野は紛れもなく変態だと声を上げられるのである。
「千香さん、付き合って下さい。健康で明日を心配しなくて良い身である今なら、きっと貴方を幸せにできる。 」
「そんなこと急に言われても困ります。それに、沖野さんと知り合って間もないんです。 」
沖野が背後から千香を抱きしめ。千香は、息をのんだ。
「...本当に忘れてしまったんですね。あんなにも、大切に思っていたのに。 」
「沖野さ、ん。怖いです。やめて、 」
沖野は千香の声の震えを感じ、千香から離れた。
「千香さん。すみませんでした。もう、関わりませんから...。 」
沖野が更衣室から去ると、千香は足の力が抜けその場にしゃがみ込んでしまった。それと同時に、沖野の悲しげな声が千香の中にいつまでも残っていた。
「いらっしゃいませ。...って、平助?平助ですか?貴方...。 」
店に入ってきた客に明るく挨拶をした沖野が思わず取り乱してしまった。
「あ、え。沖田さん!沖田さんですよね!! 」
あの頃より背丈が伸びて、大人びた青年を見て沖野は少し涙が浮かんできた。
「ここ沖田さんのお店なんですか?あの頃から甘味好きは変わってないんですね。並んでいるお菓子全部沖田さんの好きなお菓子だ。 」
沖野に気をつかい、青年はにこにこと話題を提供した。しかし、あげた視線の先に沖野の横で黙々と作業を続ける女性に気がつく。
「千香、だよな。俺ッ、 」
「平助、今は堪えて下さい。千香さんは、まだ思い出していないんです。 」
千香の方へと向かっていきそうな青年を、沖野は引き留めた。青年は沖野の方に振り返るが、沖野は小さく首を振った。
「また、改めてここに来て下さい。私も先程振られてしまいましたから。 」
「分かりました。ッまた、来ます。 」
最後に千香を見つめてから、青年は店を後にした。
「あ。しまった。平助に何か売っておくんだった。こりゃあ、店長にどやされるな。 」
千香は沖野が何かこそこそと話をしていたことが気になり、しばらく手が止まってしまった。
「めちゃようけ気にかけてくれるんよね。ほんまのお兄さんげえに。 」
今もその男性にメールを返している最中だ。他のアルバイト先の人とは特に連絡をとっていないのだが、その男性とだけは頻繁にメールをやり取りしていた。...プルルルル____。噂をすれば何とやらだ。
「はい。どうしましたか? 」
「いえ、特に意味は無いのですが、千香さんの声が聞きたくなって。 」
「沖野さん。それって私を口説いてるんですか。 」
苦笑混じりに返す。すると沖野は真剣な声のトーンで、
「そうだと言ったら、どうしますか。初めて見たときからずっとどこかで会ったことがあると思っていました。夢で、見たんです。 」
「夢、...。最近、変なことが続くんです。藤堂平助が私に宛てた手紙が出てきたり、土方歳三にすごく似ている男性と会ったり。 」
「千香さん、もしかして...。いや、これは千香さん自身の力で思い出さないと意味が無い。なんでもないです。忘れて下さい。 」
沖野の声がほんの少し暗くなった。それに気づいた千香はすかさず尋ねる。
「沖野さん、私自身の力で思い出すって何ですか。何か知っているんですか? 」
すると、こほこほという咳が聞こえた。途端、千香の鼓動がとても早くなり胸が苦しくなった。
「沖野さん!大丈夫ですか!沖野さん、沖野さん! 」
「こほ、こほ。...あはは。全然変わりませんね。どんな時代でも貴方は心配性なんですよ。大丈夫。ただの風邪です。近頃卒論で遅くまで起きているので。万が一にも老害なんてこと、ありえません。 」
老害、というキーワードに千香は手が震えた。
「沖野さんって、下の名前が春司さんですよね。気のせいだと思いますが、沖田総司と名前が似ています。諱が混ざってますけど。 」
「さあて。それは気のせいでしょうかねえ。 」
沖野は千香を揶揄うようにクツクツと微笑う。
「みんな、そんなのばっかりです。ヒントが欲しいです。私、何か大切なことを忘れている気がするんです。 」
「私は千香さんが思い出せることを祈っていますね。必ず思い出せるはずです。 」
「沖野さん、いじわるです。何か思い出したとしても、沖野さんのことは思い出しませんからね。 」
千香はぷうと頬を膨らませた。それに沖野はまた微笑いながら、
「それは辛いなあ。命懸けだったのに。 」
と悲しそうな声で返事をした。
「と、とにかくまたバイトのときに会いましょう。 」
「ええ、楽しみにしています。 」
普段の兄のように甲斐甲斐しく面倒を見てくれる沖野からは想像もつかないほど弱々しい声が聞こえ、千香は焦って電話を切った。
「沖野さん、4年生なのにバイト辞めんの珍しいわ。まさかずっと私を探しよった?いやいやそれは無い。でも今時和菓子屋でバイトする大学生も珍しいんよね。...思い、出すんかな。何かを。 」
千香は目を閉じて、頭の中にあるであろう思い出せない記憶を探った。
「はあ、とうとうバイトの日が来てしまった。 」
沖野との電話以降、千香は沖野の言った言葉が頭から離れなかった。
「____...そうだと言ったら、どうしますか。初めて見たときからずっとどこかで会ったことがあると思っていました。夢で、見たんです。 」
沖野と出会ったのは、つい先日のことだ。それなのに、沖野はさも千香のことを以前から知っているような口ぶりだった。
「おはようございます。 」
店に入るとにこにことした爽やかスマイルで沖野はレジに立っていた。
「沖野さん、まだ開店まで1時間ありますよ。着替えまでもう済ませちゃって。いくら鍵貰ってるとはいえ、頑張りすぎですよ。風邪も引いてるのに、もう少し自分を大切にして下さい。心配に、なりますから。 」
何故か千香は、また沖野との電話と同じ様に息苦しく悲しい気持ちになった。
「大丈夫ですよ。以前の様に肺を病んではいないのですから。本当に、千香さんは優しすぎる。...だから今は平助がいないのだから、私にも望みがあると思ってしまうんですよ。 」
沖野はガラスケースの上に肘をついて、千香を見つめる。千香は気まずくなって目を逸らし、小さく会釈をし更衣室に向かった。
「え、どういうこと。沖野さん、以前肺を病んどったとか、平助、とか。平助って藤堂平助のこと?確かに藤堂平助は、新選組で好きな隊士上位に入るけど...。 」
「千香さん、相変わらずの独り言ですね。 」
「お、おき、沖野さん、いつの間に後ろに。 」
着替えが終わっていたから良いもののここは女子更衣室だ。他に人が居たなら沖野は紛れもなく変態だと声を上げられるのである。
「千香さん、付き合って下さい。健康で明日を心配しなくて良い身である今なら、きっと貴方を幸せにできる。 」
「そんなこと急に言われても困ります。それに、沖野さんと知り合って間もないんです。 」
沖野が背後から千香を抱きしめ。千香は、息をのんだ。
「...本当に忘れてしまったんですね。あんなにも、大切に思っていたのに。 」
「沖野さ、ん。怖いです。やめて、 」
沖野は千香の声の震えを感じ、千香から離れた。
「千香さん。すみませんでした。もう、関わりませんから...。 」
沖野が更衣室から去ると、千香は足の力が抜けその場にしゃがみ込んでしまった。それと同時に、沖野の悲しげな声が千香の中にいつまでも残っていた。
「いらっしゃいませ。...って、平助?平助ですか?貴方...。 」
店に入ってきた客に明るく挨拶をした沖野が思わず取り乱してしまった。
「あ、え。沖田さん!沖田さんですよね!! 」
あの頃より背丈が伸びて、大人びた青年を見て沖野は少し涙が浮かんできた。
「ここ沖田さんのお店なんですか?あの頃から甘味好きは変わってないんですね。並んでいるお菓子全部沖田さんの好きなお菓子だ。 」
沖野に気をつかい、青年はにこにこと話題を提供した。しかし、あげた視線の先に沖野の横で黙々と作業を続ける女性に気がつく。
「千香、だよな。俺ッ、 」
「平助、今は堪えて下さい。千香さんは、まだ思い出していないんです。 」
千香の方へと向かっていきそうな青年を、沖野は引き留めた。青年は沖野の方に振り返るが、沖野は小さく首を振った。
「また、改めてここに来て下さい。私も先程振られてしまいましたから。 」
「分かりました。ッまた、来ます。 」
最後に千香を見つめてから、青年は店を後にした。
「あ。しまった。平助に何か売っておくんだった。こりゃあ、店長にどやされるな。 」
千香は沖野が何かこそこそと話をしていたことが気になり、しばらく手が止まってしまった。
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