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第2章 ユルガルム領へ
第2章第020話 王宮にて
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第2章第020話 王宮にて
・Side:クライスファー・バルト・ネイルコード
「栄光あるネイルコード王国国王、クライスファー・バルト・ネイルコード陛下、ご来着である」
宰相のザイル・タフィラ・エッケンハイバーが号令をかける。
会議室にて私が中央の席に着くと、他の者達も着席する。
御前会議のいつもの面子である王太子、軍相、宰相、内相、外相。これに加えて今日は、我妻ローザリンテと、バッシュ・エイゼル・アイズン伯も参加している。
議題は、我が国ではいつぶりだろう赤竜神の目撃報告と。なんということか赤竜神の巫女様と赤竜神の御子ではないかと思われる小竜様のご降臨。
最初に報告を得たときには、なにかの冗談かと思ったが。エイゼル伯を始めとする報告の数々からして間違いでは無いのだろう。
「喜んで良いのやら、困惑して良いのやら…。正教国が黙っていないでしょうな、面倒なことで。いっそ引き渡しますか?」
と、いきなり消極的な意見を出すザイル宰相。もともと保守的というか事なかれなところがあるが。
「あの国に餌をやれと? は、今まで散々嫌がらせしてきたのに」
我が息子にして、軍相カステラード。
まぁ、正教国が、隣国ダーコラを背後で支援し、バッセンベル領に工作を仕掛けているのは分っている。直接的に叩けるのなら、喜んで正教国に出撃するだろう。
まずは、件の少女にこの国で匿う価値があるのか。彼女の能力や素行について調査した内相のマラート・イルビト・ベスニーフが報告する。
「巫女様の能力で最初に確認されたのは、大の男に勝る怪力。大量の水を短時間でお湯にできるほどのマナ術。小竜様とは思念で意思疎通が出来るようですな。小竜様の飛行能力と合わせて、偵察に絶大な威力を発揮できるでしょう…とのことです」
軍相のカステラードが表情を険しくする。当然、軍には是非欲しい能力だ。
「エイゼル市にて暴漢の剣を素手で受け止め、その刀身を握り砕いたという目撃もあります。魔獣退治の報告もありましたな。数ナロもある巨大なボアを馬車より高く飛ばし、数十ベメルのある巨大な蛇の頭を一撃で吹き飛ばし。…俄に信じがたいですが」
この時点で一方がアイズン伯爵から届いていたわけだが。わしもその報告からは想像が出来なかったな。
「あと極めつけ。ユルガルムで起きた蟻の魔獣の大量発生。このときにマナ術で魔獣の巣を丸ごと吹き飛ばしております。爆発の後は、直径五十ベメル程の穴になっているそうで。爆発のマナ術を使える者の存在は、噂には聞きますが、せいぜい弓矢の的を割る程度。ここまでの威力は聞いたことありません。いやはや規格外と言って良いでしょうな」
報告が書かれているだろう板をめくる。
「このとき、本人も重傷を負っており、意識不明の状態で発見されています。全身の皮膚が無くなった痛ましい状態だったそうで、現地の医師の報告の写しが届いております。生きているはずがない!という殴り書きまで写されて来ていますな」
全身火傷みたいなものか。たしかに普通なら助かるまい。
「ただ、五日ほどで綺麗に回復したようで。その間の昏睡の原因も、蟻の巣の底で至近で爆発を起こさざるを得なかったためで、視界が開けていた場所ならこんなことには成らなかった…と、随伴のギルト職員との会話で話しておったそうです」
ユルガルムでの蟻にまつわる報告は以上です…と締めくくる。
「力についてはこの辺で。次はその知についてですな。皆様すでにご存じとは思いますが。新しい料理法や菓子のレシピ、調理器具などの登録。リバーシなる遊戯。本人は、ただ知っているだけと宣ってはいますが。神代の知識と言えるようなものを大量に持っているとみて間違いないでしょう」
ふむ。そのレシピを早々に味わったのは私の妻リーテだ。エイゼル市から帰ってきてすぐに、王宮料理長に再現させていた。孫達が喜んで食べていたな。 リバーシなる盤上遊戯も興味深かった。リーテが皮と板で出来た試作品とやらを手に入れてきていたが。他のルールの難しい遊戯と違い、孫達と対等に遊べるのが特に素晴らしい。
「ユルガルム候からの報告には、製鉄に石炭を使う方法。六大元素によらない物質の説明。その他料理が諸々。報告書には触りしか書かれていませんが。…これらはちょと国外には出せませんな。あ、料理の部分は料理長に渡しておきましょう。私も楽しみですので」
「六大元素によらない物質の説明。可能なのかね?」
「ユルガルム領のサナンタジュという学者が心酔しているそうです」
「サナンタジュなら面識がある。ユルガルムに貨幣鋳造の件で訪れたとき、会った。最初は職人の一人かと思っていたが、なかなか聡明な人物だったぞ」
そう言えば、カステラードはユルガルムへの訪歴があったな。
簡単な報告ではあるが。これだけでも巫女様を他国に渡すわけにはいかないだろう。
…まだザイル宰相は逡巡しているようだが。
そんなザイル宰相を見て、カステラードが懐からあるものを取り出しザイル宰相に差し出した。
「これはなんですかな?」
「ピーラーというそうだ。野菜の皮むき器だな。巫女様が奉納登録した料理器具の一つだ。軍の方で既に三千個を発注してある。請求は後で回す」
「また御勝手なことを…」
軍の予算は本来、宰相決済だ。本来、申請無しで勝手に発注は出来ないが。
「怒るな。これはすでに部下に試させたのだがな。貴殿は、芋の皮を剥いたことはあるか?」
「…いえ私は」
まぁ、貴族が野菜の皮むきなんてする機会は無いだろう。…私はあるがな。
「俺はあるぞ。身分を隠して兵卒の基礎訓練しているときにな。これがなかなか難しくて、無駄に皮を厚く切ってしまうんだな」
軍に入るとき、こやつが身分を隠して入隊したという話は、すでに軍では有名だ。許可したのはわしじゃがな。
「…それが何か?」
「そのピーラーを使うと皮が凄く薄く剥けてな。同じ芋でも、素人がナイフで剥くより一割から二割は多く食べられる」
「!」
「これが意味するところがわかるか? 国関係だけでも、軍や役所の食堂に必要な芋の量がそれだけ節約できる。全体でいくらになるんだろうな? おおっといきなり支給量を削減するなよ、士気に関わるからな」
国内でも、麦ほどではないが芋の生産量は結構多い。麦に次ぐ穀物と言っても良いくらいだ。これが一割多く料理できると言うことは、芋の生産量が一割上がったも同じ。料理道具一つでそれだけの差、これは大きい。
「巫女様がちょっと職人に頼んだ物でこれだ。ザイル宰相、これでも正教国に引き渡したいですかな?」
ザイル宰相は、肩をすくめて応える。
「降参です」
「では。いかにして巫女様をこの国に留めるか?ですな」
今度は、ザイル宰相が話を振る。
「力ずくでは無理でしょうね。エイゼル市に出来た親しい者を人質にでもしますか?」
マラート内相が、物騒な案を出す。予算関係を実際に切り盛りする内相は、こういったことを情抜きで最短で解決できる手段を最初に提示する傾向がある。もちろん、あくまでたたき台であって、本気で言っているわけではないようだが。
アイズン伯爵が恐い顔をして睨む。それを受け流せるのもマラート内相のすごいところじゃがな。
「それはいつまでですか?」
さらに、妻が静かに言う。
「その人質が死亡する。自裁する。脱走される。救出される。見捨てられる。これらどれかが起きたときが、あなたの最後です。人質なんて手段は、絞首刑の縄の先を自分で持っているような物ですよ」
まぁ、殺すと脅しても、殺したらそれで終わりだからな。下手すれば後は逆に嬲り殺されるのがオチだろう。
「人質を取っても良い状況は二つです。力で言うことを聞かせられるが時間を節約するため。もう一つは、強者から逃げるための時間稼ぎです。どちらにしろ人質に手を出すのは、後々を考えれば悪手なのは明白」
「もちろん、理解しておりますとも」
マラート内相が飄々と降参する。
「私はその辺を母上に叩き込まれているからな。まぁ巫女様の不興を買うことは、長い目で害しか思いつかん」
と、王太子のアインコール。リーテの管轄下にある影の部隊は、王太子の妻であるファーレルが引き継ぐことになるが。アインコールも力の使い方についての心構えは、小さい頃から仕込まれている。
「これが男なら、女を宛がうとか、金品、領地、身分、いろいろ考えられるのですが」
まぁ、こういうパターンの囲い込みは、マラート内相の得意分野でもあるが。それに引っかかる程度の人間は、どのみち大したことは無いがの。
「はははは。レイコ殿に男でも宛がうか?。はははは」
アイズン伯爵が笑う。
「伯爵は既に、クラウヤート殿を接触させているのでは? そもそもなんで最初に王都に直接お招きしなかったのやら」
「まぁ将来の本人らの気持ちはともかく。孫については、今は友誼を深める程度にしか考えておらんよ。どのみちあの子の方が、わしや息子よりレイコ殿と長い付き合いになるのが必然じゃからな」
アイズン伯爵の嫡男クラウヤート。今は十一歳だったか。
「あとな。最初にレイコ殿が言ったのは"一緒に街まで連れてって貰えと赤竜神様に言われた"じゃ。まぁ、いきなり国に取り込まれるのを警戒したのかもしれんがな」
…確かに、赤竜神様に言われたとあっては、無視もできんか。
「どのみち、マラート殿の案はどれも効かぬじゃろうな。自称小市民だそうだし金にも困っとらん」
「そんなに難しく考えることはないわよ。暮らしやすい街、親しみやすい住人。あの子はそういう"場所"を大切にするタイプよ。幸い、レイコちゃんはアイズン伯爵に懐いているわ。現状維持が得策ね。それも積極的な現状維持が」
「…積極的な現状維持ですか」
アインコールのやつ、十歳になる息子、つまりわしの孫を近づけようとか考えていたな。まぁ、私も考えたことだが。
「いるだけで他国への圧力になる。いるだけでこの国に知識をこぼしていってくれる。現状が最善か?」
カステラードは、巫女様を積極的に軍で利用しようとは考えていないようだ。
「最善か。…母上が好きな"最善と最悪"の想定をしてみようか」
最善を目標とし、最悪を想定せよ。妻ローザリンテの信条の一つだ。
「どこかの馬鹿が巫女様を怒らせる。巫女様が小竜様と共にこの国を出る。他国と共にこの国に攻めてきてこの国を支配する…ってところですかな」
マラート内相が初手を出す。この手の話のたたき台は、大抵こやつが出す。お前が言うのか?とは思うが。
案外、一番リーテに近い考え方をするのは、此奴かもしれん。
「巫女様が直接この国を欲する…なんて考えは荒唐無稽かね? 赤竜神の巫女様が王位簒奪に走るってのも、なかなかに最悪では無いか? 明日ここに来て、王位を譲れと来たらどうする? 陛下、断れますかな?」
ザイル宰相は、まだ巫女様の存在に懸念を持っているようだ。
赤竜神の巫女様として小竜様と共に、その立場と力を盾に譲位を迫られたら、たしかに断れないかもしれない。が…
「はははは。譲位も選択肢か。いいなそれ」
「また陛下の悪い癖が…」
「しかたなかろう。文官時代にエイゼル市の城門前で食べた港サンドの味が忘れられんのだ。この地位ではもうあれを食べられん」
「王宮料理長がその昔、屋台の主人に教えを請いに行ったと聞きましたが」
「確かに料理長のも美味かった!五ダカムのサンドとは比べものにならん程な! だが違うのだ。あの街の景色を見ながら食べる自由の味、あれはもう私が食することは出来ない味なのだ」
王位に就く前の五年間。当時私の王位継承権は、二人の兄と姉の次、第四位ではあったが。上の兄姉が争う中、私は王宮では干されていたので、エイゼル市に預けられ、アイズン伯爵に庇護されて文官をやっていた。
伯爵は王族でもこき使うからな。文官としての勉強も仕事も忙しかったが。城塞外へ拡張途上のエイゼル市での仕事は、それは充実した毎日だった。領政、予算の扱い方、市場動向の監視など、王になってからもそのころの経験は大きく役立っている。
…妻と結婚したのもその頃だ。ダーコラ国との友好だと言われ、継承権第四位の上に王都外の街の文官に嫁がされた彼女も災難だったが。何が幸いに通じるか、わからんもんだな。
「…不敬ながら。巫女様がこの国の王になるのは、"最善"の方なのでは?という考えが頭をよぎってしまいました。もちろん今上陛下に不満はないのですが。赤竜神の巫女様に小竜様、この方々が国を治める。神によって繁栄が約束されたのも同然では?」
普段は寡黙なネタリア外相がぼつりと発言する。
まぁ確かに不敬だ。他の国だったら、首が飛んでもおかしくない。
それでも、こういう発言が出来る雰囲気が宝なのだ、息子達よ。畏れられるのはかまわんが、恐れられてはそのうち行き詰まる。前例もあるしな。
「それは、魔女の帝国の再来ではないのか?」
「東の大陸で千年前にいたと言われる傾国の魔女。黒髪の美女で王侯貴族の男共を手玉に取り悪政を敷き、最後は赤竜神の怒りを買って国ごと滅んだというおとぎ話の。…報告にある巫女様の人物像からは想像できませんな。共通点はせいぜい黒髪くらいで」
「無関係…とは思いますが。赤竜神様絡みで関わっている可能性は頭の隅に留めておくべきかとは存じます」
まぁ。想像だけならいくらでも出来が。ここは現状維持で閉めておこう。
「とりあえず、積極的現状維持を採用だな。積極的と言うところが気に入った。…ともかく、一度巫女様にはお会いしてみたいな。こちらからエイゼル市に出向くと、いろいろ勘ぐられよう。ここにお呼びできるか?伯爵」
「ギルドの方に私の護衛として依頼すれば、問題ないかと」
「うむ。それでは差配を頼む」
・Side:クライスファー・バルト・ネイルコード
「栄光あるネイルコード王国国王、クライスファー・バルト・ネイルコード陛下、ご来着である」
宰相のザイル・タフィラ・エッケンハイバーが号令をかける。
会議室にて私が中央の席に着くと、他の者達も着席する。
御前会議のいつもの面子である王太子、軍相、宰相、内相、外相。これに加えて今日は、我妻ローザリンテと、バッシュ・エイゼル・アイズン伯も参加している。
議題は、我が国ではいつぶりだろう赤竜神の目撃報告と。なんということか赤竜神の巫女様と赤竜神の御子ではないかと思われる小竜様のご降臨。
最初に報告を得たときには、なにかの冗談かと思ったが。エイゼル伯を始めとする報告の数々からして間違いでは無いのだろう。
「喜んで良いのやら、困惑して良いのやら…。正教国が黙っていないでしょうな、面倒なことで。いっそ引き渡しますか?」
と、いきなり消極的な意見を出すザイル宰相。もともと保守的というか事なかれなところがあるが。
「あの国に餌をやれと? は、今まで散々嫌がらせしてきたのに」
我が息子にして、軍相カステラード。
まぁ、正教国が、隣国ダーコラを背後で支援し、バッセンベル領に工作を仕掛けているのは分っている。直接的に叩けるのなら、喜んで正教国に出撃するだろう。
まずは、件の少女にこの国で匿う価値があるのか。彼女の能力や素行について調査した内相のマラート・イルビト・ベスニーフが報告する。
「巫女様の能力で最初に確認されたのは、大の男に勝る怪力。大量の水を短時間でお湯にできるほどのマナ術。小竜様とは思念で意思疎通が出来るようですな。小竜様の飛行能力と合わせて、偵察に絶大な威力を発揮できるでしょう…とのことです」
軍相のカステラードが表情を険しくする。当然、軍には是非欲しい能力だ。
「エイゼル市にて暴漢の剣を素手で受け止め、その刀身を握り砕いたという目撃もあります。魔獣退治の報告もありましたな。数ナロもある巨大なボアを馬車より高く飛ばし、数十ベメルのある巨大な蛇の頭を一撃で吹き飛ばし。…俄に信じがたいですが」
この時点で一方がアイズン伯爵から届いていたわけだが。わしもその報告からは想像が出来なかったな。
「あと極めつけ。ユルガルムで起きた蟻の魔獣の大量発生。このときにマナ術で魔獣の巣を丸ごと吹き飛ばしております。爆発の後は、直径五十ベメル程の穴になっているそうで。爆発のマナ術を使える者の存在は、噂には聞きますが、せいぜい弓矢の的を割る程度。ここまでの威力は聞いたことありません。いやはや規格外と言って良いでしょうな」
報告が書かれているだろう板をめくる。
「このとき、本人も重傷を負っており、意識不明の状態で発見されています。全身の皮膚が無くなった痛ましい状態だったそうで、現地の医師の報告の写しが届いております。生きているはずがない!という殴り書きまで写されて来ていますな」
全身火傷みたいなものか。たしかに普通なら助かるまい。
「ただ、五日ほどで綺麗に回復したようで。その間の昏睡の原因も、蟻の巣の底で至近で爆発を起こさざるを得なかったためで、視界が開けていた場所ならこんなことには成らなかった…と、随伴のギルト職員との会話で話しておったそうです」
ユルガルムでの蟻にまつわる報告は以上です…と締めくくる。
「力についてはこの辺で。次はその知についてですな。皆様すでにご存じとは思いますが。新しい料理法や菓子のレシピ、調理器具などの登録。リバーシなる遊戯。本人は、ただ知っているだけと宣ってはいますが。神代の知識と言えるようなものを大量に持っているとみて間違いないでしょう」
ふむ。そのレシピを早々に味わったのは私の妻リーテだ。エイゼル市から帰ってきてすぐに、王宮料理長に再現させていた。孫達が喜んで食べていたな。 リバーシなる盤上遊戯も興味深かった。リーテが皮と板で出来た試作品とやらを手に入れてきていたが。他のルールの難しい遊戯と違い、孫達と対等に遊べるのが特に素晴らしい。
「ユルガルム候からの報告には、製鉄に石炭を使う方法。六大元素によらない物質の説明。その他料理が諸々。報告書には触りしか書かれていませんが。…これらはちょと国外には出せませんな。あ、料理の部分は料理長に渡しておきましょう。私も楽しみですので」
「六大元素によらない物質の説明。可能なのかね?」
「ユルガルム領のサナンタジュという学者が心酔しているそうです」
「サナンタジュなら面識がある。ユルガルムに貨幣鋳造の件で訪れたとき、会った。最初は職人の一人かと思っていたが、なかなか聡明な人物だったぞ」
そう言えば、カステラードはユルガルムへの訪歴があったな。
簡単な報告ではあるが。これだけでも巫女様を他国に渡すわけにはいかないだろう。
…まだザイル宰相は逡巡しているようだが。
そんなザイル宰相を見て、カステラードが懐からあるものを取り出しザイル宰相に差し出した。
「これはなんですかな?」
「ピーラーというそうだ。野菜の皮むき器だな。巫女様が奉納登録した料理器具の一つだ。軍の方で既に三千個を発注してある。請求は後で回す」
「また御勝手なことを…」
軍の予算は本来、宰相決済だ。本来、申請無しで勝手に発注は出来ないが。
「怒るな。これはすでに部下に試させたのだがな。貴殿は、芋の皮を剥いたことはあるか?」
「…いえ私は」
まぁ、貴族が野菜の皮むきなんてする機会は無いだろう。…私はあるがな。
「俺はあるぞ。身分を隠して兵卒の基礎訓練しているときにな。これがなかなか難しくて、無駄に皮を厚く切ってしまうんだな」
軍に入るとき、こやつが身分を隠して入隊したという話は、すでに軍では有名だ。許可したのはわしじゃがな。
「…それが何か?」
「そのピーラーを使うと皮が凄く薄く剥けてな。同じ芋でも、素人がナイフで剥くより一割から二割は多く食べられる」
「!」
「これが意味するところがわかるか? 国関係だけでも、軍や役所の食堂に必要な芋の量がそれだけ節約できる。全体でいくらになるんだろうな? おおっといきなり支給量を削減するなよ、士気に関わるからな」
国内でも、麦ほどではないが芋の生産量は結構多い。麦に次ぐ穀物と言っても良いくらいだ。これが一割多く料理できると言うことは、芋の生産量が一割上がったも同じ。料理道具一つでそれだけの差、これは大きい。
「巫女様がちょっと職人に頼んだ物でこれだ。ザイル宰相、これでも正教国に引き渡したいですかな?」
ザイル宰相は、肩をすくめて応える。
「降参です」
「では。いかにして巫女様をこの国に留めるか?ですな」
今度は、ザイル宰相が話を振る。
「力ずくでは無理でしょうね。エイゼル市に出来た親しい者を人質にでもしますか?」
マラート内相が、物騒な案を出す。予算関係を実際に切り盛りする内相は、こういったことを情抜きで最短で解決できる手段を最初に提示する傾向がある。もちろん、あくまでたたき台であって、本気で言っているわけではないようだが。
アイズン伯爵が恐い顔をして睨む。それを受け流せるのもマラート内相のすごいところじゃがな。
「それはいつまでですか?」
さらに、妻が静かに言う。
「その人質が死亡する。自裁する。脱走される。救出される。見捨てられる。これらどれかが起きたときが、あなたの最後です。人質なんて手段は、絞首刑の縄の先を自分で持っているような物ですよ」
まぁ、殺すと脅しても、殺したらそれで終わりだからな。下手すれば後は逆に嬲り殺されるのがオチだろう。
「人質を取っても良い状況は二つです。力で言うことを聞かせられるが時間を節約するため。もう一つは、強者から逃げるための時間稼ぎです。どちらにしろ人質に手を出すのは、後々を考えれば悪手なのは明白」
「もちろん、理解しておりますとも」
マラート内相が飄々と降参する。
「私はその辺を母上に叩き込まれているからな。まぁ巫女様の不興を買うことは、長い目で害しか思いつかん」
と、王太子のアインコール。リーテの管轄下にある影の部隊は、王太子の妻であるファーレルが引き継ぐことになるが。アインコールも力の使い方についての心構えは、小さい頃から仕込まれている。
「これが男なら、女を宛がうとか、金品、領地、身分、いろいろ考えられるのですが」
まぁ、こういうパターンの囲い込みは、マラート内相の得意分野でもあるが。それに引っかかる程度の人間は、どのみち大したことは無いがの。
「はははは。レイコ殿に男でも宛がうか?。はははは」
アイズン伯爵が笑う。
「伯爵は既に、クラウヤート殿を接触させているのでは? そもそもなんで最初に王都に直接お招きしなかったのやら」
「まぁ将来の本人らの気持ちはともかく。孫については、今は友誼を深める程度にしか考えておらんよ。どのみちあの子の方が、わしや息子よりレイコ殿と長い付き合いになるのが必然じゃからな」
アイズン伯爵の嫡男クラウヤート。今は十一歳だったか。
「あとな。最初にレイコ殿が言ったのは"一緒に街まで連れてって貰えと赤竜神様に言われた"じゃ。まぁ、いきなり国に取り込まれるのを警戒したのかもしれんがな」
…確かに、赤竜神様に言われたとあっては、無視もできんか。
「どのみち、マラート殿の案はどれも効かぬじゃろうな。自称小市民だそうだし金にも困っとらん」
「そんなに難しく考えることはないわよ。暮らしやすい街、親しみやすい住人。あの子はそういう"場所"を大切にするタイプよ。幸い、レイコちゃんはアイズン伯爵に懐いているわ。現状維持が得策ね。それも積極的な現状維持が」
「…積極的な現状維持ですか」
アインコールのやつ、十歳になる息子、つまりわしの孫を近づけようとか考えていたな。まぁ、私も考えたことだが。
「いるだけで他国への圧力になる。いるだけでこの国に知識をこぼしていってくれる。現状が最善か?」
カステラードは、巫女様を積極的に軍で利用しようとは考えていないようだ。
「最善か。…母上が好きな"最善と最悪"の想定をしてみようか」
最善を目標とし、最悪を想定せよ。妻ローザリンテの信条の一つだ。
「どこかの馬鹿が巫女様を怒らせる。巫女様が小竜様と共にこの国を出る。他国と共にこの国に攻めてきてこの国を支配する…ってところですかな」
マラート内相が初手を出す。この手の話のたたき台は、大抵こやつが出す。お前が言うのか?とは思うが。
案外、一番リーテに近い考え方をするのは、此奴かもしれん。
「巫女様が直接この国を欲する…なんて考えは荒唐無稽かね? 赤竜神の巫女様が王位簒奪に走るってのも、なかなかに最悪では無いか? 明日ここに来て、王位を譲れと来たらどうする? 陛下、断れますかな?」
ザイル宰相は、まだ巫女様の存在に懸念を持っているようだ。
赤竜神の巫女様として小竜様と共に、その立場と力を盾に譲位を迫られたら、たしかに断れないかもしれない。が…
「はははは。譲位も選択肢か。いいなそれ」
「また陛下の悪い癖が…」
「しかたなかろう。文官時代にエイゼル市の城門前で食べた港サンドの味が忘れられんのだ。この地位ではもうあれを食べられん」
「王宮料理長がその昔、屋台の主人に教えを請いに行ったと聞きましたが」
「確かに料理長のも美味かった!五ダカムのサンドとは比べものにならん程な! だが違うのだ。あの街の景色を見ながら食べる自由の味、あれはもう私が食することは出来ない味なのだ」
王位に就く前の五年間。当時私の王位継承権は、二人の兄と姉の次、第四位ではあったが。上の兄姉が争う中、私は王宮では干されていたので、エイゼル市に預けられ、アイズン伯爵に庇護されて文官をやっていた。
伯爵は王族でもこき使うからな。文官としての勉強も仕事も忙しかったが。城塞外へ拡張途上のエイゼル市での仕事は、それは充実した毎日だった。領政、予算の扱い方、市場動向の監視など、王になってからもそのころの経験は大きく役立っている。
…妻と結婚したのもその頃だ。ダーコラ国との友好だと言われ、継承権第四位の上に王都外の街の文官に嫁がされた彼女も災難だったが。何が幸いに通じるか、わからんもんだな。
「…不敬ながら。巫女様がこの国の王になるのは、"最善"の方なのでは?という考えが頭をよぎってしまいました。もちろん今上陛下に不満はないのですが。赤竜神の巫女様に小竜様、この方々が国を治める。神によって繁栄が約束されたのも同然では?」
普段は寡黙なネタリア外相がぼつりと発言する。
まぁ確かに不敬だ。他の国だったら、首が飛んでもおかしくない。
それでも、こういう発言が出来る雰囲気が宝なのだ、息子達よ。畏れられるのはかまわんが、恐れられてはそのうち行き詰まる。前例もあるしな。
「それは、魔女の帝国の再来ではないのか?」
「東の大陸で千年前にいたと言われる傾国の魔女。黒髪の美女で王侯貴族の男共を手玉に取り悪政を敷き、最後は赤竜神の怒りを買って国ごと滅んだというおとぎ話の。…報告にある巫女様の人物像からは想像できませんな。共通点はせいぜい黒髪くらいで」
「無関係…とは思いますが。赤竜神様絡みで関わっている可能性は頭の隅に留めておくべきかとは存じます」
まぁ。想像だけならいくらでも出来が。ここは現状維持で閉めておこう。
「とりあえず、積極的現状維持を採用だな。積極的と言うところが気に入った。…ともかく、一度巫女様にはお会いしてみたいな。こちらからエイゼル市に出向くと、いろいろ勘ぐられよう。ここにお呼びできるか?伯爵」
「ギルドの方に私の護衛として依頼すれば、問題ないかと」
「うむ。それでは差配を頼む」
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その日、王妃は王都を去った。
何故か勝手についてきた宰相と共に。今は亡き、王国の最後の王女。そして今また滅びゆく国の最後の王妃となった彼女の胸の内は誰にも分からない。亡命した先で名前と身分を変えたテレジア王女。テレサとなった彼女を知る数少ない宰相。国のために生きた王妃の物語が今始まる。
「婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?」の王妃の物語。単体で読めます。
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【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
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最後に言い残した事は
白羽鳥(扇つくも)
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どうして、こんな事になったんだろう……
断頭台の上で、元王妃リテラシーは呆然と己を罵倒する民衆を見下ろしていた。世界中から尊敬を集めていた宰相である父の暗殺。全てが狂い出したのはそこから……いや、もっと前だったかもしれない。
本日、リテラシーは公開処刑される。家族ぐるみで悪魔崇拝を行っていたという謂れなき罪のために王妃の位を剥奪され、邪悪な魔女として。
「最後に、言い残した事はあるか?」
かつての夫だった若き国王の言葉に、リテラシーは父から教えられていた『呪文』を発する。
※ファンタジーです。ややグロ表現注意。
※「小説家になろう」にも掲載。
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【完結】拾ったおじさんが何やら普通ではありませんでした…
三園 七詩
ファンタジー
カノンは祖母と食堂を切り盛りする普通の女の子…そんなカノンがいつものように店を閉めようとすると…物音が…そこには倒れている人が…拾った人はおじさんだった…それもかなりのイケおじだった!
次の話(グレイ視点)にて完結になります。
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