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卒業パーティー
挿話 コベール子爵 その3
しおりを挟む「――お父様お義母様、行って参ります。……くれぐれも、お身体に気を付けてくださいね」
最後、瞳を潤ませ私達を気遣う言葉を残して娘レティシアはヴォール帝国へと旅立った。
小さくなっていく馬車の車列を眺めながら、私はレティシアが産まれたばかりで弟夫婦がまだいた幸せな頃や、レティシアが我が家に来た頃の事などを思い出していた。そして――。
あの卒業パーティーの夜、コベール子爵がクライスラー公爵と腹を割って話をしたあの時の事を――。
◇ ◇ ◇
卒業パーティーの日の夕刻、突然訪れたヴォール帝国のクライスラー公爵と話をしていた私は、公爵にレティシアの母の事を聞かれ誤魔化そうとしたものの詰め寄られ、とうとう全てを打ち明けたのだった――。
「……コベール子爵殿。申し訳、なかった」
高貴なる存在である大国ヴォール帝国クライスラー公爵。その公爵が小国の子爵に対して頭を下げた。
「閣下……! 頭をお上げください!」
コベール子爵は驚き慌てて公爵に言った。……しかし公爵は頭を下げたまま。
……クライスラー公爵に詰め寄られ自分の知るヴィオレ達の事実全てを彼に語ったコベール子爵は、彼がどんな反応をするかを恐れた。
黙って子爵の話の全てを聞いていた公爵だったが、話し終えると謝罪をして来たのだ。この部屋には他に誰もいないとはいえ、大帝国の公爵が謝罪をするとは!
「貴方のお陰で、ヴァイオレットは……平民としてでも娘と共に幸せに暮らしてこられたのだな。帝国の追手から逃れ彼女達母子が無事に暮らしてこられたのはコベール子爵、貴方のお陰であったのに……。私はなんと失礼なことを」
そう言って真摯に謝る公爵を見て、子爵は胸が熱くなった。
……誰に褒めてもらおうとして弟一家を支えて来た訳ではない。それでも、そう言ってもらえるのは自分がして来た事は正しかったのだと、そう認められた気がして嬉しかった。
「……そして、貴方はあの子の……レティシアの父ではなかったのですね。それなのに外交官をしていた弟君から帝国の痕跡を辿られる事を警戒し、自分の子としてレティシアを引き取り育てて下さるとは……。おそらくそうしていなければ、レティシアの存在は帝国の者たちに気付かれていたことでしょう」
そう言って先程までの殺気や刺々しさがなくなったクライスラー公爵を見て、子爵はこの公爵がレティシアの母を愛していたのだと気付いた。
子爵をレティシアの父だと思ったからこそ、どうにもならない嫉妬が渦巻いていたのだろうと、そう思った。
「しかし……、護衛の話によるとヴィオレは……」
自分の悔やむ1番の事は、ヴィオレを助けられなかった事。……そしてあの時の帝国の皇帝の代替わりを彼女に教えていなかった事だった。
「……3年半前か……。あの時、ヴァイオレットはまだこの街で生きていた……。あの時私もこの街に来ていたというのに……! ……もしそれが、本当に誰かに狙われてという事ならどうして私はそれを止める事が出来なかったのか……!」
クライスラー公爵はヴァイオレットがまだ生きていた時、自分もこの国に来ていたという事実にやるせ無い思いに苛まれていた。……彼女はおそらくその時自分に会いに来てくれたのでは? そう思えるのだ。
そして……。自分もいたあの時の使節団の中におそらくヴァイオレットを死に追いやった者もいたのであろうと推察できる。使節団の車列を見に来たヴァイオレットの姿を偶然見つけ、狙ったのだろう。
それにその者達はヴァイオレット亡き後、彼女たちの家や周りを探っていたようだった。幸いレティシアはすぐにコベール子爵家に引き取られ護衛がその痕跡を消したので、暫くすると諦めたようだが……。
しかしあの時は既に新皇帝の御世。それなのにその妹皇女であるヴァイオレットが狙われたという事は……。
「コベール子爵。レティシアは今日のパーティで騒ぎに巻き込まれ更にこの王国の王太子に求婚された事で、その姿は主だった貴族に見られ認知されている。
そして気付く者は気付くのだろう。……レティシアが皇族の血を引く者であるという事を。現に王太后も……そしてこの私も、すぐに気付いた。帝国の皇族に近い者はおそらく一眼で分かる」
その言葉に子爵は青褪めた。
「……やはり、そうでございますか……。私どもも本当はレティシアには密やかにこの王国の片隅で平穏に生きていってくれればと願っておりましたが……。
この国の王太子殿下はレティシアを守ってくださるでしょうか? ……守る事が、出来るのでしょうか?」
公爵は少し考える。
「……リオネル殿下は、気苦労が多かった分思慮深く良く出来た青年だ。そしてレティシアを真剣に想ってくれている。……しかしやはり彼はまだ若い。今の彼ではレティシアの複雑な事情から守り切れるとは思えない。特に今はこの王国自体が不安定だ。例のフランドル公爵家の動きも気にかかる。
コベール子爵。私はレティシアを養女として彼女の後ろ盾となり、いったん帝国に連れて行こうと思っているのです」
レティシアを養女に? それに帝国は1番レティシアにとって危険ではないのか?
コベール子爵はそれは悪手ではないか、と思った。
「しかし閣下。レティシアが帝国にいけば、余計に危険な事になるのでは……」
「レティシアがこの王国の王太子と堂々と結婚するには、帝国関連の憂いを解決しなければならないでしょう。
これは王太子との未来を選ぶ限りレティシアには避けては通れない道。
それに今の皇帝陛下はヴァイオレット皇女と母を同じくする兄です。おそらく悪いようにはされないでしょう」
それを聞いて子爵は今更ながらレティシアはあのヴォール帝国皇帝の『姪』なのだと、少し恐ろしい気持ちになったのだった。
「コベール子爵。私はヴァイオレット皇女の事は幼い頃から知っている。そして帝国学園では仲の良い『友人』であった。……あの頃、まだ帝位争いが起こる前までは私達はただ美しい未来を夢見ていた……。あの争いで、我らの世界は壊れてしまった。皇太子、当時の皇子達の父が急死された事で全てが狂ってしまった……。私はまだ若く子供で、何も出来なかった。……彼女を、守れなかった」
その話を聞きながら、コベール子爵は彼らの楽しかったであろう学生時代を想像した。そして突然大人たちの帝位争いに巻き込まれ、どうにも出来なかった若者たちの葛藤や苦しみを垣間見た気がした。
「……私はずっと後悔し続けてきた。彼女を探し続ける事でしか自分を支えるものがなかった。……それなのに、やっと見つけたと思ったら彼女は……。
しかし、レティシアがいる。そしてまだ彼女はあの20年前の因縁に縛られている。私は今度こそ彼女たち若者の未来を守りたい。……子爵。力を貸していただけますか」
真っ直ぐな、クライスラー公爵の薄紫の瞳。
コベール子爵も彼をしっかりと見て頷いた。
「勿論です。レティシアを守り彼女が輝かしい未来へ進めるように」
――そうして2人はこれからの事を話し合ったのだった。そしてクライスラー公爵は、まだレティシアや周囲にはその母がヴォール帝国の皇女であった事は話さないで欲しい、と言った。
「どうしてですか? いずれは分かる事。しかも帝国へ行く前に本人の心構えも必要でしょうし、何より王太子殿下や国王陛下にも報告が必要になるのでは?」
コベール子爵はそう言ったが、クライスラー公爵は苦笑して答えた。
「……今、2人の想いは通じ合ったばかり。リオネル殿下はレティシアの事情を聞けば彼女を守りたいばかりに城から出さなくなるかもしれない。そんな状態は普通ではないしいつまで経っても前へは進めない。
そして、今のこの不安定なレティシアの状況を聞けば国王はこの結婚を白紙とするか利用しようとするか……。それにこの王国にいてはフランドル公爵派の者に命を狙われるかもしれない。結婚を決め出発してしまえば、帝国に対してどちらも余計な動きは出来ないはずですから」
……成る程と思いながらも、レティシアに重大な事を隠して帝国に送り出した事に心を痛めるコベール子爵だったが……。
子爵はもう一度、レティシアが旅立った方角を見つめた。
――どうか。どうか、レティシアがアラン達の辿った運命を覆す事が出来ますように。
アラン、ヴィオレ。……あの娘を守ってやってくれ。
――そう心から願った。
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