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第5章 クラーレスカ正教国の聖女
第5章第014話 聖女様、六六の教会へ
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第5章第014話 聖女様、六六の教会へ
・Side:リシャーフ・クラーレスカ・バーハル(正教国祭司総長の娘 正教国聖女 正教国聖騎士団団長)
ファルリード亭での食事も終わった。巫女様が関わられたというメニューも堪能できた。
「さて。次は六六の方の教会を訪れたいと言うことでよろしかったですかな?」
ブール殿には、一通りの目的は話した。これから向かう六六についても説明を受けている。
ザフロ・リュバン祭司。もう三十年くらい前の話だが、正教国で教義の解釈の違いからネイルコード国に左遷されたという元祭司長。巫女様が積極的に関わっているという唯一の赤竜教がその方の教会だそうだが。その理由を抜きにしても、一度ぜひその司祭と話がしたい理由がある。
「ありがとうございました~。ブールさんまたね~」
食堂の少女がブール殿に気さくに声をかける。護衛騎士ともなれば準貴族なのだが、これも巫女様の宿だからなのだろうか。
教会へは、ファルリード亭から歩いて行ける距離ということで、街道を進む。
同じような形の木や竹を多用した建物が並んでいる一画についた。この画一化された建物が六六と呼ばれていて、要は貧民向けの住居だな。
正教国でサラダーン祭司長が止めていた調査書を読むまでは、ここのスラムも正教国のスラム街と大差ないだろうと想像していたが。建物の構造が簡素と言うだけで、落ちているゴミもほとんど無く異臭もしない。町中の道を走り回って遊んでいる子供達もいる。
正教国でここが最下層と言っても、だれも信じないだろう。他国で見られるようなスラムの悲壮感は皆無だ。
「あの壁、二重になっていましてな、間には麦わらが詰めてあるんですよ。夏の暑さや冬の冷たさはかなり凌げるそうですが。…というか、石造りの壁より快適なんじゃ無いですかね?」
なるほど。簡素なりに住みやすくするための工夫があるのだな。
アイズン伯爵がこの街に来たときに最初に手を付けたのが、スラム街の解体と、この量産が容易な建物の建築、そしてここに住む者達への職を斡旋することだったそうだ。
「最低限食わせておけば犯罪に向かう者も減り、街の警備の費用も節約できるし。何より働いている者からは税が取れる」というのが当時の伯爵の弁として伝わってきているが。まぁどう見ても欲と言うよりは慈善だろう。
近くに服飾業や細工物の工場もあり。さらにそこから内職の形でも住民達に仕事が降りてきているようだ。ここに住んでいれば暮らしていけるだけの仕組みが出来ている。
そして正面に見えてきた、周囲よりは頭一つ高い建物、しかし正教国ならどんな田舎でもこれよりは立派な建物があるだろう教会が見えてきた。
教会周囲の六六は、孤児院に当てられている。領からの支援は最低限だが。街の清掃やいろんな職場での下働きなど、孤児院の子供達にも仕事が与えられており、食べるには困らないそうだ。
さらに。教会には学校が併設されており、十歳以下の子供は読み書きと初歩的な算術を修得するのが義務とされている。十歳以下の子供といえ親の手伝いなどで働くのが当たり前で、勉強の時間など無いのが普通だが。ここでは学校も週に三日午前中だけ開かれるそうで、ここに五年も通えば先ほどの課程くらいはマスターできるのだろう。
下働きで働いていた子供は、そのままその職場に就職することも多く。学校にて優秀と認められた子は、エイゼル市中央の学校に進学することも出来る。そこは文官を育てるための施設で、領政の手伝いをしながら学んでいくそうだ。
エイゼル市に限らずネイルコード国では全土で発展が著しく、文官はどこも慢性的に不足気味。これまたアイズン伯爵が、学校を将来の有能な人材と将来の税収の供給源と言ったという話も伝わっている。
まぁ言い方はともかく、うまく行っているのは確かなようだ。
教会を訪れると、ちょうどザフロ・リュバン祭司とおぼしき男性が、子供達を送り出しているところだった。丁度学校とやらが終わった頃合いのようだ。
赤竜教の祭司にしては質素な装いだが、だからこそ凛とした雰囲気のある方だ。…こういう方が本当の聖職者じゃなかろうか。
「ザフロ様。また来週!」
「はい。また来週お会いしましょう。家のお手伝い、頑張って下さいね」
子供達が元気に返事をして、友達と笑いながら走って行く。その子らを笑顔で見送っていたザフロ祭司がこちらに気がついた。
「初めましてザフロ祭司。クラーレスカ正教国騎士団長リシャーフ・クラーレスカ・バーハルと申します」
改めて名乗ると、ザフロ祭司が驚かれたような顔をされた。
「エイゼル市北教会を預かっておりますザフロ・リュバン祭司です。遠路はるばるよくお越し下さいました、聖女様」
聖女と言っても、正教国の女性祭司のトップだと言うだけで、特別な能力も無いのだが。
「リシャーフとお呼び下さい。ザフロ祭司」
「承知いたしました。田舎の見窄らしい教会でお恥ずかしい限りですが。リシャーフ様、今日はどのようなご用件で」
「見窄らしいなんてとんでもない、理想的な教会の姿を見る思いです。…本日の用事ですが、赤竜神の巫女様についてなのですが…」
「ふむ。レイコ殿がネイルコードにいることによる正教国の権威が下がることを心配されているか、またはレイコ殿をどうしたら正教国に連れて行けるか。ネイルコードに住んでいる私に相談と協力を依頼に来たのですかな?」
身も蓋もない言質ではあるが。まさしくその通りだから文句も言えないが。
「あの…巫女様はこちらの教会にも通われていると聞いています。赤竜教としてどのようにして巫女様と誼を結ぶことが出来たのか、お教え願いたいのですが」
「誼と言われても。たまにあの方が市場の帰り道に休憩がてら寄って下さり。私が他の方に説法をしているのを静かに見て、帰りに喜捨をして行って下さる程度ですが。ああ、新年の参拝にも訪れてくだされましたね」
「新年…巫女様が皆に祝福を?」
「あははは。逆ですよ。私が巫女様と小竜様に新年の祝福したのです」
「なんと…」
一祭司が赤竜神の巫女様に祝福を与えたというのか? タルーサとトゥーラも驚いている。
「宗教屋は嫌いだけど、縁起物は好きだ。こう仰ってましたね」
「…宗教屋とは?」
「これでも教会の末席に連なる身、大きな声では言えませんが。…あなたにも大体想像は付くのではないですか?」
宗教"屋"。信仰を売り物にして金儲けをする。布教や民の安寧より、自身の権威や富を求めるような所業の協会関係者という意味だろう。 巫女様は、教会自体は嫌いというわけではなさそうだが。信仰を理由に自分に近づいてくる人間には良い印象は無いようだ。…これでは、私ではますます近寄りがたいな…
「…明後日、巫女様を追ってユルガルムに赴く予定ですが。出来れば平和的に巫女様と良い関係を結びたいのですが…」
「ふむ。…あなたはエイゼル市をどう思われなすかな? 正教国から離れた信仰の薄い野蛮な土地…に見えますかな?」
「…いいえ。奴隷も、その日の暮らしに窮している貧民もおらず。笑顔に溢れている大変すばらしい街だと思います」
「では、そこからレイコ殿を引き剥がすにはどうすれば良いのか…自ずから答えは見えましょう」
「…」
ザフロ祭司は正教国出身だそうだから、正教国のこともよく知っているのだろう。正教国を作り替えない限りは無理と言うことか。
「あの…ザフロ祭司は正教国出身だと伺っておりますが。どのような理由でこちらに?」
「何、簡単な話ですよ。地方の教会で喜捨を着服していた祭司を告発したら、その祭司が賄賂を送っていた上の者に左遷されただけです。もっとも、そのおかげでこんな素晴らしい街に赴任できたのですから、今ではむしろ感謝しているくらいですがな。ははは」
じつはもう一つ。ザフロ祭司について得ている情報がある。
「あ…あの。私の母の名はフェリアナと申します」
「……存じております。…はい、よく存じております」
「ザフロ祭司は、私の母の兄だったと、人伝に聞いたのですが」
何故か正教国の記録には、ザフロ祭司と母との血縁については一切記載が無かった。いや、記録が消されたのだろう。ザフロ祭司のリュバンという名前も、ネイルコードに来てから付けた名前だそうだ。教えてくれたのは、既に引退した私の乳母だった人だ。
「正教国を出るときに、ケルマンに絶縁させられましたけどね。いや、サラダーンにと言った方が良いですか」
「ザフロ祭司は、父と母との結婚に反対していたと伺ったのですが」
「その二人の子供たるあなたに言うのも憚られますが。私には当時の教会は、その権威の使い方を間違っているように見えましたが。妹…フェリアナは、そんな権威を使ってでも正教国を中から変えたいと、ケルマンの求婚を受けたようですな」
「母はそんなことを考えていたのですか…」
「当時、次の祭司総長に決まっていたケルマン殿も、教会の改革に燃えていたのですが… 私はそんな魔窟に妹を行かせたくはなかった。しかし、我が家は巫女の血脈ですからな。教会は放っておいてくれない」
「父もですか。…意外です」
母は、わたしが三歳ぐらいの頃に亡くなった。祭司総長の座を追われそうになった先代による毒殺だったとも噂されている。父はいろいろ手を尽くしたようだが、母は助からなかった。…そのころから父が変わってしまったように思える。
「…あなたが聖女として、先代聖女の意思を継ぐも良し。あなたの新しい理想を追うも良し。レイコ殿のことも無視は出来ないでしょうが、下手な扱いをすればあの方は正教国に対して劇薬として作用するでしょう。努々扱いにはご注意される事をお奨めします。叔父としては、それくらいしか言えないのは忸怩たるものがありますが…」
「いえ。ありがとうございます、ザフロ…叔父様」
母が父に嫁いでしまったことを、ザフロ祭司はまだ後悔しているのだろうか。母はどんな思いで父の元に嫁いだのか。そして…
正直を言えば、ザフロ祭司にはレイコ殿の正教国招喚に協力していただき、共に正教国に帰還していただきたいとも考えたのだが。先ほどの子供達を見る表情から察するに、ここは離れがたいだろう。
少しうらやましいなと思いつつ、私は六六の教会を出ようとした。そのとき。
「ルシャール殿。少し待ってください」
ザフロ祭司は奥の部屋に行き、すぐ戻ってきた。一束の板を持って。
「…これは?」
「サラダーン祭司長には気をつけてください」
「え?」
「前祭司総長の本当の目標はあなたの父ケルマン殿でした。次の祭司総長選出ではケルマン殿が確実視されていましたからね。しかし、それが何かの間違いでフェリアナが身代わりになってしまった。」
そういう噂は聞いているが…。
「…毒を用意して前祭司総長を誑かしたのがサラダーンです。彼の目的はフェリアナでした」
「母上を? それは…?」
「ケルマンを廃して、自分の妻にしたかったようですね。まぁ巫女の血筋の配偶者ともなれば、自動的に祭司総長の座も手に入るでしょうから、どちらが優先かは知りませんが。あれがフェリアナに傾慕していたのは確かです」
…あのサラダーンが…
「私がある程度証拠を揃えられたところで、ネイルコードへ更迭されたのですが。同時に身の危険も感じましたから、こうして証拠のありかを記録して、複製して取ってあります」
ざっと見るに、どこそこの商会の帳簿の中とか、何年度の喜捨記録の中とか。そういう感じで複数の場所に置いてあるようです。
「正教国の中枢の話は、少しではありますがここにも届いています。赤竜騎士団の采配といい、サラダーンはまだ正教国の頂点を諦めていないように思います。その場合あなたも狙われている可能性が高いです」
「狙われるとは…」
「あなたは、フェリアナにうり二つです。さらにサラダーンには妻子は居ません。あくまで可能性ですが、あれが祭司総長の座を諦めていないとすれば、考えられる事です」
…言われてみれば、私の身の回りの世話を取り仕切ろうとしていた感はある。父上がかなり拒否していたようだが。
「サラダーンがフェリアナを死なせたのはミスではありますし、聖女たるあなたを害することは無いだろうと今まで沈黙を貫いてきましたが。あれを廃しようとするのなら、巫女様が動くかもしれない今が機会でしょう。…もちろん、今更掘り返したくないのなら、それも致し方ありません。どのみち私は、正教国まで行って復讐しようという気概はもう失せました。この記録もあなたに託します。処分するなり武器にするなり、自由にしてください」
「…わかりました。お預かりします、叔父様」
教会からの帰りは、ブール殿の勧めで近くの市場にある桟橋から船で河を下ることにした。
渡し船は、北の市場と中央の市場を結んでいる訳だが。この市場の賑わいもなかなかのものだ。
赤竜教信徒としては、巫女様に教都に来ていただきたい。しかし、サラダーンが待ち構えているところに巫女様を連れてって良いものだろうか。それに父は何を考えられているのか? …それ以前に、巫女様を正教国にお迎えする手段が思いつかない。
内心頭を抱えながらも、その日は伯爵邸に戻った
・Side:リシャーフ・クラーレスカ・バーハル(正教国祭司総長の娘 正教国聖女 正教国聖騎士団団長)
ファルリード亭での食事も終わった。巫女様が関わられたというメニューも堪能できた。
「さて。次は六六の方の教会を訪れたいと言うことでよろしかったですかな?」
ブール殿には、一通りの目的は話した。これから向かう六六についても説明を受けている。
ザフロ・リュバン祭司。もう三十年くらい前の話だが、正教国で教義の解釈の違いからネイルコード国に左遷されたという元祭司長。巫女様が積極的に関わっているという唯一の赤竜教がその方の教会だそうだが。その理由を抜きにしても、一度ぜひその司祭と話がしたい理由がある。
「ありがとうございました~。ブールさんまたね~」
食堂の少女がブール殿に気さくに声をかける。護衛騎士ともなれば準貴族なのだが、これも巫女様の宿だからなのだろうか。
教会へは、ファルリード亭から歩いて行ける距離ということで、街道を進む。
同じような形の木や竹を多用した建物が並んでいる一画についた。この画一化された建物が六六と呼ばれていて、要は貧民向けの住居だな。
正教国でサラダーン祭司長が止めていた調査書を読むまでは、ここのスラムも正教国のスラム街と大差ないだろうと想像していたが。建物の構造が簡素と言うだけで、落ちているゴミもほとんど無く異臭もしない。町中の道を走り回って遊んでいる子供達もいる。
正教国でここが最下層と言っても、だれも信じないだろう。他国で見られるようなスラムの悲壮感は皆無だ。
「あの壁、二重になっていましてな、間には麦わらが詰めてあるんですよ。夏の暑さや冬の冷たさはかなり凌げるそうですが。…というか、石造りの壁より快適なんじゃ無いですかね?」
なるほど。簡素なりに住みやすくするための工夫があるのだな。
アイズン伯爵がこの街に来たときに最初に手を付けたのが、スラム街の解体と、この量産が容易な建物の建築、そしてここに住む者達への職を斡旋することだったそうだ。
「最低限食わせておけば犯罪に向かう者も減り、街の警備の費用も節約できるし。何より働いている者からは税が取れる」というのが当時の伯爵の弁として伝わってきているが。まぁどう見ても欲と言うよりは慈善だろう。
近くに服飾業や細工物の工場もあり。さらにそこから内職の形でも住民達に仕事が降りてきているようだ。ここに住んでいれば暮らしていけるだけの仕組みが出来ている。
そして正面に見えてきた、周囲よりは頭一つ高い建物、しかし正教国ならどんな田舎でもこれよりは立派な建物があるだろう教会が見えてきた。
教会周囲の六六は、孤児院に当てられている。領からの支援は最低限だが。街の清掃やいろんな職場での下働きなど、孤児院の子供達にも仕事が与えられており、食べるには困らないそうだ。
さらに。教会には学校が併設されており、十歳以下の子供は読み書きと初歩的な算術を修得するのが義務とされている。十歳以下の子供といえ親の手伝いなどで働くのが当たり前で、勉強の時間など無いのが普通だが。ここでは学校も週に三日午前中だけ開かれるそうで、ここに五年も通えば先ほどの課程くらいはマスターできるのだろう。
下働きで働いていた子供は、そのままその職場に就職することも多く。学校にて優秀と認められた子は、エイゼル市中央の学校に進学することも出来る。そこは文官を育てるための施設で、領政の手伝いをしながら学んでいくそうだ。
エイゼル市に限らずネイルコード国では全土で発展が著しく、文官はどこも慢性的に不足気味。これまたアイズン伯爵が、学校を将来の有能な人材と将来の税収の供給源と言ったという話も伝わっている。
まぁ言い方はともかく、うまく行っているのは確かなようだ。
教会を訪れると、ちょうどザフロ・リュバン祭司とおぼしき男性が、子供達を送り出しているところだった。丁度学校とやらが終わった頃合いのようだ。
赤竜教の祭司にしては質素な装いだが、だからこそ凛とした雰囲気のある方だ。…こういう方が本当の聖職者じゃなかろうか。
「ザフロ様。また来週!」
「はい。また来週お会いしましょう。家のお手伝い、頑張って下さいね」
子供達が元気に返事をして、友達と笑いながら走って行く。その子らを笑顔で見送っていたザフロ祭司がこちらに気がついた。
「初めましてザフロ祭司。クラーレスカ正教国騎士団長リシャーフ・クラーレスカ・バーハルと申します」
改めて名乗ると、ザフロ祭司が驚かれたような顔をされた。
「エイゼル市北教会を預かっておりますザフロ・リュバン祭司です。遠路はるばるよくお越し下さいました、聖女様」
聖女と言っても、正教国の女性祭司のトップだと言うだけで、特別な能力も無いのだが。
「リシャーフとお呼び下さい。ザフロ祭司」
「承知いたしました。田舎の見窄らしい教会でお恥ずかしい限りですが。リシャーフ様、今日はどのようなご用件で」
「見窄らしいなんてとんでもない、理想的な教会の姿を見る思いです。…本日の用事ですが、赤竜神の巫女様についてなのですが…」
「ふむ。レイコ殿がネイルコードにいることによる正教国の権威が下がることを心配されているか、またはレイコ殿をどうしたら正教国に連れて行けるか。ネイルコードに住んでいる私に相談と協力を依頼に来たのですかな?」
身も蓋もない言質ではあるが。まさしくその通りだから文句も言えないが。
「あの…巫女様はこちらの教会にも通われていると聞いています。赤竜教としてどのようにして巫女様と誼を結ぶことが出来たのか、お教え願いたいのですが」
「誼と言われても。たまにあの方が市場の帰り道に休憩がてら寄って下さり。私が他の方に説法をしているのを静かに見て、帰りに喜捨をして行って下さる程度ですが。ああ、新年の参拝にも訪れてくだされましたね」
「新年…巫女様が皆に祝福を?」
「あははは。逆ですよ。私が巫女様と小竜様に新年の祝福したのです」
「なんと…」
一祭司が赤竜神の巫女様に祝福を与えたというのか? タルーサとトゥーラも驚いている。
「宗教屋は嫌いだけど、縁起物は好きだ。こう仰ってましたね」
「…宗教屋とは?」
「これでも教会の末席に連なる身、大きな声では言えませんが。…あなたにも大体想像は付くのではないですか?」
宗教"屋"。信仰を売り物にして金儲けをする。布教や民の安寧より、自身の権威や富を求めるような所業の協会関係者という意味だろう。 巫女様は、教会自体は嫌いというわけではなさそうだが。信仰を理由に自分に近づいてくる人間には良い印象は無いようだ。…これでは、私ではますます近寄りがたいな…
「…明後日、巫女様を追ってユルガルムに赴く予定ですが。出来れば平和的に巫女様と良い関係を結びたいのですが…」
「ふむ。…あなたはエイゼル市をどう思われなすかな? 正教国から離れた信仰の薄い野蛮な土地…に見えますかな?」
「…いいえ。奴隷も、その日の暮らしに窮している貧民もおらず。笑顔に溢れている大変すばらしい街だと思います」
「では、そこからレイコ殿を引き剥がすにはどうすれば良いのか…自ずから答えは見えましょう」
「…」
ザフロ祭司は正教国出身だそうだから、正教国のこともよく知っているのだろう。正教国を作り替えない限りは無理と言うことか。
「あの…ザフロ祭司は正教国出身だと伺っておりますが。どのような理由でこちらに?」
「何、簡単な話ですよ。地方の教会で喜捨を着服していた祭司を告発したら、その祭司が賄賂を送っていた上の者に左遷されただけです。もっとも、そのおかげでこんな素晴らしい街に赴任できたのですから、今ではむしろ感謝しているくらいですがな。ははは」
じつはもう一つ。ザフロ祭司について得ている情報がある。
「あ…あの。私の母の名はフェリアナと申します」
「……存じております。…はい、よく存じております」
「ザフロ祭司は、私の母の兄だったと、人伝に聞いたのですが」
何故か正教国の記録には、ザフロ祭司と母との血縁については一切記載が無かった。いや、記録が消されたのだろう。ザフロ祭司のリュバンという名前も、ネイルコードに来てから付けた名前だそうだ。教えてくれたのは、既に引退した私の乳母だった人だ。
「正教国を出るときに、ケルマンに絶縁させられましたけどね。いや、サラダーンにと言った方が良いですか」
「ザフロ祭司は、父と母との結婚に反対していたと伺ったのですが」
「その二人の子供たるあなたに言うのも憚られますが。私には当時の教会は、その権威の使い方を間違っているように見えましたが。妹…フェリアナは、そんな権威を使ってでも正教国を中から変えたいと、ケルマンの求婚を受けたようですな」
「母はそんなことを考えていたのですか…」
「当時、次の祭司総長に決まっていたケルマン殿も、教会の改革に燃えていたのですが… 私はそんな魔窟に妹を行かせたくはなかった。しかし、我が家は巫女の血脈ですからな。教会は放っておいてくれない」
「父もですか。…意外です」
母は、わたしが三歳ぐらいの頃に亡くなった。祭司総長の座を追われそうになった先代による毒殺だったとも噂されている。父はいろいろ手を尽くしたようだが、母は助からなかった。…そのころから父が変わってしまったように思える。
「…あなたが聖女として、先代聖女の意思を継ぐも良し。あなたの新しい理想を追うも良し。レイコ殿のことも無視は出来ないでしょうが、下手な扱いをすればあの方は正教国に対して劇薬として作用するでしょう。努々扱いにはご注意される事をお奨めします。叔父としては、それくらいしか言えないのは忸怩たるものがありますが…」
「いえ。ありがとうございます、ザフロ…叔父様」
母が父に嫁いでしまったことを、ザフロ祭司はまだ後悔しているのだろうか。母はどんな思いで父の元に嫁いだのか。そして…
正直を言えば、ザフロ祭司にはレイコ殿の正教国招喚に協力していただき、共に正教国に帰還していただきたいとも考えたのだが。先ほどの子供達を見る表情から察するに、ここは離れがたいだろう。
少しうらやましいなと思いつつ、私は六六の教会を出ようとした。そのとき。
「ルシャール殿。少し待ってください」
ザフロ祭司は奥の部屋に行き、すぐ戻ってきた。一束の板を持って。
「…これは?」
「サラダーン祭司長には気をつけてください」
「え?」
「前祭司総長の本当の目標はあなたの父ケルマン殿でした。次の祭司総長選出ではケルマン殿が確実視されていましたからね。しかし、それが何かの間違いでフェリアナが身代わりになってしまった。」
そういう噂は聞いているが…。
「…毒を用意して前祭司総長を誑かしたのがサラダーンです。彼の目的はフェリアナでした」
「母上を? それは…?」
「ケルマンを廃して、自分の妻にしたかったようですね。まぁ巫女の血筋の配偶者ともなれば、自動的に祭司総長の座も手に入るでしょうから、どちらが優先かは知りませんが。あれがフェリアナに傾慕していたのは確かです」
…あのサラダーンが…
「私がある程度証拠を揃えられたところで、ネイルコードへ更迭されたのですが。同時に身の危険も感じましたから、こうして証拠のありかを記録して、複製して取ってあります」
ざっと見るに、どこそこの商会の帳簿の中とか、何年度の喜捨記録の中とか。そういう感じで複数の場所に置いてあるようです。
「正教国の中枢の話は、少しではありますがここにも届いています。赤竜騎士団の采配といい、サラダーンはまだ正教国の頂点を諦めていないように思います。その場合あなたも狙われている可能性が高いです」
「狙われるとは…」
「あなたは、フェリアナにうり二つです。さらにサラダーンには妻子は居ません。あくまで可能性ですが、あれが祭司総長の座を諦めていないとすれば、考えられる事です」
…言われてみれば、私の身の回りの世話を取り仕切ろうとしていた感はある。父上がかなり拒否していたようだが。
「サラダーンがフェリアナを死なせたのはミスではありますし、聖女たるあなたを害することは無いだろうと今まで沈黙を貫いてきましたが。あれを廃しようとするのなら、巫女様が動くかもしれない今が機会でしょう。…もちろん、今更掘り返したくないのなら、それも致し方ありません。どのみち私は、正教国まで行って復讐しようという気概はもう失せました。この記録もあなたに託します。処分するなり武器にするなり、自由にしてください」
「…わかりました。お預かりします、叔父様」
教会からの帰りは、ブール殿の勧めで近くの市場にある桟橋から船で河を下ることにした。
渡し船は、北の市場と中央の市場を結んでいる訳だが。この市場の賑わいもなかなかのものだ。
赤竜教信徒としては、巫女様に教都に来ていただきたい。しかし、サラダーンが待ち構えているところに巫女様を連れてって良いものだろうか。それに父は何を考えられているのか? …それ以前に、巫女様を正教国にお迎えする手段が思いつかない。
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魔法のせいだからって許せるわけがない
ユウユウ
ファンタジー
私は魅了魔法にかけられ、婚約者を裏切って、婚約破棄を宣言してしまった。同じように魔法にかけられても婚約者を強く愛していた者は魔法に抵抗したらしい。
すべてが明るみになり、魅了がとけた私は婚約者に謝罪してやり直そうと懇願したが、彼女はけして私を許さなかった。
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