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プロローグ
プロローグ第001話 スキャナー
しおりを挟むプロローグ第001話 スキャナー
・Side:月島玲子《つきしまれいこ》 西暦2052年
コウン、コウン。
頭部を覆う形でベットに取り付けられた小型のMRIみたいなスキャナーが小さく唸っている。普段なら気にならない音量だけど、寝たきりでずっとその機械に頭を突っ込んでいるとけっこう響く。まぁ、もう三ヶ月も付き合っている機械なので、慣れてはいますが。
八ヶ月程前、右脚が痺れたように動かしにくくなった。これがなかなか治らず。友人の勧めもあって職場付属の大学病院で診察を受けたら、その日のうちにMRIにかけられ、即日に下った診断が癌。すでに広い範囲に転移していて、その一つが背骨の中で脊髄を圧迫しており、それが右脚の痺れの原因だった。
当然、即入院。癌の方はすでに手術でどうなるものでは無く、抗癌剤による化学療法を始めた。
もちろん、最初はショックだったけど。入院中の治療ルーチンを受け身でこなしている間に、いろいろ割り切って考えることが出来るようになった。
生きることを諦めたわけでは無いけど。自身が大学院で関わっているプロジェクトの実験に必要な長期的な脳内スキャンの献体として、入院と同時に立候補した。
女だてらにと思われるだろうけど、私は情報系の学科の大学院でAIの研究をしている。いや、もうしていたと言うべきか。
ただ、一般的なAIと言われている機械学習とは方向性がけっこう違う。情報の相関を抽出するだけのAIではない、本物の人工知性を、人間の脳構造を参考にコンピューター内で構築のが目標のプロジェクトだ。
もちろん、人間の本物の脳を直接扱うような臨床実験を情報系の一学生が扱えるわけもなく。私がやっていたのは、シナプスレベルの活動をどう効率よくソフトウェア的に落とし込んでいくかという類いの研究だ。この辺は、ディープラーニングと構造はよく似ているが。学習からニューラルネットワークを構築するのではなく、既に脳内にあるニューラルネットワークを、コンピューター内のニューラルネットワークのシミュレーションに変換するのが目的だ。実際はもっとややこしいけど。
院卒後、医学系学科や付属の大学病院との共同研究の一員として活動してきたのだけども。丁度、生きている人間のシナプスの活動をリアルタイムでスキャンするセンサーの第一世代機が完成したところでの、このガン告知。
まぁ、得た脳のデータをコンピューター内で完全再現させるには、現在のコンピューターの性能では3桁ほど足りないし。仮に私の人格をコンピューターの中で再現できたとしても、そこにいるのは私のコピーに過ぎない。
しかし、自分自身をバックアップできる機会があるのなら、試しておくべきというのが、情報科の学生らしいと言うか。単なる好奇心ですね。
ちなみに。私の死後は献体として提供され、脳は"直接的"に分析もされることになっている。
…化学療法もあまり効果が無く。転移が進んだせいで麻痺が広がり、寝たきりになって三ヶ月。
正直、そろそろかなりキツいです。癌にかかって何が痛いのか、身をもって経験しています。鎮痛剤というより鎮静剤が習慣化。
病状が悪化したここ一週間は、母がつきっきりになっていた。今も、かろうじて動いてくれる左手を、包むように握っていたくれている。
血縁もだけど人生の師匠とも言える父は、三年前にすでに亡くなっている。父も癌だった。
私が死ねば、母は一人になってしまう。大して親孝行も出来ないうちに死んでしまうのは、心残りだけど。…もしシミュレーションで復活したら、喜んでくれるのかな?
もっとも。スキャナーで得たデータを解析するのも、コンピューター上で再現するのも、まだまだこれからの研究課題で、何十年という先の話だろうけど。
父も大学でこの分野の研究をしていた。私がこの分野に進んだのは、別に遺志を継ぐとかではなかったけど。多趣味な父にいろいろ仕込まれ、結果としてこの道に興味が出たことは否定できない。しかしこの研究も、道程半ば…どころか歩き始めたばかりのところでリタイアすることになってしまった。やはり親不孝だね。
「玲子くん…」
病室に、プロジェクトの上司でもあり、大学での2年先輩でもある赤井さんが入ってきた。私は今、視力もおぼつかない状態なので、彼がかけているだろう眼鏡も反射する光くらいしか見えないが。また研究室にこもっていたのだろう、実験衣を着ていることは、色から分かった。研究棟から付属病院に直接来てくれたようだ。
彼は、プロジェクトではスキャナーの開発をメインにやっている。データ処理班の方から要求されている脳構造のデータを以下に効率的に得るか、彼は今も開発と改良を続けている。
「また急にこんなことを…」
困ったような赤井さんの声。
実はこれから、薬で意識を落してもらって、生命維持を終了させて貰うことにしている。事実上の安楽死だ。
脳のスキャンのためには、一定時間は意識を保っておくことが必要だが、流石に苦痛も限界。母親とは数日前に話していたが、赤井さんには今朝研究室の方に連絡が行くようにしていた。何日も前に彼に伝えていたら、止められそうだと思ったから。
「…データ、取れましたか?」
スキャナーは、今もサーバーに大量の私のデータを送り続けている。
「ああ。第一段階で計画していた容量は確保できているよ」
「そう、よかった…」
実は父も、死の間際に献体として立候補していた。そして、死亡直後に詳細な脳のスキャンが行われた。それこそペタバイトクラスの大量の情報がサーバーに保管されたが、そこから意味のあるデータを取り出すには未だ至っていない。何かしら成果が上がるには、まだまだ時間がかかるだろうし、成功する保証も無いが。
父のスキャンのときの問題を元に、解決の一助として提案されたのが、生きている状態の脳のデータを一定期間モニターし、最後に実際のシナプスを観察することで、脳の高精度な情報的構造を取得する…と言った手法だった。しかしながら、この方法を完遂するには、被測定者の死が必要になる。私が第一号になるわけだ。
「…ふぅ」
癌の疼痛は、ここに来て鎮痛剤の類いも効きづらくなっているが。スキャナーのデータが十分集まるまで、睡眠以外で薬で意識を落すことも、出来るだけ控えてきた。
「…赤井さん、後はお願いします」
「ああ、まかせとけ。…私もスキャナーには立候補しているから。未来でまた会えるさ」
「それ…すごい口説き文句ですよ」
ふふっと笑った。赤井さんも笑ってくれる。
赤井さんとは、べつにお付き合いしていたわけではない。そんな雰囲気も無かったように思う。ただ、私の人生で関わった異性で、父の次によく語らったのは、彼だった。異性というより、父と兄を会わせたような人だった。
「…お母さん、ありがとう。ごめんね」
「…玲子ちゃん…」
癌が告知されたときには、私より母の方がショックを受けていた。父に続いて娘だから、当然だろう。
ただ、母の方はすでに哀しみ疲れているのか覚悟したのか、今はけっこう落ち着いているように見える。それでも私が死んだら、また泣くんだろうな。それがなんとも申し訳ない。
…。
コンピューター内で再現された脳の情報で、生き返ったことになるのか。それとも別の存在なのか。この辺も暇さえあれば、プロジェクトのメンバーと討論したもんだっけ。
魂が受継がれるわけではないから別人だ。いや、魂なんて物が無いからこそ、同じ情報なら同一人物だ。…すでに懐かしいな。
医師が入ってきた。看護師が薬液の用意をする。
薬剤自体は鎮静剤と大差は無い。ただ、この意識を落した状態は最後まで持続され、同時に生命維持装置の類いは切られる。これが本当に最後の睡眠だ。
それでも。この体の中をあちこち掴まれているような痛みから解放されるのなら、それは安寧にも等しい。
死にたくないと足掻くつもりは無いけど。それでも今までの人生が勿体ない。だけど楽になりたいとも切に思う。
「先生、お願いします」
医師は頷いて看護師から注射器を受け取り、点滴の方に注入する。
すぐに意識が落ちるかと思ったら、すごく眠たくなる感じで、意識が重たくなってきた。
…
母が手を強く握る。やっぱり泣いている。赤井さんからも堪えている雰囲気がする。
ありがとう。ごめんなさい。
…
最後に脳裏に浮かんだのは、父との思い出だった。
母と一緒にいろんな所に連れてって貰った。質問したことは何でも答えてくれた。子供の質問だからとはぐらかさず、図鑑やらネットやらを駆使して、いろんな事を真剣に教えてくれた。
「…お父さん…」
…
これから私はお父さんに会えるのだろうか。 未来で再生される方の私は、お父さんに会えないのだろうか。
…
それはなんか、かわい…そ…う…
…
…
…
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