ヴォールのアメジスト 〜悪役令嬢の『予言』は乙女ゲームの攻略本から〜

本見りん

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ヴォール帝国へ

真実と男達 2

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 兄シュナイダー公爵が何かをしようとしている事に気付いたゼーベック侯爵は、慌てて兄を見る。そして取り出した短剣を見て、驚いて兄に飛びつき掴んで止めた。


 クライスラー公爵は、その様子を慌てる事なく冷めた目で見ていた。


「……兄上! おやめください! 目をお覚ましくださいッ! なんという恐ろしい事を……! このような事をすればヴァイオレット皇女の忘れ形見であるレティシア様をお守り出来なくなります! そしてとてもお嘆きになられるでしょう……!
我らが今出来る事はレティシア様をお守りしていく事だけ……!
……それに何よりもしも皇帝陛下にこの事が知られたら……!」


 ゼーベック侯爵はクライスラー公爵に短剣を向けようとした兄に縋りつきそう言った。……その時。


「――もう、知っておるがな」


 そう言っていつの間にか部屋に入って来ていたのはこの帝国の皇帝ジークベルト。そして素早く皇帝付きの護衛がシュナイダー公爵の短剣を奪った。


 シュナイダー公爵兄弟は血の気が引いた。

「こ……皇帝陛下……。何故ここへ……?」


 シュナイダー公爵は震える声で尋ねた。


「……さあ? 何故だろうな。
……この国の公爵が2人、何やら真剣な顔で出て行ったのだ。他の貴族たちの目にはよく留まったであろうよ。そして、この帝城には『影』が潜んでおるのでな。我には筒抜けよ」


 ……今の話を、全て聞かれていた?


 シュナイダー公爵兄弟は呆然とし、力なくガクリと膝をついた。

 そんな2人を見ながらジークベルト皇帝は言った。


「……20年前の話は、許される事ではないし、私も決して許せない。
……しかし、あれはあくまで親世代が起こした事。しかもお前達の今までの功績を考えれば何も言えまい。私も、今の立場になるまではお前達に何度も助けられたからな。しかし……」


 皇帝がシュナイダー公爵兄弟をジッと強く見詰めた。

 2人は膝を突いたまま、震えていた。


「レティシアに……、ヴァイオレットの残した大切な娘に何かを科そうなどとする事は決して許さぬ。レティシアが一から築き上げた今の幸せを奪う事もだ。何の罪もない彼女は今まで十分過ぎる程に苦労してきたのだ。
……そして今回のような短絡的な事を起こす事も決して許さぬぞ」


 皇帝の言葉を聞き、シュナイダー公爵は泣き崩れた。


「陛下……! ……ああ……、申し訳、ございませぬ……! 我が父は、我が帝国の宝とも言える『ヴォールのアメジスト』を持つヴァイオレット皇女を……、マリアンヌ陛下より皇女を次代にと指名されたにも関わらずに……」

 涙を流し謝り続けるシュナイダー公爵に皇帝は苦い顔をしながらも語りかけた。


「……シュナイダー公爵よ。祖母マリアンヌ陛下がヴァイオレットを指名されていたとは正直私も驚いた。……おそらく陛下は、我ら兄弟が3人力を合わせて国を治めることを望まれたのであろうが……。
私もお前の父が何故、あの時に我らにその話をしてくれなかったのかと悔やまれてならぬ。そのせいで、皆がこの20年苦しんできたのだから……」


「……陛下……」


 シュナイダー公爵は思い出していた。
 ……あの若き日、仲の良い皇子達と皇女。まだ先の事と思いながらも次の皇太子の座を巡り両皇子の派閥の貴族たちが水面下で火花を散らす中、若い皇子達自身は仲が良かった。そしてその間を取り持つ存在だったのがヴァイオレット皇女だった。
 皇女が、2人の微妙なバランスをとっていたのだ。


 ――皇子達の父である皇太子の死後も、それは変わらなかった。2人の兄弟の仲に決定的な亀裂が入ったのは、ヴァイオレット皇女が行方不明となってから。その後から、帝国中を震撼させる皇子達の皇位継承を巡る争いが始まったのだ――。


 そこにクライスラー公爵は呟いた。

「……20年前、ご兄弟は仲が良かった。周りがどんなに皇位の事で騒ごうとも、ご兄弟の絆は深かった。……それは、ヴァイオレット皇女がお2人の仲をいつも取り持ってくださっていたから……。
マリアンヌ陛下はおそらくそこまで見抜かれておいでだったのですね……。2人の兄に支えられ皇女殿下が皇帝となられていたのなら、それは素晴らしい治世となっていた事でしょう……」

 
 20年前の政争からいっとき国は荒れた。貧富の差が広がり貧しい者は飢え治安は悪くなり、国境では盗賊や蛮族の脅威に晒された。

 ジークベルトが皇位についてからは、随分と改善されたのだが……。


 クライスラー公爵が夢想した『もしも皇女が皇帝となっていたら』という世界。そうすれば国は荒れる事もなく、兄弟力を合わせ仲良く国を治めていただろうか? そこではヴァイオレット皇女は笑って幸せに暮らしていたのだろうか……。
 それはとても甘美な夢。この場にいた者達は一瞬その美しい夢に酔いしれた。


「……時間は巻き戻せない。あの幸せな時は……もう戻らない。どんなに悔やんでもな……。
我らは今を生きている。今出来る事をするしかないのだ」


 ジークベルト皇帝は、一瞬垣間かいま見た美しい夢を振り払い今すべき事を考えた。
 クライスラー公爵も、ヴァイオレットの居たその甘い夢を振り払う。


「……陛下。レティシア様はご自分の身分を知られた後も、ただ一途にランゴーニュ王国のリオネル王太子の事をお慕いされております。親である私といたしましては、彼女の意志を尊重致したく存じます」


 クライスラー公爵はそうジークベルト皇帝に進言した。


 ジークベルトも頷いた。


「……伯父である私の目から見てもそう思う。
ランゴーニュ王国は我が国の食糧補給の生命線でもある。皇帝の姪を王妃とするのは前例もある事であるし国益にもかなう。
……あとはその本人である王太子の人柄を見定めてから、であるがな。二代前の国王は我が国の貴族令嬢を幸せには出来なかったようだからな」


 ジークベルトは愛する妹の忘れ形見であるレティシアを幸せに出来ないような男であれば許すつもりなどなかった。


「……陛下……! しかし、それではマリアンヌ陛下のご遺志は……!? そして今はただ1人しか居ない『ヴォールのアメジスト』を国外に出されても良いと、そう仰るのですか……?」


 シュナイダー公爵は、尚もそう言った。


「……仕方あるまい。そしてマリアンヌ陛下のご遺志は、20年前のあの時だからこそ有効な手段であったのだ。我ら兄弟のバランスを取る為のな。
今、無理矢理にヴァイオレットの娘のレティシアを皇位につける事は得策ではない。そもそもそのような教育も受けてはおらぬ」


 ジークベルトは淡々とそう語った。
 今レティシアを皇位につけようとするならば、やっと安定しかけた国がまた乱れる。


「それでは、是非レティシア様とアルフォンス殿下とのご結婚をお考えください! お2人の子が生まれれば、今度こそ完全なる正統な皇位継承者となります! 皇家に再び『ヴォールのアメジスト』か生まれるやもしれませぬ!」


 ヴァイオレット皇女の血を再び皇家に入れること。
 それが父のせいで皇女を失ってしまったシュナイダー公爵の望みであり償い。

 そしてそれは、おそらく今後他の貴族達も言い出すであろう事だ。
 マリアンヌ陛下のご遺志は今後このメンバーで墓に入るまで持っていってもらうつもりだが、それがなくとも帝国の貴族達は『ヴォールのアメジスト』を持つレティシアを帝国から手放す事を拒むだろう。


 しかし……。

 伯父としては可愛い姪であるが、皇帝として考えればレティシアの存在は一つ間違えば国の安寧を揺るがす存在にもなり得る。

 皇帝として帝国の為を思えば、利用価値のある皇女を捨て駒にもする事も政略の駒とする事も冷徹に考えるべきではあるのだが……。
 しかし彼女は愛する妹の忘れ形見。出来ればそのような事にはしたくはない。
 
 レティシアの身を安全に、そしてその血筋を利用されない為には。……彼女自身が望むランゴーニュ王国との縁談を条件付きで認める事が有効だろう。


「……確かにレティシアを引き留めるに1番いい方法はアルフォンスとの結婚。しかし彼らは従兄弟であるので、実のところは次の世代以降で縁を結ぶのが望ましい。
もしくは我が帝国内の有力貴族との結婚だが……。今の貴族でレティシアに相応しい身分と年齢の者をわざわざ探すなら、隣国の王家に恩を着せて王妃とさせてお互いの次の世代の子を娶す位がちょうど良い」

「次の世代で、ですか……」

 ジークベルトに言われ、シュナイダー公爵とゼーベック侯爵は肩を落とし残念そうな顔をしてそう呟いた。 

 ……しかしそれ以上彼らは何も言わなかった。……本当は、少しホッとしてもいたのだ。次の世代以降にヴァイオレット皇女の血筋が戻るならば、それでもいいような気がした。
 シュナイダー公爵は父公爵から事実を聞かされてから思い悩んでいた重荷が、やっと少し軽くなったような気がしたのだった。


 そんな2人の様子を見てジークベルトは頷き、そして為政者の顔となって言った。


「……シュナイダー公爵よ。
其方は10年前に前公爵からその話を聞き十分過ぎる程に苦しんで来たのであろう。誰にも、弟達にも話さず1人で……。今、その苦しみは其方1人のものではなくなった。
今回の件、短剣を持ち出した事についてはクライスラー公爵の許しを得よ。……それ以外はこれから全面的にレティシアの味方となるのならば不問とする」


 シュナイダー公爵兄弟はばっと顔を上げ、自分達の皇帝を見た。皇帝は頷き、それを見て2人は涙を流した。

 そして次に2人はクライスラー公爵を縋るような目で見たが……。


「……皇帝陛下が許されるのに私が許さないという訳にはいかないでしょう。……レティシア様の、力になって差し上げてください。あの子は今日事実を知るまで自分の母の身内に会える事を楽しみにしておりましたから」


 それを聞いた2人は、これから親族としてレティシアの力になり続ける事を皇帝と公爵、そして自分達に対しても誓った。




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