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ヴォール帝国へ
リオネルへの手紙
しおりを挟む『愛するリオネル様
お元気でいらっしゃいますか? 私はお陰様でお父様や弟ステファン、そしてステファンの実家であるロンメル侯爵家の方々にも良くしていただき、元気に『立派な帝国淑女』となる為の貴族教育を受けております……
……ステファン様の母であるディアナ様は、帝国での夜会のマナーや貴族の方々の親戚関係など色んな事を教えてくださいます。一通り教師の方から合格点をいただいておりましたが、実際のマナーや立ち居振る舞いではまだまだだと思い知らされます。そして帝国には恐るべき数の貴族の方がいらっしゃるので覚えるのも大変です。
母の実家ですが、お父様は初めて参加する帝国の夜会、しかも皇帝陛下の誕生祭の夜会で教えてくださると約束してくださいました。
緊張で足が震えそうですが、リオネル様とお約束した立派な『帝国淑女』となる為に頑張る所存です。そして早くリオネル様とお会いしたいです。
愛を込めて、レティシア』
「レティシア……」
愛するレティシアからの手紙をリオネルはそっと胸にあてる。2人はずっと手紙のやり取りを続けていた。しかし片道1週間もかかる為にもどかしい思いもしている。
そしてその手紙の内容から、まだレティシアは母が皇女であった事を知らないようだった。
ローズマリー フランドル元公爵令嬢よりレティシアがヴォール帝国皇帝の姪であると告げられ、ランゴーニュ王国の王家は大混乱となった。勿論、上層部のみで外部には漏らさぬようにはしているが。
そしてその本人であるレティシアがもう帝国へと行ってしまった以上、ランゴーニュ王国では帝国からの連絡を待つ以外は動きようがない状態となっていた。
帝国にある王国の領事館からの連絡では、クライスラー公爵家は養女を取ったがまだ教育中だとして、レティシアは外部にはまだ一切出ていないらしい。
そして今回のレティシアからの手紙に書かれている、ヴォール帝国皇帝の誕生日のパーティー。
おそらくそこでレティシアを初披露し、皇帝と対面させるのだと思われる。
リオネルはあれからツテを使ってレティシアの母だと思われるヴァイオレット皇女の絵姿をなんとか手に入れた。
一言で言うと……とてもよく似ている。レティシアは顔立ちは確かにコベール子爵に似ているのだが、全体の雰囲気やなによりもその髪色と瞳が明らかにヴァイオレット皇女の身内であると物語っていた。
これほど皇女とよく似ているレティシアが、実際の皇女を知っているはずのヴォール帝国の貴族達の前に出たのなら……。
リオネルはふぅ、と息を吐いた。
何度も、レティシアに会う為に帝国に行こうとした。だがことごとく周囲から反対された。
今はまだ動く事は得策ではない、と――。
……分かっている。今レティシアに会っても自分にどうしようもない事は。反対にレティシアを動揺させ、クライスラー公爵が彼女の為にしようとしている事を台無しにしてしまうかもしれない。
コベール子爵や領事館の報告からはクライスラー公爵はレティシアの為に随分と心を砕いてくれている事が分かっているのだから、それを邪魔するような事があってはならない。
それにランゴーニュ王国の国内はまだ不安定だ。学園を卒業し王太子として正式に公務を開始したばかりのリオネルが特別な理由もなく2週間以上も国を空ける事は、また良からぬ考えを持つ者を刺激してしまうかもしれない。
……それでも。
リオネルはレティシアを思い切ない思いを噛み締めため息をついた。
……そしてその時、もう1通帝国からの手紙が来ている事に気が付く。
リオネルは何気なくその手紙を手に取った。
◇ ◇ ◇
――ヴォール帝国ではジークベルト ヴォール皇帝の誕生記念パーティーが行われる日が刻々と近づいていた。
「……こちらの本などは我が国の歴史が分かりやすく、特に前々帝マリアンナ女帝陛下の生涯が詳しく書かれておりますので宜しければご覧になってくださいませ。
……それでは今日の授業はここまでとさせていただきます」
「はい。ありがとうございました。……この本、有り難くお借りいたしますね」
レティシアは家庭教師の先生にヴォール帝国の二代前マリアンナ皇帝陛下の時代の本が読みたいとお願いした。
前世でも世界には素晴らしい女王がいらした。だからこの帝国でも賢帝と名高い女帝の軌跡も知りたいと思ったのだ。
……しかし不思議な事に、この公爵家には膨大な書物を揃えた図書館があるのに何故かマリアンナ皇帝時代が書かれた本が余り無かった。前皇帝時代に書かれた、明らかに本当の歴史を時の権力者に都合良く塗り替えたような書物ならたくさんあったのだが。
このクライスラー公爵家は前皇帝の派閥だったので、そういった書物が集められたのは仕方ないのかも知れないが……。
家庭教師の先生が帰り、レティシアは無理を言って先生から借りた本を大切に机に置き、そっとその表紙を開いた。
……本当だわ。この本は今まで読んだ中で1番マリアンナ皇帝の治世が詳しく書かれている。女帝の時代はその前の父皇帝が戦争に勝利して広大になった領土を、整理し管理して更に強固な国にする為の素晴らしい治世がされていったのね。
パラリパラリと本を読み進める。
「レティシア様。勉強熱心な事は結構ですが、少し休憩されてはいかがですか。お茶をお入れいたしましょう」
その時ハンナから声がかかった。
レティシアはいったん本を置きお茶をいただいた後、やはり先程の本が気になってまた手を伸ばす。
「えーと……、どこまで読んだかしら?」
パラパラと適当に本を開く。その時開いた後半のページ。何気なく視線を向ける。
『……皇帝マリアンナは、生まれたばかりの初めての孫娘を見て驚いた。それは自分以来生まれていなかった『ヴォールのアメジスト』をその皇女は持っていたからだった。マリアンヌ皇帝は大変喜ばれその皇女を『ヴァイオレット』と名付けた』
「『ヴォールのアメジスト』……」
……確かランゴーニュ王国のパーティーで、王太后様が言っていた言葉だわ。ヴォール帝国ではアメジストはかなり貴重で神聖視されているのかしらね。
ランゴーニュ王国でも周りには紫色の瞳の人は居なかったわね。それで私を見た友人ミーシャのお母様から帝国の血を引いているのかと言われたんだった。
お母様も深く美しい紫色の瞳だったわ……。私は小さい頃からお母様と同じ瞳が誇らしくて自慢だった。そう言ったらお母様も嬉しそうにしていたわ。
懐かしい思い出にレティシアは胸がじんわりと温かくなる。
レティシアは母ヴィオレを思い出しながら更にページをめくる。そこにはマリアンナ皇帝陛下の絵姿が載っていた。
壮年の、気品と威厳に溢れた美しい女性。そしてその瞳は深く美しい紫色。
それを見たレティシアは、あれと思う。
マリアンナ皇帝は、確かに深く美しい紫色の瞳。
けれど、母や自分とそう変わらない色のような気がする。……自意識過剰だろうか?
そんな風に考えながら次のページをめくると、そこにはマリアンナ皇帝とその家族の絵が載っていた。
――レティシアはその時、息が止まるかと思った。
そこにはマリアンナ皇帝とその夫、そして一人息子の皇太子とその3人の子供たちが描かれていた。
……そのマリアンナ皇帝の孫娘の顔は、母ヴィオレにそっくりだった。
◇ ◇ ◇
「お母さん……! 虫、虫がいるのっ……!」
「あら、どこにいるの? ……あぁ、これね!」
パンッ……!
小気味良い音を立てて母は部屋の中に入って来た害虫を一撃で仕留めた。手には素早く脱いだ靴。……いつもの母の虫退治の必須アイテムだった。
母は可憐な外見に反してこういう事が得意で、昔近所のボス的な女性の前に現れた害虫を華麗に退治した事がきっかけでその女性に非常に気に入られた。それからレティシア達はあの街で随分と周囲の人達に可愛がれて過ごした。
そんな母にレティシアは「虫が怖くないの?」と聞いた事がある。
母の答えは、
「虫なんかより、もっと怖いものを知っているから」
だった――。
◇ ◇ ◇
――ッ!
レティシアは目を覚ます。……夢を、見ていた。
昨日あれからすぐに本を貸してくれた先生が慌てて戻ってきて、『これは門外不出のものだった』と言ってあの本を回収していった。本を読んだかと聞かれたので、最初の数ページと答えると安心して帰っていった。
…………母は、『皇女』だったのだろうか?
あの時からその考えが頭を離れない。
だけど、今日夢に見たあの母は……。
……あんな、虫をサクサクヤレる、皇女様なんている?
前世でも皇女様はTV位でしか見た事は無いが、少なくとも虫を見た瞬間素早く履き物を脱いで叩くというあんな鮮やかな神業は出来ないに違いない。
……うん、絶対に違うわ。『皇女』様、御免なさい。とても失礼な事を考えました。畏れ多い事だわ……。
レティシアは自分のその考えを振り払った。
ーーーーー
レティシアが見た本のマリアンヌ皇帝一家の絵に皇太子の妻が居なかったのは、妻が2人いて揉めたからです……。
揉める2人を見て2人は抜いて描いてもらおう、となりました。
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