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ヴォール帝国へ
弟ステファン 3
しおりを挟む……ステファンにとっての義父は、公爵としては立派だが父親としては冷たく遠い存在。
幼い頃に養子縁組をしてから公爵家の後継者としてはきちんと対応してくれるものの、特別2人で親子として何をする訳でもなく会話も『公爵とは』という実務的なものだけ。とてもではないが『父と子』といったものではなかった。
今回も隣国から帰るなり突然、『新たに養女を迎える。10ヶ月後には王国の王太子妃として嫁ぐ予定だが、弟として彼女にきちんとした対応をするように』とだけ言われたのだ。
聞けば18歳の年頃の娘だという。そうして義父は彼女の為に部屋を大掛かりなリフォームをした。そして本人から聞き出したという好みの色や可愛い家具で揃えるなど、公爵本人がその娘を随分気に入っているのが分かった。口さがない使用人達は、『養女という名の愛人なのではないか』と言い出す始末。
義父が新たな娘をそれだけ気に入っているという事実だけでもモヤモヤするというのに、『公爵が妻を娶り子が生まれればステファン様は実家に返されるのでは』という使用人たちの話まで聞いてしまえば、そのままここに居続けるのは苦し過ぎた。
実家に帰って……、本当は義父の迎えを待っていた。しかし義父から来たのは『早く帰って姉上に挨拶をしなさい』という手紙だけ。少し悔しくなったステファンは事情を母にだけ話した。
母は烈火の如く怒り……、しかし兄公爵に面と向かって逆らうのは戸惑われたのか、今日の義父不在の屋敷への姉の正体を暴く為の襲来だった。
……いずれは、義父上から大目玉を喰らうんだろうなとステファンは思った。
そしてそんな母はレティシアに会う事が出来なかったが、もしも母が姉上を見ていたのなら……。
「……ステファン様? 大丈夫ですか?」
そう心配そうに自分を見る、深い紫の瞳。この国の中枢にいてその瞳の意味を知らない者は居ない。……代々ヴォール帝国の皇帝一族に稀に現れる事のある『ヴォールのアメジスト』と呼ばれるその瞳。この深い紫は『皇族』の証――。
そう、先程義父とも話をしたがそれ以前にこの姉の瞳を見た瞬間にステファンはその事を理解した。何よりこの義父の結婚しなかった理由などは母から耳にタコが出来るほど聞いて知っている。だからこそ自分はこのクライスラー公爵家に養子に来たのだから。
そんな義父の心をいとも簡単に溶かしたのは、この姉がおそらく義父の愛した女性の子供だから。そして先程のように自分の信念に従い公爵である義父にも物申す、この姉の真っ直ぐな心。義父の冷え切った心に、他の誰でもない姉の言葉は届くのだろう。
「……いいえ。義父と私の間には今までは親子らしいものはなかったので、少し驚いていただけです。私の事を『大切な子供』だなどと思ってくださっているとは夢にも思っていませんでした」
ステファンはそうポツリと言った。
それを聞いた公爵は少し驚いた顔をした。
「ステファン……。そう、なのか。……私は普通の親子というものがどんなものか、分かっていなかったのかもしれない。私自身も『公爵家の後継者』として厳しく育てられ、親と子の関わりとはこんなものだと思っていた。
……これからはお前さえ良ければ、もっと普通の『親子らしい』事が出来るよう心掛けよう」
……この義父も、あの権力主義の祖父に厳しく教育され愛する女性を失くした只の不器用な人間だった、という事なのか。
ステファンの中で『完璧で冷酷な公爵』というイメージしかなかった義父を初めて人間らしく、身近に感じた瞬間だった。
「お父様、ステファン様……。良かったです」
……そう言って目を潤ませた姉レティシア。
この姉の為父の為、そして公爵家の為にこの家の養子となった自分がすべき事はと先程考えた。
だけどそれ以上に、今この父と姉を見ていてステファン自身がこの2人を守っていきたい。……そう思った。
◇ ◇ ◇
「最近は随分と早くに屋敷に帰られるのですな」
帝城にて仕事を片付け、さっさと帰ろうとしていたクライスラー公爵に声がかかる。その相手の姿を認め、公爵は少し柔らかな表情を見せた。
「可愛い子供達が待っていますから。……ロンメル侯爵。先日はステファンがお世話になりました。ご心配をおかけしたようですが今は家族3人仲良く過ごしております。
今日もこれから庭でピクニックをする予定なのですよ」
そう楽しそうに笑う公爵にロンメル侯爵は驚く。クライスラー公爵の妹ディアナを妻とした彼はこの義兄とは長い付き合いだが、このような柔らかな顔を初めて見た。
「そうなのですか、それはようございました……。実は妻はあれから随分と心配いたしておりまして。
義兄上、宜しければ今度妻と共にお屋敷をお訪ねしてもよろしいでしょうか?」
前回、ロンメル侯爵の三男であり公爵家の養子となったステファンが侯爵家に帰った時、息子の様子は確かにおかしかった。ロンメル侯爵はクライスラー公爵が新たに養女を取った事が原因かと気にはなりつつも、一応他家に出した子の話に口を出せずにいたのだが……。
「勿論です。娘もステファンの両親に挨拶がしたいと申しておりましたし、ディアナも誘って是非我が家にお越しください」
結婚をしていないクライスラー公爵家には当然女主人は居ない為に、特に現皇帝になってからは公爵家で特別夜会など開催される事もなかった。公爵の妹であるディアナは足繁く屋敷に通っていたが、侯爵は現皇帝の御代で反対勢力とされる公爵家にそれほど通う事もなかったのだ。
特に今は外部にまだ顔出しさせていない養女がいるので、てっきり拒絶されるものと思っていた。
それなのにアッサリと公爵家に誘われた事で少し拍子抜けする侯爵だったが、この機を逃してはならぬと早速訪ねる日取りを決めたのだった。
◇ ◇ ◇
レティシアがヴォール帝国のクライスラー公爵家に来て早1ヶ月半。
「ステファン、お見えになったみたいよ」
今日はクライスラー公爵家にステファンの実家であるロンメル侯爵夫妻が遊びに来る事になっている。レティシアは益々張り切って帝国の礼儀作法を勉強し、先生からも合格だと言われている。
「お姉様。そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。ロンメルのお父様は優しいしお母様は絶対にお姉様を気にいるから」
朝から緊張して張り切り過ぎているレティシアに、ステファンは笑いながら言った。
――1週間前。突然父から『妹夫妻が遊びに来る』と言われた。ステファンに聞くと、彼が養子に来てから両親が2人揃って訪ねて来る事はほぼなかったらしい。
そしてロンメル侯爵夫妻にレティシアを紹介するので今までの勉強の成果を見せて欲しいと言われたレティシア。それからはもう頑張りに頑張り、今日の日を迎えたのだ。
「ステファン。……世の中に『絶対』なんてものはないのよ」
……今日は家族以外へのレティシアのお披露目であり今までの成果を試される時。
意味ありげな事を言ってふうと大きく息を吐き、見るからに緊張している様子のレティシアにステファンはクスリと笑った。
そしてクライスラー公爵に案内されたロンメル侯爵夫妻が部屋に入って来た。
侯爵夫妻は部屋の中に目を向けた。
「ッ!!」
2人は奥にステファンと立つレティシアを一目見て、見事に固まった。
……またなの……!
またしても、自分の顔を見て固まった2人にレティシアは内心ため息をついた。
しかしロンメル侯爵夫妻は、これ以上はない程に混乱していた。
「……まさか、義兄上。これはいったい……。彼女はもしや……」
ロンメル侯爵が何かを言いかけてやめた。義兄の圧力を感じたのだ。
「……彼女は私の娘。この度隣国ランゴーニュ王国より新たに養女に迎えたレティシアだ。……よしなに頼む。
レティシア。私の妹ディアナとその夫アレックス ロンメル侯爵だ。ご挨拶なさい」
「……はい。お父様」
レティシアはグッと下腹に力を入れて、ステファンの両親であるロンメル侯爵夫妻を見て挨拶をした。
「お初にお目にかかります、レティシア クライスラーでございます。お会いできて光栄です……」
そう言ってカーテシーをし、顔を上げ彼らを見たレティシアは……非常に戸惑った。
それは、ステファンの母であり義父クライスラー公爵の妹であるディアナ。彼女がレティシアを見ながら滂沱の涙を流していたから。
「ッお母様……!?」
「ディアナ!?」
ステファンとロンメル侯爵も、それを見てかなり戸惑っていた。
しかしディアナはレティシアだけを見つめ涙を流し続けていた。
「……お兄様。そうでございましたか……。もう、あのお方はいらっしゃらない、のですね……?」
ディアナは涙を流しながらも隣にいる兄に呟くように聞いた。
……ロンメル夫妻は当然ながらレティシアの母、ヴァイオレット皇女の若い頃の姿を知っている。そしてレティシアを見た瞬間に彼女が皇女の娘である事を理解した。
……そしてそのレティシアが兄の養女となり1人で今ここにいるという事は、その母である皇女はおそらくこの世に居ないのであろう事も。
……悲しい事に、理解してしまったのである。
「……しかし私にはレティシアがいる。私は彼女を守る為に養女とし、何に惑わされる事なく彼女が愛する者の元へと嫁げるように全力を尽くすつもりだ。……力を貸してくれるか?」
クライスラー公爵がそう妹夫妻に尋ねると、2人は大きく頷いた。
それからもまだ涙の止まらなかったディアナをレティシアとステファンは椅子に座らせ2人で慰めた。
この一月で随分と仲良い姉弟になっている2人とそこに声をかける公爵、この3人の親子の姿を見てロンメル夫妻は驚きつつステファンの幸せそうな様子に安堵し喜んだ。
そして皆で和やかなお茶会を過ごしたのだった。
――その後、レティシアの教育やこの帝国での貴族達への根回しにこのロンメル侯爵夫妻は大きく関わる事になった。
そうして、レティシアのお披露目となる帝城での夜会が2ヶ月後の皇帝の誕生祭と決まったのだった。
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